俺たちは持統天皇のことを知らなすぎた①
女帝【じょてい】
と聞いて、どんな人物が思い浮かびますか?
クレオパトラ(古代エジプト)
則天武后(唐代の中国)
エリザベス1世(16世紀イギリス)
エカチェリーナ2世(18世紀ロシア)
マーガレット・サッチャー(20世紀イギリス)
メルケル(21世紀ドイツ)
etc…
歴史上、強大な国家権力を掌握し、それを行使して歴史的な実績を残した女性はのちに女帝と呼ばれたりします。
ところで、私達が女帝と聞いてイメージする女性って、多くは西洋人ではないでしょうか?
あえて東洋人の女帝を挙げるとすれば、中国唐代の則天武后は有名ですが、日本人はどうでしょう?例えば邪馬台国の女王「卑弥呼」を思い浮かべる方がいるかもしれません。
でも卑弥呼って未だに謎が多く、どんな人物で、どんな実績があったのか、そもそも邪馬台国が実在したのかも未だ解明されていません。(だからこそ「古代のロマン」と呼ばれているわけですが)
そういう古代のロマンを追うのももちろん良いのですが、
私としてはエカチェリーナやサッチャーに比肩する「日本を代表する女帝」として持統天皇を推したいところです。
持統天皇ってだれ?
「持統天皇」と聞いて
と思った方、さすがですね!
そうです。小倉百人一首の2番目の歌👇の作者です。
って、そういうことじゃないんですよ。いやまぁ、歌を読むのも上手かったんですけど。
でも「歌を詠むのが上手い女流歌人」なら他にもいますからね。小野小町とか清少納言とか。
今回紹介したいのは歌人ではなく政治家としての持統天皇です。持統天皇の場合は政治家というより名経営者とか稀代の戦略家と表現した方が適切かもしれません。
持統天皇は歴代天皇の中でも飛び抜けてものすごい実績を残した方なんですが、残念ながら多くの人が「持統天皇」=「百人一首に出てくる人」ぐらいの認識しかされてないのが何とももったいなく、前回の聖徳太子パイセンに続いて「持統天皇」の偉業を紹介することで、現代の日本人に一人でも多くの持統天皇ファン・・・いや、うののさらら(※)ファンを増やすことがこの記事の目的です!
(※)うののさららは持統天皇の本名です。なんか可愛いですよね☺️
前回、聖徳太子パイセンの偉業を紹介したときはダラダラ書いてたら5回も膨らんでしまったので、今回はコンパクトにまとめるつもりです🤣
持統天皇の実績って具体的には?
持統天皇の実績を端的にまとめると、以下の4つになります。
この国の名称を定めた
⇨この国を「日本」という名称に定めたのは持統天皇です。この国のトップの名称を定めた
⇨この国のトップの名称を「天皇」と定めたのは持統天皇です。この国の信仰インフラを整備した
⇨ 神道の総本山として伊勢神宮を整備したのは持統天皇です。この国の歴史書を創った
⇨ 古事記/日本書紀の編纂を進めたのは持統天皇です。
とまぁ、これだけ聞くと
という感想で終わってしまいそうですが、イチ持統天皇ファンとしては「待って待って!そこで終わらずもうちょっと話を聞いてみて!」と言いたいところです。
というのも、上記4つの実績はすべて「ある目的」を達成するための「手段」としてやっただけに過ぎません。
私達凡人から見れば、どれか1つ取ってもすごい実績で十分に歴史に名を残せる大事業だと思ってしまいますが、彼女にとってはこれらはあくまで「手段」であって「目的」ではないというところが持統天皇のスケールの大きさを示しています。
では、その「目的」とはなにか?
ズバリ
です。
この目的を果たすため、きわめて知的かつしたたに外交戦略を描き、施策として実行したのが上の4つだったわけです。もちろん持統天皇が全て一人で実行したわけではなく、例えば実際に手を動かしたのは藤原不比等とかだったのでしょうけど、対中戦略としての国家構想を描いた人物は間違いなく持統天皇です。
もし持統天皇がいなかったら?
考えたくもないですが、もし持統天皇がいなかったら・・・と想像すると、結構ヒヤリとします😰
まず、今わたしたちが「日本」と呼んでいるこの国は存在していないし、何なら中国の一部だった可能性があります。当然、私達も「日本人」ではなく「中国人」であったかもしれません。天皇も皇室もなければ、伊勢神宮も神道も存在していなかったかもしれません。つまり、いまの日本において「日本っぽさ=日本のアイデンティ」と呼べるものの多くを創ったのが持統天皇です。
聖徳太子も中国(隋)の脅威からこの国を守るため、極めてしたたかな外交戦略を講じていたというのは前回のポストでも紹介しました。
ですが個人的には、持統天皇のそれは聖徳太子を上回っていると思います。それほど彼女が描いた構想はスケールが大きいです。というか、聖徳太子パイセンの路線を継承・発展させたからこそこれほどの構想が描けたのだのだろうと思います。なので、先人として聖徳太子パイセンがあっての偉業だったと言えます。
なんでそんなことができたの?
ここまで聞くと
と思うかもしれません。いや、実際に天才だったと思います。問題は「何の天才だったのか」ということです。ただ記憶力が良い or 頭の回転が早いだけの政治家が決して良い政治家でないことは誰もが知っていると思います笑。
実は聖徳太子パイセンが仏教に精通していたのと同様に、持統天皇も儒教・道教に精通していました。とくに易経に関しては10歳の頃に易経すべてをマスターしていたと言われています。まるで佐久間象山みたいですね。もちろん儒教だけでなく仏教にも精通しており、例えば金光明経を全国に頒布したのも持統天皇の実績の1つです(これが後に聖武天皇による国分寺政策につながる)。
何が言いたいかというと、持統天皇は東洋の思想哲学を実務に応用する天才だったということです。先人の叡智をアカデミックな知識として学ぶだけでなく、それを実際のオペレーションに取り入れたからこそあれほどの実績が残せたわけですね。
いま持統天皇を学ぶ意義
持統天皇は中国の脅威からこの国を守ったわけですが、これを「歴史上の出来事」として押し入れに保管しておくのはあまりに勿体ないと思います。なぜなら、持統天皇が描いた構想や戦略は現代社会でもめちゃくちゃ役に立つからです。
具体的にどんな人に役に立つかというと、
例えば
「老舗の会社の経営を引き継いだばかりの事業継承者」
でしょうか。いわゆる「アトツギ」ってやつですね。
とくに「海外勢や競合企業との熾烈な競争に晒されており経営状況が厳しい」みたいな状況がつくと、持統天皇が置かれた状況とピッタリです。
なんて思わないでください。「事業継承(アトツギ)」はあくまで一例です。以前から存在する組織に新たに自分が参画し、その組織の一員として何らかの成果を出さなくてはならない状況なんて、誰しも経験することがあるはずです。職場とか学校とか自治会とサークルとかコミュニティとか。
では持統天皇は、いったいどのようにこの国を外敵から守り、アイデンティを確立していったのか?次回で詳しく紹介します。
つづく。