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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第1章 さよなら、羽賀コーチ その7

 斎場には、すでに多くの人が集まっていた。そんなに声をかけたつもりはなかったのに。人づてに羽賀さんのことが広がっていたんだ。
 でも、羽賀さんってこの街の人達にこんなにも愛されていたんだ。そう思うと、思わず目頭が熱くなってきた。
 車を降りて斎場の人に誘導されて私たちは会場に足を踏み入れた。そこにはすでにミクと桜島さん、堀さんに由衣さんの姿があった。
「舞衣さん、今回は喪主ってのはいないけど、葬儀委員長って形で唐沢さんが取り仕切ってくれるから。あとは私たちは唐沢さんの誘導のとおりにいればいいから」
 堀さんがそう言ってくれる。なんだか申し訳ないな。けれど、今回は堀さんや唐沢さんに素直に甘えよう。
「で、唐沢くん。今日の段取りをみんなに説明してあげて」
「あぁ、まず全体の司会は堀さん、お願いします。そして参列した皆さんには桜島さんから事故の説明をしてもらいます。直前まで一緒にいたんですから。桜島さん、大丈夫ですね」
「おぉ、それはまかせておけ」
「そのあと、オレが羽賀の友人代表としてお別れの言葉を述べる。その後、一番弟子のミク、お前が羽賀へ御礼の言葉を述べろ。わかったな」
 ミクはだまってうなずいた。
「そして参列者の皆さんに焼香をあげてもらう。ここがどのくらい時間かかるかはわからねぇが。坊さんはナシだ。あいつの好きだった音楽を何曲か流させてもらうようにしてる」
 唐沢さんらしい演出だわ。そもそも本人の遺体がないんだから、お経をあげてもあまり意味が無いような気がするし。
「そしてヒロシさん、最後のシメの挨拶をお願いできますか?」
「えっ、オレが!? ちょ、ちょっと待ってくれよ」
「ねぇ、私は何もしなくていいの?」
 唐沢さんの段取りを聞いて私の役目が一つもないことに気づいた。
「あ、舞衣さんは由衣ちゃんと一緒に会場にいる参列者に挨拶をしてくれればいいんだけど」
「でも、私だって羽賀さんにお世話になったんだから。何か一つくらい最期に羽賀さんの役に立ちたいの。ね、最後の挨拶を私にやらせてもらえないかしら。お願い、唐沢さん」
 私もどうしてこんなことを言い出したのかわからない。けれど、羽賀さんのために何かしたい。そういう思いに駆られたのは確かだった。
「そうだなぁ……」
「やらせてあげなよ、唐沢くん」
 堀さんの助言で、結局私が最後の挨拶を行うことになった。そしていよいよ、羽賀さんの告別式がスタートした。
「ご参列のみなさま、本日はお集まりいただきまことにありがとうございます」
 しめやかな雰囲気の中、堀さんの言葉で始まった。いつもの元気な堀さんとは対照的で、その言葉一つ一つが重たく感じる。そして桜島さんが事故のことと、その直前に会った羽賀さんの様子を語ってくれた。羽賀さん、研修とかの仕事をやるときは結構おちゃめにやっているみたい。よく考えたら私は羽賀さんのそういう仕事の姿って見たことがなかったな。
 また、桜島さんは羽賀さんの弟子時代のことにも少し触れてくれた。ここも私の知らない羽賀さんの一面。羽賀さんって、最初はクソがつくくらい真面目だったみたい。けれど、桜島さんと酒を酌み交わし、心をひらいていくうちにだんだんと変化して。そうして今の羽賀さんになったって。
 そういう話、羽賀さんは一切しなかったからなぁ。
 次に唐沢さんの話。唐沢さん、最初はちょっとふざけた感じで話を始めた。でもそれは、唐沢さんの照れ隠しであり、かつ羽賀さんを暗い雰囲気で送りたくないっていう気持ちなのはとても伝わってきた。
「でもよぉ、なんで、なんでおまえが……」
 唐沢さん、突然そう言って涙ぐんでしまった。言葉がそれ以上出てこない。そのとき、会場のあちらこちらからすすり泣きの声が聞こえる。私も思わずハンカチで目頭を押さえてしまう。
「羽賀ァ、羽賀ァ、バッカやろーっ!」
 唐沢さんは最後に大きくそう叫んで、がっくりと崩れ落ちた。あわててトシくんが唐沢さんを抱えに走った。唐沢さん、口ではいつも強がりを言うけれど、本音は羽賀さんにとても頼っていたし、羽賀さんのことがとても好きだったんだな。
 続いてミクが弟子として羽賀さんへお礼の言葉を述べ始めた。その姿は、先ほど熱く語った唐沢さんとは対照的。淡々と、けれどしっかりとした言葉で、とてもいつものミクからは想像できない大人ぶった言葉だった。
 いつも冷静な唐沢さんが熱くなり、いつもおちゃらけているミクが淡々としゃべるなんて。いつもと逆だな。
 そして、参列者のお焼香の時間。三ヶ所に設けた焼香場にはそれぞれずらりと多くの人が並んでくれた。みんな手を合わせて、羽賀さんの写真にしっかりと目を移し、そして小さな声で何かを言っている。一体なんて言っているんだろう?
