身近に起きてしまった「計算の順序」事件
ついに、身近なところで事件が発生したようです。被害者は私の従兄弟、小学2年生、計算の順序による不当な不正解という判断を下されたようです。
今までも、社会問題として取り上げられ、テレビ番組においても「何がいかんのだ?」という言葉で一蹴されてきた、計算の順序が違うことによる不正解という判断です。
問題は、50枚折り紙を持っていて、8枚もらって、5枚使ったら残りは何枚?という非常にシンプルな問題。汚い社会に揉まれた私は、「使った折り紙も折り紙だから58枚?」とか、「答えは0枚、なぜならそれは、幻想郷にバスない」とか、そんなことも思ったが、問題はそういうことではなかった。
かわいい我が従兄弟の回答は「50+8-5=53」、スマートで数式に深い意味を求めるのは間違いではあるが、問題の流れに沿って綺麗に式が立てられている。しかし、不正解となった。
模範回答は「8-5=3、50+3=53」だそうだ。この時点で、「何がいかんのだ?」と言わざるを得ない。聞いた話によると、この後の単元で、まとめて計算をして、1桁+1桁の計算を楽にしよう!的なものがあるらしく、一桁目が0じゃない2桁+1桁の計算とかはやらせたくないらしい。できるのに。
不正解にされたものは仕方がない。東京から従兄弟の住む地元の小学校に乗り込むわけにもいかないし、そんなゴタゴタを起こして不利益を受けるのは従兄弟の方だろう。というか、もう算数全部教えてあげたい。
では、この算数の計算順序問題は何が悪なのだろうか。色々あると思うが、結局は「算数、勉強に対する、嫌悪感や苦手意識が高まってしまう」ということだろう。
筆者も含め、多くの人間にとって、勉強というのは基本的にやりたくないし、わかる問題ならまだしも、わからない問題をやる時の苦痛というのは並のものではない。それでいざ、勉強して、やったできるようになった!と思って先生に見せたら「計算の順序」とかいう行列計算ぐらいでしか絡んでこない、どうでもいい謎の概念によって不正解にされる。子供に大人の事情を押し付けられ、そこで「あぁ、大人の事情ね」と受け流せる大人びた子供ならいいが、素直な子は「自分がダメなんだ、勉強しても意味ないかも」と思うきっかけの一つになっても仕方がない。
こういった場合、先生を変えるとかじゃなくて、忙しい合間を縫って、親がちゃんと子供のやっていることを見てあげればだいぶマシになるだろう。もちろん、間違っている時も甘やかすのはダメだが、間違ってないし、そんな先生のバツなんて気にしなくていいよというぐらいのスタンスでいてもらえると嬉しい気がする。まあそもそも、子供のテストを見た瞬間激怒する母のようなアニメ的なことをしてしまうと、点数取らないと無価値的な感覚が早くから染み付いてしまいそうでかわいそう。
にしても、小学校の先生の当たり外れって結構人生で重要そうだな。
P.S. 改めて大学の授業予定を見ながら、バイトのシフト表を書いたら、想像以上にオンライン授業が多くて、悲しい気持ちです。
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