ギア・ファイト(小説)

ー プロローグ ー

西暦2030年、人類の間では『ギア』と呼ばれる、オモチャのロボット格闘技が流行っていた。
『ギア』とは、おもちゃメーカーが作りだした『おもちゃロボット』の商品名で
大人から子供まで様々な人がロボット格闘技を楽しんでいた。

その格闘技のことを『ギア・ファイト』と呼んだ。

そんな『ハイテク遊び』が流行っている時代に、
時代と逆行するような『昔ながらのおもちゃ』を作り続けている玩具メーカーがあった。
そのおもちゃ会社の名は『武蔵』。

作っている玩具は、人形、ベーゴマ、積み木、けん玉、それはそれは時代遅れの
おもちゃだった。
そんな時代遅れのおもちゃを作り続けているせいで、売り上げはいつもいまいち。
赤字の月が多く、会社経営はピンチに陥っていた。
そこで社長の服部は仕方なく『ギア・ファイト』への参入を考える。

ギア・ファイトに参入してロボットが売れれば売り上げになる。
会社を窮地から救うにはそれしかない。

だがそれには、武蔵が作るギアは最高だと、ユーザー(買い手)に知らせる必要があった。
しかし、赤字経営の会社に莫大にお金がかかる広告費が出せるわけもなく、開発実績もない企業にスポンサーが付くはずもない。

ギア・ファイトへの参入を諦めかけていたその時、朗報が入る。
それは、賞金5000万ドルの『ギア・ファイト世界大会』の開催の知らせだった。
この大会で優勝するギアをつくれば、世界中のユーザーに
武蔵のギアは最高だ!と思わせる絶好のチャンスになる。
しかも、優勝すれば賞金5000万ドル。
起死回生のチャンスと捉えた服部は、すぐさま参加を申し込む。
だが、肝心の『ギア』(ロボット)の開発がまだだった。

そこで、なんとしても優秀なロボットエンジニアを探すべく『ロボット開発者』の募集をかけた。

思いのほか募集には多くのエンジニアが集まり、社長の服部は日々面接を行っていた。
だが、優秀なロボットエンジニアは中々現れなかった。
やっぱりだめなのか・・・

そう思っていた時、一人の男が現れる。

男の名は『ジン・ハヤト』。
この男が作り出した『ギア』のとてつもない機動力に『武蔵』の社員たちは
度肝を抜かれる。
ライバル会社が作った最新のギアを買ってきてそのギアと対戦する、というのが
入社試験だったのだが、ジンが持ってきたロボットは瞬く間に他社の最新のギアを
ノックアウトし勝利した。

社長の服部は、この男しかいない。そう思い、ジン・ハヤトをすぐに入社させる。

そしての武蔵の開発部で、ジンは『メア』という名のギアを完成させた。

『メア』とは、古代英語で『鬼神』を意味する言葉で、世界最強のギアの名にぴったりだとハヤトが名付けた。

そして、ここからおもちゃ屋『武蔵』の快進撃が始まった。

ちょうどその頃、日本では春を迎えており各地の学校ではで入学式が開かれていた。

そして、あるデザイン学校に入学した少年がいた。

彼の名前は「桜助」。

彼もまた「ギア・ファイト」の熱烈なファンだであり、日々、自作のロボットをデザインして遊んでいる、いわゆるロボットオタクだった。

そしていつの日かギアファイト世界大会に出場できるギアを作ることを夢見ている少年だった。

この春からデザインの学校に入学したのは、本格的にモノ作りの勉強を始めるためであった。


ー朝ー

チュンチュンチュン   

「よっ!桜助!」

バシッ!!

「いってぇー!おい浩紀!毎回毎回、挨拶のたびに頭を小突くんじゃねー!うちのジジイみたいにハゲたらどうすんだ!」

「お?ハゲは恥ずかしいもんじゃねーぞ?この人間社会というジャングルを逞しく生き抜いてる証だ。気にすんなよ~」

「じゃあ おめーからハゲろや!」

ゴリゴリ!

