見出し画像

五輪難民選手という存在

五輪貴族(ヤクザ?)やら利権政治家やらに税金いっぱいむしり取られ、命の危険もありながらやった大運動会でしたが、少なくとも爆弾は落ちてこなかったし、暴動も起きませんでした。日本って平和でしょ、今のところはなんとか……というアピールが全世界にできた?

それだけではあまりにも3兆円だの4兆円だのと言われる出費に見合わないので、せめて、選手たちが身体を張って見せてくれたドラマに、いろんなことを学んでみたい。

WEB日記には8回くらいにわたって細々と「五輪斜め目線観戦記」を書いたけれど、その中の1つをここnoteにも転載。

寝起きドッキリみたいな女子マラソンスタート時刻変更

7日は女子マラソン。心配していたとおり、東京より札幌のほうが暑い。
ここでIOCと組織委はまたまた信じられないことをやってくれた。なんと、前夜の7時頃、スタートを1時間繰り上げて朝6時にすると発表したのだ。スタッフや選手に伝わったのは夜7時過ぎ、一般発表は8時前くらい。ありえないでしょ、これ。
7時スタートに合わせて、多くの選手はその時間にはもうベッドに入っていた。
一山麻緒は、7時前に就寝した後の同7時過ぎに部屋をノックされて、関係者からの「明日6時スタートって聞いた?」との声で変更を知ったという。

「ノックの音がして『6時スタートになったの聞いた?』と言われて、目が覚めちゃいました。目をつぶってもがっつり寝られなくて」。レース2週間前からは、午前2時に起きて午前7時から練習していたという。(朝日新聞 2021/08/07

そこからはよく眠れないまま、真夜中に起きて準備するしかなかったという。

変更は世界陸連からの提言で、IOCと組織委が協議して決めたというが、暑くなるのは分かっていたことで、なんで前日に変更するかなあ。しかも、選手が寝た後に。
私は先月からずっと、毎日のように8月6~8日の札幌の予想気温をチェックしていた。
7月30日の時点でも、札幌の最高気温は33℃となっていた。なぜもっと早く決められなかったのか? 信じられないバカさ加減。

そんなドタバタもあって迎えた早朝の女子マラソン。スタート時の気温は25℃、湿度84%。午前8時には29度になった。
蒸し暑さに加えて、急なスタート時刻変更で睡眠や準備運動がしっかり取れないという地獄のようなレースだった。

スタートラインに立った選手たちは、
1. 寝る直前に変更を知らされた(鈴木亜由子、前田穂南はこれ)
2. 寝ていたのに起こされて変更を知らされた(一山麻緒はこれ)
3. 知らないまま寝ていて、1時間早く起こされて変更を知った
4. 知らないまま寝ていて、予定通り7時スタートに合わせて起きたら、6時スタートだと知らされた

……という4通りのケースあったはずだ。
外国選手などは、連絡が遅れて3、4のケースもあっただろう。それでも寝つく前に知らされるよりはずっとマシか。

レース結果は、
1 ジェプチルチル(ケニア) 2:27:20 SB
2 コスゲイ(ケニア) 2:27:36 SB
3 サイデル(アメリカ) 2:27:46 SB
4 デレッジェ(エチオピア) 2:28:38 SB
5 マズロナク(ベラルーシ) 2:29:06 SB
6 ケジェタ(ドイツ) 2:29:16 SB
7 チュンバ(バーレーン) 2:29:36
8 一山麻緒(日本) 2:30:13

で、日本勢は一山の8位入賞が最高。鈴木亜由子は2:33:14で19位。前田穂南は2:35:28で33位。
完走できなかったのは88人中15人(17%)。

欧州国籍アフリカ系選手たちの生い立ち

アフリカ系以外では、3位のサイデル、5位のマズロナクが入賞。
6位のメラットイサク・ケジェタ選手は、調べたところエチオピア難民だった。
1992年9月27日生まれの28歳。2013年に難民としてドイツに来て、2019年3月にドイツの市民権を取得した。2019年のベルリンマラソンが初マラソンで、記録は2時間23分57秒。
昨年の世界ハーフマラソンでは今回金メダルのジェプチルチルに2秒遅れ(1時間5分18秒)で2位だった。

