コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第1章 さよなら、羽賀コーチ その1
<まえがき>
今回から長編シリーズとなります。
いつものように8話で1章の構成です。
章ごとに主人公が変わりますが、羽賀コーチを中心として物語が展開していきます。
今回はアクションもの(?)となっていますので、こうご期待!
「それじゃ舞衣さん、行ってきます」
羽賀さんの顔を見たのは、それが最後だった。
羽賀純一。職業はコーチングのコーチ。最初に会ったときは、背が高くてお調子者で変な人って思ってた。でも今ではとても頼りがいがあって、皆から慕われて、そして私の中ではとても大切な人になっている。
私は羽賀さんの事務所の一階で花屋を営んでいる。もともとは母がやっていたお店だったけれど、病気で死んじゃったから。そのあと、母の代からお店で働いてくれている吉田さんと二人でこの店をきりもりしてきた。
父は人から依頼されたら何でも引き受けちゃう、まぁなんでも屋みたいなことをやっている。風来坊で、おかげで家にいることのほうが少ないくらい。死んだ母は父のそんな性格のどこに惚れたんだか、未だにわからないわ。
ま、羽賀さんや羽賀さんのところにアルバイトにきているミク、それにミクの彼氏といっていいのかわからないけど、自転車仲間のトシくんと妹の百合ちゃん。他にも羽賀さんの仕事仲間の唐沢さんや堀さん、そして女子大生でセラピストの由衣ちゃん。他にもいっぱいの友だちに囲まれている。
私は皆の笑顔を見るのが大好き。だからこうやって毎日お花を届けて、笑顔を与えている。
その中心にいるのが羽賀さん。羽賀さんを通じて、私はいろんな事を学んだ。コミュニケーションについてもそうだけど、それ以上に人とのつながりから得られる大切な事をいっぱいもらった。
そして今、私の中では羽賀さんという存在はとても大きなものになっている。恋人かって言われるとちょっと違う。そうなりたいって気持ちがないわけじゃないけど。でも、私の本当の気持ちはどうなんだろう?
周りからは夫婦みたいだって言われることもある。いい加減結婚すれば、なんて冷やかされたこともあった。
でも、それもなんか違うんだよね。確かに羽賀さんの部屋の掃除とか、食事の支度とかしてあげることは多いけど。でも、まだ私の気持ちの中では羽賀さんは羽賀さん。それ以上にはならない。
今日もこうやって、羽賀さんの出張を見送っている。なぜか羽賀さんの事務所の中から。
羽賀さん、行く直前まで慌ててたからなぁ。滅多にしないネクタイをどこにしまったかわからなくて、右往左往してたもん。私はどこにそれがあるかを知っていたから、ほらここよって教えてあげに来たんだけど。そこから出張に行く手伝いをして、今やっと送り出したところ。
今回の出張は北海道だって。飛行機で行くことになっているんだけど、大丈夫かな。ああ見えても、羽賀さん元は天下の四星商事のトップセールスマンだったって言うんだから。未だに信じられないなぁ。
でもまさか、本当に羽賀さんの顔を見るのが最後になるなんて、このときは思いもしなかった。
夕方、いつものようにミクが自転車で到着。
「舞衣さん、こんにちは」
「あら、ミク。羽賀さんがいなくても出勤するのね」
「うん、サイトの更新とかの作業があるし。それにメールのチェックもしないといけないからね」
「羽賀さん、帰ってくるのは日曜日の夜だったよね」
「そう、めずらしく長期出張なんだよ。今日が水曜日でしょ。だから四泊五日かぁ」
「今回はまた研修のお仕事?」
「それもあるけど、土日は桜島さんと一緒に温泉だって。ったくあのじいさんは羽賀さんを独り占めしちゃうんだから」
ミクはちょっと怒ったような感じ。ま、その気持わからなくもないな。私だって羽賀さんと一緒に温泉旅行なんてのに行ってみたい気はするから。
「まぁまぁ、滅多にない師弟旅行なんだから。そのくらい大目にみてあげなさいよ。それに、北海道のおみやげを期待しているんでしょ」
「えへへ、わかる? 羽賀さん、どんなの買ってくるかなぁ」
「はいはい、美味しいのを買ってきたときにはお茶を入れてあげるから」
「わぁい、舞衣さん、ありがとう」
ミクはそう言って二階の事務所に駆け上がっていった。ホントに元気な女の子だな。
それにしても、五日間もいないのか。今まで二日とか三日、事務所を空けることはあったけど。こんなに長くいないのは初めてだな。おまけにお父さんもどこかにふらっと出かけていったままだし。今夜は一人か。
