「食べること」の当たり前を見直してみると、胃腸弱めの私がどう変わる③
「食べる」ということについての当たり前をよくよく考えてみると、それは多くの固定観念に縛られていたことに気づき始めました。思い込みの罠から抜け出るきっかけとなった出来事を綴っています。
世の中、胃腸の丈夫な人、虚弱な人と色々なタイプがあると思います。
私は胃腸弱目です。
そういう思い込みかもしれませんが。
父は若い頃から胃腸の弱い体質で、十二指腸潰瘍で入退院を繰り返していたようです。
母も、晩年胃がんを患い、数年前に手術をしました。初期の発見だったので、大事には至らず今年で80歳を過ぎましたがとても元気です。
こういった、近親者が胃腸弱めな体質なので、自分も胃腸弱めなのだと、思い込んでいる部分もあると思います。
胃腸が弱めな家系では、食べることが食べなくてはいけない。になりがちなんです。
娘や息子も食が細い方で、小さな時から自分からガツガツ食べるなんてことはほとんど無く、好き嫌いも多く食べさせるのに苦労してきました。
子どもたちはあまりたくさん食べれない→健康を害するかも→頑張って食べさせなければならない→食べれない相手にますます不安が募る→食べること食べさせること自体がプレッシャーになるしプレッシャーを与えている
このような悪循環にはまってしまうことが多々あります。
これはたくさん食べれないを否定することからうまれています。
たくさん食べれないことへの罪悪感や、無力感がその裏に潜んでいます。
そもそもは体の問題ですが、その根底にあるのは心の問題です。
たくさん食べなくてはいけないという思い込みの罠に気がつけば、抜け出すことができます。
ありのままの自分(相手)を受け入れ、たくさん食べれない自分(子どもたち)でいいと許す。
心と体はひとつなぎ
思い込みの罠から抜け出すと楽に生きられるようになりました。
食べることに正しさを求め過ぎず、広い視野で自分や周りを見つめ自分や他者を尊重し、ただここに存在してくれることに感謝すると新しい可能性が見えてくる。
自分は胃腸弱めではなかった!