第二回 / 甲冑と祈りの日々
スタニスラフスキー師の著作は当初「俳優修業」というタイトルで日本語訳が出てました。
それにあやかって「(令和の)(50代の)俳優修行」をつらつら書きます!
そのうち本にしたいなあ。
2016年8月
人生初の映画への主演を果たして、しばらくぼーっとしていた私に、その映画の試写会で知り合った、甲冑手作りサークル「鎌倉もののふ隊」の隊将鎌倉智士氏から「今度深沢夏祭りで歴史のお芝居やりますんで出て貰えませんか?」との依頼があった。
「sunset drive」を観て応援してくれた鎌倉氏は私をプロの俳優と勘違いしているようだった。可愛い人だな、と思った。
彼は私に「主演でお願いします」と言った。
またかよ。おれでいいのかよ。でも嬉しいな誘ってくれて。
斯くして、歴史演劇「鎌倉四兄弟-最後の晩餐-」の主役、大場三郎景親役を演じることとなった。
このお芝居は、長谷寺とか檑亭とか覚園寺とか鎌倉市役所の中庭とか、とっても色んな所でやらせて貰った。運営の鎌倉氏笠井氏に感謝である。凄く楽しかった。友達もたくさんできた。
概要は、ここに詳しく鎌倉氏がまとめてくれている。
大鎧を着て色んな所でお芝居、はとても楽しかった。
しかし、私の「どうすれば芝居が上手くなるか?」の回答には近づかなかった。甲冑演劇「鎌倉四兄弟」は、脚本演出制作に演劇のプロの手がほとんど入っていなかったからであり、もっと言えば「良いお芝居を創ること」が最優先の目的でもなかった。
なのである。
さて….どうしたものか….楽しいは楽しいんだけどこれをおれは一生やるわけにもいかんぞ….と行く道に迷っているそんな時期に…
2016年12月
品川区中延の劇団「Prayers Studio」の「ダム・ウェイター」と云う作品を観て、脳天が割れるほどの衝撃を受けた。
甲冑演劇の記録映像を見ると、私が私のまんま甲冑を着ている。
コスプレをした現代人の小林がセリフを喋っているだけなのだ。
その時代背景とか役の人生とかをまるで背負ってない。
常々その辺を自分自身に対してもどかしく思っていた。
「ダム・ウェイター」は、90分の二人芝居。
冒頭から終幕までその役そのものにしか見えない役者が出ずっぱり。
しかもそれを20人も入らない狭いアトリエで至近距離で観るのである。
私はまずその集中力の持続に驚愕し、演技力に驚愕し、秀逸すぎる脚本に驚愕した。
生まれて初めて、芝居を観て稲妻に撃たれた。
そしてこの公演は単なる観劇にあらず。
観客が今度は自分自身で今観た劇を演じてみる「ドラマトライアル」という催しで、私は当然志願して、セットの中に入って芝居をさせてもらった。
本当に楽しかった。ウキウキした。この時はどうもかなり「フロー」に近い感覚だった気がする。たぶんあれは、私の求める「良い芝居」だったと思う。なぜだか上手くいったのだ。なぜだろう。
Prayersすげえな、と思いながら帰途についた。
2017年
大体一月一回のペースで「鎌倉四兄弟」を上演し続けた。
芝居の様子はだいたいこんな↑感じ。この動画は、当時大学で映像関係のサークルに入っていた娘に撮影と編集を依頼した。娘は助っ人に来てくれた撮影チームの先輩達に、主演が自分の父親であることをひた隠しにしていた。そんなところが可愛くて仕方がない。
2028年1月
上記の動画で五郎役を演じている甲冑演劇仲間の眞田規史氏が出演する「那由他の掌」と云う芝居を観に行った。そして前年の「ダム」と同じぐらい驚いた。
主役の陸奥宗光役の役者さんの演技が凄まじい迫力だったのだ。私は胸の中で「これってデニーロとかアルパチーノのメソッド演技じゃないのか?!メソッドアクターだ!日本にもこんな人がいるんだ!」と驚きの声を上げていた。
終演後ぼーっとしながらも、あの主演の人はなんて名前の役者さんだろう、とチラシをみたら「二毛作吾作」
コメディでも何でもない舞台で、シリアス極まりない凄絶な演技をした人の名前が「二毛作吾作」
世の中は広い、と私は思った。
2018年3月。
遂に意を決してPrayers Studioのワークショップを受けに行くことにした。
「ホンが読める役者になる!」というタイトルの10回のワークショップ。
ここで私は「スタニスラフスキーの脚本分析」なる概念に出会って、これまた衝撃を受ける。題材はチェーホフの「かもめ」。
一読したときは何が何だかさっぱり分からなかったが、脚本分析の手法で作品を解剖していくと、めちゃめちゃに面白いではないか。
私は好奇心が強い。凄いモノを観るとどうやって成立してるのか知りたくなる。「ダム・ウェイター」の秘密も垣間見えた気がした。
ここで教われば、芝居が上手になるに違いない!と思った。
ところがである…..
