中山道中チャリ栗毛。
「膝栗毛」という言葉がある。
膝。すなわち足。すなわち徒歩で歩いて旅行することを意味する。
この夏、東京・日本橋から中山道を辿って京都・三条大橋まで自転車で旅行した。その記録を、ここに残しておきたい。
言葉にするなら「チャリ栗毛」。
6日間、全六十九次の行程を、写真とともに振り返ろう。
1日目 始まりの橋
8月21日。台風が過ぎるのを待って出発日を遅らせた。
この国の全ての道路の出発点は、今日も朝から往来激しくここにあり続けている。
朝6時半ごろ。
はるか540km先にある京都を目指して自転車を漕ぎ始めた。
道のりは険しいが、道は繋がっているので、漕いでれば着くだろう。
東海道自転車走破の経験があるから、そこまで壮大な旅のスタートという感じではなかった。
しばらくは国道17号を辿る。
湯島聖堂・東大の赤門などを通過。東京のど真ん中。
にわか雨に降られたが、気にせず進もう。
江戸を朝1番に出ると、1日歩いてちょうどここまで来れるらしい。
なので、それなりに栄えたらしい。東海道でいう戸塚宿のような雰囲気。
鴻巣から熊谷がちょっと離れていた印象。すこしまた雨に降られる。
そろそろ群馬県に突入。
関東平野は広い。今日はずっと平坦。
初日は、なんてことなく高崎まで110kmほどの道のり。
17時には到着して、次の日に備えて早めに就寝した。
2日目 ふたつの峠越え
今日も朝から猫と遭遇。
まだ6時前だが、今日は長い道のりになるので、気合を入れていく。
東邦亜鉛の工場が見えてくると、いよいよ感が湧き上がってくる。
とここで、向こうから走ってきたロードバイクおじさんに、
「この先通行止め!」と叫び留められる。
2人で残念がりながら、もう一つの碓氷峠バイパスの方を迂回することに。
30秒漕いでは、少し歩いて。を繰り返す。
真横を何度も大型トラックに抜かれるのが、怖かった。
標高はおそらく1200mほどまで登る。
長野県突入で、一気に峠を下ります。
ショッピングモールは駐車場への渋滞で大混雑。
その車列を自転車で颯爽と追い越すのが清々しかった。(なんで軽井沢に自転車で来てるんだろう?となるが気にしない。)
ここで、天気が急転して5分前の青空が信じられないくらいの土砂降りに。
望月宿で雨宿りして、弱まったタイミングで次へ進む。なんてったって今日はまだこれからもう一つ峠を越える。
ここからは時間の勝負となったので、撮影した写真がほぼない。悲しい。
高原にあるひっそりとした素敵な宿場だったんだけど、写真に写せてないのが悔やまれる。
この時点で時刻は17時。日没まで1時間半。
途中までは新しいバイパスを進むため、トラックの通行量が多いが、旧道に入ると途端にひっそりとした林の中を進むことになる。とにかく鈴をずっと鳴らして、死に物狂いでペダルを漕いだ。
地図で確認した道のりが、信じられないくらいくねくねしていて、ナンバリングされたカーブの標識が、70を上回っていたような記憶がある。定かではない。
もうあとは下るだけ!と安心したのもつかの間。本当にヤバかったのは下りの方だった。
トンネルを抜けると、街灯もない山道を、かすかなライトで照らして、ブレーキを効かせながら、下り坂を一気に駆け下りる。キツネのような小動物が横切ったぞ。
バイパスと合流すると、トラックの交通量が多くなり、死と隣り合わせ状態の暗闇をかけ分けるように進んだ。
ブチブチブチブチと、急に大粒の雨が降り出した。峠を越えたんだ。そりゃ天気も変わる。路面も滑りやすくなった。舗装状態もよく見えないまま、とにかく進む。ものすごいスピードで横目を通り過ぎたのは、標高1300mの標識。
いち早く人家の灯りが見えるところに辿り着きたかった。本当によく転ばなかったと思う。
