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平坦ゴリラ達の祭典 Münsterland Giro 125km

みなさんこんにちは。
普段からKEIMASA CYCLEをご視聴くださりありがとうございます。
いつものようにリンクを貼っておきますのでご存じの方もこの機会にまたご視聴ください。

さて、今回は先日10月3日にミュンスターで行われた『Münsterland Giro 2022』の125km部門に参加してきたのでそれについて書きます。
お時間あれば最後までご覧ください。
今回は写真は少なめです。

それと先に書いておきますが今回は中々の災難続きのレースでした。


Sparkassen Münsterland Giro 2022

私達が住んでいるノルトライン=ヴェストファーレン州にあるミュンスターにて毎年10月の1週目に行われます。

私は昨年のこのレースにてレース初参加をしたのでこのイベントには思い入れが強いです。
前回は雨の中で約65kmを走りましたが今回は125km部門にエントリーしました。

アマチュアのレースの後にはプロレースが開催されます。
ドイツ国内の大きなレースは基本的にプロレースの前に一般参加のレースが開催されます。
今年のプロ部門での勝者はユンボ・ヴィスマ所属のオラフ・コーイ選手が勝ち取りました。

20歳の新星が今シーズン10勝目を勝ち取った

参加にあたって

今回のレースは祝日(月曜日)である3日に行われました。
本来なら前日の日曜日に現地入りをします。
しかし今回は私の数少ない自転車仲間が参加してくれる事になりました。
会える機会は滅多にないので『せっかく会えるならもっと早くに会おう』と言うことで土曜日の夜に現地入りする事にしました。

いつもの様に自転車を電車にダイレクト乗車して輪行します。

自転車専用スペースがあるから輪行も楽
しかしベビーカーゾーンの近くの為、稀にベビーカーの強襲に遭う

KEIMASAは仕事の都合で前日入りです。

今回レースに参加した自転車仲間

デュッセルドルフ組はKEIMASAとケルンのレースにて知り合った海崎さん(知り合ったのはケルンですが、実は昨年のこのレースにて会っていました。KEIMASA CYCLEの動画にも音声だけで出演しています)
65km部門にはモロちゃんが参加しています。
海崎さんは夏に行われたニュルブルクリンク24時間耐久レースにも参加しています。

それと遠方のミュンヘンから来てくれたNaoくんTaroさんです(ミュンヘンからミュンスターまでは車で高速道路をぶっ飛ばして片道7時間

Naoくんとは今年の5月1日にフランクフルトにて開催されたEschborn Frankfurt 2022で知り合いました。
愛車は日本ではまず見かけることのないGUERCIOTTI Eureka DX 50 2018年度モデルです。

ブランド初のエアロモデル
エアロに全振りしたわけではなくエアロ風オールラウンドモデルフレームでもある
ミドルグレードではあるが重量が1030gと軽量
こだわりは黒金のカラーリングとそれに合わせたビックプーリー
本人の服装も自転車の色彩を活かすために黒をベースとしたウェアを選んでいる
GUERCIOTTI(グエルチョッティ)

名ブランドひしめき合うイタリアで1964年に兄イタロと弟パオロが創業したレースバイクメーカー
1970年代中盤に生産規模を拡大しアメリカへの輸出を開始
80年代にはアメリカで最も有名なイタリアブランドとして名を馳せた
レースバイクを主に販売しているが特にシクロクロスに力を入れている
日本には2008年から展開しているため日本国内での歴史はまだ浅い

Taroさんとは今回が初対面です。
せっかく会う事ができたTaroさんですが仕事の都合で今年中には日本に帰国してしまうそうです。
数少ない自転車仲間ができて内心嬉しかったのに残念です。
来年度の富士ヒルクライムにて参加予定との事なのでそこで再会できそうです。
愛車はNaoくんのGUERCIOTTIと同じく日本であまり見かけることのないSIMPLON(シンプロン)KIAROです。

