アイデンティティの問題と、これから。
前回からだいぶ時間が経ってしまいましたが、アイデンティティの問題③です。
突如訪れたコロナ災禍により、私たちの生活は激変しました。
昨年クリスマスの時点で、誰が今のこの状況を予想できたでしょうか。
先日、非常事態宣言が多くの地域で解除されたこともあって「ピークは過ぎ去った感」が出つつあります。でも、まだまだ油断はできません。明日、自分が感染してもおかしくないという状況はこれからもずっと続きます。
コロナ騒動が起きてからというもの、善良なはずの日本の一般市民が、目を覆いたくなるような信じがたい愚行に出る事例がたくさんありました。
・マスク欲しさのあまり、開店前のドラッグストアに侵入する人
・マスクや消毒液を買い占め、この機に転売で荒稼ぎする人
・感染を自覚していながら、飲食店やイベントに行く人
・コロナ感染者や医療従事者に対する差別や攻撃行為をする人
いやいやいや。
思い出してください。
東日本大震災では、あれほど悲惨で甚大な被害に遭い、本当に多くのものを一瞬で失ったにも関わらず、被災地の人達はパニックを起こさず、物資不足の中で略奪行為も起きず、落ち着いて、互いに譲り合い、助け合うという気高い精神が海外から称賛されました。
サッカーやラグビーワールドカップの会場では、試合後に日本人サポーターが会場のゴミ拾いをする様子が海外からリスペクトされてました。これはこれで「現地の雇用を奪う行為だ!」と批判されたりもしたけど「でも日本ではこれが当たり前のなんだけどねー」と言わんばかりに、たとえ日本が負けた試合であっても粛々と清掃する日本人サポーターの姿を海外は驚きと共に紹介していたわけです。
「日本のアイデンティティ」「日本人のアイデンティティ」って、こういうところで発露されていたはずなんです。
・・・
突然話は変わりますが、私は趣味で「東洋思想」を学んでいます。
初めて東洋思想に出会ったのは2014年なので、かれこれ6年になるでしょうか。コツコツ学んでいます。
なぜ突然こんな話をしたかというと。
それは東洋思想を学べば学ぶほど、
「日本って実はスゴイ国なんじゃないの?日本人って結構イケてない?」
と、驚嘆することばかりだからです。
こんなこと言ってると
「最近よく見かける、日本を過剰に礼讃したバラエティ番組みたいなこと言いますねw 国粋主義者ですか?w」
なんて冷笑されそうです。
でも。
私のように東洋思想をほんの少し、薄~く浅~くかじった程度の人間でさえ、十分に「日本」と「日本人」の凄さに気づくことができたわけです。
底の浅い日本ヨイショ番組なんか見なくていいから、日本人はもっと日本のことをよく知った方がいいんじゃないか。そんな思いに駆られました。
じゃーそんなに「日本の凄さに気づかされる」と主張する東洋思想って一体何なの?という話になるかと思います。
東洋思想とはなにか
東洋思想とは読んで字のごとく「東洋で信仰されている思想」です。
ただ、ひとくちに「東洋」といっても曖昧で、人や文脈によって色んな定義ができてしまいます。私が学んだ東洋思想はとくに「インド以東のエリア」で信仰されている思想です。
具体的には、以下の5つの思想(哲学)です。
・儒教
・仏教
・老荘思想
・禅
・神道
「この5つ以外にもいっぱいあるでしょ」とか「仏教と禅、被っとるやないか」とか諸々のツッコミもあろうかと思いますが、ざっくり「思想」という断面で大別すると、やはりこの5つになるのではないかと思います。
・・・
さて、この5つの思想の共通点は何でしょうか?
正解は、
「日本および日本人の生活や文化に完全に溶け込んでいる」
という点です。
もう一度5つ並べてみます。
「儒教」「仏教」「老荘思想」「禅」「神道」
この5つの思想は、日本人である私たちの日々の生活や暮らし、文化や慣習の中に溶け込んでます。それはもはや無意識のレベルで。
「この事実」がいかにすごいことか!
