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日本三大秘境 椎葉村 道教ツアー 後篇②
1.近況報告(2023年師走〜24年初)
道教ツアー篇、ついにここに完結!本当に完結編です。
この秋に実施したツアーのレポートが、2024年も1月が半分を過ぎようという頃、ようやく、完成しようとしています(まだ3行しか書いてないけど)。いやぁ、しかし師走とはよく言ったもので、この1か月のうちに当然ながら忘年会のお約束が数件、講義を持たせていただいている北九州市立大学・大学院(ビジネススクール)の講義も佳境に入り、そこに突如組み込まれる出張が4回。
このうち一回はMC後藤と五島を訪れる予定だったのですが、パズルのピースをはめていった結果、この後藤と五島列島出張は日帰りで行うという羽柴秀吉もびっくりの大返しの予定を組んでおりました。
結果として、最強寒波によってフライトは敢えなく欠航となり、1月にリスケしたのですが、マジで死にそうだった、ありがとう寒波!ということで年末は乗り切ったのですが、この出張が年明けにスライド。
もう、とにかく、空前絶後に忙しかったのです、という言い訳はこの辺にして、本編フィナーレを綴って参りたいと思います。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2.百里を行くものは九十里を半ばとせよ
前回、一万字強を費やして椎葉村と椎葉 大八郎の隠された秘密の可能性について綴ってきました。
しかしながら、道教ツアーの現在地としては、ぼくたちはまだ椎葉村の図書館(図書館なだけではない)Katerieにいます。
ここで無事に椎葉村探訪の真の目的である小宮山さんと落ち合いまして、一通り周辺の視察を終えたぼくたちは、宿を抑えてくれている小宮山さんに尋ねました。
「ところで、そろそろ宿泊先に入りたいんだけれども、場所はどこ?」
すると、小宮山さんの目はにわかに鋭くなって、二秒黙ってから、こちらをグッと見据え、おもむろにこう言ったのでした。
「場所を教えても、椎葉村初心者の皆さんだけではたどり着くことはできないでしょう」
いやいやいや。もう椎葉村まで来てるのに何を言ってくれちゃってんの?と囃し立てながら、「ここから何分?」と聞くと、小宮山さんは顔をさらに厳しくして
「車で先導しますので、後をついてきてください。ここから1時間ほどかかります」
と答えたのでした。
「いっ!?1時間??」
福岡の二日市駅を出発して、妙見神水や通潤橋や、クスノキやヒノキで道草を美味しく食べてきたとはいえ、実は椎葉村の中心地に入るまでの運転時間は3時間ほどでした。
福岡から椎葉の中心地まで3時間。
そして椎葉の中心地から椎葉村内にある宿泊地までが1時間!?
「そんなわけあるかいっ!」
とミスター中野がエセ関西弁のノリで突っ込んだのですが、小宮山さんは、それには目を向けず、ぼくたちに背中を向けたのでした。
3.民宿 おまえ
こうして十分にビビらせられつつ向かったのは尾向(おむかい)地区と呼ばれる集落にある民宿おまえです。尾向地区の人口はおよそ400人。椎葉村内では上椎葉、 松尾地区に次いで3番目に人口の多い大集落と言って良いでしょう。
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Google Mapで調べてみると、距離17km、車で32分の道のりです。1時間というのは、やや誇張が入っていたとしても、実際に走ってみると30分の道のりではありません。
南国宮崎の10月中旬、18時前とはいえ、山々に囲まれた秘境椎葉の日没は早く、あたりはすでに夜のとばりが落ち始めていたのでした。すでに暗闇と化した車一台がやっと通れる山道。時折、離合できる場所が現れるクネクネ道を、45分ほどかけて進んで行ったのでした。
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山間を抜けて集落にたどり着くと、白い看板がボォっと見えてきます。
「ほんとに、、、泊まるところ、、、あった」
と、かの那須大八郎も椎葉に辿り着いた時はかくありなむ、とウルルン滞在期風にタメて感じ入ったのでした。
ちなみに後から調べて知ったのですが、観光協会のホームページ情報によると、民宿おまえは素泊まりなら4,000円、1泊2食付きでも8,800円ということです。ぼくたちは猪や鹿などのジビエも入れて振る舞っていただくという特別コースでしたので、なんと9,000円(特別料金200円?!)でした。
もちろん、猟の取れ高とかジビエの在庫の状況にもよると思いますので、皆さん、ぜひ事前に連絡をして確認してみられることをオススメします。
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なんとなく民宿のイメージというと、かなり整理された定食のようなご飯がポンと出てきて、サクッとご飯は終わって風呂に入って寝る、というイメージを勝手に持っていたものですから、ぼくたちは二次会用に、かなりのお酒とお菓子を買い込んでいました。
しかしそうしたマインドセットは呆気なく打ち砕かれ、民宿おまえに併設されている囲炉裏付きの山小屋で、野趣に溢れたご馳走が若旦那によって準備されていたのでした。