 私は参列者の口元をじっと観察した。するとみんなビックリすることに、同じ言葉を言っていた。
「羽賀さん、ありがとう」
「ありがとう、羽賀さん」
「今までいろいろと、ありがとう」
 必ず、ありがとうという言葉を口にしているのだ。誰かが申し合わせたわけではない。みんな、羽賀さんに感謝の言葉を伝えに来たんだ。このありがとうの輪はどんどん広がりを見せる。羽賀さん、こんなにもこの街の人達に貢献していたんだね。
 そうして参列者の焼香が終り、いよいよ羽賀さんの告別式も最後の時を迎えた。
「では最後に、この告別式の主催者を代表して、佐木野舞衣がご挨拶をさせていただきます」
 堀さんの言葉に、私は一歩前に出た。そしてゆっくりとマイクの前に向かう。あらためて参列者の方々を見渡す。まだ泣いている人もいる。私の方をじっと見つめてくれる人もいる。下を向いて何かに耐えている人もいる。
「みなさま。本日は羽賀さんのために集まっていただき、本当にありがとうございました。私は羽賀さんの事務所の家主の娘であり、そして……」
 ここで言葉が詰まった。頭にひらめいたこの言葉、これを言っていいのかためらってしまったからだ。けれど、今さらここで言うのもなんだから。そう思って私は言いたい言葉をひっこめて別の言葉に置き換えた。
「そして、羽賀さんのことをずっと見ていたメンバーの一人です」
 ちょっと安堵。そして後悔。けれど、そんなことを思っている場合じゃない。私は最後の御礼の言葉をみなさんに伝えないと。
 ここからは何をいったのか覚えていない。ただひたすら、集まった皆さんへの感謝の言葉と、羽賀さんの人柄を喋ったような気がする。
「そんな羽賀さんでしたが、今回このような事故の犠牲にあってしまいました。もう羽賀さんは戻ってきません。けれど、間違いなく羽賀さんはここにいます。羽賀さんはみなさんの心の中で生き続けています。だから、決して忘れないでください。羽賀さんが、羽賀純一がここにいた事を」
 多くの人がここで首を立てに振ってくれた。
「私は……私は、そんな羽賀さんのことが……羽賀さんのことが大好きです。でも、その言葉を羽賀さんに言うことはもうありません。きっと羽賀さんがここにいたら、私にこう言ってくれるでしょう。後悔のない人生を送って、毎日笑って過ごせる人生を送って、そして楽しさをみんなで分かち合おうって」
 まるで羽賀さんが私にしゃべらせてくれているようだった。
「もう一度お願いします。みなさん、羽賀さんのことを決して忘れないでください。羽賀さんはここにいます。みなさんの、みなさんの心の中に。そしてみなさんのすぐ後ろに」
バァァン
 このとき、突然会場の後の扉が大きな音を立てて開いた。薄暗かった会場には外の光が突然飛び込んできたので、とても眩しく感じる。
 よくみると、そこには人影が。けれど、眩しくてよく見えない。
 さっきまで私を見ていた目線は、一瞬にしてその音がした方向へと向けられた。みんな、私と同じようにまばゆい光に目が眩んでいるみたい。
 そのとき、私たちは信じられないものを目にした。これは夢か、それとも幻か。いや違う、間違いなく現実だ。けれど、この会場にいた誰ひとりとしてそれを信じることができなかったはずだ。
 その証拠に、誰ひとりとして声が出なかったのだから。
 私たちが目にしたもの。それは、それは、それは……
「は、はがさぁぁぁん!」
 私は一目散にその人影に駆け寄った。
 そこには、ヒゲを伸ばして髪の毛がぼさぼさになって、着ているものもボロボロになっている羽賀さんの姿があった。
「本当に、本当に羽賀さんなの。羽賀さんだよね、間違いないよね」
 私は泣きながら、羽賀さんにしがみつき、その姿が夢や幻でないことを何度も何度も確認した。
「あぁ、心配かけてごめんね。ボクだよ、羽賀純一だよ」
 羽賀さんは私の頭をなでながらそう言ってくれる。その声を皮切りに、集まったみんなが一斉に羽賀さんに駆け寄ってきた。
 羽賀さん、間違いなく羽賀さんがここにいる。そこから私の記憶は途切れてしまった。
 次に目を覚ましたのは、斎場の控え室。私、夢を見ていたのかしら。興奮しすぎて幻を見たのかしら。そんな気がして、目を開けるのが怖かった。
「舞衣さん、起きた?」
 えっ、その声は……
 声のする方をゆっくりと見る。すると、まぎれもない羽賀さんの姿がそこにはあった。

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