難民を受け入れて、市民権を与え、オリンピック代表として送り出すヨーロッパの国々。日本ではそれを「メダルがほしくてアフリカ系選手を国籍変更させるんだろう」とか「ケニアやエチオピアにいたら代表になれないから国籍を変えるんだろう」とか勘ぐる人が多いが、そんな単純なことではない。
ケジェタ選手の祖国エチオピアでは、長い間民族間の紛争や対立が続いている。民族の構成はオロモ人、アムハラ人、ティグレ人などから成り、オロモ人は人口の40%を占めるが、長い間、政治の中枢はアムハラ人やティグレ人系が握ってきていて、紛争が絶えない。
昨年11月には、ティグレ人民解放戦線(TPLF)が政府軍を攻撃したとして、空爆を含めた攻撃を開始し、今も散発的に戦闘が続いているという。

トラック長距離2冠+1500m銅のハッサンも難民

そのケジェタと同じエチオピア出身のシファン・ハッサン(28歳)は、オランダ代表として出場しているが、1500mで銅、5000mと1万mで金という、超人的な活躍を見せつけた。
1500mの予選2組では、最終周に入った直後に転倒に巻き込まれてトラックに倒れ込んだが、最後方から11人を一気に抜いて4分5秒17で同組1着で予選を通過するというとんでもないシーンも見せつけた。

ハッサンは2008年、15歳で難民としてオランダへ渡っている。当然、そのときは陸上選手としては無名で、看護師になるための勉強をしながら走っていたところを、アイントホーフェンアトレティエックというオランダのスポーツクラブと契約することができ、その後、メキメキと力をつけたようだ。
一流選手になるには、才能と努力だけでなく、スポンサーがつくという運に恵まれるかどうかが大きい。難民から出発している場合は、まず、死なずに他国へたどり着くことが最初の関門になるわけだし。そういうサバイバル人生を経ているのだから、精神的に強いのも分かる。

画像1

↑表彰台でオランダ国旗を見つめるハッサン。どんな思いがこみ上げているのだろう。

明暗を分けた廣中と新谷

予選がない1万mには、日本からは新谷仁美、廣中璃梨佳、安藤友香の3人が出場した。
最大の注目は、新谷が精神的にどれだけ持ち直しているか、実力をちゃんと発揮できるか、ということだった。
 妻曰く「新谷はまた『もう帰る』とかごねてるんじゃない?」
 私「トイレに籠城して出てこなかったりして……」
などと、我が家では前日から心配して?いたのだが、意外にスッキリした表情でスタートラインに立ち、一瞬、笑顔まで見せたので、この時点では少しホッとした。しかし、この「スッキリした顔」がくせものだった。
新谷が戦闘モードのときは、今にも泣きそうな顔になっている。それが妙に晴れ晴れとした表情を(無理に?)作っているのは、逆に心と身体がかみ合っていない証拠なのだった。
レース序盤からズルズルと遅れ始め、結果はビリから4番目の21位。32分23秒87。
昨年末に出した30分20秒44の日本記録より2分以上も遅かった。
ハッサンの優勝タイムが29分55秒32。2位ゲザヘグネ(バーレーン)が29分56秒18、3位ギデイ(エチオピア)が30分01秒72だから、日本記録と同じタイムで走れたとしてもメダルは無理だったわけだが、一回り以上も若い廣中に周回遅れにされたのはさすがに耐えがたい屈辱だっただろう。
廣中は31分00秒71の自己ベストで7位入賞を果たした。ゴール後、日の丸を受け取ったが、広げるのをためらって、畳んだまま新谷のもとに近づいていったのが印象的だった。

「マニキュアをつけただけでも体が重く感じる」という新谷は、長距離選手では常識になっている腕時計をつけないでレースに出ることでも有名。精密機械というよりも、メンテナンスが大変なF1マシンみたいなものなのだろう。
今回のように、オリンピックという舞台に対しての疑問や、自分の役割、走ることの意味など、レース以外のところで悩み、疲弊してしまうと、どんなに気持ちを整えようとしても身体がついてこない。そういうところも含めて、新谷という陸上選手の魅力なのだが、本人は今回のことでまたかなりダメージを受けたかもしれない。
しかし、人生、まだ半分も来ていないのよ。日本中に「新谷仁美」という名前とキャラクターは知られているのだから、残りの人生においても、普通の人よりはるかに恵まれた財産を持って組み立てていける。それに、まだ肉体的に限界が来ているわけじゃない。男子マラソンで余裕のぶっちぎり優勝をしてみせたキプチョゲは36歳。あと5年くらい、思いっきり選手生活を楽しんで、それから先はもっと楽しい人生を送れるはず。
今回の負けなんて、なんてことはないよ。命がけで祖国を去り、異国の地でチャンスを摑んできた難民選手たちを思えば、今回のことを経験してもっと強くなれるよ。まずはゆっくり休んでくれ。

