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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第1章 さよなら、羽賀コーチ その5

 私はどのくらい泣いたんだろう。泣いても泣いても、羽賀さんを失った悲しみの感情が奥底からいくらでも湧いてくる。
 泣いて泣いて、泣きつかれて、私はいつの間にか寝てしまったらしい。気がついたときにには誰かが私に毛布をかけてくれていた。
 この毛布、羽賀さんが使っているのだ。羽賀さんの匂いがする。
 私は思わず毛布をギュッと抱きしめ、そしてまた涙した。
「あ、舞衣さん……」
 百合さんが私に気づいた。私はゆっくりと体を起こし、そしてみんなを見つめた。みんなが私を見てくれている。
「舞衣さん、大丈夫?」
「うん……」
 それ以上言葉は出なかった。みんなもまた、それ以上私には何も言わなかった。
 テレビの画面には未だに事故の現状が生々しく映しだされている。あそこに羽賀さんがいる。けれど、あそこには行けない。
 それに、あそこに行ったところで私には何も出来ない。今はただ、時が過ぎるのを待つだけ。そして、現実を受け止めるだけ。
 結局この日はミクが私の家に泊まってくれることになった。唐沢さんとトシくんが事務所に残り、他は一旦解散。
 翌日、お店は臨時休業することにした。
 テレビを付けると、昨日の夜と同じように朝からこの事故のことしか流れていない。何年か前の航空機事故では、奇跡的に助かった人がいたようだが。今回はどうなのだろう?
 今回の事故では、残念ながら生存者の確認はないようだ。だがその報道を聞いても、もう涙は出ない。
 今度はその現実を受け入れることができた自分がいる。昨日、散々泣いたからからかな。悲しいのは確か。けれど、もう泣いてばかりもいられないし。
「おいっ、羽賀は、羽賀はっ!」
 突然、玄関のドアが開いて慌ただしい声が聞こえてきた。
「お父さんっ!」
 入ってきたのはお父さん。今回もどこか人探しに出ていたようだけど。
「羽賀はいるのか、それとも……」
 お父さんの言葉に、私は下を向いて首を横に振るしかなかった。
「ってことは、やっぱあいつは……ちくしょう、なんであんないいヤツがこんな目に合わなきゃいけないんだよ!」
 お父さんは悔しさと怒りが入り交じったような感情をむき出しにして、かぶっていた帽子を叩きつけた。
「お父さん、もう現実を受け止めましょう。これからどうすればいいか、みんなで考えなきゃ。おそらくこの報道を見て、羽賀さんの安否を気づかう人から連絡も来るだろうし。昨日もたくさんの人が来てくれたんだよ。だから、私たちがしっかりしなきゃ」
 わかっている。この言葉は私自身に向けられた言葉だってことが。だからこそ、本当に私がしっかりしなきゃ。
 この日は昨日にも増して、事務所への電話や訪問が多くなった。
 全て今まで羽賀さんが関わった人ばかり。こんなにも羽賀さんの恩恵を受けた人がいるなんて。あらためて私は羽賀さんの凄さを知ることになった。
「残念なことに、羽賀が事故に遭ったのは事実だ。今オレたちができるのは、羽賀が関わった人たちにその事実を伝え、そして羽賀の冥福を祈るしかない」
 唐沢さんは意外にもクールにそう言い放つ。だが私はわかっていた。私たちの中で一番付き合いが長いのは唐沢さんだ。唐沢さんが悲しくないはずはない。気丈に振舞いながらも、心の奥では一番悲しんでいるはずだ。その悲しさを紛らわすために、必死になって動いてくれているのが痛いほどわかる。
 私もなんとか来客にお茶を入れ、おもてなしをする。
 けれど、いつものような味を出すことはできない。あの味には、羽賀さんという存在が必要なんだって、今初めて知ることができた。それほど私の中に羽賀さんという存在が大きかったんだ。
 それは私だけじゃない、私と同じように電話の対応に追われながらも来客の対応に必死なミクも同じだ。ミクは私以上に羽賀さんのそばにいることが多い。だからこそ、悲しくないはずはない。
 けれどミクは元気に振舞っている。それどころか、事実をあらためて知った来客や電話をかけてきた人を逆に励ましているくらいだ。
 このとき、ふとあることを思った。
「ねぇ、お父さん、羽賀さんってご両親は?」
 そう、よく考えたら私は羽賀さんの両親のことを一度も聞いたことがなかった。こういう事故の場合、現住所であるこの事務所に連絡がくるのはあたりまえだろうが。それと同時に家族のところにも連絡がいくはずだ。なのに、羽賀さんの両親や親類などからの連絡が一つもない。
「そういえば、あいつは自分の親のこととか一度も話してくれたことなかったなぁ。こういうのはそこのえっと、名前なんだっけ?」
