見出し画像

コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第1章 さよなら、羽賀コーチ その3

「大丈夫、大丈夫よ。飛行機はちゃんと飛んでるって。何かちょっとアクシデントがあっただけだから」
 ミクは私を慰めるようにそう言う。
「そうですよ。飛行機事故って自動車の事故よりも発生確率が低いって言いますから。そんなに大きな事故が起きるとは思えないですし」
 トシくんもそう言う。けれど私の心のなかはおだやかじゃない。発生確率が低いからって、ゼロじゃないし。何年も前に起きた大きな航空機事故。あのときにも有名な人がその飛行機に乗って亡くなっている。私の頭の中にはその事故のことが思い出されて、とても怖くなった。
「あ、続報が出た」
 百合さんがテレビを指さしてそう叫んだ。私たちの視線はテレビに釘付けになった。そこでさらに私たちの気持ちは絶望へと落とされた。
「消息不明になっている飛行機ですが、福島県の山奥でその通信が途絶えたことが判明しました。現在、現地に捜索のためのヘリが向かっており……」
 ニュースではそのことはズバリとは言っていないが、それが何を意味しているのかは言われなくてもわかる。飛んでいた飛行機の通信が途絶えたといえば、それはもうその飛行機は存在していないことを意味する。つまり、墜落。
「羽賀さん……」
 それ以上の言葉は出てこない。もう頭の中がぐちゃぐちゃ。無事を祈りたくても、それが事実であれば可能性は非常に低い。
「大丈夫、大丈夫よ……」
 ミクはその言葉しか繰り返さない。トシくんと百合さんはテレビを黙ってじっとにらんでいる。私は羽賀さんの最後のメールを開いたまま、携帯をじっと見つめる。
 どのくらい時間が経っただろう。私たちは準備が終わっている食事に手をつけることもなく。ただ無言の時を過ごしていた。
 そして、さらに絶望的な事実が私たちの目の前につきつけられた。
「消息不明になっている飛行機ですが、墜落が確認されました。場所は福島県
の……」
「うわぁぁぁん、はがさぁぁぁん」
 その瞬間、今まで大丈夫とつぶやいていたミクが突然大泣き。今まで意地を張って気持ちを保っていたのが、急に切れたんだ。トシくんがミクを抱き抱えるようにして慰める。けれどトシくんも言葉が出ない。
 私もミクのように大きな声で泣きたかった。けれど泣くことができない。泣いちゃいけないという気持ちがつよく私の泣きたい気持ちを阻止した。
「あ、乗客名簿が出るっ」
 百合さんは冷静にテレビを見ていた。その声にテレビに視線を移すと、今回の飛行機に乗っていた乗客名簿がカタカナで流されていた。私たちは黙ってそのテロップに目を通す。そして……
「ハガ ジュンイチ」
 とうとうこの文字を目にしてしまった。これで確定。羽賀さんは飛行機事故の被害者になってしまった。
 その直後、私の携帯電話が鳴り響いた。
「もしもし、舞衣さん、吉田です」
 一緒に私の花屋をやってくれている吉田さんからだ。吉田さんも羽賀さんがあの飛行機に乗っていることを知っている。おそらく今の報道を見て電話をしてきたんだ。
「羽賀さんって、確か今日北海道から帰ってくるんでしょう。まさか、あの飛行機に……」
 私は吉田さんの質問に答えることができなかった。違う、そう言いたい。けれど羽賀さんがあの飛行機に乗っているのは事実。
「舞衣さん、舞衣さん、ね、舞衣さん!」
 吉田さんの声にようやくハッとする。
「やっぱり、そうなのね。さっきニュースで見てたら、ハガジュンイチって乗客一覧で出てきたから……」
「吉田さん、どうしよう。羽賀さんが、羽賀さんが……」
「落ち着いて。まだ羽賀さんが死んだっていう確認がとれたわけじゃないんだから。とにかく、旦那と一緒にそっちに行きます。だから落ち着いて」
「うん……」
 今はその返事しかできなかった。今度はミクの携帯が鳴り響いた。
「あ、唐沢さん。うん、うん……そう、羽賀さんで多分間違いない……はい、わかりました。待ってます」
「ミク、唐沢さんなんだって?」
