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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第1章 さよなら、羽賀コーチ その6
「羽賀さんが生きてるって、どうして? 羽賀さんはあの飛行機に乗っていたのよ。そして、誰も生存者がいないって。そう報道されたのよ。なのにどうして、どうして生きているなんて言えるのっ!」
私は由衣さんの言葉になぜか無性に腹がたった。希望的なことを今さら言われても、目の前にある事実は変わらない。なのに、どうしてそんなことを言い出すのか。私には理解できなかった。
「舞衣さん、落ち着いて。由衣さん、どうして羽賀さんが生きているって言えるの? 飛行機事故の状況はもうわかっているでしょう?」
ミクも私と同じ気持のようだ。ただ、私と違って冷静な目で由衣さんにそう質問を返した。
私とミクの言葉に、由衣さんはこんな答えを返してきた。
「たぶん信じてもらえないだろうけど。羽賀さんが直接私の意識に語りかけてきたんです。心配ない、自分は生きているって。それをみんなに伝えてくれって。そう語りかけてきたんです」
由衣さんがいくら有能なセラピストでも、その言葉をにわかに信じるわけにはいかない。乗客名簿にもちゃんと羽賀さんの名前が載っているのに。どこをどうやったら羽賀さんは生きていることになるのか。それに、生きているならどうして今すぐ私達に連絡をくれないのか。
そのことを由衣さんに反論したら、由衣さんからはこんな答えが返ってきた。
「私も羽賀さんの状況をはっきりとつかんだわけじゃないからわからないけど。でも、連絡の手段を失っていることは確かみたい」
「仮に携帯を無くしたとしても、電話くらいはかけてくるんじゃないかな?」
ミクのその意見に対して、今度はトシくんが反論した。
「いや、そうとは言えないぞ。ミク、おまえ羽賀さんの携帯の電話番号を言えるか?」
そう言われて、ミクは黙りこんでしまった。
「だろう。携帯に慣れてしまうと、簡単に相手の番号がわかるから。だからいちいち電話番号なんて覚えていないものだよ。だから、携帯電話を無くしてしまうと連絡の手段がなくなってしまうのと同じくらいになるんじゃないかな」
トシくんの言うことももっともだ。けれど、生きているのなら何かしらの手段を持って連絡をしてもいいんじゃないのか。例えば警察に駆け込むとか。羽賀さんだったらそのくらいのことはしてそうだけど。
「ともかく、今は羽賀から連絡がない限りはなんとも言えない。それに由衣ちゃん、残念だけど今は事実を受け止めよう。由衣ちゃんのことを信じていないわけじゃないけど、状況を見るかぎりはあまり希望を持たないほうがいいかもしれない」
唐沢さんは冷静にそう言い放つ。唐沢さんの言いたいことはわかる。ここで羽賀さんが生きているという希望を持って待ち続けて、結果的にはやはり死んでいたとなるとまた悲しみを味わうことになる。
それよりも、今はもう死んでいるんだという気持ちで事を進めたほうがこれ以上悲しい気持ちにはならないから。仮に、本当に生きていたとしたら、それは大きな喜びに変わるから。
「わかりました。ごめんなさい、皆さんを困惑させてしまって」
「由衣さん、あなたが悪いわけじゃないの。みんな羽賀さんには生きていて欲しいって気持ちはあるんだから。私こそごめんなさい、さっきは由衣さんを責めるような言い方をしてしまって」
落胆している由衣さんを見ていると、逆になんとも言えない気持ちになってきた。誰が悪いわけじゃない。みんな気持ちは同じなんだ。希望を持ちたい、けれど現実を受け入れなければいけない。その二つの気持ちに私たちは揺れ動いていることを再認識させられた。
結局、羽賀さんの告別式は遺体が確認できるまでは引き伸ばすことにした。遺体そのものもあまり期待はできない状況ではあるけれど。でも、せめて羽賀さんとわかる何かが手元にないと、告別式という気持ちにはなれないから。
事故が発生して三日目。そろそろ普通の生活に戻らなきゃ。その気持で私は昨日は臨時休業した自分の花屋を開けることにした。もちろん、吉田さんも通常どおりに出勤してくれる。
唐沢さんと桜島さんは昨日は羽賀さんの事務所に泊まりこんでくれた。ミクも私の家に泊まってくれると言っていたが、一旦家に帰すことにした。そうしないと、普段どおりの生活に戻れない気がしたから。
朝からめずらしくお父さんが開店の準備を手伝ってくれた。といっても、お父さんにとっては慣れない仕事なので逆にじゃまになるだけなんだけど。でも、お父さんもじっとはしていられないんだろうな。
開店の手伝いをしてくれているときに、お父さんは私にこんなことを質問してきた。
「舞衣、お前は羽賀のことをどう思っていたんだ。正直に聞かせてくれないか」