 お父さんは唐沢さんを指さしてそう言った。
 そうか、こういうのはお父さんよりも唐沢さんのほうが知っているかも。私は同じ質問を唐沢さんにしてみた。すると、ここでも意外な返事が返ってきた。
「羽賀の両親? そういえばオレも知らねぇぞ。あいつからそんな話、一度も出たことがなかったなぁ」
 あらためてそのことを言われた唐沢さんは、目を白黒させていた。羽賀さんの両親のこと、気になりだしたら止まらない。こういうときは……
「えっと、あったあった」
 私は携帯電話を検索して、あるところに電話をかけた。電話の主はすぐに出てくれた。
「おぉ、舞衣さんか。どうした?」
 電話の声はダミ声で、重みがある。けれど、今は一番信頼できる人の声だ。
「竹井警部、調べてほしいことがあるんですけど」
「なんだよ、どうしたんだ?」
「羽賀さんって、ご両親はご健在なんですか? こういった事故が起きたのに、こちらにはまだ連絡がないものですから」
 私の声に竹井警部はしばらく沈黙をした。ようやく口を開いたと思ったら、返ってきた答えはこうだった。
「羽賀の両親についてはオレも知らねぇ」
「知らないって……じゃぁ、調べてもらってもいいですか?」
「あ、いや……け、警察もそこまで時間がないし。その件はまた落ち着いてからでいいかな。それじゃ」
 竹井警部はそう言って一方的に電話を切った。これは何かを隠しているに違いない。直感でそう感じた。
「舞衣さん、どうしたの? そんな険しい顔をして」
 考え込んでいる私に、ミクがそう話しかけてきた。
「ミクは羽賀さんのご両親のことについて、何か聞いてない?」
「羽賀さんのご両親? そういえば聞いたことないなぁ。あ、桜島さんだったら何か知っているんじゃないの?」
 そうか、もう一人羽賀さんの師匠である桜島さんがいた。
「ミク、桜島さんの連絡先わかる?」
「うん、携帯に入ってるから。ちょっと待ってて」
 その瞬間、事務所のドアがガチャリと開いた。
「あ、桜島さん!」
 姿を表したのは、羽賀さんの師匠である桜島さん。一番最後に羽賀さんと会っていた人物でもある。
「ミク、舞衣さん、今回は大変じゃったなぁ」
「ううん、私は大丈夫。それよりも舞衣さんが……」
 ミクは私のことを気遣ってくれたのか、そう言ってくれる。
「舞衣さん、大丈夫かな?」
「はい、もう大丈夫です。それよりも羽賀さんについて一つお聞きしたいことがあるのですが」
「なんじゃ? ワシの知っていることならよいがのぉ」
「桜島さんは羽賀さんのご両親について何かご存知ですか?」
 ここで桜島さんの動きが一瞬止まったのを私は見逃さなかった。どうやら羽賀さんのご両親については何か特別な事情がありそうだ。
「そのことについては……羽賀の一件が終わってから話すとしよう。ワシから今言えることは、あいつの両親は、いや父親は今羽賀とは連絡がつけられないところにいる、ということじゃ」
「ということは、母親は……」
 言い寄ろうとしたが、桜島さんは私に背を向けて唐沢さんの方へ行ってしまった。どうやらなにか事情がありそうなことだけはわかった。
 そうしてこの日も夜になり、電話や来客もようやく落ち着いた。事務所にいるのはミク、唐沢さん、トシくん、お父さん、桜島さん、そして私の六人。堀さんはどうしても抜けられない仕事があるということ。百合さんは一度帰ってまた明日来ることになった。
「あいつの告別式とかしなきゃいけないだろうな」
 唐沢さんがボソリとそう言った。
「でも……」
 ミクはそう言いかけたが、それ以上は何も言えなかった。
「そうじゃな。羽賀のお世話になった人たちのためにも。そして羽賀がお世話をした人たちのためにも。最期のお別れの会をせねばいかんじゃろう」
 桜島さんもボソリとそう言う。
 この意見に反対をする人はいない。むしろ、羽賀さんに対して関わった大勢の人たちに対して、最期のお別れの場を設けてあげることのほうが大事だ。
「そうね、そうしましょう。お父さん、早速式場の手配をお願い」
 私がそう言うと、お父さんはどこかに電話をかけ始めた。
 そのとき、事務所のドアをノックする音が。
「はい、どうぞ。こんな時間に誰かしら?」
 ミクがそう言ってドアを開くと、そこにはセラピストの由衣さんの姿があった。由衣さんは息を切らして汗をかいている。どうやら走ってきたようだ。
「由衣さん、どうしたの?」
 そういえばこの騒ぎのさなか、由衣さんが姿を見せたのは今が初めてだ。
「羽賀さんは、羽賀さんは……」
「由衣さん、もう羽賀さんはいないの」
 興奮している由衣さんをなだめようとしたとき、由衣さんは予想もしなかった言葉を口にした。
「違うの、羽賀さんは、羽賀さんは生きてる!」

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