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声、ちっちゃ!

声というのは100〜1000Hzぐらいの周波数の音で、男性の話声で500Hz、女性で1000Hzぐらいだそう。因みに「Hz」と言うのは周波数を表す単位で、1Hzは「1秒間に1回振動」する状態。何が振動しているかと言うと声帯が振動してそれが空気中を伝わり、耳(鼓膜)が同じ様に振動することで音が伝わる。

「空気が振動する」と言うのはつまり、声帯が振動するのに合わせて空気に圧力差が生まれて波を形成するということ。それが球状に広がっていって対象に届く。人の可聴領域は周波数で20Hz〜20000Hz(20KHz)程度。一般的なヘッドホンの対応周波数は大体この範囲だし、例えば音楽CDは44.1KHzでサンプリングされているので収録できる周波数上限は22.05KHz、丁度可聴領域をカバーすると言うわけ。

現在のスマートホンでは音声コーデックが進化しているので割と広い範囲の音を拾えるけど、一昔前のガラケー時代のコーデック、たとえばG.711なんかはサンプリングが8KHz、対応周波数は300〜3500Hzぐらいなので、人の声は聞こえても周波数が4500Hzの鈴虫の声は聞こえないと言うのは有名な話。

コーデックの話が出たのでその他の音楽コーデックを見てみると、サブスク全盛の現在良く使われるMP3とかAACとか、これらは「不可逆圧縮コーデック」。音楽のデータを周波数領域でパラメータ化してサイズを縮小し、再生時はそこから「もとの音に近い音」を再現する。AACは比較的高音までエンコード可能だけど、MP3は(昔は)16KHz以上をカットしてエンコードするのが主流だったので、低いビットレートでは人の耳ではあまり聞き取れない16KHz以上の音の部分はスッパリなくなっていた。つまり、一度圧縮された音を聞く場合、「ほぼ同じ音」は聞いているけれど、実は完全にオリジナルではないと言うこと。デジタルでサンプリングされた離散的データを扱っていることを考えると、携帯電話やスマートホンでも聞いてる相手の声も、実は「相手の声をデジタル的に再現した」本来の声に良く似た音を聞いてるってこと。

さてさて、前置きが長くなったけど、本題。世間的に言えばもう「オジサン」な私は会社では年下の子たちの面倒を見たりする年齢な訳だけど、ここ数年で本当に良く抱く印象がある。それは「声、ちっちゃ!」と言うこと。

会議の時とか、なんかボソボソ喋る。会議室の空調機器がゴォ〜とか音立ててるとよく聞き取れない。対面で話していても「えっ?」と聞き返すことが多い。なんか自分が耳遠い人みたいじゃん。そこまで耳悪くなってないよ!(耳鳴りはする😅)

多分原因は近年の義務教育方針なんかもあるんだろうけど、一番はコロナ禍でのオンライン授業や会議が原因なんだと思う。我々の頃は会社での会議は基本対面で、上司や先輩は声がデカかった。その中で自分の意見を通そうとすると、自然とデカイ声で主張しないと駄目だった。なので喋り声もデカくなったんだと思う。当然中には声の控えめな人もいたから、私自身「我が強い」だけなのかも知れないけれど。

ところがコロナ禍でオンライン会議が主流になると、マイクやスピーカーの性能が良いからか、小さい声でも拾ってちゃんと聞こえる。部屋で一人で喋ってるならそれでもいいだろう。しかし普通に対面で会議していて一部の人間だけオンラインな場合、会議室でもボソボソ喋られると同じ部屋にいる人間は聞き取りにくいんだよなー。

かと言って「大きな声で喋れ!」って言うのも、その人の個性もあるし最近は言い辛い。こっちの声は常にデカい(笑)ので、相手が威圧されたと感じればそれがパワハラと受け取られたり、そこまでいかなくても萎縮してしまう可能性もある。いや、すでに萎縮してしまっている若手もいるのかも?

物理的に声の小さな子たちは主張も控えめ。そんな子たちでも仕事上の技術的指導は必要なので、まずは色々聞いて彼らに喋ってもらう必要がある。でも……声、ちっちゃ!😑 聞いたこと以外は答えてもくれないし、仕事は真面目にやってくれるけど、何か疑問だったり不満だったりがあるのかどうかも分かり辛い。

そなってくると、普段の態度やら雰囲気やらから、こっちが色々察して先回りして声かけたりする必要が出てくる。うーむ、自分は技術系で保有技術に関しては例え相手が上司であろうがガンガンに議論を戦わせる、そんな中で会社生活を送ってきたけど、いざ「指導する」立場になると、こんなに難しいものなのか💦 それ考えると自分の上司だった人たちにとって私は、ある意味分かりやすくて扱い易かっただろうし、またある意味では生意気にも大声で攻めてくるので扱いにくかっただろうな。

声が小さい人たちは、その「心の声」も小さかったりする。それを無理矢理引き出そうとすれば「パワハラ」なんて言われてしまう昨今、上司や技術指導する側の人間には、まさに五感を「超えた」第六感的な超能力が要求されているのかも知れない。