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民宿おまえさんは館内全面禁煙ですが、この小屋内は囲炉裏があるので当然、タバコも吸えます。タバコは道教です。煙を神々に捧げるのです。
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「ん!?なんか思ってたのと違うぞ!?」
と感じたのは付き出しが出てきたときでした。板の上に並べられたヤマメの南蛮。山菜の煮物に里芋の田楽。そして椎葉特産の豆腐。この佇まいは、もはや付き出しではなく和食の八寸といった雰囲気です。
ちなみに、椎葉といえば豆腐、と言っても過言でないくらい豆腐は有名です。那須 大八郎のくだりでも散々述べたのですが、平家の落人伝説が残るこの村では、日常生活の会話にも上方言葉が残っています。そして、食生活の中でも京料理を思わせる料理が受け継がれていて、その代表格が「菜豆腐」なのです。
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この日は白豆腐でしたが、水が綺麗なせいか、もしくはしっかりと水を抜いてあって下拵えが万全だったおかげか、味も絶品です。
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いわゆる牡丹鍋です。
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特大のものにバターを添えて炭火でじわり
美味だったことは言うまでもありません。
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猪の脂を炭の中に突っ込んで
火力を上げて焼き上げます。
動画でお見せできない(面倒くさい)
のが残念です。
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脂が乗っていて柔らかくて獣臭さもなくて
今まで食べた猪の中で一番、美味しかったです。
と、ここまでキャプションで料理を解説してきましたが、いやぁ、本当に椎葉の猪は、これまで食べた猪の中で最も美味かったです。ミスター中野が「なぁぜ、なぁぜ」と煩くなってきたので、ぼくは若旦那に訊ねました。
「脂が乗ってるのはもちろんですが、臭みも全くなくてとても美味しいのは、やはり処理がきちんとされてるんですか?」
若旦那は、ややコワモテで(きっと元ヤンキー)、じっとぼくを見据えてこう言いました。
「いや、他の地域のことはそこまで詳しくないけど、山に餌がなくなって人がいるところまで降りてくるって言うでしょう?あれはね、もう本当に山に餌がなくなるまでに、ミミズとか昆虫とかも食べ尽くしてから降りてくるのよ。だから、どうしても身が臭くなるから処理をきちんとしないと食べられないんだよね。
でも、椎葉の猪は山が豊かだから自然薯とかキノコしか食べてないのよ。だからそもそもが臭くない。処理はまぁそれなりにしてるけどね」
4.今も息付く犬猟
この椎葉の狩猟の様子がどんなものかは、具体的に纏められている記事がありましたので、こちらをご参照ください。ちょっとぶっ飛びます。ぼくたちが知る猟とちょっと、いやかなり異なっています。
尾前地区に着いたときに、やや驚いたのですが犬が放し飼いなんですね。それもペットとしての犬ではなく、訓練された猟犬が。
なんというんでしょう、元々猟犬仕様だったのだけれども、飼い慣らされてペット化しているというものではなく、現役バリバリの、おれがキャプテン(大尉)、おまえがサージェント(軍曹)、あいつは一兵卒、という感じで軍隊のような均整の取れた佇まいで寝そべる犬たち。
ぼくたちが小屋で宴会を始めると、その料理のおこぼれを虎視眈々と狙って犬がやってきます。しかし、決して今日、村外から来たぼくたちに手づから餌をもらうような人懐っこさはありません(故に人を襲うこともないようです)。
しかし、見ると本当に腹を空かしているようです。
「なんで、この猟犬たちはこんなにお腹が空いているのですか?」
と訊くと、若旦那は
「だって、一日、一食しか餌を与えないからね。お腹いっぱいになると猪を追いかけなくなるでしょう?」
「ええっ!?。でも、本当にお腹が空いたときはどうするんですか?人を襲ったりしないんですか?」
「うん。だからね、こいつら(犬)の中にもボス格がいてね。本当にお腹が減ったときは、ボスが声をかけて7、8頭でグループになって山に行って、勝手に猪捕まえて食べてるときがあるよ。
みんなで猪を川に追い落としてね。川で犬が猪を食べてるの。それを村の人が見つけるとね、飼い主に電話するの。おい、お前のとこの犬が猪とっとるよ、って。そしたら飼い主がそこに行って猪を処理するのよ」
「だからね。ここの猟ってのは鉄砲は持って行くけど、鉄砲で打つのは最後の手段なのよ。基本的には犬が猪と戦う。犬が負けそうだったら鉄砲で仕留めるけどね」
と壮絶な話を始めたのでした。
もうね、ぼくの頭の中には、
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こういう絵しか浮かんでこないんですよ。
銀河ですか?
