祈りのような、嘆息のような、静かな試み?

今の人間世界に魅力や未練を感じられなくなってしまった爺。
でも、マスクをさせられ、周囲の人々の素顔さえ知らずに育つ子供たちを見ていると、こんな無力な爺にも何かできないかと、どうしても考えてしまう。

子供の感性は大人には計算できないところがある。爺は小学生のとき「森トンカツ」という替え歌を日本中に流行らせたという経験を持っているが、あの頃の感性はとっくに消えてしまって思い出せないし、なぜあんな「大ヒット」になったのかも説明がつかない。
現代では「げんこつ山のタヌキさん」あたりが似たような現象だろうか。

子供のとき意味もなく口ずさんだ歌が、大人になってからもう一度、新たな意味を持って甦るようなことがあったらすごいな、と思う。
そんな「何か」……ミニ唱歌というか、小唱歌というか……を死後に残せないだろうか……という夢想を抱いたのが一月前くらいだっただろうか。
思いついてはみたものの、実際にやってみようという気力がわかずに時間が過ぎていった。
このままモヤモヤし続けるのも嫌だな、と、無理矢理取り組んでみたら、少々どころか、とてつもなく難しい作業だった。

こういうものはいっぱい作っていくうちに、何か光が射すのかもしれないが、とても量産はできそうもないと、今は諦めの心境の爺であった。

こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。