ヒトの死から思うこと
私の思考の備忘録として、
遅番の仕事が終わりTwitterを見ていたら、
タレントの自殺がトレンドに上がっていた。
TLを見ていて、
色んな個人の意見や見解が述べられていた。
色んな角度から感じるものはあるなぁっと感じた
何が正解だとか、正しいはまずない。
曖昧で、複雑なのだ。
経験による視座、捉え方、見え方かな。
私は兄を自殺で失っている。
ただし、それは私が兄に対して「死ね」と言っていること。
ここだけで判断されると少々困るので、成り行きというか背景(文脈)を綴ったnoteリンクを貼っておきます。
https://note.com/tapas_topaz/n/nf7577eaa2d67
まぁ、何が言いたいかというと
言葉が持つ力について、その言葉を放った者は、放った言葉が起こした現実に対して真摯に向き合わないと自壊を招くということ。
私は兄に対して放った言葉と起きた現実に対して
自分が死ぬまで一生背負う業だと思っている。
だからと言って、
こうであらねばならないということを言いたいわけではない。
経験による視座、捉え方、見え方といった。
同じような経験(残された側)をしているヒト。
他人事として見ているヒト。
旅立って逝ってしまったヒトの思いを想像するヒト。
残されたヒトの思いを想像するヒト。
逝ってしまった本人の本真、真意は一生わからないままなのだ。
だから想像するしかない。
想像は千差万別だ。
だから正解なんてない。
そして起きた事実の受け取り手一人ひとりにとやかく言うことでもないのかな。
着地の見えないこと(答えがない)を綴っているので、読者の方には申し訳ないと謝るしかない。それでも付き合っていただけるのなら感謝しかない。
改めて死生観について考える。
今、私の母は脳梗塞を患い、幸いにも早期発見だったので大事にならず無事に退院できることが今日わかりました。同じ日に職場で働く方のお母様が亡くなられたことを知りました。
また先日、この死生観について家族との絆(大切な人との)について、発信している大切な仲間の個展に行きました。
たまたまなのかもしれませんが、
ヒトの死について、色んな角度から考えさせらることが起きていて、どう言葉に言語化すればいいいのかわからないのだけど今自分の内から出ている思いと向き合っています。
残された者が想像する事。
捉え方は私(貴方)が経験している事を経て考えられる事なのかもしれません。
一つの考え方として受け取ってもらえたらいいかな。
起きた事実に対して、背景(文脈)を知ること。
事実だけを見ると、それは私(貴方)の今の価値観だけで「判断」してしまう。
背景(文脈)を知ろうとすることで、パラダイムシフトが起きる。
視座、捉え方、見え方がガラリと変わるのだ。
それが他者を理解しようとすることに繋がるのだろう。
んー、まとまりがない感じだなぁ。
ひとまずここまで私の思考にお付き合い頂きありがとうございます🙏💖
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