流れ星銀の世界ですか?
ちなみに、この犬漫画の中でぼくが最も好きなのは紅桜の死に方です。凶暴な熊、赤カブトの子供と1対1で戦い、最後は沼に連れ込んで相打ち、という壮絶な死には、子供心に感動を覚えました。
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また、話が逸れてしまいましたが、でも、こういう猟犬を使った狩猟というのは古来、いろんなところで行われていたのでしょう。
民俗学者の柳田 國男も、猟犬でイノシシやシカを追い詰め、猟銃で仕留め、さらに獣の成仏を祈って山の神への言葉を唱える椎葉古来のしきたりについて、『後狩詞記(のちのかりことばのき)』に残しています。
この『後狩詞記』は1910年(明治43)が初版で、ほぼ同時期に刊行されている『石神問答(いしがみもんどう)』『遠野(とおの)物語』と並ぶ名著の一つに数えられています。
明治時代中期以後、つまり日清・日露戦争という総力戦で国民が参加した二つの大戦を経て、鉄砲が民間に普及していく中にあって、狩猟の方法も大きく変化していくことになりますが、柳田国男は、鉄砲を用いなかった時代の山村の生業としての狩猟の古伝を椎葉村長から口頭と文献によって採集し、この本にまとめたのです。
ちなみに、『後狩詞記』は柳田國男全集5に収蔵されています。
5.おまえの若旦那と道教
前段で、おまえの若旦那のことを「元ヤンキー」などと言ってしまったのですけれども、料理のクオリティを含めて、どうにも様子がおかしいのです。猪肉が美味しい理由は分かるのですが、少なくとも、ぼくが想像していた民宿飯とは違う。
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鱒の煮付けも、気品ある佇まい。それもプロの仕事ですね。小屋の中で炉を囲み、一緒に酒を酌み交わしていく中で若旦那の生涯を探って行ったのですが、やはり東京、そして大阪と渡り歩いた料理人なのでした。
味付けは椎葉の流儀で濃い味付けとなっていますが、その下処理、盛り付けなどは、やはり絶品でした。ちなみに、いつも若旦那が料理するわけではないらしいので、若旦那の料理目当てで訪問する際は、ご予約時に指名するのが良さそうです。
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結局、客室でみんなで寝たという
秘伝の老酒やら、蜂蜜やらをいただいたのですが、最早、最初の強面感はどこへやら、な酔い具合の若旦那。最後は、
「蜂蜜の最高な食べ方を伝授しよう。それは、ポッキーにつけて舐めるのだ!」
ともう本気なのか冗談なのか分からない状況に。ぼくたちも酩酊していたので、評価をしていいものかどうかわかりませんが、、、たしかに、蜂蜜の甘みでポッキーの甘さが抑えられて美味しい、という不思議体験をしました。
翌朝、もう一度、「あの蜂蜜の食べ方、美味しかったですねぇ」と触れたら、「オレ、そんなこと言った?」と仰っていたので、本当は冗談だったのかもしれません。でも美味しかったです。蜂蜜。
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朝起きたら外はこの絶景
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正真正銘の天然自然薯(そりゃ猪肉美味しいよね)
こうして夕食、朝食と民宿「おまえ」の醍醐味を味わい尽くしたぼくたちは、翌朝、福岡への帰途に就こうとしたそのとき、若旦那が名残惜しそうに、
「ここからさぁ、車は入れないんだけど、10分くらい歩いたところに、昔、修験道の行者さんが修行していたという洞窟があるんだけど、見てみる?」
と提案してくれたのでした。
ちょっともう、忘れるところでしたが今回は「道教ツアー」。老荘とは異なるけれども、修験道も道教の派生とあらば、行かないわけにはいかないと飛びついたのは小西老師でした。
ぼくは若旦那の台詞の前置きの部分「車は入れないんだけれど歩いて10分」というところが、いたく気に掛かり、
「本当に10分ですか?絶対、10分ですよね?」
