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伊藤アキラさんと『土曜日の雨』

テレビを見ていたら、急に伊藤アキラさんの笑顔が映し出されてドキッとした。
ああ、もうこの笑顔を見ることはできないんだなと思うと、改めて不思議な感覚に包まれた。
哀しいとか寂しいとか、そういうのとはまた違う思い。
自分の人生の一部が切り取られて、今はもう違う世界に生きているような……うまくいえない。
伊藤さんはこの世界では「この木なんの木の人」なんだなあ、ということも、改めて知らされたような……。

なぜ伊藤さんは私を可愛がってくれたのか……。それがいちばん不思議かもしれない。
一緒に仕事をしたわけでもないのに。
もちろん、誰にでも親切で世話好きだったのかもしれないけれど。

50年前の『土曜日の雨』と、今の『土曜日の雨』

この曲を書いてから50年も経ったなんて、ちょっと信じられない。
50年前に書いた曲を、古希まで生き延びた今、また歌っているのも信じられない。
1976年6月、上智大学1号館で2日連続でやった「アンガジェ解散コンサート」の最後に演奏した曲でもある。

作ったときは失恋の歌だったけれど、今は男女の別なく、裏切ってしまったり、ひどいことをしてしまった友人や音楽仲間への懺悔の気持ちも込めて、歌詞を一部変えている。
古希爺が歌うには、オリジナルの歌詞はあまりにも赤面ものだったから。
歌詞を書き換えたのは2021年のことだったみたい↓

ちなみにこの曲、出だしは Fmaj7 - Em7 -Dm7 - Dm7/G - Cnaj7 というコード進行で、キーボードではFを基音にして白鍵を1つ飛ばしで4つ並べたコードを1段ずつ下げていくだけ。こんな感じ↓

これって、「軟弱音楽教室」の7回目くらいでやろうかと思ってやりきれなかったのかな。
てっちゃんに千葉の丸井に展示してあったコロムビアのエレピアン初号機(ベニヤでできていた)を買ってきてもらって(もちろん金は出した)、練習しながら作曲したんだったと思う。
あの頃からずっと軟弱に音楽に向き合っている私……。

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Tanupack
こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。