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進駐軍兵士が残した戦争孤児たちとトマス先生の関係を知り驚く

NHK Eテレで放送した ハートネットTV「ぼくらは“戦友”だった~ボーイズ・タウンの子どもたち~」 に、トマス先生(元・聖光学院 学院長)が映っていた、という情報をFB経由で得て、再放送を録画して見た。

トマス・トランブレ先生は、私が聖光学院在学中にお世話になった恩師である。今年3月に89歳で亡くなった。

番組は、

戦後の混乱期、進駐軍の兵士と日本人女性との間に生まれ、孤児となった子どもたち。彼らは「ボーイズ・タウン」と呼ばれる施設で共同生活を送り、社会に出てからは、進学や就職、結婚などさまざまな場面で差別や偏見にさらされ続けてきた。同じ境遇の仲間たちを“戦友”と呼び、苦難を分かち合いながら歩んだ歳月。70歳を過ぎ、人生の最終盤にさしかかった今、長年胸に秘めてきた思いを初めて語り始めた。知られざる戦後史秘話。(番組紹介ページより)

……という内容なのだが、見始めても、これになぜトマス先生が? 何かの間違いか? と、半信半疑だった。
番組が終わる直前、突然、トマス先生の話が出てきた。
便所で一人泣いていて、死にたいと思ったとき、トマス先生の「人生、生きていれば辛いことも楽しいこともある」という言葉に救われて、それからは死ぬことを考えなくなった、と語る老人。
あのトマス先生が、この施設の運営に深く関わっていて、今も、そこで育った子供たち(今は老人たち)から恩人として慕われ続けていると知って驚いた。
聖光学院ができる直前くらいだろうか。

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英語教師としてのトマス先生

トマス先生は、私が聖光学院に在学していたときは、途中から副校長をしていた。
高校1年までは、ときどき颯爽と歩く姿を見かけるくらいで、どんな先生かは知らなかった。
先輩たちから聞こえてくる情報では、「ものすごくいい先生」「頭がいい」「他のブラザーとは全然違う」といったものばかり。悪い噂は一切聞かない。あだ名は「ダンディ・トーマス」。
高校2年になって、初めて授業を受けることになった。
英文法の担当で、物凄い量のプリントを作って配り、そのプリントにそった授業だった。
Aシリーズ、Bシリーズ、Cシリーズと名づけられた3種類のプリントで、Aシリーズは純粋に英文法。
Bシリーズは英語のトリビアみたいな感じで、 a pack of wolves とか、ものの数え方や冠詞、前置詞の使い方、慣用句などを教えるシリーズ。
Cシリーズはなんだったかな。入試問題みたいなやつだったかな。
Aシリーズは、あの当時でもちょっと内容が古かったような気がする。複合関係形容詞とか、知っていても役に立たないというか、そんなの使うネイティブはいない、みたいな。
でも、フランス語ネイティブである彼ら修道士たちも、英語をこうやって文法から学んだんだな、と思って、共感を覚えた。
Bシリーズは好きだったなあ。英語のセンスを身につけるのに役だったし、クイズみたいなノリでやれた。
上智の外国語学部の入試で、Bシリーズ的な問題が結構出た。
2次試験のペーパーテストではもっと明確にBシリーズ的な問題が出て、受験生たちがみんな苦戦していたようだった(入学後にみんな「あれは難しくて分からなかった」というようなことを言っていた)。でも、トマス先生のBシリーズのおかげで、私は結構できたと思っていた。
教科書丸暗記で定期試験の点数だけはいい、みたいな勉強法が嫌いで、いつも人とは違う勉強法を考えていた私としては、解答しながら、俺のやり方は間違ってなかったぜ、って思えて、ちょっと嬉しかったのを覚えてる。

トマス先生の人生

トマス先生とは、英語の教師と生徒という関係だけで、卒業式間際まで、特に親しく話をしたような記憶はない。
先生は、私とだけではなく、他の生徒とも、常に一定の距離を保っているようなクールなところがあった。
生徒の側から見ても、ちょっと近寄りがたいような雰囲気を感じていた。(教師との距離を縮める天才である工藤くんは別として)
今思えば、クールというよりも、シャイなところがあって、かつ、合理主義者の一面もあった。
ダメな大人社会と真っ向勝負するというタイプではなく、常に、自分ができることを淡々とこなしていく、という生き方だったのだと思う。

それでも、高校3年の3学期くらいには、お互いに妙に気が合う、ではないけれど、不思議な連帯感?のようなものを感じていた気がする。
年が明け、卒業式も迫った1月のある日、担任から「君は髪を切らない限り卒業式に出てはいけないし、卒業もさせない、ということが今朝の職員会議で決まりましたので、担任として伝えます」と言われた。
高3のときの担任は世界史担当で、学校内ではちょっと左派というか、労組的な姿勢を見せていた人だったので、彼から髪のことは一度も注意を受けたことはない。
だから、担任は最後に「私はこの学校に雇われている職員として今きみにそう告げましたけれど、きみがどうするかは自分で決めればいいんだからね」と、暗に「切るな」とほのめかしているような気さえした。

その後、「トマス先生が呼んでいる。放課後、副校長室に来い、って」と、誰か生徒から告げられた。工藤くん(現校長・理事長)だったかもしれない。
そのときのことを昔、どこかで書いたはずだと思って、過去日記を「トマス先生」で検索したら、2013年9月の日記が出てきた。
『マリアの父親』の頃と題したその日記に、こうある。

