読書感想画 - 科学者はなぜ神を信じるのか -
どうも本を読んでも全く記憶に残りません。なにやらインプットしたらアウトプットが大事だという記事を見かけました。雑多な個人的メモや読書感想画をアウトプットする先としてnoteを利用させていただきます。
今回読んだ本は
科学者はなぜ神を信じるのか - (著:三田一郎 )
です。
物理学者でもあり、カトリック教会の助祭でも著者はある日の講演中に、高校生に言われました。
「先生は科学者なのに、科学の話の中で神を持ち出すのは卑怯じゃないですか」
と。その回答として、科学者であること、神を信じること、それらが矛盾しないことをこの本をまるまる一冊使って、筆者は語り掛けてくれます。それも自分よがりな意見をつらつらと書くのではなく、過去の偉大な科学者(コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ハイゼンベルグそしてホーキング博士…)たちの研究がどのように物理学の歴史として繋がっているか、また彼らが節々で科学と神の関係についてどのように語っているのか、この本は物理学の教科書の副本としても、とても面白い読み物になっていると思います。
さて、筆者の考えを私なりに解釈したポイントを2つほど下記に載せます。
これは筆者はポソッと最後の方に言うだけなのですが、結構ポイントだと思っています。というのも、多くの日本人の違和感は、「いやいや聖書って非科学的だよ。進化論は否定するし、地動説は否定するし、聖書を信じて布教している「宗教」ってやつも、非科学的だね。」というのがあると思います。ただ、「神を信じること ≠ 聖書を一字一句事実として信じる」ではないのです。実際に、近年になってヨハネパウロ二世が公に、バチカンを代表してガリレオに謝罪しています。この意味で、「聖書が非科学的だから、科学者が宗教を信じているのは、ナンセンスである」という考えは棄却されます。何故なら、科学者が信じているのは究極的には宗教ではなく、神だからです。そして、聖書が科学的か否かはここではポイントではないのです!
もうひとつ、より具体的な筆者の「回答」があります。
神の話をするとき、「モノは分解していくとどのようにできているのだろう?」というのは一つのいい例かもしれません。それは、単純に子供でも思いつく疑問であり、かつ「世界を作っている」からです。現代の科学によれば、素粒子レベルまで明らかになっていますが、これがどれだけ解明されていっても、そこに残るのは「法則」であり「数学」です。また、「天地創造のものがたり」は一つの神の御業として科学的にも解明するに、いい例と言えそうです。科学ではビッグバンで宇宙が始まったとされていますが、聖書では「神が光あれと世界を創った」とされます。ここのアプローチが似ているので、実はバチカンはビッグバン理論には好意的です。一方で、かの天才ホーキング博士は、亡くなる前の最後には、宇宙に始まりなんてない「無境界宇宙」を提唱したのですが、仮にそれが真実であったとして、確かに特異点での神の仕事はなくなるかもしれません(のでバチカンは少し嫌がるかもしれません)が、ではそのホーキング博士の唱える「無境界宇宙」を支える「法則」と「数学」は誰が作ったのか?ということです。それこそが、筆者のポイントであり、最後は神に帰らざるを得ないと筆者は考えています。
「科学者はなぜ神を信じるのか」というタイトルの本であり、私のnoteもその部分についての読書感想画になっていますが、本当に面白い部分は、物理の教科書に出てくる有名な科学者が神について語る部分であったり、彼ら自身(有名な科学者同士)が歴史上の生きた人間としてお互いに議論を交わす部分です。是非、また読み返したい本の一つです。