やがて建物っぽいものが道沿いに見えてきた。やっと人が生活するような場所まで来たのだ。そして、諏訪湖周辺の夜景が一望できるようになる。
人生でこれほど「生きてる」と実感できた景色はなかっただろう。下諏訪駅に着いたときは、家に帰ってきた時と同じ安心感に包まれた。
いきててよかった。
3日目 木曽路の旅
スロースタートな朝だった。8時くらいに下諏訪駅を出発した。
朝から早速峠を越える。岡谷から塩尻に抜ける塩尻峠だ。
新しい盆地が始まった感じがする。この山並み。この青空。そんな長野県がやっぱり好きであることを確かめながら、下り坂を下った。
木曽路の魅力の一つは、旧道、国道、鉄道と交通の歴史が一束の谷筋に集中していることだと思う。
凝縮された数百年の交通の歴史が一目に収められる。
何度来ても圧倒されてばかりの奈良井宿。
自転車で走ることになるとは、まさか思わなかった。
だいたい京都まで半分来た。
昨日の経験があるので、トンネルがあると感謝したくなる。
今日はここまで。平和な一日だった。何より景色が目の保養。
4日目 美濃の国へ
朝、猫との遭遇率が高い。
今日は木曽路を走破して、岐阜県へ入る。
なんだかんだキツかった馬籠峠。舐めてるとろくなことないね。
峠の頂上で飲んだラムネが、僕を生き返らせた。
たまに冷静になって考えると、なんで岐阜県まで自転車できてしまったのだろうとなりますが、気にしない気にしない。
5日目 魔境と暴れ川
今日は、さっそくとんでもない魔境に差し掛かる。
十三峠のこの区間、石畳や泥濘道でさすがに自転車で走れないので、適宜国道へ迂回して進む。
その関係で坂を一度下って再び上って中山道へ復帰するのだが、大湫宿の無料休憩所で休憩していたら、そこのオーナーさんに「今、一所懸命上ってきてたでしょ?」と聞かれた。
見られてた。
この先も、進むことができないので、もう一度国道へ戻る。
群馬県安中市から続いた山岳地帯が、ひとまずは終了。これからは平穏になるかと思われる。
気温が37度近くになり、スマホがオーバーヒート。充電されないアクシデント発生。ハンカチを濡らして、スマホを冷やすことで対処した。
この日は、確かにこれまでのどの日より暑かったかもしれない。
テンポよくここまできたけど、まだ関ヶ原を越えていないせいか、日が暮れ始めるとちょっと焦り始めた。
ふ―、間に合った(間に合ってない)。今日は、醒ヶ井にある古民家ゲストハウスに泊まります。
6日目 京都まで
気付けば最終日。もう京都まで80kmを切っています。
最後まで安全運転で行きましょう。
日本橋で別れた東海道と合流です。ここから先は旧東海道を辿る。
ただ辿るのでは、前回も通った道になるので、琵琶湖に架かる橋を渡る。
実は「急がば回れ」の発祥の地は、この草津~大津間らしい。急いで船で行くよりは、地道に陸を歩いて行った方が早いというやつです。
ということで、到着です。
長かったけど、近かった。
今や2時間あれば行ける京都だが、6日間かけてきても一瞬だと感じれる旅だった。
東海道の経験があるので、どうしても比較してしまいますが、中山道はずっと箱根、みたいなもんでした。
町並みや道の雰囲気は、東海道よりも風情が残っているようなところが多く、おそらくそれはあまり開発の手が入らなかったから。
特に木曽路は、今も昔も変わらない暮らしというのが感じられ、中央線の駅舎ひとつとっても、明治の時代からの貫禄をそのままに纏っている建物が多くて感覚が麻痺します。
この国もこの道もまだ若かった頃の遠い昔から続いている記憶。
それは、今日も休まることなく続いています。
街道を旅して見つける、1秒も途切れることない時間の結び目。
今、僕たちが生きているのは、その長い歴史のほんの一部でしかないということ。
そんなことを思い知らされました。
また機会があれば、街道の旅をしたいと思います。