2022年 振り返り
2022年もあと1時間ほどで終わりますね。
今年は激動の1年となりました。
1月、2月は妊娠後期で逆子が戻らずよいと聞いたものすべてを試す毎日でした。
期待しては絶望し…を繰り返していました。
原因はおそらくカイロだったわけですが、自分の覚悟を試されているかのような期間でした。
2月末に出産。
コロナ禍で1週間家族に会えず、初めての出産で生まれて初めての入院・手術…不安で心細くて発狂しそうでした。
よくわからないうちに全てが過ぎて、この頃は娘のこともちゃんと見れていなかったように思います。
3月〜5月は母乳育児に必死でした。
産後の茫然自失の時期があり、気がつけば1週間経ってもほとんど母乳は出ず。
諦めてミルクでいいかと思っていました。
2週間たったある日、
自然な出産を目指していたことが叶わなかったからとすべてどうでもいいわけではないじゃないか…!
と、ハッとしてそこから一日中娘に母乳をあげる日々がしばらく続きました。
離乳食を遅くはじめることを決めていたため完全母乳は叶いませんでしたが、9割母乳でここまでこれました。
6月、とある日本海に面した都市に移住する。
移住直後に祖母が亡くなる。
99歳の大往生でした。
高速で3時間近くかかるのですが、私と娘の到着を待っていてくれました。
移住は娘の将来を考えての移住でした。
それと、夫が農業をしたかったこともありその土地で農園を始めた志ある人を手伝うことに。
7月〜8月はただただ辛かったように思います。
夫は覚悟を決めて仕事も辞めて夢を叶えに来たはずが、蓋を開けてみれば聞いていた話とずいぶん違っていたようです。
慣れない土地で、毎日苦しそうな夫を見るのも辛かったです。
借りた家も虫とカビがひどく、月2回ほど実家に帰ることだけを待ち遠しく思っていました。
8月末に父が急逝。
春先に腰を圧迫骨折して、回復途中でした。
移住先から最初に帰省した時にはずいぶん元気になっていて、心配していなかったのですが、母が気がついた時には自力で立てないほどの貧血で、入院しそのまま帰らぬ人となりました。
多発性骨髄腫でした。
良心的な病院で、本来制限されている見舞いも付き添いで泊まることも許可してもらえました。
もう会えないかと思っていたので、会えて手を握れてよかったです。
もともとはお盆をずらして帰省したはずが、そのましばらく実家にいることになりました。
9月はほとんど実家で過ごしました。
10月、虫とカビが酷すぎて市内で引っ越し。
こんどの家は4年前にフルリフォームされてキッチンも広くてキレイで使いやすい…!
ただ、住んでみて傾きがひどいことに気がつきました(汗)
10月から夫がお隣の県の農園に就職。
…が、当日になってお断りされる。
先方は、片道1時間半かかるため通うとは思っていなかったそう。
引っ越すわけではないのなら、雇えない。
夏場の農作業のあとに事故を起こしたらあなたの家族はどうなるの?
そんな危険なことはさせられない。
そう言われたそうです。
夫のことは気に入ってもらえていたようで、本当なら来て欲しいけれど…とも言われたようです。
帰ってきた夫と、話し合いました。
私たちはどう生きたいか?
娘にどんな背中を見せたいか?
たくさんたくさん話しました。
そして、来春に引っ越しをすることを決めました。
11月、夫が信号待ちで停車中に認知機能のあやしいおじいちゃんの乗った車に追突される。
軽いむちうちですみましたが、ノーブレーキで突っ込まれたので車は廃車に。
よくその程度のケガで済んだよねと今でも話すほどのひどい事故でした。
11月・12月は夫も家にいて、娘との良い時間を過ごせました。
きっと、こんな時間を持つことは後にも先にもないように思います。
生活は不安定なままですが、ここまでいろんなことがあったのは来年の準備だ!と思っております。
うまく表現できませんが、なるべくしてなっていること、起こるべくして起こっていることだと思います。
好雪片片不落別処
来年も流れにのって動いていこうと思います。