と念を推して、洞窟行きを決めたのでした。
そう。
10分。
歩いたのは10分ではあるのですが、、、
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嫌な予感は的中。
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「分けいっても 分けいっても 青い山」
種田 山頭火もかくの如しか、と思わせるような山道。写真では分かりませんが、傾斜は五十度くらいはありそうです。
「林田さん、ここ革靴で行けるとー!」
と騒いでいたミスター中野は、ものの3分で静かになってきました。途中、獣道の石が削り落ちて足を踏み外しそうになったのですが、谷底に落ちていく落石の音がいつまでも響いています。
「ここを落ちてしまったら、、、(ゴクリ)」
と革靴で来てしまったことをミスター中野に指摘されるまでもなく後悔していたぼくは、半ば死を覚悟したのでした。
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ヘトヘトのミスター中野
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洞窟の中には仏様が収められていたり、不動明王が描かれていたりと、修験者の修行の形跡が窺われます。昭和の初め頃までは、こうした洞窟に寝泊まりして修行をする行者がおられたそうです。
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そしてこの悲劇。
完全にシティスタイルで挑んだ林田への因果応報。
びっしりこびりつく何かの種。
手で取ろうとしたら、妙に油っぽく、水で洗っても反発して取れません。結局、ガムテープをお借りして、この謎の種を取り切るのに30分もかかりました。
しかし、この種は何なのだろうか。
そもそも、ぼくのパンツにタネは本当にくっついているのだろうか?
いや、そもそもぼくはパンツを履いているのだろうか。
荘子だったら「種を取るのではなく、そういうデザインだと思おうよ」とか言われそうです。ちなみに、小西老師にはそこまでは言われませんでした。
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最後は、若旦那に下松尾地区と仙人の棚田が見渡せる展望台までお連れいただきました。
下松尾地区は、その昔、水が乏しくて焼畑を生業としていた地域です。家屋も尾根に位置していたため、生活水すら確保するのが難しく
「下松尾には嫁にやるな」
と椎葉村内でも言われた過酷な地域。それが1860年代ごろ、ですから幕末から明治にかけての頃でしょうか(明治元年は1867年)、その時代の庄屋と地域住民が4kmに渡って水路を開拓して米の生産も可能となりました。
本当に血の滲むような先人の努力が、この美しい棚田の風景を作り出しているのだと思うと、本当に頭が下がります。
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本当は、この民宿「おまえ」のおもてなしと料理がすごかったぜ!という話だけ書き始めたのですが、謎にシリーズ総字数6万字という、修士論文かよ、みたいな分量になってしまいました。
しかし秘境の秘境たる所以、を自分なりに調べて記したことで、椎葉村から帰ってきてからの方が、椎葉村に詳しくなった気がしています。
何もないようで、色んなものがある。
まさに色即是空、空想是色、受想行識、やくぶーにょーぜ、なのであります。ちなみにおまえの若旦那からは
「料理は季節ごとにバリエーションが違うよ」
というメッセージをいただいておりますので、必ずや再訪して、シーズン2をお届けする日が来れば、と切に願っております。
本当にここまで長々とお読みいただいた皆さま、ありがとうございました!来週からは、また日常に戻り、毎週あげていきますよ(決意)。
それでは、また会う日まで!
サヨナラ、サヨナラ、、、サヨナラ!
(了)
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