お父さんの言葉に、ちょっとしんみりとしてしまった。けれど、私はあえて明るい表情でこう答えた。
「私ね、羽賀さんのこと好き。大好き。これからもずっと一緒にいたいって、そう思っていた。結婚とか、そういうのはあまり考えていなかったけど。でも羽賀さんがいなくなって、今とても深く思えるの。羽賀さん、私の心にいついちゃってたんだなって。羽賀さんがいるのが当たり前の生活に慣れてたんだなって。羽賀さんがそばにいるのが、本当に普通になっていたんだって」
「そうか、やっぱそうだったか……」
お父さんはそれ以上、何も言わなかった。私も、今お父さんに自分の気持ちをあえて伝えたことではっきり自覚できた。
私にとって、羽賀さんはいて当たり前の存在になっていたんだって。でも、いなくなって本当に私にとって必要な存在だったんだって。
今さら自分の気持を叫んでも、羽賀さんには届かない。今さら後悔しても遅いんだ。そう思ったら、自然に涙がでてきてしまった。いくら拭いても拭いても、涙があふれてしまう。
「舞衣さん……」
そんな私を見て、吉田さんが心配そうに声をかけてくれる。
「大丈夫、大丈夫よ。さぁ、仕事仕事」
私は涙を振り払うように仕事に打ち込んだ。
午後になって、ニ階の事務所にいた唐沢さんが残念な知らせを届けてきた。
「どうやら遺体の回収はあまり望めないらしい。回収された遺体も、バラバラのものが多くてどれが誰のものなのかわからないみたいだ。しかも、羽賀は前の方の座席に座っていたらしくて。飛行機は機体の正面から山に突っ込んだらしくて、前半分はバラバラの状態だから」
「そうなんだ……仕方ないわよね、そういう状況なら」
「で、桜島さんとも話したんだが、羽賀の告別式をやる方向で動こうかと。せめて遺品だけでもと思ったが、それも無理そうだからな」
「うん、わかった。その手配、唐沢さんにお願いしてもいいですか?」
「あぁ、こっちで動くから。悪いけど、ミクと一緒に告別式のお知らせをする人たちのリストをつくってくれないかな」
「うん、わかった」
もう涙は出なかった。今私に出来ることは、羽賀さんの最期のお別れの儀式を行い、みんなで冥福を祈ることだけ。今はそのためだけに動こう。
このとき、またふと思い出すことがあった。羽賀さんの両親のことだ。桜島さんはそのことを知っているようだけど、ちゃんと話してはくれない。あとの頼みの綱は竹井警部か。
そう思ったら、手は勝手に携帯電話を取り出してダイヤルを押していた。
「おぉ、舞衣さんか。どうしたんだ?」
「竹井警部、お聞きしたいことがあるんですけど」
「なんだよ、どんなことだ?」
「羽賀さんのご両親のことです。昨日、桜島さんからおおよそのことは聞きました。お母さんはすでに連絡がつかない状況になっているとか。そしてお父さんについては連絡をつけようにも無理な状況だということらしいですね」
「なんだ、そこまで知っているのか。確かに、羽賀の母親はもうこの世にはいないからな。父親もあと五年は出てこれねぇからなぁ」
竹井警部のその言葉でピンときた。お母さんが亡くなっているのはわかった。そしてお父さんはおそらく刑務所の中。しかし、どうしてそうなったのかまではわからない。
羽賀さんについては謎がまだ多い。よく考えてみたら、私は羽賀さんの過去を殆ど知らない。知っているのは四星商事時代からの、しかもごくわずかな情報しかない。
「ありがとうございます。あ、それと羽賀さんの告別式を行うことになりましたので。日時は追ってご連絡します」
「あぁ、そうか。わかった」
竹井警部は自分がうっかり口を滑らせてしまったことに気づいてないみたい。告別式が終わったら、もう少し羽賀さんのことについて調べてみよう。そして、羽賀さんの思いに少しでも近づいてみよう。
私はそう心に誓った。
告別式は明後日行うことに決定。夜はミクと一緒にそのお知らせをする人たちのリストを作った。また、ホームページにもそのことを掲載することにした。
もう現実を受け入れなきゃ。なぜか気持ちはスッキリしている。今は目の前の作業をこなすことに集中。そうしていると、あっという間に時間が過ぎていく。羽賀さんのことを思い出して悲しむ暇もなく、時間が過ぎていく。
そうして、羽賀さんの告別式の日になった。この間、航空機事故の被害者ということでテレビや新聞の取材の依頼も来たけれど。でもそれは桜島さんと唐沢さんがうまく対応してくれて大きなことにはならなかった。
「お父さん、そろそろ行くよ。お出迎えの準備とかしなきゃいけないんだから」
「舞衣、そんなに焦るなよ。ネクタイ曲がってないか?」
めったにネクタイなんかしないお父さんの身なりを整え、私は黒の喪服に身をまとい、出迎えに来てくれた唐沢さんの車に乗り込んだ。
いよいよ羽賀さんとのお別れの時間が近づいてくる。けれど私は悲しむことはない。もう決めたんだから。羽賀さん無しで生きていこうって。