師匠へ
師匠。
夏合宿から帰った直後に、あなたが亡くなられたことを知らされました。
ふつうは「突然のことに」と狼狽する場面かもしれませんが、5年ほど前から、就かれていた数々の役職や仕事を丁寧に後進に引き継いでくださっていたお陰で、我々は混乱することなく、覚悟をもって静かにその時を迎えることができました。入院されてからは弟子に見舞いもさせてくださいませんでしたので、思い出すのはあなたが凛と背筋を伸ばして道場に立っていた姿ばかりです。少しくらい、弱いところを見せてくれても良かったのに。
あなたは私の、武道の指導者であり、第二の父であり、人生の師でした。あなたから、そしてあなたの生き方から、どれだけ多くのことを学ばせていただいたことでしょう。大学を卒業して社会人になってからも、理不尽にぶち当たったとき、心に迷いが生じたとき、あなたの教えを羅針盤として進んでくることができました。
思い返せば、私の中でのあなたの鮮烈な印象は、今日のように暑い夏の日に始まりました。入門したての私が白帯を締め、初めて臨んだ夏合宿。当時既に60歳を越えていたにも関わらず、まるで鳥天狗のように軽やかな足取りで急勾配のゲレンデを駆け上るあなたに必死で追いすがっていくと、俄に黒雲が空を覆い、突然の雷雨。頂上から怒号を発するあなたの背後に雷鳴が光り輝き、その姿はまるで鬼か雷神のように見えました。あれからもう24年も経つのですね。今年もまた、あの日と同じゲレンデを走って参りました。
「鬼」という言葉を生易しく感じるほど、あなたの指導は本当に厳しかった。妥協なく、限界ギリギリまで追い込む練習を課されました。でもそれは決して理不尽なシゴキではなく、必ず何らかの目的が設定されたものであり、我々を強くするためにあなたが綿密に考え抜いてくださった内容でした。だからこそ、私たちはどんなに厳しい練習であっても、安心してあなたについていくことができました。
合宿といえば、早朝練習の最中、近隣の別荘地に滞在されているご婦人が「うちのワンちゃんが怯えるから大声を出すな」と言ってきたことがありましたね。そのときあなたは「未来を担う若者たちが全力で取り組んでいるのに、たかが犬が怯えるくらいが何だ!」と一喝しました。一般の方を驚かせるのはどうなんだろうとは思いましたが、咄嗟に出た一言から、師匠が真剣に人生をかけて我々のことを育てようとしてくださっていることが感じられ、とても嬉しかったことを覚えています。
川辺で練習をしている時、鉄砲水に襲われたこともありました。
小休止で冷たい川の水で足を冷やしていると、あなたが突然「近くの岸に上がれ!!」と号令をかけました。水は踝くらいまでしかなかったので、数人はまだ呑気に歩いていましたが、あなたが再度「走れ!」と号令すると、部員全員に緊張が走り、全力で走って岸に上がる頃には、ものの数秒で川は腰より深い濁流に変わっていました。怪我人が出なかったことが奇跡のような出来事でしたが、あなたは常に周囲の状況に気を配り、私たちの安全や健康を最大限気にかけてくださっていました。
健康といえば、一度めちゃめちゃ怒られたことがありましたね。
3年生になって大きな大会の実行委員長を拝命したとき、張り切った私は、朝練、昼練、午後練と1日3回の練習をこなしつつ、練習後に大会に向けた事務作業で徹夜を繰り返していました。結果、疲労のあまり授業中に気を失って倒れてしまったのですが、あの時ほどあなたにキツく絞られたことはありませんでした。練習をした日は必ず8時間寝ること。そして毎日の食事の栄養バランスを管理するために「四群点数法」を教えてくださいました。人生をより良くするために空手をやっているのだから、その人生をすり減らすようなことをするくらいならやめてしまえと、あなたはすごい剣幕で叱ってくださいました。あの時あなたに教えていただいたことは、今でも(できる限り)守る努力をしています。
ともすると思考が硬直しがちな伝統ある武道組織の中にあって、あなたは、常に新しいことを取り入れる改革者でもありました。
