現世利益について(5)”ありがとう”ざんまいの、よろこべる毎日。
現世利益和讃(再掲)にいわく
「南無阿弥陀仏を称えれば 梵王・帝釈帰敬す 諸天善神ことごとく よるひるつねにまもるなり」
「天神・地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」
みんなに見守られて助けてもらって、ひいては、自分はいつの間にか阿弥陀様を始めとした神様仏様に、或いは身近な廻りの方に、あるいはご先祖様に、自分の直接関わらない知らない人々に、
いつのまにか、確かにまもられていたのだなあ、と明らかになってくる。
より、ありがたさがまして、心が安定して、この世の味方がすくなくとも楽に穏やかになる。
南無阿弥陀仏の現世利益とは、そういう安心なんでしょうね。
まあ人間忘れっぽいので・・・ここまで解っても、明日の朝にはけろっと忘れてる。しつこいほど、どうしようもない。じゃあどうしたらいいのか?というと、やっぱり続けてやるしかないんでしょうね。
毎日の習慣、ってのがいちばん大事なので。
「阿弥陀様ありがとうございます、南無阿弥陀仏」
朝な夕な、仏恩報謝のお念仏、おつとめを申させて頂きましょう。
自分の口でおつとめする、そしてその感謝の思いが、穏やかな心が現実ににじみ出る。行いがともなうことが、いちばん大事なこと、それが一番ありがたいことです。そうなるように目指す、行動する。
それをさせて下さっているのは、阿弥陀様の願いなのですから。
人間、誰に一番力を尽くしたいか?誰が好きか?といえば
それは「自分にやさしくしてくれた人、よくしてくれた人」でしょう。
「あの人こないだ良くしてくれたなあ、今度またお返しせな」って恩返しの心は誰にでも起きるものです。(起きなかったら、サイコパスか子供ですからね、ちゃんとしてね)
ただまあ無理のないように。自然な好循環を、毎日の繰り返しに作っていければ良いのですが。
信心獲得すといふは、第十八の願をこころうるなり。
この願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。
このゆゑに、南無と帰命する一念の処に発願回向のこころあるべし。
これすなはち、弥陀如来の凡夫に回向しましますこころなり。
これを『大経』(上)には、「令諸衆生功徳成就」と説けり。
されば無始以来つくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく
願力不思議をもつて消滅するいはれあるがゆゑに、正定聚不退の位に住すとなり。
これによりて「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といへるはこのこころなり。
この義は当流一途の所談なるものなり。他流の人に対してかくのごとく沙汰あるべからざるところなり。
よくよくこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(御文章・信心獲得章)
なまんだぶ。なまんだぶ。