男子マラソンで話題となったゴール前のシーン

画像2

最終日、男子マラソンは、女子のように6時にスタートが繰り上げられることはなく、予定通り7時スタート。
スタート前のテレビ中継では、現場から女性アナウンサーが「今日の札幌はそんなに暑くないんですよ!」とニコニコしながら言っていたが、結果は女子マラソンよりも多い棄権率。
106人中完走者は76人。棄権率は3割近かった。
服部勇馬などは重度の熱中症でふらふらになりながら76位(2時間44分36秒)でゴールし、医療スタッフに頭を支えられて車椅子で運ばれた。
1位は2時間01分39秒の世界記録を持つキプチョゲ(36歳・ケニア)で、タイムは2時間08分38秒。最後は平気な顔でペースアップ。30人もの脱落者が出る過酷な条件下で、30~35kmのラップは14分28秒。これについていける選手はいなかった。

このレース最大の見どころは、そのキプチョゲがゴールした後の数分間だ。
キプチョゲははるか後方においていった2位集団がゴールするのを待っていた。
2位争いはケニアのチェロノ、オランダのナギーエ、ベルギーのアブディがほとんどかたまりのようになってやってくる。
最後のスパートで誰が出るのかと見守っていると、オランダのナギーエが不思議な行動を繰り返す。
横を走るアブディを気にしながら、何か言いながら、何度も右手で「前へ行け」という仕草

レース中盤でならこういうシーンはあるが、ゴール直前で何をやっているんだ? と、みんな不思議に思った。
実況アナも解説の高岡もそれにはまったく触れない。

ゴール後、その謎が解明された。

ナギーエとアブディは同じソマリア難民で、共に32歳。難民として引き受けた国がオランダとベルギーで別々になったが、レース前には一緒に練習する間柄だという。互いの家族や友人たちのこともよく知っている。
ナギーエは残り800mでもまだ余裕があり、スパートしたかったが、アブディが足をつって苦戦しているのを見て、ずっと横を走って励まし続けた。
ゴール前、ナギーエは何度もアブディを振り返り、前に出ろ、スパートしろと声をかけ続ける。それに応えて最後の力を振り絞って3位になったアブディ……そういうことだったのだ。

ゴール地点では、とっくに1位でゴールしていたキプチョゲ(ケニア)が2位集団を待っていて、3人を次々にハグして祝福する。同じケニアのチェロノだけではなく、ナギーエとアブディをまず迎えるところが素晴らしい。
チェロノはこのドラマの引き立て役になってしまい、ちょっと可哀想だった。

この後、ナギーエとアブディは、ベルギーのナールト(10位)やアメリカのラップ(8位)とも抱き合って健闘をたたえ合っていた。
アフリカの難民仲間だから、という狭い了見ではなく、この死闘を戦い抜いた仲間として、心から喜びを表していた。
命がけで祖国を出た難民が他国の代表選手になってオリンピックに出る。そうした背景も全部分かっている選手たちの仲間意識と本当のスポーツマンシップ。
こういうところだよ。オリンピックで見るべきところは。
事前に選手たちの情報を短くてもいいから紹介していれば、あの最後の不思議なシーンを見たときの感動も違ってくるのに。

ナギーエは1996年、6歳のときに難民としてオランダに渡った。その後オランダで4年間過ごした後、家族と共にシリア、そしてまたソマリアに戻ったが、その後、エチオピアを経て、オランダの家族に養子として迎え入れられた。
おかげで、ソマリア語、オランダ語、アラビア語、英語、アムハラ語(エチオピアの公用語)の5か国語を話せる。
現在はオランダのスポーツチームを拠点としてケニアでもトレーニングを積み、祖国ソマリアのスポーツ施設を充実させる基金を立ち上げるなどの活動もしているという。「(今回の結果で)ソマリアの若者に刺激を与えられた」と喜ぶ。