「うわっ!やめろ!頭のてっぺんのツボをそんなに強く押すな!ゲリになる!」

「なれ。むしろなれ。天誅だ」

「ったく容赦ねーな、桜助は。朝から頭のツボをグリグリしやがって」

「当たり前だ、天誅だからな、容赦があるわけなかろう」

「こわー。はいはい、すみませんでした~」

「素直でよろしい」

「お?なんの本を持ってんだ?」

「哲学書~」

「ほ~う」

「みせてくれ」

「いいよ~」

「なになに・・・」

『破壊の創造性』/ ジョン・ウィッグ

「へーなんか面白そうだが、なんじゃこりゃ?」

「昨日、古本屋のすみっこで発見したから買ってみた」

「へ~どれどれ~」

「なになに・・・。」

『破壊』には『創造的』な面がある。

すごくひねくれた考え方だが、

「破壊」は、『破壊』という結果を『つくっている』のである。

従来の『破壊』の概念も勿論正しい。

従来の『破壊』のイメージは

・破壊 = 木っ端みじん
・破壊 = 消滅
・破壊 = 暴力
・破壊 = よくない

などだと思う。

しかし『破壊』にも創造的な面がある。というのが、私の考えだ。

それが『破壊』は『破壊をつくっている』という考えだ。

だが、まぁこんな話を聞いても多くの人は、「は?」とか「あっそ」で終わる話だと思う。

天才物理学者”アインシュタイン”が残した言葉にも次のようにある。

  破壊は創造の過程に行われる掃除のことです。

  しかし破壊そのものが創造的な行いだと言われたことは

  一度たりともない。

うーむすごい。

惚れ惚れする言葉だ。

すごく正しい。

だがひねくれた意見を言わせてもらえば、

『破壊』は「破壊」という『結果』を『作っている』んじゃないですか?

という話だ。

だが、わたしの理論は、称賛されることは”120パーセント”ないだろう。

なぜか。

それは、現状この理論だけでは”人の役に立たない”からである。

 『破壊』は『破壊』という結果を『作っている』んです。

「あっそ」

で終わり。

それかもしくは、テロリストなんかに引用されるのがオチだ。

テロリストがこの理論を利用するならたぶん、

”破壊は創造の一つなり!!”とか。

"神は創造するための破壊をお許しになった”

とかそんな感じに利用するはずだ。

いや、だがそもそもテロリストもこんな理論を使おうとは思わないだろう。

はぁ我ながら情けない、こんな理論しか思いつかないとは。

でも、私もいつか必ず”人の役に立つ”理論で世の中を良くするのだ。

次章につづく。

パタン(本を閉じる音)

「・・・・・・・」

「なんじゃこりゃ?」

「笑えるだろ?」

「笑えるもなにも、よくこんな本買ったな。」

「ふつうの本じゃつまらないだろ?少しくらいぶっ飛んでる内容の方が面白いんだよ。人と同じだ。」

「そりゃまぁ一理ある。まっお前が面白がってんなら俺は止めねーわ。」

「おう」

キーンコーンカーンコーン。

「げっ!やべっ!!学校初日から遅刻しちゃ話になんねー、おい浩紀!急ぐぞ!」

「おう!」

「桜助、ところで一限目って何の授業だっけ?」

「おい・・・浩紀、少しはやる気出してから学校こいよ(笑)せっかくデザインを勉強する学校に入ったんだから。」

「ふっ、俺はいつだって”やる気”は満々よ、ただこの情熱を注げる物事がまだ見つからないのさっ」

「へーへそうですか。」

「で一限目なんだっけ?」

「デッサンだよ」

「おーけー俺の得意科目じゃねーか。」

「わかったわかった、じゃそろそろ話は終わりにしてダッシュに専念しよう。急がないとマジで遅刻だ」

「おう!」

キーンコーンカーンコーン~。

キーンコーンカーンコーン~。

ガヤガヤガヤ(大勢の生徒でにぎわっている教室の音が聞こえてくる)

「この教室だ!よっしゃ!間に合った!桜助!急いで着席すっぞ!」

「おう!」

「セーフ!」(ぜえぜえする二人)

するとちょうど教師が入ってきた。

生徒たちはそれに気づき、各々じぶんの席に着席する。

「皆さん。おはようございます。」

「わたしは、今日から皆さんにデッサンを教える”ウィルソン”という者です。一年間よろしくお願いします」

「今日は事前に通知した通り、外へ出てデッサンをします。」

「ですがその前に少し座学をします。」

内容は『絵心とは何か』についてです。」

「まずさっそくですが、皆さんは『絵心』という言葉を知っていますね。

  「あの人は絵心がある。 あの人は絵心がない。」

などと言われて使われている言葉です。

ですが、そう言って使っている人にいざ、『絵心』とは何でしょうか?

と聞くと、大概の人はこう答えます。

「絵心とは絵が上手い人が持っている生まれながらの才能のこと。」

と。

これが世間の常識です。

ですが、結論から言うとこの考え方は間違っています。

では、絵心とはなにか?