本人の体型より1サイズ小さいサイズを使用している
そのためエンディランスモデルではあるがエアロポジションが取りやすくなっている
ホイールはICAN AERO50でチューブレスを採用している
SIMPLON(シンプロン)

1930年にヨセフ・へマーレが創業したオーストリアのメーカー
1950年以降人気だったスイスブランドを超えるべく『スイス以上の品質を』とスイスのシンプロン山にちなんで1961年にメーカー名をシンプロンに変更した
「世界最速のエアロロードを作る」という目標の下に試行錯誤を繰り返した結果、Pride IIエアロバイクが空力性能で世界トップの座に君臨する事になった

NaoくんはYoutube活動もしているのでリンクを貼っておきます。
それとの知り合った際の話は前の記事でちょろっと書いたのでお時間あればご覧ください。

宿泊場所

Naoくんが予約してくれたDJH Jugendherberge Münsterというユースホステル風のホテルに宿泊しました。
街の中心に近くてとても静かな綺麗なホテルでした。
目の前には綺麗な湖が広がり心が落ち着きます。
毎年この時期はレースの為に宿泊客が増えるのでホテル側も自転車の保管に関しては専用の部屋を用意してくれたりとサービスはとても良かったです。

レース前日(日曜日)

レース前日は準備運動も兼ねて50kmほどコースの試走をしてきました。
走っている途中に横を見たら次の日のプロレースに参加登録されているUno X Pro cycling Teamの選手達が走っていました。
こう言う場面に出くわす事ができるのもレースならではですね。

Uno X Pro Cycling Team

ノルウェーを拠点としたチームで登録選手の9割が自国の選手で形成されている。
チーム使用自転車は台湾メーカーのDARE(ディアー)

今回ミュンヘンから参加してくれた2人ですが地域の関係上普段は山ばっかり走っています。
それもあってかアホみたいに速いです。
少し気を抜くと一瞬で置いていかれます。

本番は永遠とこのようなコースが続く

走った後はレース前日にもかかわらずエナジードリンク(ビール)を飲んだくれていました。

そんなに飲んでいないですよ。
500mlを4杯くらいだけです。

レース当日

イベント前日って興奮して寝られないことってありませんか?(小学生の時はよくありました)
歳を取ったのか慣れたからなのか前日はぐっすり眠れました。
朝6時半に起きて朝ごはんをたらふく食べた後に会場入りします。
レース開始は9時45分からでしたが9時の段階で多くの人達が良い位置を取ろうと各ブロックに分かれて待機していました。
私はCブロック(巡航速度32km程度)
NaoくんとTaroさんはBブロック(38km程度)
KEIMASAはAブロックでした(40km以上)

ドイツのホビーレースは登録時に巡航速度を記入する欄があるのでそれによってブロック分けがされます。
私はのんびり走りたかったので125km部門での最低巡航速度である32kmを選びました。

左からKEIMASA、Taroさん、Naoくん、私
海崎さんはまだ到着していなかったため写真には写っていない
左の2人、右の2人で着用ヘルメットが同じ

KEIMASAは今回のレースから新しいヘルメット(Abus Alpecin-Fenix Airbreakerを着用していました。
知りませんでしたがミュンヘンの日本人サイクリストの間ではKEIMASA CYCLEはかなり有名だそうです。
2人共少し緊張しているように見えましたねぇ。

あっという間にレースの時間になったのでそれぞれブロック毎に並びに行きました。
当日現地入りの海崎さんはスタート直前にようやく到着しました。

レースコース

今回のコースは以下の通りです。

ミュンスターの街のはずれからスタートして街のど真ん中へ帰って来る

スタート時の高度が65mで最大高度が71m、サイコン上では獲得標高205m(上った記憶がない)と完全に平坦ゴリラ達ウホウホのステージです。
山ばかり走っているミュンヘン勢と平坦が苦手な私にとってはほとんどする事がないステージです。
更に曇り予報だった当日の天気が朝から晴天で完全にゴリラ達の楽園になってしまいました。

