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死に方の本~看取りかたの本~生き延びるための本
8月5日。いつものようにPCの電源を入れると、今日はお袋の命日だとカレンダーソフトが教えてくれた↑。
昭和3(1928)年3月生まれで、80歳で亡くなったから2008年のことか……原発爆発の3年前。
病院で死ぬことがどれだけ残酷なことかを教えられた終末期だった。
あれから14年経ったが、その間に出版された本は、『医者には絶対書けない幸せな死に方』、『介護施設は「人」で選べ』、そして今回の『マイルド・サバイバー』……と、どれも生死を考えるものばかり。
死に方の本~看取りかたの本~生き延びるための本……というわけか。
そして自分も高齢者の仲間入り。
私も妻も、親は全員亡くなった。
いちばん早かったのは私の実父で、1994年6月17日没。
知ったのは翌年のことだった。奥様から「あなたの父親──は昨年の六月十七日に亡くなりました。……」という書き出しの手紙が届いて、一周忌に出席することになった。
そのことは⇒ここに書き残している。
1928年12月生まれだから、まだ65歳だった(今計算して改めて知った)。
私はすでに実父より2年長生きしていることになる。
次が義父で78歳。その次がお袋で80歳。その次が養父で2019年3月11日没。1928年10月生まれだから、ちょうど90歳。
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実父、義父、お袋、養父は全員が1928年生まれだった。
そして一昨年、コロナ禍のまっただ中で義母が亡くなった。88歳(あと2日で89歳)。
5人の没年齢平均は80歳……なんて計算してみる。ただ、健康年齢となると、それよりずっと下になる。義父以外の4人はみんな晩年はひどい認知症になってしまっていた。
この世界から知っている人が消えていくというのは、なんとも不思議な感じではある。本当に同じ物理世界が続いているのかな……というような……。
最近はまた別の違和感を感じている。よく知っていると思っていた人が、信じられないような行動をするのを見せ続けられて、自分はもしかすると知らないうちに知らない世界にスリップというかスライドというか、移動してきているのではないか……というような感覚。
家から半径10kmくらいの世界の外側に出て行かなくなっていることもあり、自分の周りの世界が張りぼての世界にすり替えられているのかもしれない、という感じもする。
自分を含めて、「存在」すると脳が思いこんでいるものはすべてバーチャルなものなのではないか、と。
物理世界というものが存在はしているとして、そこで生きている生命体それぞれにとっての「世界」はまったく違うものなのだろう。
今私が毎日いちばん「物理的に」触れあっている生命体はネコののぼるくんだが、のぼるくんが生きている世界と私が生きている世界は、同じ物理世界ではあっても、「同じ世界」ではない。
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5月の終わりくらいだったか、仕事部屋に小さな蠅が現れて毎日モニターの前を横切ったりしていたのだが、しばらくすると一階の居間に現れて、今日も元気に飛び回っている。
うるさい(文字通り五月蠅い)ので、最初は叩き殺そうと思ったのだが、妻が可哀想だからやめて、と言うので、そのままになっている。
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食事のたびに活発に飛び回る。妻はそれを見て「あ、起きちゃった」などと言うのだが、ネコどもに言うのと同じ台詞になっていて、いつのまにかペット化している。
蠅を殺せなくなったのも、なんだか死んだ誰かの生まれ変わりかもしれない、なんて思うからかな。
生まれ変わるなら、ネコやイヌよりも蠅くらいのほうが面倒くさくない気もする。
いろんなことで思い悩むことはないだろうし、本能に従って飛んだりとまったりするだけの一生。時間感覚さえほとんどないのかもしれない。
ネコやイヌは面倒くさそうだな。
それよりは人間のほうがいいのかな? ……いや、生まれ出た社会の状態によるなぁ。
敗戦でボロボロになった国が復興に向けて動いている時期に生まれ、そこからずっと戦争や飢えを経験しないで生きられたことは、本当に運がいいのだなぁ。
この異常な世界では、周囲で人がどんどん死んでいくことはもはやどうしようもないという心境になっている。
コロ枠による静かなる虐殺とか、情報操作による世界支配とか、そういう話を表の(?)日記に書くのはもう控えて、残りの自分の人生をどのようにまとめていくか、ということだけを考えるようにしよう、などとも思う。
でも、発散させずに溜め込むのは身体に悪いから、「ぷちぷちサミット」にはときどき書き込もうかな。
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