アブディは8歳のときにソマリアを出て、ジブチへ。その後、エチオピアで1年半過ごした後にベルギーへ。
16歳で兄に習ってベルギーのスポーツクラブで走り始めた。
彼もまた、ベルギーで子供たちの課外スポーツを支援する非営利団体の活動をしている。

彼らにとってのスポーツの意味は、生き抜く手段であり、人生の幸運を感謝して恩返しする場でもあるのだろう。重みが違う。

こうした背景を紹介せず(というか知ろうともせず)、日本がメダルいくつだとか、日本選手しか追いかけないメディアはほんとに恥ずかしい。

画像3

↑ ゴール後もちゃんと2位集団を待っていて抱きとめ、祝福するキプチョゲ。本物の王者だわ。いろんな面で勝てないわ。

画像4

↑ ゴール後に改めて健闘を喜び合うナギーエ(左)とアブディ。

画像5

そこに、後続選手が続々と入ってきて、お互いに健闘をたたえ合う。国籍を超えて、本当にお互いの健闘をたたえ合っている。

画像6

↑この光景が素晴らしい。ナギーエは、多分、アブディと同じベルギーチームの選手としてナールトを知っていたんじゃないかな。ナールトもまた、チームメイトであるアブディの友人としてナギーエを知っていて、おお~、やったか。おめでとう! と、心から祝福しているのが分かる。
一瞬映し出されただけのこういうシーンからも、いろんなことを感じ取れる。これこそオリンピックのドラマでしょ。

対して日本選手や日本のメディアはどうか。
マラソンではないが、1位の欧州選手がゴール地点で2位以下の選手を待って、健闘をたたえ合おうとしているのに、目も合わせずにその横を通り抜ける日本選手の姿があった。余裕がないのだ。
悲壮感漂わせて「日の丸を背負って」とか「国民の期待に応えられず申し訳ない」とか、そんなのはオリンピックではないのよ。

難民選手たちが教えてくれた本当の「強さ」とは?

改めて考えてみよう。ここまで無理をして強行したオリンピックにどんな意味があったのかと。
IOCは罪深い。日本の五輪組織委のトップも恥ずかしい。でも、選手たちは短い自分の競技人生で、目の前に出場できる国際大会があれば、当然、出場して、自己実現するしかない。
その大会を運営する側がどんなにスポーツマンシップからほど遠い連中だろうが、汚いカネが飛び交っていようが、そんな汚れに染まることなく、自分が今までやってきたことをぶつける。それがあたりまえ。
難民選手たちは、今まで散々、理不尽な目に合い、人間や組織、企業の悪行を見てきた。祖国で内乱が起きて、殺し合いが起きる。生活の場に銃弾が飛び交い、爆弾が落ちてくる。そういう絶望に比べたら、IOCや政治屋や利権集団のやっていることにいちいち振り回されるほどヤワじゃない。
東京五輪が中止になっても、「夢が打ち砕かれた」とか嘆いているような弱い人たちではない。ああ、そうか、そりゃしょうがないね。じゃあ、別のことに力を注ごう、今の自分にできることはなんだろう、と、すぐに切り替えるだろう。そういう強さを持っている。

難民選手は、文字通り「命がけ」で競技に打ち込んできたし、それを支えてくれる人たちの背後には、大企業や政治屋の思惑があることも知り尽くしている。
それでも、強くなることで生き抜いてきたし、ある程度成功してからは、祖国の若い世代を守り、育てることにも力を注ぐ。
抱えてきたものの重みが全然違うんだよね。
だから、ゴールした後に、競い合った選手を迎える気持ちが自然に芽生えるし、自分がいかに幸せか、その幸せを与えてくれた人たちへの感謝も忘れない。

そういうことを学ぶ機会になるのもオリンピック。
それなのに……。

何度でも言うが、日本のメディアは恥ずかしすぎる。国別のメダルの数? バカ言っちゃいけない。いつの時代の発想だよ。

「日本国籍」というくくりでしかオリンピックを見られないような、精神が成熟していない国が、オリンピックを招致してはいけない。

画像7

『人生の相対性理論 60年生きて少し分かってきたこと』
B6判・128ページ ★ご案内ページは⇒こちら

Amazonで購入で1100円(送料別) ⇒こちら

画像8


こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。