タヌキの親子見聞録 ~熊野古道編⑤~
第1章 足がつってもまた歩く
『野中の清水』を飲んで、旅館のクーラーで涼みながら休んでいると、車の運転で疲れた父ダヌキが一番に眠ってしまった。母ダヌキは、汗をかきすぎて浴衣では眠れなかったので、持参したパジャマがわりの服を着て髪を扇風機で乾かしていると、テレビを見ていると思った子ダヌキたちもいつの間にか眠ってしまっていた。母ダヌキも、明日の朝食を楽しみに午後10時過ぎには眠りについたのだが、夜中に飛び起きないとならない事件が起こった。
「うぅっ‼」
川の字に並んで寝ていた母ダヌキは、突然の痛みに飛び起きた。それは、今までにない痛みで、両足の腿内側の筋肉が激しくひきつっているようだった。
「う~んっ!」
その上、右足のふくらはぎまでつり出して、いったいどこをどうすれば治るのか、布団の上でカエルが仰向けになったような格好で、一生懸命両腿の内側をさすったり、右足の親指を伸ばしたりと、1人無言で痛みと格闘していた。他のタヌキたちは大丈夫なのだろうかと、痛みに苦しみながら両脇を見ると、兄ダヌキも弟ダヌキも、安らかな顔で寝息を立てており、少し離れた父ダヌキは、疲れのせいか、いつもより大きめのいびきをかきながらも、気持ちよさそうに眠っていた。
「もしかしたら、私だけこのまま死ぬかも。いや、死ぬんだったらもっと痛いんだろうな」
痛すぎて、疲れすぎて、母ダヌキはとりとめも無いことを考えながら、仰向けガエルの状態で痛みに苦しんでいると、痛みが引いたのか眠気が勝ったのか、いつの間にか眠りについていた。
翌朝、母ダヌキが目覚めると、両足の痛みは全くなく、すっきりと起きることができた。母ダヌキに次いで起きた父ダヌキに、
「足とかつらんかった?」
と聞いても、全く何もなかったようで、
「日ごろから運動しとるから」
と、一番最後を歩いていたくせに、威張ってそう言った。
せっかく早く起きたので、親ダヌキは朝風呂(父ダヌキは内風呂、母ダヌキは外風呂)に入りに行き、子ダヌキたちが起きるともう一度内風呂へ入りに行った。そのくらい、旅館よしのやの温泉はいいお湯だったのだ。
温泉を堪能して部屋に戻っても、朝食の始まる7時半までまだ時間があったので、つぼ湯界隈を散策することにした。旅館を出て、川沿いの道を反対側にわたると、家が建っている裏側に石の階段が山の方へ続いていた。
「これも熊野古道だ」
看板を見つけて、タヌキたちは、少しだけ山に向かって歩いてみた。石階段から落ち葉が積もる山道になり、その道の途中にあった大きな石には、昔から人が通行していた足跡のようなくぼみが何カ所もあった。
朝食前から熊野古道を歩くとは思っていなかった子ダヌキたちは、
「もう帰ろうや」
と、不服そうに言うので、つぼ湯の前まで行って旅館に引き返すことにした。昨日見たつぼ湯は薄暗かったので、明るいところで見て見たかったのだ。中の温泉は見られなかったが、川のすぐ側に立っている小屋は間違いなくそこにあり、タヌキたちは、この温泉に入ったんだなあと実感しながら戻った。旅館の方角と反対側にあるバス停では、朝早いのに、一人旅の外国の若い女性が杖を持って立っていた。
第2章 熊野本宮大社へ再び
タヌキ一家のいつもの旅ならば、朝食は前日に買っておいたパンとジュース、コーヒーぐらいのものだったが、今回は違った。
「鯖の塩焼きがある!」
「温泉卵もある!」
昨日夕食を食べた部屋に行くと、お膳を抱えてご主人が入ってきた。煮物や佃煮もついており、のりやヨーグルトもセットにしてあった。
「こんな朝ごはん、食べたのいつぶりだろう」
タヌキ一家は、朝は簡単にパンで済ませるので、こんなに魚や野菜が取れる朝食は、年に1回食べられるかどうかわからない。
「よし、今日も絶対残さず食べるよ」
