コミュニケーションの行方。
最近はAI君とよく遊んでいる。
「AIに仕事を奪われる」「人間がやることってなくなるのでは?」「もしかして世界を支配されるんじゃないか?」そんな感じの言説がよく言われているけれど、僕としては「とりあえず一緒に遊んでみるしかないのでは?」くらいに考えていたりする。
人は知らないものに対して恐怖心を覚えるもので、AIもそんな『道への恐怖』に当てはまるのだと思う。実際に関わってみることもせずに専門家?の話を鵜呑みにしているのは格好悪い気がするから、まずは一緒に遊んでみる。「じゃあ人間は何をすれば?」みたいなありがちな質問の答えも、そんな行為の実感からしか見つからないんじゃないかな?
そんな風に思う今日この頃。
てなわけで今日も今日とてchatGPT君とお話しているのだけど。自分は接客業ってこともあって、toC向けの文章作成だとかに活用できないか?ってことをよく考えている。
例えば次のような感じ。
こんな感じで箇条書きを入れてあげると、いい感じに回答を作ってくれたり、業界用語なんかも指定さえ出せば言い回しを変えてくれたりする。回答にかんする条件なんかを予めテンプレートとして作成しておいたり、フレームワーク的なものを作り込むことで、だいぶ文面に関するコミュニケーションコストは下がるなあと思うところ。多分5年以内には電話とかもこういう感じで対応できるようになるだろうから、悪質なクレーマーはずっとAIに対して怒鳴ってもらうことになるのだろうとか想像すると、とても滑稽で笑えてくる(あと、Yahoo!知恵袋に生息している「教えてあげたい人間」、あれも無限の質問文をAI君に生成させることでいい感じの自己承認欲求満足マシンが完成すると個人的には思っている。)。
と、こんなことを1人で楽しんでいる矢先に面白いツイートを見つけた。さっきのような例に関しても、確かに実際のところ情報量や内容については一切変化はない。変わったのは言い回しだけだ。
というツイートを見ながら、さいきん友達に言われたセリフも思い出したりする。「報告書をAIが書いてくれるということは、その報告書は要らないってことだよね。」このセリフ、かなり深いと思って頭の片隅に引っかかっていたのだけど、つまりこういうことなのだろう。立場の違いを埋めるための計算資源の使用。確かにこれは不必要といえば不必要なのだ(ところでこの友達はそんなことは全く考えずにこれを発言したらしい。そしてこういった状況のことを、蒟蒻問答ということを、教えてくれた)。
この議論って自分的にはけっこう面白いなあと思っていて、もう少し抽象化してみようかなあと思う。例えばこの事例から『コミュニケーションにおけるAI(ないしテクノロジー)の役割』とかについても結構考えさせられることがあるなあと。
僕がこういう事例を見て思うところが、『テクノロジーが人と人の間の緩衝材の役割を果たすのではないか?』ということだ。先ほどの例であれば、AIは店の経営側と顧客側との間に挟まって緩衝材の役割を果たしているというのは分かりやすく言えるだろう。すなわち、情報はそのままに、「経営側と顧客」という"立場"を元に言い回しを変換、ビジネスマナーに合うような形に仕上がっており、「バッシング」のような『仲間内でしか通じない専門用語』のようなものも解釈してくれている。
この例で言うと殆ど言い回しの話だけど、もっと他の要素だって考えられるだろう。例えばAirbnbでは自動翻訳機能が働いているから、相手がどこの国の言語bを話していようと気にならずに会話を進めることができる。これは"言語"の違うもの同士の間に入った緩衝材として機能している。
"立場"と"言語"、他にはどのようなものが考えられるだろうか?"知識"とかとかもいけるんじゃないかと考えている。例えば僕が書いたこういう文章とかもいい感じに解釈して分かりやすくしてくれている。まあ大した専門用語ではないのだけど、この文で言うと「フィルターバブル」という単語を知らない人たち向けに文脈を追加してあげる、みたいなことも出来るわけだ。
これは本でいう注釈のアナロジーで考えられると思うのだけど、今はこうして情報の発信側からの補足と言う形だけど、この流れが進むと会話の中で自然にこれが行なわれるようになるのだと思う。攻殻機動隊で言うところの『補助記憶装置を介した会話』というところになるのだろうか?
こんな風に立場や言語、知識といった隔たりに対してテクノロジーが緩衝材的な振る舞いをするようになると、人間のコミュニケーションはどのように変わっていくのだろうか?僕が思うに
「緩衝材を挟んでいるが故に、アウトプットの質を意識しなくなる人」
「緩衝材を挟んでいるからこそ、アウトプットの質を重要視する人」
に二分するのではないだろうか?時間先ほどのような例を踏まえると、極端な話「時間さえかければどんな情報も伝達出来る」わけだ。それを前提とするならば、人はどうなるだろうか?上記の2つを言い換えるなら
「テクノロジーに依存する人」
「テクノロジーを活用する人」
に分かれる可能性は否めない。前者は時間をかけて情報を理解する。後者は教養により圧縮した情報を使ってやり取りする。もっとも、新しい分野の学習段階においては誰しもそんなもので、一概に悪いとは言えない。むしろ人間以上に懇切丁寧に無限に説明してくれるAIの方が良いとも言える(この辺お文脈は多分下記の文章を読んだ方が理解しやすい気がする)。
さて、こんな世界になっていったら人間のコミュニケーションってどのようになっていくのだろうか?「生のコミュニケーションって不便だよね」とか言い出す人類が現れそうで恐ろしい。というか避けられない気もしてきた。そんな時、自分の周りは生のコミュニケーションを楽しく出来る人たちがのこっていたら良いなあと思う。
2023/03/28
8時起床。
ちょっとあまり良くない環境で寝たおかげで体調が万全でないながらもなんとか顔洗ったりして行動開始する。それから文章などを書き始めたのだけど、、共用部だったのであまり集中することができず、いつもよりまとまらない感じの文章になってしまった。けど、まあしっかりと書ききれたのは自分を褒めたいなと思う。
その後は仕事仲間と合流して池袋へ。本日は月一の職場の交流会。本日はタコパということで、昨日調達しておいた食材たちを持っていく。重かった、、。12時前くらいに到着したらアレコレと準備してタコパスタート。久しぶり?ほぼ初?にたこ焼きとか作って、けっこう楽しかった。14時くらいには片付けをして終了。
からの、一旦家に戻る。帰路はみんなと一緒に行動するはずが、トイレ行ったら置いていかれちゃった、、。電車もあとちょっとで追いついたけど10秒くらい足りなかった。とかありながらも、電車の中で『完全教祖マニュアル』を全部読み切れたので割と満足度は高かった。
帰ったら急いでシャワーを浴びて、15時からの仕事を開始。終始眠かったけど、他の仕事仲間とかとも話しつつなんとか進めてゆく。24時に終了。したら、お部屋へと戻って一緒に宅飲みをすることにする。本日はビールと赤ワイン。夜食もそれなりに食べてしまったのでしっかりリカバリーしなきゃな、、
2時頃就寝。