トマス先生は、在学当時、僕が髪を切らないことで、体育教師はじめ、多くの教師からさまざまないじめを受けていたときにも、陰で精神的な支えになってくださった。
「鐸木能光は髪を切らない限り卒業式に出させない。髪を切るまで卒業証書も渡さない」という職員会議での決定があった直後、僕はトマス先生に呼ばれた。
まいったなあ……と、半ば覚悟を決めて副校長室に入ると、開口一番、トマス先生は、
「鐸木くん、不愉快な思いをさせてごめんなさい」
と謝ってきた。
びっくりした。
「つまらないことを言っている先生が何人かいるけれど、心配はいらないからね。で、卒業式、どうしますか?」
と訊かれたので、
「いえ、卒業式はちょうどICUの試験日と重なっていて、どっちみち出られないんです」
と答えたら、
「あ、じゃあ、ちょうどいいね! よかったよかった」
とニコニコしている。
おかげで僕は「髪を切らなければ卒業式に出させない」と宣告されたままでも、晴れ晴れとした気持ちでICUや上智の受験に臨めた。
そのトマス先生は、その後、学校の組織内で辛い境遇にいた時期もあったけれど、母校に社会科教師として就職した同級生の工藤くんらと一緒に学校改革をじわじわと進め、ついには校長、理事長に。

↑このときは、髪の毛問題については「じゃあ、ちょうどいいね。よかったよかった」で終わってしまい、そこからは結構な時間、雑談をしていた。
宗教談義みたいな内容だった。
私が、哲学ではニーチェやサルトルに、宗教では元始仏教に興味がある、というと、トマス先生は、
「仏教はすごいですね。キリスト教は人間しか見ていないようなところがあるけれど、仏教はすべての生命、無生物まで含めて、この世界全体をひとつのものとして見ている。視野が広いというか……」
みたいなことを言いだして、え? この人、修道士なのに何を言っているんだ? とビックリしたのだった。

そんなことまでざっくばらんに言うのだから、トマス先生は私のことを信用してくださっていたのだろう。
もしかすると、当時の私と同じような孤独や怒りを心の奥に秘めていたのかもしれない、などと、今になって思える。

とにかくものすごく頭のいい人。理路整然と話をするので、授業も分かりやすい。
教師陣の中でも飛び抜けた存在だったが、それでいて、オレがオレが、ではなく、常に、今の自分の立場、役割としては、どうすることが最善か、ということを考え、真面目に実行に移す人。
権力闘争みたいなことが嫌いで、人と少し距離をおく。
でも、常に周りの人を観察し、いざというときには助けてあげる。嘘をつかない。
宗教者というタイプではなくて、学者肌というか、有能かつ誠実な官僚みたいな生き方をした人なのかなあ……深くつき合ったわけではないけれど、ものすごく共感する点が多い人だった。

卒業して何年か経って、同窓会で久しぶりに会えたとき、「お元気ですか?」と訊いたら、
「全然元気じゃないですよ」
と、珍しく、ちょっと投げやりな感じで答えたので、そのときもちょっと驚いた。
今思えば、トマス先生不遇時代のまっただ中だったのだろう。
聖光の中での主導権争いというか、守旧派と改革派の衝突みたいなことが続いていて、なんとか学校の雰囲気を変えていきたいと動いていたトマス先生らは、理不尽な攻撃を受けたりして、疲れ果てていたのだと思う。
それをなんとか支え続けたのが当時事務局長としてトマス先生の片腕のように動いていた工藤くん……現校長だった。そのへんの事情は今も明らかにはされていないけれど、容易に想像がつく。
工藤くんとトマス先生はまったくタイプが違うけれど、それがいいコンビネーションとして機能して、その後の聖光学院の驚くべき変貌・発展につながっていったんだろう。

30年前の校友会報

ちなみに、今回ググって出てきた2013年の日記には、平成4(1992)年の校友会報がのっている。↓

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『マリアの父親』で「小説すばる新人賞」を受賞した後に、工藤くんから言われて寄稿した私の文章がのっているのだが、ちょうどその横にトマス先生の還暦を祝う会のことが出ている。
30年前にトマス先生は還暦を迎え、今年3月に89歳で亡くなった。
元の会報を捜してみたら、出てきたので、トマス先生の文章を改めて載せておきたい。

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やはり、シャイでクールで、謙虚な合理主義者という印象だなあ。

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このトマス先生と、ボーイズタウンで孤児たちとの時間を誠実に共有していた若き日のトマス修道士。この二人が同じ人物だということが、すぐには入ってこなかったのだが、考えてみれば、なるほど、と頷ける話だ。

先生がどんな経緯でキリスト教教育修士会に入ったのかは知らない。
彼らの多くは、貧しい家庭に多人数の兄弟の下のほうとして生まれ、親が育てきれなかったために施設に預けられたような幼少期を過ごしてきたのだという話を工藤くんから聞いたこともある。

1999年のインタビュー記事がWEB上にあって、そこで少しだけ「聖光以前」の話をしているのを読むことができる。

「仏教はすごいですね」とか「全然元気じゃないですよ」といったフランクな言葉を聞かされたことに、私は密かな誇りを感じている。
あのトマス先生が、私にはどこか気を許していたのだと感じるから。

「ダンディ・トーマス」の教え子の一人だったことを、幸せに思います。
トマス先生、ありがとうございました。

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Tanupack
こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。