チャミ→なかしー(#14)
なかしーへ
パンチャももうすぐ折り返しですね。
時々やり取りしている感じから、なかしーが少しづつ楽になっていっているような感じがしています。
楽になる、って、ざっくりしてるけど、すごく、全部にいいですよね。
解放される感じ。
固まりが取れる感じ。
もしかしたら、楽になるって、理由とか解説とか説明なんていらないのかも。
なんか楽になった、ってだけでいいのかもしれない。
本当に楽になるって、そういうものなのかもしれない。
本当に楽になっていないときに、理由や説明が必要だったり、色々解説したくなってしまうのかもしれない。
なかしーのインスタのストーリーを見て、そんなことを思いました。
わたしは今、市電に乗ってて、久しぶりに街に行ったのですが、人にすごい過敏になってて、はっきり言って耐えられません。
先日の東京の電車は大丈夫だったのに。
なんでだろう。
東京は生まれた場所だから、やっぱり慣れてるのかな。
東京はたくさんのいろんな人がいて、だからあの他人との距離感の感じが、私には気楽です。
距離感といえば、
『そういえば、結婚や夫婦関係ですが、
チャミさんはぴえんじゃないような
そんな気がしました。
それぞれの距離感で、過ごせているのだから。
距離感がまだ掴めなくて、
社会的にとか、制度の定義とか、集合意識的なところにまだいるわたしはぴえんかなって
思ってます。』
という、前回もらった手紙のこの部分について、最近ずっと考えていました。
なかしーの言う「それぞれの距離感」というのは、おそらく私と元夫の距離感、ということだと思うのですが、私と元夫は離婚していて他人ですが、子どもが二人いるので、お互い、「子どもたちが最優先で、子どもたちの幸せを第一に考える」という点において、最善の協力をし合う共同体だと思います。
(共同体と表す理由はそれぞれ子どもの父親がちがうこととかそのほか色々あるのですが、もともと私が家族という概念が薄いというか、体感的によくわからないからです。)
で、共同体は、子どもたちが成長し、成人した暁には、消滅、空中分解、解散となります。
なので、私には結婚、夫婦、パートナーという枠の相手がいないため、たしかにそういう意味ではぴえんではないのかもしれません。
そもそも私と元夫の「それぞれの距離感」というものは、ベクトルがお互いには向いていないため、子どもたちの親としての他人の距離感で、子どもに関すること以外では相手に干渉しない、というものだと思います。
実は、このへんはなかなか難しいです。
感情ってそんなに簡単ではないから。
でも、何を守りたいかが明確であれば、踏み止まれる、暴走はしないですむ。
お互いそういうギリギリのラインを何年も生きてきての、今の「それぞれの距離感」だと思います。
繰り返しになってしまいますが、結構というかかなり難しいこともたくさんありますし、相手の態度に普通に傷つくこともたくさんあります。
それは単に、人として、という部分で。
でも、子どもたちを大切にしたいので、そこはぐっとがんばるしかない。
だから夫婦をやっている人たちって、本当にすごいなあって思います。
いやいや、うちもすっかりお互い気持ちが冷めきっているから、結婚していてもそれは形だけで、離婚しているあなたと実情は変わらないですよ、と言う人も世の中にはたくさんいるかもしれませんが、結婚状態の夫婦でいるのと離婚しているのでは、全然違うと思います。
あんな紙切れ一枚で何が変わるのかと、若い頃は私も思っていましたが、紙切れどうこうではなく、自分で自分の名前を書いて契約をする、もしくは解消をする、ということには、ものすごく力があるというか、良くも悪くも力を動かすことなんですよね。もしかしたら印とかもそうかもですね。
見えない縛りが生まれる。
なんか千と千尋みたいですね。
まあでも縛りって言っちゃってる時点で私には結婚は向いてないってことですね。ぴえん。
今は夜中の2時なのですが、ふとmikapicoさんのスタエフを見たら、ちょうど7ハウスについて話されている回があったので、拝聴しました。
→こちら
mikapicoさん、なかしーと同じで7ハウスに土星先生が鎮座していらっしゃるとのことです。(他にDHと天王星もおられるとのことでした。)
ふむふむと聴いていましたが、聴きながら、そういえば私もmikapicoさんと同じように、これまで人間のいろんな面を見る機会を与えられてきたな、と思いました。
人間の裏面や表面、たとえば狡さ、卑怯さ、意地悪、汚さ、卑屈さ、残酷さ、攻撃性、弱さ、情けなさ、軽薄さ、慈しみ、哀しみ、明るさ、たくましさ、ユーモア、おおらかさ、強さ、優しさ、清らかさ、愛おしさ、可愛さ、そして美しさなど、子どもの頃からうんざりするほど、人間が大好きで大嫌いになるほど見てきました。そして観察してきました。今もそうです。
これが7ハウスの人生の性質ならば、私はものすごく7ハウスだな、と思いました。
人と人を繋げるというのも自然とよくやってしまうのですが、自分だけは変わらず川の中洲にいて孤独なので、拗ねて「もう誰も繋げない!」と思ったりしたこともありました。
(そのことを沖縄でyujiさんに言ったら存じ上げられていました笑。そして拗ねてるのもバレていて、素直になるようにと助言をいただきました。)
このお返事を書いているタイミングでmikapicoさんの配信が聴けて、よかったです。
他にも会社の話とか、長男さんの美容院にまつわる話とか、お母さまの話とか、とてもすてきでした。
もう聴いたかもしれませんが、お時間とWi-Fiがあるときにぜひ聴いてみてください。
ちょっと長くなりました。
引き続き、ナイスパンチャをお過ごしください。
ではまたね。
おやすみなさい。
追伸
今ふと思ったのですが、なかしー、結婚とか夫婦とかの社会的定義とか距離感っていうか、そんなことは置いといて、ずっと旦那さんに恋をしているだけでいいんじゃないかな?それは素晴らしいことなんじゃないかな?
そんなに好きでいられる人に出会えて、ましてや夫婦でいられている人生って、ものすごく素晴らしいと思います。向こうも自分を好きだから一緒にいられるのだから。じゃないとバランスおかしくなって変なところに歪みが出て、一番柔らかくて優しい子どもに影響が出るものだけど、なかしーのお子さんたちは2人ともニコニコしていて本当にかわいくて素直で、それって全部の答えだと思う。
なかしーが無いと思っていて、もっと欲しいと思っているものは、私から見たらすでにあるように見えます。
そしてそれは、私が唯一心から望んだ人生の願いです。
私はそれを得られなかったけど、でも全部受け入れてこの人生を生きるしかない、だってもし私が今みたいに人間のあらゆる面を見たり経験をしてこない人生だったら、間違いなく文章なんて書いていないから。そして私は文書を書くのがとても好きだし、今の自分の人生が好きです。これは運命ではないけど、私が生まれる前にやりたかったこと、宿命なんだとは思っています。で、その魂の航海図が星の世界なんだろうなって思います。
つまり、みんなそれぞれの道でそれぞれの人生頑張ってるよねってことなんだけど、なんかもう、そういうことなんだなってことで、あんまり考えずに楽しめばいいよねって思う。人生は永遠じゃないから。
日本はお盆です。生きている、生きることができているって奇跡だな。きっとご先祖さまも、楽しんで〜!って応援してくれている気がします。
ではではでは、またね!
より良い表現ができるように励みます。ありがとうございます🌷