「独り」は辛い、「一人」はしんどい。(リスカ台本の始まりに「間」がある理由)
今回、裏側を書いてみようと思っているのは「帰路」という台本についてです。
この台本の冒頭部、
あんまりにも長い時間
自分の部屋に閉じこもったまま出てこないから
「やっちゃってるかなー…」って
気になったから…
ま、案の定…かな。
という、部分があります。
「やらかしてることは予想がつくけど、自問自答のもがいている時間だって理解してる。」そのスタンスで待っている状態です。
案の定って言い方には「覚えてるよ」「でも、君が自分に向き合う時間を邪魔はしないよ」って意味を含んでいます。
《向き合う》って支えるとも少し違う部分があって、彼氏さん自身も悩んで葛藤して、時には自分も耐えられない。そんな人間臭い感情が根底にあるんじゃないかって思っています。
ほかの作者様の台本で多く目にするのは「何してるの!」って驚いて止めに入るシーンや、「そんなことやめな」「辞められるように支えるから」…
癖になるまで自分の中に入り込んでしまっているせいかもしれませんが、ちょっと心が「ひゅっ」となる感じになることが多いのです。
その展開を批判するわけじゃないし、実際にそういう風に止めてくれる人を探している部分も間違いなくあります。実際思い詰めて「初めて目に見えるリストカット」をしてしまった女の子に対してならむしろ自然なのかもしれません。
でも、「#向き合い彼氏」って、彼女の日常の中にいるはずなんです。自傷癖が日常になっている女の子、日常的にネガティブなことが頭から離れない子の隣に居て欲しいんじゃないかなって思って…
この台本は「一人じゃない」といわれるのがしんどいって、人の好意が重荷になってしまう部分が自分に存在するけど現実では理解してもらいにくい部分を描きたかったものです。
通話や文章、それこそ同じ空間にはいて欲しい。でも、「私が求めるまで待て」「ぐいぐい来られたら怖いの!」って本当は寄り添ってそばにいてくれる人はありがたい存在のはずなのに、近すぎると逃げ出してしまいたくなる瞬間があるのです。
わがままだって言われて離れていってしまうのも本当は追いかけていきたいけれど、足がすくんでそんなことはできない。
本当は臆病な自分が少しだけ勇気を出してくれるのなら
「待ってて」
その一言をうまく伝える手段を身に着けたい。
「大丈夫?」って聞かれたら、いろんな選択肢が頭に浮かぶけれどかき消して「大丈夫」って作り笑顔で答えるのが最善だと自分勝手な判断で自己解決した「つもり」になっていることが多いように思います。
一人の時間で出した答えを「待っててくれたあなたに自分の言葉でちゃんと伝えるから、時間をください。」ってその言葉をまっすぐに受け取ってくれる人なんだって自分の中で理解した時にやっと「この人だったら私の中身を見てもこの人自身が傷ついて悩まない人なんじゃないか」って安心できるのです。
自分がわがままでこじらせている部分が多々あるからでしょうか(笑)
なんだか長くなりましたが、「放置と見守り」って感じでしょうか…