見出し画像

夢の続き



小さい頃から話を聞いてくれる人がいなかった
だからいつも空ばかり見ていた
夜は星や月を見ていた
そうすると自分は一人ではない気がした
空や星や月は何も言わなかった
否定も拒否もせずいつも黙ってそこにいた
それだけで優しかった
受け入れてもらえている気がした

だけど私の話を聞いてくれる人は地上にはいない
誰もいない
私なんかの
人に気持ちを出すことや思いを伝えて無視されることも、拒絶されることも、もういやだ、あまりにも辛い
透明人間になりたい
だから心を閉ざして感情などないことにした
でも、そんなことできるわけがない
揺れ動く感情こそが人として生きるということだし、震えるたましいこそが命そのものだから
私は抑えきれないやり場のない気持ちや感情をことばや絵にしはじめた
そうするしかなかったからそうした
声にすることだけどうしてもできなかった
返事や反応が直接すぎて恐ろしかったし、怯えておどおどしている自分の声や喋り方が大嫌いだったから

昨日、「私なんかの声は誰にも届かないし聞いてもらえない」と思っている自分の深い重石に気付いたとき、身体がぎゅうっと痛かった
本当に身体が痛むのだ

「私なんか」って、なんて悲しい言葉だろう
と思うと同時に、めちゃくちゃに腹が立つ
泣きそうなぐらいめちゃくちゃに腹が立つ
もし私の子が同じことを言っていたらどうだろう
想像しただけで苦しくて辛くて、身体中がギリギリと痛くなる
「私なんかだなんて、そんなこと二度と言わないで!」って、怒ってるんだか泣いてるんだからわからない気持ちで、震えながら涙が出るだろう
それと同じことを私は自分にしているんだと思った
なぜ自分にはそんなひどいことをしているのだろう
なぜ自分にはそんなひどいことをしていいと思っているのだろう
ひどいなぁ、ひどいことだなぁと口から出た、呆然とした
でもそのベースにある、自分の気持ちや存在を拒否され続けたことや受け入れてもらえなかったということに、私はそれほど傷付いてきたということなのだと思った
「私なんか」に自分を定めてその硬い殻に仕舞い込んで引きこもって、これ以上傷付かなくていいよう自分を守らなくてはならないほど
だから、そんな自分をさらに自分が責めたり見限ったりしたら、それはあまりにもかわいそうだ
なので私は私の話を聞き、受け入れる
思いや気持ちを伝えたり届けたい私のサポートやお手伝いをこれからし続ける
怖かったり不安なら側にいて、書くものを褒めて、「私なんかやっぱりだめだ」が出そうになったら励ましたり笑わせたりそれがどうしたと鼓舞して、遠くまで私の気持ちを届けるお手伝いを諦めずにする
その先に、やがて、もしかしたら、自分の気持ちでない何か別のものを届けたいと思うようになるかもしれない
でも今はまだ私がして欲しかったことを、全部私が叶えることにする

こんなのってみんな小さい頃にお母さんにしてもらったりして、マイナスを埋める必要もなくゼロ地点、もしくはプラスからスタートできるのかなそういう人もいるかもしれない
でもこのマイナスからゼロ地点の間には万華鏡のように色とりどりな人間の感情が詰まっていることも事実で、それがなけれ私はことばなど書かなかったかもしれない
どちらが幸せかなんてわからないけど、芸術や表現を身体の底から体感できて、その感動が何物にも代え難いほど至福に感じられるのは、思いが通じない、受け入れてもらえない、届かないという孤独の経験のおかげだとすれば、良かったとは言えないけれど、それでも生きてきた自分に心の底からありがとうと伝えたい気持ちになる
誰がいなくても自分が自分に誰よりも感謝して尊敬して愛することができれば、それはもう疎外された欠けている孤独ではなく、全体の大きな丸い孤独になる
そのとき私は幼い頃見上げていた空や月や星たちと同じものになって、ほかの星や惑星である人たちと「おーい!」と笑って手を振りあえるかもしれない
願うように祈るように、そう思っている









いいなと思ったら応援しよう!

チャミ
より良い表現ができるように励みます。ありがとうございます🌷