黒板にスラスラと文字を書き始めるウィルソン。

すると黒板には次のように書かれていた。


 「絵心」とは「絵を描きたい気持ち」である。

これが絵心です。

ですが、なぜか多くの人は「絵心」は生まれつきの「才能」であると誤解しています。

そんな風に考えている人が多いのです。

でも本当はそうではなく「絵を描きたい」という「気持ちそのもの」をいうのです。

絵を描きたいなーという気持ちが少しでもあるなら、それはもうすでに「絵心」です。

「上手い下手」の話ではないのです。

いいですか皆さん。大人の中には誤った情報を発信してしまう人もいます。

なので気を付けてください。

絵を描きたいなら、上手い下手にかかわらず、絵心は誰にでもあります。

おぼえておいてくださいね。

「はい、では座学はここまでです。」

「今からは外へ行ってデッサンをします。みなさん描く道具を持って外へ行きましょう」

「はーい」

ー外ー

ザワザワ

「先生ー」
「せんせー」

二人の女子生徒から声を掛けられウィルソンは立ち止まった。

はい、なんでしょう?

「上手くかけませーん。」

「うまく描くコツ教えてくださーい。」

「そうですね~、デッサンは「よく観る」のがコツですよ。

正解は目の前にあるモノが教えてくれます。

それをよく観ましょう。そして自分の描いた絵と比べましょう。

「え~そんなこと言われても~、ちょっとだけ先生の手を加えて修正してくださーい」

「仕方ありませんね。あなたの絵、ここはこういう感じに見えませんか?チューリップはこう描いてみてはどうでしょう。」


スラスラと線を引くウィルソン。

「あ!本当だ、先生サンキュー♪」

「あなたの絵は、お花をもう少し上に向かせて、葉っぱもこう見えませんか?
こう描いてはどうでしょう。」

スラスラ

「おー!先生うまーい!ありがとう♪」

(ひそひそ)「ねぇねぇこの絵もうこれで良くない?」

(ひそひそ)「たしかに」

「せんせーどうもありがとー」
「ありがとー」

「・・・・・・」

てくてくと歩きながら他の生徒たちの様子を見てまわるウィルソン。

そこへ一人の少年がダッダッダと走ってきて声をかけてきた。

「ウィルソン先生!」

「何ですか?」

「なにを描いたらいいかわかりません。
どれを描いたら高得点をもらえますか?」

「えっ高得点がもらえる題材ですか・・・。そっそうですね・・・だったら自分の心惹かれるモノを描くのがいいですよ。そうすれば楽しくかけて良い絵になるかもですね」

「そうなんですか わかりました 」(にやり)

「どうもありがとうございます 」

そういうと、その男の子はまたすごい勢いで走り去っていった。

「ふう~」

キーンコーンカーンコーン。

「はい では 今日のデッサンの授業は終わりです。」

「皆さん道具を持って教室にもどりますよー。」

「はーい」

ガヤガヤ

「おーい、桜助」

「浩紀か、何だ?」

「お前何描いた?」

「校庭にある樹を描いた。浩紀は?」

「俺は女子のフ・ト・モ・モッ」

「アウトだ。お前は変質者か。実行するなよんなこと。我が友ながら呆れるわ・・・」

「まー俺が変態なのは否定しない。でも女体は美術らしいモチーフでしょ?」

「そうじゃねぇ。モデルを描くのとちがって一般人をしかもそんなセンシティブな部分を”盗み見”して描くのはアウトだって言ってんだよ。俺も許さん。」

「あーたしかに・・・」

「マジで逮捕されっぞ」

「・・・反省します・・・」(しゅんとした様子のヒロキ)

「わかればいい」

「あれ?桜助、次の授業なんだっけ?」

「おい(笑)おめーはつくづくやる気がねーな(笑)デザイン史だよ。」

「ほーいわかったサンキュー。」

キーンコーンカーンコーン。

「ウィルソン先生おはようございます。」

「あっフォスター学長、おはようございます。」

「ウィルソン先生。 どうですか生徒たちは、楽しく勉強してますか? 」

「それが、どうも点数や正解をすぐに求める子が多くて、正直戸惑っています。
楽しく描くとか、地道に描くという点もすっとばしてしまう子がいますね。 」

「はっはは、そうでしょうなー。

でも、ここからが教師の腕の見せ所ですよ。」

「はいなんとかします。」

「その意気です。頑張ってください。」

「はい」

「では」

ピュオ~

「今日は風が強いなー、けどいい天気だ。」

キーンコーンカーンコーン~、キーンコーンカーンコーン~。

第二部へ続く。

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