「テレビを見て電話をかけてきたの。羽賀さんが北海道に行っていたの知ってるから。唐沢さん、堀さんと一緒にこっちに来るって。私、事務所開けてくるね」
 さっき思いっきり泣き叫んだせいか、ミクは意外にも冷静な対応をしている。私もそうすればよかった。でも、今は泣いている場合じゃない。
「とりあえず場所を羽賀さんの事務所に移しましょう。吉田さんや唐沢さんたちもこっちに来るっていうから」
「わかりました。百合、何か飲み物と食べるものを買ってきてくれ。もしかしたらまだまだ羽賀さんの安否を心配して連絡してきたり訪問してくる人がいるかもしれないし」
「わかった。舞衣さん、気をしっかりね」
 年下の百合さんにもはげまされる。けれど落ち着かない。今、私がなにをどうしたらいいのかわからない。とりあえず羽賀さんの事務所に移動しよう。
 トシくんに支えられるように二階の羽賀さんの事務所に移動した。足が震えてうまく歩けないのがもどかしい。ソファに腰を落とすと、私は頭を抱え込んだ。
 すると今度は事務所の電話が鳴り響いた。ミクがそれに出る。遠くにミクの声が響く。トシくんがテレビをつけたみたい。けれどその音は私にはまったく別世界のものに聞こえた。
 羽賀さん、どうしてこんなことになっちゃったの。もう羽賀さんは戻ってこないの。もし戻ってこないのなら、私はどうすればいいのよ。
 目の前に浮かぶのは、羽賀さんの笑った顔。その顔がどんどん私の心の中に浮かんで、そして消えていこうとしている。
 待って、いかないで。羽賀さん、ねぇ、羽賀さん。
「舞衣さん、舞衣さん」
 ミクの大きな声でようやく現実の世界に引き戻された。
「え、あ、なに?」
「電話、竹井警部から」
 私はミクに促されて電話を変わった。
「はい、舞衣です」
「おぉ、舞衣さんか」
 竹井警部の声はいつもの張りがなく、沈んだトーンだった。
「ミクから聞いた。やはり羽賀はあの飛行機で間違いないんだな」
「えぇ、おそらく」
「そうか……おいおい航空会社から連絡がくるとは思うが。今そっちにはミクと舞衣さんの他に誰かいるのか?」
「トシくんと妹の百合さん。あともうすぐお花屋を手伝ってくれている吉田さんと旦那さん、それと唐沢さんと堀さんもくるそうです」
 自分でもびっくりした。竹井警部の質問に、意外にも冷静に答えることができた自分がいた。
「そうか。それだけいればオレが行かなくてもそっちは大丈夫そうだな」
「あ、あの……できれば来てくれませんか、こっちに」
「いいのかよ。そんなに人がいて」
「今は……今はたくさんいてほしいんです。今は人がたくさんいて欲しいんです」
 無意識にそんな言葉が出てくる。けれどこれは無意識じゃない。私が心からそれを望んでいるんだ。羽賀さんに関わる人に、羽賀さんの存在がなくなってしまわないように、少しでも羽賀さんを感じてくれている人がたくさん側にいて欲しい。その気持でいっぱいだった。
「わかった。じゃぁ今からそっちに行くから」
「ありがとうございます」
 竹井警部の電話が切れると、今度はまた不安が襲ってきた。得体のしれない何かが私に襲いかかる。それを振り払いたくて、私はあたりを見回した。
 そこにはミクがいる。トシくんもいる。その姿を見てなんだか安心した。
「舞衣さん、竹井警部こっちに来るの?」
「うん、来てくれるって」
「わかった」
 ミクは今度はパソコンにしがみついている。どうやら事故の情報を少しでも拾い出そうとしているようだ。
 程なくして吉田さんが旦那さんと、そして唐沢さんと堀さんもほぼ同時にやってきた。
「舞衣さん、大丈夫?」
「ありがとう。大丈夫」
 そう言って立とうとしたとき、ふいにめまいがしてふらついてしまった。
「舞衣さん、座ってなって。とにかく羽賀くんの安否はまだ確認取れていないんでしょ」
 堀さんはそう言うが、羽賀さんがあの飛行機に乗っているのは間違いない。そしてその飛行機が墜落したことも確認が取れている。
「まだ、ひょっとしたら生きている可能性だってあるわよ。昔の飛行機墜落事故でも、生存者がいたんだから」
 堀さんは私を慰めようとしてそう言ったに違いない。けれどその言葉は私には虚しく響いた。

いいなと思ったら応援しよう!