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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第1章 さよなら、羽賀コーチ その2

「やっほー、舞衣さん。きたよー」
「あ、ミク、いらっしゃい。トシくんは?」
「妹の百合さんの車で一緒に来るんだって。私は自転車で先に来ちゃった」
「じゃぁ、早速だけど手伝ってくれる」
「はーい」
 日曜日の午後、我が家は一気に賑やかになった。といってもまだ一人来ただけなんだけど。ミクがいるとホント周りが明るくなるな。
 ミクは私の妹みたいな感じ。ちょっと生意気なところもあるけれど、そこがまた可愛く感じる。
 そして二人の共通の話題といえば、やっぱり羽賀さん。
「この前も羽賀さん、お客さんとの約束をうっかり忘れてたんだよー。ちゃんとメモしたのって聞いたら、メモはしてるけどメモを見るのを忘れてたんだって。ホントあれでトップセールスマンだったのかしら?」
 なんて感じで、ミクは仕事で見せる羽賀さんの意外な一面を紹介してくれる。そこは私の知らない羽賀さんだ。
 私の方からはこんな話をする。
「羽賀さんね、未だに朝が弱いのよ。これも予定が入っている日に限ってなんだよね。だから私に必ず起こしに来てって頼むのよねぇ」
「へぇ、そんなときってどうやって起こすの? まさか、優しくチューなんてことしてないでしょうね?」
 ミクは包丁を私に向けて、真顔でそんな質問をしてくる。ここでそうだよ、なんて言ったら刺されちゃいそう。
「まさか、そんなわけないでしょ。私と羽賀さんはそんな関係じゃないんだから」
「じゃぁ、どんな関係なのよ? これ、前から舞衣さんにちゃんと聞きたかったのよねー」
 ミクの持っている包丁がキラリと光る。なんか、半分殺気を感じるのは気のせいかしら。
「だからぁ、ただの家主と間借り人の関係だって。たまたまいろいろとお世話をしているだけなんだって」
「へぇ、最近の家主ってのは、間借り人の洗濯物までたたんじゃうんだね」
 そう言ってミクが指さしたのは、奥の部屋にあるカゴ。そこには羽賀さんの洗濯物がたたんでおいてある。
「しかも、下着まで洗ってあげるなんて。もうただの間借り人じゃないよねー」
 ミクは皮肉を込めてそう言う。もう、なんて答えればいいのかわからないじゃない。
 ちょうどそのタイミングで玄関のチャイムが鳴った。
「あ、お客さんだ。はいはーい、今すぐ行きまーす」
 ふぅ、助かった。私は駆け足で玄関へと逃げた。ミクの不満そうなふくれっ面がありありと思い浮かぶわ。
「あ、トシくんに百合さん。いらっしゃい。さぁどうぞ」
「失礼しまーす。舞衣さん、ケーキを買ってきたの。食後にみんなでどうかなって思って」
「わぁ、百合さんありがとう。気がきくなぁ」
「なによ、私が気が利かないみたいじゃない」
 気がつくとミクが後ろに立っている。
「さ、トシも早く上がって手伝ってよ。ところで羽賀さんって何時くらいに帰ってくるの?」
 我が家がさらに賑やかになった。こんな雰囲気、好きだな。私は羽賀さんの帰ってくる時間を確認するために携帯を開いた。羽賀さんには珍しく、昨日私にメールをくれていたんだ。
「えっとね、むこうを午後四時半くらいの飛行機だって。こっちに帰り着くのは夜の七時半くらいになるかなー」
「じゃぁまだまだ時間があるね。雪とか大丈夫なのかな? トシ、テレビつけてみてよ」
 今の時間は午後五時を過ぎたところ。どこかで気象情報とかやってなかったかな。でも、大雪が降るなんてニュースは聞いてないから、きっと大丈夫よね。
 テレビがついて、トシくんが適当にチャンネルを変えていく。特にニュースらしいものはやっていないけれど、テレビをつけたままにして私たちは羽賀さんの話をし始めた。