夜になって、こたつに入って一人で寂しく晩ご飯を食べる。そういえば最近は羽賀さんと一緒に食べることのほうが多かったな。当たり前に我が家に上がりこんで、当たり前に食事をして、当たり前にくつろいで。そんなことが続いてたから、なんだか今日は極端に寂しく感じるな。ミクを誘えばよかったかな。明日はそうしようっと。
そして何気なくテレビを付ける。大した番組はやってないな。というか、最近テレビを見なくなったな。
テレビはつけているんだけど、視線はいつも羽賀さんを向いていたような気がする。羽賀さんの話、面白いんだもん。
クライアントさんの話は守秘義務があるからしないけど、研修の時のエピソードとか、失敗談とか。あと桜島さんのところに弟子入りしてたときの話とか。特に好きなのは、心理学的な話かな。私の知らない知識をいっぱい教えてくれて。おかげで私も人間観察が好きになっちゃった。
その羽賀さんは今いないんだ。
あれ、おかしいな。羽賀さんがこのビルに来るまでは、こんな状況のほうが当たり前だったのに。毎日忙しく仕事をして、ようやく一人でくつろいで。お父さんがいるときのほうが面倒くさくていやだったのに。
いつのまに私、一人がつまらなくなったんだろう。
そんな感じで気がつくと土曜日の夜。結局ミクもトシくんとのデートが忙しいのか、一緒に御飯食べることも無かったし。まぁいいわ。明日になれば羽賀さんも帰ってくるから。晩ご飯は一緒に食べられる時間には戻ってくる予定だったな。よし、明日は奮発して……と思ったときに、ピンポーンという呼び鈴の音。
「はーい」
誰だろう、こんな時間に。
「おうっ、舞衣さんいるか?」
玄関の向こうからダミ声が聞こえる。これも聞きなれた声。
「なんだ、武井警部か。どうしたんですか、こんな寒空に。さ、どうぞ中へ」
「いや、玄関先でいい。羽賀は出張中だろう。そんなときに女性一人の部屋にこんなむさくるしい男が入るわけにはいかねぇからな。わぁっはっは」
豪華に笑う武井警部。どちらかといえば、その笑い声が近所迷惑なんだけどなぁ。
「で、今日はどんなご用事で?」
「おう、そうだった。羽賀が帰ってくるのは明日だろう? ちょっとあいつに頼みごとがあってよ。このファイルに目を通して欲しいんだよ」
「また捜査協力ですか?」
「う、うん、まぁなぁ。でもこれはナイショだぞ。あまり警察が民間に協力を求めすぎるのもなんだしなぁ」
「でも、明日羽賀さんが帰ってきてから渡せばいいのに」
「いやぁ、明日はなんだろ、せっかく舞衣さんと久々に二人っきりになれるんだからよ。そんなときに邪魔しちゃいかんだろう」
まったく、余計なおせっかいだなぁ。私と羽賀さんはそんな仲じゃないのに。
「わかりました。それにしてもこんな時間にくるってこともないと思いますけどねぇ」
武井警部にちょっと皮肉を込めてそう言った。どうせだったら昼間に来てくれればいいのに。
「いやぁ、オレもこう見えても捜査で忙しくてな。なかなか時間がとれねぇんだよ。悪いとは思ったけど、こんな時間になっちまった。じゃぁよろしく頼むよ」
まったく、警察官のくせに自分勝手なんだからなぁ。でも仕方ないな。これも羽賀さんのお仕事だもん。
羽賀さんかぁ。早く帰ってこないかな。そういえば電話やメールの一つもよこさないんだから。ちゃんと仕事してるんだろうか?
まぁもともと羽賀さんって携帯電話は好きじゃないのよね。メールも用事があるときだけだし、しかも要件だけ短く送るし。恋人同士のハートマークがついたラブラブメールなんて、夢のまた夢だわ。まぁ私ももうそんな歳じゃないからいいけどね。
そうして迎えた日曜日。今日はいよいよ羽賀さんが帰ってくる。お店も休みだし、腕によりをかけて料理をつくろうかな。
そう思った矢先、またピンポーンと玄関のチャイムが。
「こんにちはー、お届けものです」
見るとそこには宅配便のお兄さんが発泡スチロールの箱を抱えて待っていた。
「ここにサインお願いします」
ハイハイとサインをして箱を受け取る。ずっしり重いな。
箱にはカニのシールが張ってある。差出人は……羽賀さんだ! 羽賀さん、北海道からカニを送ってくれたんだ。
じゃぁ今夜はカニ鍋かなぁ。そうなると、やっぱミクも呼んだほうがいいよね。あ、どうせならトシくんや百合さんも呼んじゃおうかな。
私はそう思ってミクにメールを送った。羽賀さんからのカニがあるよっていうのが効いたのかな。すぐに「今からいきまーす」なんて勢いのいいメールが帰ってきた。まだ早いのにな。
でも、そんな楽しい空気を一変させることが起きるだなんて……