「ホンが読める役者になる!」ワークショップの後半5回は、分析した結果を持っての実演なのだが、これがさっぱり出来ない。
脚本に何が書いてあるか、は、なんとなくわかった。しかしそれを自分に引き寄せて演じようとすると、はなはだわざとらしいことになった。
「この場面でこの役は甥を慰めようとしている」までは分かった。
「自分がひとを慰めるときのことを思い出して、その自分になってセリフを言う」ことがどうしてもできなかった。心が全く動かないのである。結果、表面的ないわゆる「狙った演技」になった。おまけに素人なもんだから「心が動いてなくてもそれらしく見せる技術」もない。自己嫌悪で死にそうになった。
講師であり、Prayers Studio主宰の渡部朋彦氏は「小林君はBasic受けて下さい」と言った。
そして私はPrayers StudioのBasicクラスに通い詰めることになった。
長年、自分の本心を打ち明けることを嫌い、陽性の人間に擬態してきたツケがどかんと回ってきたのだ。感情を表現することが出来ないのだ。
弟のことは、実はあんまり関係なかったかもしれない。
もともと擬態で生きてきた人間が、親族の死という局面でより擬態を強化したに過ぎなかったのだ。
PrayersのBasicは、本来は単発10回セットのワークショップなのだが、10回のクラスでわざとらしくない芝居が出来るようになるほど、私は軽傷ではなかった。とにかく「芝居だ」と思うだけで揺れ動いていた心がぴたっと閉じた。それをなんとかしたくて通い詰めた。「マイズナー」とか「レペティション」とか呼ばれる訓練をひたすら繰り返した。大変な苦痛だったが、快感でもあった。これを突破しないと次に行けない。そう思って頑張って通った。
ところでクラスを受講し始める前に私は自分の目標設定を求められ「いつでもフローに入れるようにすること」と書いて送った。「Sunset Drive」の時の経験からだろう、フロー=無敵の役者、という思い込みがあった。
2018年11月
2年3ヶ月続いた甲冑演劇「鎌倉四兄弟」のロングランが終わることになった。
ちょうどいい頃合いだった。観覧費が無料で、運営に多大な負担がかかっていたし、私自身も限界を感じていた。
主催で作者である鎌倉氏からは度々「威厳と風格を表現せよ」と要求されたが、全く意味が分からなかったのである。
今ならば、「こういうホンで威厳と風格ね?んじゃこういう演出をして自分の芝居はこう調整すれば、それっぽくみえるんじゃない?」と云う提案をいくつかは出来ると思う。出来なくても、相談する先もいくつかある。
しかし当時は、Prayersで正に教わっているスタニスラフスキーしかわたしの持ちネタはなかった。「目的行動障害」をいくら考えても鎌倉氏の要望には応えられなかった。「鎧武者のコスプレをした小林が好き勝手やる」以外のことができなかった。「物語を伝える機能としての役を演じる」ことがどうしてもできなかった。私は本当に不器用なのである。
前作の「Sunset Drive」では、作者であり監督の樋本氏が、そこをうまくすくい取ってくれた。素人を使うことの意味をよく考え抜き、うまいこと実装した感がある。
私は未経験だし息子役の涼くんは6歳だし、よく破綻しなかったと思う。あの時私は「ホンがしっかりしていてテクニカルスタッフが一流なら、演者は素人でも映像作品は成立する。逆はない」という学びを得たのだ。
もののふ隊による「鎌倉四兄弟」は(プロとして活動している眞田規史氏を除いて)ほぼ全員が素人であった。その無理が限界に来ていたように思う。
しかし、か、だからこそ、か、私はこの甲冑演劇に愛着を感じていた。一所懸命取り組んだことだけは確かだし、素晴らしい友人が何人も出来た。あー、ずーっとこの人達と一緒に芝居できたら幸せだなあ、と思ってもいた。すべてが終わったら、この人達ともう一緒に遊べなくなる。それは寂しかった。
しかし自分から行動は起こさなかった。私はとても引っ込み思案で内気で内向的で、他人を巻き込んでの計画立案が大の苦手なのだ。
そしたらなんと最終公演の稽古期間中に、共演の加藤俊輔氏と松尾崇氏が「これで終わっちゃうのもったいないから、おれたちだけでなんかやろうよ」と声をかけてきた。
すかさず私はその時横に居た菅原隆氏の首根っこを掴んで「隆さんも道連れだ」と言った。
私は、甲冑演劇仲間の中でもとりわけ菅原氏と加藤氏と松尾氏が大好きだったのだ。ならば声かければいいじゃん自分から。そんな簡単な問題ではない。私は自己否定でパツンパツンの自罰野郎なのだ。自分からオファーして渋い反応だったら傷ついて死んでしまうではないか。
そしたら先方から声かけてきた。
びっくりした。相思相愛だった。
大船のミジンコ食堂で決起集会を開いた。
加藤氏の発案でグループ名は「劇団小林組」になった。
またおれが看板かよ。大丈夫かよ。
ともあれ、動いた。
PrayersのBasicクラスに通いながら、動かない心に悪戦苦闘しながらも、自分の組が建ち上がったのだ。
(続く)
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