母ダヌキは、お櫃のご飯を各タヌキへよそってそう言った。(御櫃のご飯とは別に、温泉の水で炊いたおかゆがセットになっていた)
「この昆布の佃煮、山椒の実が効いていて美味しい」
「煮物も朝から食べられるなんて、豪華だね」
親ダヌキたちは絶賛であったが、子ダヌキたちには、まだ、この朝食の良さがわからないようで、
「オレ、これ食べられん」
「オレも煮物あげる」
などと、親ダヌキへ苦手なものをお願いして、何とか食べ切った。
かくして、親ダヌキは昨夜と同じように、食事に満足し、大きなお腹をさすりながら、旅館よしのやを後にした。
予定では、朝の1時間半は、本来は熊野本宮大社と大斎原(おおゆのはら)、産田社(うぶたしゃ)を巡る予定であったが、昨日お参りできたので、今日は、熊野本宮大社の後ろ側の熊野古道を歩いてみることにした。
朝の9時ごろに、熊野本宮大社の近くの駐車場へ止めて、昨日登った石段を上がっていく。母ダヌキは、昨夜の足に起きた事件が気になったが、特に大きな支障は無いようだった。平日であったが、階段を登っている参拝客が朝早くから何人かいた。
タヌキたちが朝から汗を流しながら階段を登っている途中で、町内放送が流れてきて、
「エアコンの故障で、本日の川湯温泉の営業は中止します」
と聞き、タヌキたちが入った昨日の温泉施設は湯の峰温泉であったが、同じようにエアコンが故障していたので、もしかしたら今日の到着であったら、夕方は入られなかったかもしれないと、タヌキ一家は、昨日入れて幸運だったと喜んだ。
上まで登ると、せっかくなので、再び熊野本宮大社をお参りして、大社の左横の道を、裏の方を目指して歩いた。右手に熊野本宮大社を見ながら、ちょっとした森のような木立を歩いて行くと、薄茶色の普通サイズの鳥居が立っていた。鳥居を通り抜けて大社側を見ると、「ようこそ熊野本宮へ おつかれさまでした」と横断幕が鳥居の端にあったので、
「滝尻王子からずっと歩いてきたていで、記念写真撮ろう」
と、母ダヌキが提案し、兄ダヌキと弟ダヌキは、死にそうなぐらい歩いて疲れたという感じで鳥居の前に立って記念写真をおさめた。
時間はまだ午前9時を少し過ぎたぐらいで、時間があったので、もう少し中辺路を歩いてみることにしてみた。
第3章 萩往還のような熊野古道
熊野本宮大社の裏側は、普通の住宅街の中の道で、道路の側に道標がないと熊野古道とは思えない雰囲気だった。その道を裏の山の方へ向かって歩いて行くと、ずっと突き当りにカーブミラーがあり、左に折れていた。
「あっちかな?」
母ダヌキは、写真を撮るのに忙しいのか、遅れてくる父ダヌキを気にしながら、さっさと歩いて行ってしまう子ダヌキたちを追って坂道を登ると、熊野古道らしくない道を見てそう思った。すると、そのカーブミラーの方から、朝、つぼ湯近くのバス停で見た、若い外国の女性が杖を突きながら歩いて出てきた。
「?」
母ダヌキは、女性の方へ近づくにつれて、彼女が道を間違えて折り返してきたということがわかった。住宅の方へ曲がる道とは別に、その側の山の中へ登る石階段が、道沿いの壁の上にあった。石階段の登り口のフェンスに、「熊野古道伏拝王子 3.1km 階段を登る」と書いてある看板があり、この道が熊野古道で間違いないことがわかった。
ちょうど、タヌキの母子が看板を読んでいる時に、外国の若い女性も石階段の登り口に到着したので、お辞儀をして石階段の道を譲ると、彼女もお辞儀をして、長い足で杖を突きながら石階段を登っていった。
「若いのに、1人で外国からやってきて、しかも、熊野古道を歩くだなんて、本当に度胸のある子だねぇ」
母ダヌキは、1人で、道に迷いながらも、しっかりと歩く彼女の後姿を見ながら感心した。