 夕食の準備も徐々に出来上がり、あとは主役の羽賀さんの帰りを待つのみとなった。その間、特にすることがないのでみんなでこたつに入ってのんびりと時間を過ごす。
 そのとき、ニュース速報のテロップが流れる音がした。けれど大したことないと思ってだれもテレビを見ようとはしなかった。
 けれど、まさかそのときにこんなニュースが流れるなんて。
「でねー、羽賀さんたら実はむっつりスケベじゃないかって思うのよねー」
 ミクは相変わらず陽気にしゃべっている。私たちが聞き役でその話にときおり相づちを打ちながら笑っている。
 そうしていると、さらにニュース速報のテロップの流れる音が。なんだろう、何か事件でもあったのかな。
 私はミクの話に笑いながらも目をテレビにやった。そのタイミングが少し遅かったせいで、ほんの数文字しか目にすることができなかった。が、その数文字だけでも私の気持ちは一気に不安と恐怖へと落とされることになった。
「……行きの飛行機が消息不明」
 えっ、飛行機が消息不明。まさか、羽賀さんの乗っている飛行機じゃないわよね。
 私の視線がテレビに釘付けになったので、ミクやトシくん、百合さんが何事かと私の方を向いた。
「舞衣さん、どうしたの?」
「ん、今ね、テレビで飛行機が消息不明って出たのよ」
 私に大きな不安の波が襲ってきた。こういう予感は的中することが多い。お母さんが死んじゃった時もそうだった。お母さん、病院のベッドで口では大夫って言ってたけど、私にはわかっていた。心配かけさせたくないって気持ちが。でも、そのとき無性に私の中で起こる不安の波が大きく私を包んだのを今でも憶えている。
 まさにその時の感覚が今よみがえってきた。
「まさか、羽賀さんの乗った飛行機じゃないでしょ。トシ、チャンネル変えてみて。そんなニュースならどっかで報道してるかも知れないから」
「わかった」
 トシくんがチャンネルを変えていく。すると、ほとんどのテレビ局が突然報道特番へと変わっていた。
「先ほど入ったニュースです。北海道千歳空港、午後四時三十五分発の……」
 その瞬間、私はめまいがした。
「舞衣さん、舞衣さん、大丈夫、ね、大丈夫?」
 気を失ったのはほんの僅かなんだろう。けれど私には長い時間に感じた。さっき見たのが夢であって欲しい。そう思って勇気を持って再びテレビの画面を見る。しかし、テレビには大きく、私の不安をあおる文字が映し出されていた。
 千歳空港発飛行機、消息不明
「これって、羽賀さんの乗った飛行機じゃないよね?」
 ミクが恐る恐る私に尋ねる。私はもう一度羽賀さんからのメールを確認する。
「北海道の千歳空港を四時半頃出る飛行機で帰ります」
 そう書いてある。
 ミクやトシくん、百合さんも私の携帯を覗き込む。
「ほ、他にも同じ時間に飛ぶ飛行機はあるんじゃないのか?」
 トシくんは慌てて自分の携帯で飛行機を検索する。しかし、出てきた答えは私たちをさらに落胆させるものだった。
「ちくしょう、この時間にこっちに向かう飛行機はこれだけだ。舞衣さん、羽賀さんは本当にこの飛行機に乗っているんですか?」
「わからない。わからないけど……でも、昨日の羽賀さんのメールだとそうなってるし……」
 もう何も考えられない。今はそうじゃないことを願うしかない。そしてなにより、消息不明になった飛行機が無事であること。これを祈るしかない。
「そうだ、羽賀さんに電話してみればいいんだ。これで羽賀さんが電話に出れば何も問題ないわよね」
 ミクは携帯電話を取り出して急いで羽賀さんにコールする。私たちは固唾を飲んでそれを見守る。が、ミクの電話からは無常にも無機質なこの声が響いてきた。
「おかけになった電話は、現在電波の入らない場所にあるか電源が入っていません」
 私は目の前が真っ白になった。

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