「想念が世界を作る」想念自体に善悪はない、思考、経験が想念に善悪をつける《祈りも呪いも紙一重である》
人間の想念は、精神世界に具現化する
一種のパラレルワールド
その具現化した想念をダウンロードできるかどうか
それが引き寄せポイントになる
受け取り上手になる事
否定しない事
全ては意味のある学びである事
まず行動する事
これらが大事である
さて
想念の具現化には善悪が無い
この想念の具現化を悪用すれば
悪い者を召喚する事ができてしまう
悪魔と言う存在は、人の負の想念の塊である
存在していなかったはずの存在を
誰かがキャラクターとして作り
それを人々の負の想念で具現化した存在
宇宙の根源から見れば
想念の世界でしか存在できない
人々の記憶から消えれば、存在できない
人々から負の感情がなくなれば、存在できない
負の錬金術の材料が、人々の負の感情である
それが無くなれば、存在できない
作りものである
恐るでない、理解すれば良いのだ
なぜそのような者が存在しているのか?
誰かの誘導である
宇宙人・・・も関与してるかも知れない
世界は広い、地球では理解できないテクノロジーがある
でも仕組みを理解しようとする探究心があれば操られない
(人は学びや成長を止めると、何かを崇拝し始める)
地獄もそうである
恐ろしい世界は、人々の想念で作られる世界
想念が具現化した世界
天国を想念で作る事もできる
弥勒の世界も想念で作る事ができる
集合想念の可能性は無限大なのだ
仏の世界は、神様と人間の想念が作った世界である
如来や観音は、神様と人間の共同で作ったキャラクター
神様が現世に干渉するための器
だから神仏習合していた
直感の神、教えの仏
さて、例えるならば
善の想念の世界が仏(天国)の世界
悪の想念の世界が悪魔(地獄)の世界
宇宙の根源から見れば
どちらも想念の世界でしかない
最初に言ったように
想念を物質世界にダウンロードする事ができる
この地球は映写機のようなものである
集合想念で作った弥勒の世をダウンロードすれば良い
精神世界の仕組みを知れば対処ができる
さて、魔の霊能者は、その想念を操るのだ
具現化した想念の世界の者と取引しているのだ
祈りも呪いも紙一重
なぜなら、手段は同じである
思考は善悪を選べるからである
仏の教えを悪用し、魔をささせる事もできてしまうのが
思考が存在する人間界である
魔が差した、それは自分の中にある
負の感情に入ってくるのだ
負の感情は、不安恐れだけでは無い
自己主義、自分本位、地位、執着、などの
他の人よりも優位に立ちたいと言う
プライドも、負のカテゴリーである
救世主など存在しないのだ
居るならば、みんなが救世主である
1人を示すものでは無い
「自分が世界を救うんだ!!」
と言うプライドは負のカテゴリー
「みんなで協力して世界を変えよう!」
これは大丈夫
あなたは、誰かのおかげで救われている
誰かは、あなたのおかげで救われている
みんな、おかげさまの気持ちで救われている
人の世界も、神の世界も順位などない
役割が違うだけ
神様は人間のおかげで物質世界に干渉する事ができる
人間は神様のおかげで直感力を磨く事ができる
想念+直感力+教え
神仏習合がなぜ解体させられたのかここに意味あり
陰陽師や、修験道の解体理由にはここに
想念+直感力+教えに加えて
地球への感謝+宇宙意識などが根源にあった
陰陽修験道師=シャーマン
あちら側からしたら、それはそれは嫌な存在だろう
さぁ!みんな何かの役に立っているのだ
自分が一番
あなたも一番
みんな一番
ここに因果の法則も関わってくる
良い行いには、良い行いが帰ってくる
悪い行いには、悪い行いが帰ってくる
人を助けたら
自分もどこかで助けられる
人を傷つけたら
自分もどこかで傷つけられる
ただそれだけ、難しい事ではない
この世は複雑に魅せられてるだけ
本来は、もっとシンプルなのだ
でもシンプルすぎると、面白くないだろ?
だから人間界は学びが多くて楽しいのだ