時代にそぐわないからと伝統ある厳しい新歓儀式を廃止しようとした時、古株OBの反対を押しのけて我々を応援してくださったのはあなたでした。大会の実行委員の業務の中で最も重かった100人以上の審判員への葉書連絡をメーリングリストに変更して効率化したいと提案した時、面倒くさがる年配の偉い役員の方々に強制的にメールアドレスを作らせてくださったのもあなたでした。年功序列の縛りの強い組織にあって、あなたの力強い後押しに、どれだけ助けられたか分かりません。
大学卒業の際にいただいた記念の色紙には「人生意気に感ず」という魏徴の言葉を書いてくださいましたね。あなたは常々、金銭や名誉ばかりを追い求めるのではなく、人生かけて成し遂げたいこと、即ち大志を持って生きろと教えてくれました。OB会からの謝礼もこっそり返納しながら長年我々を指導してくださったあなたは、まさに人生意気に感ず生き方を示してくださいました。学生の頃は何か耳触りの良いカッコいいこと言ってるな、くらいに聞いていましたが、今なら自分の芯=志を持って仕事をすることの大切さがはっきりと理解できます。
就職が決まり、タイトーへの入社を報告した時、あなたは「おお、コーヒーの会社か!」と盛大に勘違いされました(それはダイドーです)。その時はゲームのことなど全く知らなかったあなたでしたが、それから10年、大宮のゲームセンターのイベントで壁に残した私のサインの写真をこっそり撮りにいってくださったと聞いたとき、恥ずかしいやら嬉しいやら、なんだか妙な気持になったものです。毎年多くの弟子を送り出しているにも関わらず、ひとりひとりの人生をいつでも気に留めてくださる。あなたはそんな気遣いの人でもありました。
お酒も、お好きでしたね。特に、ビールと日本酒をよく飲まれました。
空手部創部50周年の祝賀イベントを開催した後、2人サシで高田馬場で飲んだのを覚えておられるでしょうか。日本酒をしこたま飲まれたあなたは、赤ら顔で「100周年は丹沢に任せるぞ」と仰いました。酔っていた私は「まあ、生きていられたら頑張ります」と中途半端な返事をしてしまいました。あの時、胸を張って任せてください、と言えずにすみません。100周年まで、健康に気を付けてなんとか頑張ってみようと思います。
あなたは常々、大学空手部4年間を社会人生活の縮図だと仰っていましたね。下積みの1年生、後輩ができる2年生、中間管理職としての3年生、そして組織の幹部である4年生。この4年間に真面目に取り組むことで、社会人生活の予行練習になるのだと、まだ大学1年生だった私に教えてくださいました。
社会人になって20年。下積みも中間管理職も経験した私は、今年、小さいながらも自分の会社を作りました。会社名は「黒帯ゲームズ」。プロのゲーム制作者としてようやく一人前の黒帯を締め、会社の代表として頑張っていこうという思いを社名に込めました。もちろん、あなたの教えが念頭にあったことは間違いありません。
しかし、残念ながら、ようやく会社を作ったことを、ギリギリでご報告することが叶いませんでした。
師匠、今年は元気な1年生が大勢入りましたよ。6月の大会は、2年連続で優勝しましたよ。若手OBも、合宿に大勢顔を出して手伝ってくれましたよ。あなたの教え子たちは、みんな精一杯頑張っています。どうか、安心してくださいね。
正直、雷のような大声で「馬鹿者!」と叱ってくれるあなたがもうこの世にいないのだということが、まだ信じられません。寂しいです。まだまだ、教えていただきたいことがたくさん、たくさんありました。
でもあなたは、しんみりしたり、涙を流したりすることが何よりも嫌いでした。頼りない、不肖の弟子ではありますが、私なりに何とかやっていきたいと思います。あなたが育てた空手部を100周年まで見届けたら、そちらにご報告に行きますので、しばらくゆっくりして、待っていてください。
24年間、本当にお世話になりました。
押忍。