ということです。
考えてみてください。
「5つ」もの異なる思想が、同一民族・同一国家の一般人の日常生活レベルまで同時に浸透している民族や国なんて世界中どこを探してもありません。日本以外には。
「完全に溶け込んだ思想が5つもある」というのがどれほど異常なことか。
試しに、世界各国の典型的な一般ピープルを無作為に抽出して、こんな質問をするとしましょう。
Q:「あなたの生き方や考え方の基準になる思想や宗教って何ですか?」
◆イギリスの一般人:ロバート君の場合
◆サウジアラビアの一般人:モハメド氏の場合
◆インドの一般人:サリーさんの場合
◆カンボジアの一般人:コン君の場合
こんな風に、各国の典型的庶民に「信仰する宗教や思想」について尋ねれば、殆どの国では主要な信仰が1つあるのみで、あとは地域やコミュニティによっては個別の土着信仰が加わるくらいではないでしょうか。
もちろん、知識人やグローバルに活躍するエリート層はこの限りではありませんし、例外もいると思います。日本にもキリスト教徒はいますし。あくまで、その国や地域に暮らす「典型的な一般庶民」を対象にした時の話です。
では、日本の場合はどうなるか。
◆日本の一般人:さくらさんの場合
まぁ、日本の典型的一般ピープルなら大体こうなりますね。
日本人が海外の人から「日本人は無宗教!」とか「無神論者!」とか言われる所以はこういう姿勢にありそうですが。
しかし。
「日本人が無神論者!」だなんて指摘は、見当違いも甚だしいというものです。
あまりに当たり前すぎて、それが日本独特の思想や哲学であることに私たち自身が気づかないだけです。これがなんと勿体ないことか。
もちろん、キリスト教徒でもないくせにクリスマスにパーティをしてみたり、正月に神社に初詣に行き、結婚式を教会でやるくせに葬式は仏式でやるという節操の無さについてはぐぅの音も出ないし揶揄されたりしますが、そんな表象的な話は正直どうでもいいんです。「うん、そうなんだよね。節操ないよね笑」「せいぜい笑ってやってください」という話です。そんな節操のなさがチャーミングポイントになるほど、深い精神性がバックボーンにあるからです。
では、日本独特の思想や哲学は典型的日本人のどこに現れて来るのか?
例えば。
見ず知らずの他人が苦しんでいる様子を見て、思わず手を差し伸べる。その理由が
「他人ごととは思えない」
と、他者を自分に重ねる見かた。
あるいは、たとえ誰も自分を見ていなくとも、
「お天道様が見てる」
「罰が当たる」
という超越的な規範の元で自らを律しようとする姿勢。
あるいは、偶発的な出会いに対して必然性を見出そうとする
「これも何かのご縁ですね」
「おかげさまで」
という捉え方。
あるいは、物悲しくて寂しい、ネガティブさの中にこそ際立つ「美」を見出す
「わびさび」
「もののあはれ」
という精神性。さらに、その精神性を芸術に昇華させた様々な伝統文化。
このように、私たち日本人の一般ピープルが当たり前のように持っている
「うん、そういう時は普通そうするよねー」
とか
「それはアリだねー。それはやっちゃマズイよねー」
という共通の価値観、モノの見かた、考え方。言い換えれば共通の「規範意識」や「美意識」。
これらに冒頭の5つの思想が渾然一体となって溶け込んでいるわけです。
私たちの価値観や生活様式、文化、習慣の中にこれらの思想があまりに深く長く溶け込んでいるため「実はこれがそうなのだ」という自覚がないだけです。
上に挙げたのはほんの一例で、ほかにも「武士道」という精神性や「粋」という美意識、あるいは「日本庭園」「能楽」「茶道」など、固有の文化が生まれました。
勘違いしてほしくないのは「思想哲学が5つも根付いているから日本は偉いんだ!」ということでは決してありません。一神教の世界観の中で生きるキリスト教圏の国もイスラム教圏の国も等しく尊重されるべきです。というか、思想の数で優劣をつけるのは馬鹿馬鹿しいですが。
「思想哲学が5つも溶け込んでるのって、世界的に見てめっちゃ希少性が高い。だから日本人はその希少性にもっと気づいた方がいい」というだけの話です。複数の世界観が矛盾なく取り込まれているということは、すなわち他の国にはない独特のモノの見方や考え方、切り口や視点が生まれやすいということです。
実際、アドビ社が2016年に調査した結果によれば、世界で最も創造的な国は「日本」だという結果が出ています。海外の人は「日本が世界で最も創造的な国」だと見ているわけです。
(https://www.adobe.com/jp/news-room/news/201611/20161110-state-of-create.html)
この結果を見て、昔の私だったら
「えー、日本が?ウソでしょwww アドビにお金積んだ?」
とかゲスい勘繰りをしていたでしょうが、東洋思想を学び始めた今では
「まぁ、そらそーよ(キリッ」
と思うようになりました(極端)。
それだけに、昨今のコロナ騒動で見られる、本来は深い精神性を持ち、創造性に溢れた善良なはずの日本市民の愚行の数々を見ると、切なく悲しい気持ちになるわけです。
こういう世界中が苦しい時こそ、イケてるとこ発揮しないでどーすんの!と。
ということで、私たち平凡な日本人の価値観、規範意識や美意識の源流に一体どんな思想や哲学があったのか、これまで学んできた内容を掘り起こして、紹介する記事を少しずつ書いていこうと思いました。
以下のマガジンでまとめる予定なので、もし興味あればフォローしてみてください!