「ほらっ!私たちも、もう少しだけでも歩いて帰ろう。せっかく日本に生まれたのに、自分の国の世界遺産を歩かないなんてもったいない」
熊野古道や高野山を訪れる外国人観光客が多いと聞いたが、確かに、夏の暑い時なので数が少ないのだろうが、歩いているのは外国人の人が多いようだった。
石の階段を登りきると、山の中へ続く道が少し変わった。
「なんか萩往還に似てるね」
土の道に、ある程度の間隔で丸太木が埋めてあり、登りやすいようにしてあるところと、石が敷き詰められた道が交互に現れた。
「なんか懐かしい」
萩往還を思い出しながら歩いていると、前を登っていた外国の若い女性はすでに見えなくなっていた。
「おっとう、来んね」
後ろを見ると、父ダヌキの姿も見えない。
「もうそろそろ降りたほうがいいんじゃない」
心配性の兄ダヌキが、父ダヌキの姿を探して下の方を見て言った。母ダヌキは、もう少しうえに登ってみたかったが、父ダヌキが心配になり熊野本宮大社へ戻ることにした。登るよりも下るほうが、膝にはくるが時間が早い。
あっという間に坂道を下りて熊野本宮大社の中へ入ると、父ダヌキは八咫烏の郵便ポストや八咫烏のマークの入った垂れ幕などを写真でとっていた。
「このポストに入れたら、限定の消印スタンプを押されて、郵便を届けてくれるらしいよ」
いっこうに登ってこないと思っていたら、父ダヌキは現地の郵便の人と交流を図っていたらしい。
第4章 本宮から速玉へ
午前9時を過ぎると、熊野本宮大社の駐車場近くの瑞鳳殿内にある茶房 珍重庵 本宮店が開店する。そこでは熊野もうで餅というこの熊野三山でしか買えないお土産が売っているので、熊野本宮大社の階段を下りて、瑞鳳殿へ向かった。
熊野もうで餅は、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)でのみ購入できるお餅であんを包み玄米粉をかけた製品で、包み紙が三山それぞれで違うということだったので、タヌキたちは三山すべてで購入して集めるつもりであった。しかし、いざ店に行ってみると、暑くて食欲がわかず、カメラで包み紙だけ撮らせてもらって、次の目的地である熊野速玉大社へ向かうことにした。時刻は予定よりも早く、午前10時前であった。
熊野本宮大社横の国道168号を、熊野川沿いにしばらく車を道なりに走らせる。本宮大社から少し走ったところで、熊野川沿いの川原に「世界遺産 祝20年」と白い何かで字がかたどられていた。
川の水は、本宮近くは浅いようであったが、離れるにつれて深いところも出てきて、ところどころエメラルドグリーンに少し白色が混ざったような色の川面が見えた。天気も良く、川沿いを山を切り裂くように走る車は順調で、まれに人が道沿いでバスか何かを待っているのが見えたが、外国の人だった。
途中でトイレ休憩のために立ち寄った道の駅で「かあちゃんの店」というのがあったので覗いてみると、目張りずしがお手ごろな値段で売ってあった。しかし、タヌキたちは、昼ご飯に新宮市で食べる予定にしていたので、買わずにお店を出て再び熊野速玉大社を目指し車を発進させた。
熊野速玉大社に着いたのは午前10時45分頃だったろう。車を速玉大社近くの駐車場に止めて、外に降り立つと、地面から湯気が出るような暑さであった。これから熊野速玉大社を参拝し、そのご神体であるゴトビキ岩のある神倉神社へ登る予定なので、飲み物を買う必要があった。
「どれもこれも高いな」
熊野速玉大社の駐車場横にある自動販売機は、母ダヌキのお眼鏡にかなうようなものはなく、それよりも少し離れたところに見える小さなお土産屋さんの和歌山県産みかんの方が何倍も魅力的だった。
「とにかく速玉大社を参拝して、飲み物は後で考えよう」
母ダヌキはそう言うと、残り少なくなっていたペットボトルを飲み干して、熊野速玉大社の正面入口へ歩き出した。