9時45分にKEIMASAのいるAブロックがスタートしました。
本来ならそこから5分ほど開けて次のブロックがスタートしますがまさかの30秒後にスタートです。
更に続いて私と海崎さんのいるCブロックがスタートしました。
直前にトイレに行きたいと思ってしまった私はあまりにも早いスタートによりトイレに行く事ができず結局最初から最後まで走り切る羽目になりました。

レース直前の光景
後ろにBブロック、Cブロックが並んでいる

トラブル連続のレース展開

スタートしてすぐに集団が出来上がります。
パッと見て1つの集団に50人以上はいます。
平坦のみのステージのために集団が全く切れる事なくほぼ密集状態で100km以上を走行する事になりました。

走行を始めて8kmほど走った頃でしょうか。
かなり幅が大きな道を走行していた際に急に集団が左側へと寄ります。
最初は『もうすぐ右カーブでもあるのだろうか?』と思っていましたがそうではありませんでした。

なんと右側で集団落車が発生していました。

レースなので落車等のトラブルは避けては通れませんがまさか開始してから数キロのところで落車が発生しているとは思ってもいませんでした。

更にその集団を発見した際にかなり嫌な予感がしました。

そしてそれがすぐに的中します。

落車している集団の先頭にKEIMASAがいる事を発見してしまったのです。

プロのレースで落車を見ると『あーあー、やっちまったなー』と思うことはありますが、実際に自分の知り合いが巻き込まれているのを見ると血の気が引きます。
すぐさま集団に「知り合いがいる(この集団から)から抜ける!」と伝えてKEIMASAの元へ駆け寄りました。

幸いにも本人は立っており外傷等は見当たりませんでした。

私「大丈夫か!」
KEIMASA「いいよ行ってて!身体は大丈夫。」

チーム戦ではありませんがすぐに彼を引く準備はしていました。
しかし自転車を起こしていないのを見た時点で機材トラブルがあったんだなとはなんとなくわかっていました。
私は彼が後から来てくれるというのを信じて走り始めました。

後々聞きましたが200人以上の集団での落車に巻き込まれてしまいホイールとハンドルに大きな損傷があり再走行は不可能ということでリタイアする事になってしまいました。

今回は順位を狙いに行くと言っていただけに本当に残念です。
しかし大きな怪我をしていないと言うのを知って本当に安心しました。

レース中はずっと本人の安否の心配をしながら走っていました。

本人が動画を投稿したのでその時の動画を載せておきます。


レース再開

集団からは大きく話されてしまいましたが偶然居合わせた5人と協力して前の集団に追いつく事ができました。
その後はほぼゴール前まで同じ集団で走る事になりました。

ドイツのレースでは集団ができた際、5人目以降の列からは基本的に2列で走ります(なぜかはわかりません)
そこから先頭の気がすむまでひたすら集団を引っ張り上げます。
プロのレースなら一定時間先頭が集団を引いた後に一旦離れて2番目、3番目の人が集団を引きますがアマチュアでは後ろから元気な選手がバンバン前に出て集団の活性化を図ります。
引かれるだけではつまらないから積極的に前に出てレースを楽しみたいという考えです。

私は集団を引く気はさらさらないので基本的にはずっと集団の10列目の右側(風の抵抗が最も少ない場所)を走っています。
しかし集団がのんびりしてくると『誰か前に出てくれないかな』と言う雰囲気が一気に出るので『じゃあうちが出るわ』と言うことで何度か先頭を走りました。
せっかくの機会なので私もレースをしている感覚を味わっておきました。

今回の平均巡航速度は約38kmです。
最初の1時間だけ時速40kmでした。

普段は全く補給をしませんがレースの際には必ず必要になるので今回は固形の補給食を用意して1時間おきに食べていました。
持ってきた量が多過ぎたので余った分は横のお兄さんにも分けわけしました。

最初から最後までこの規模の集団で走り続ける

新たなトラブル

レース半分の60kmを過ぎた頃でしょうか。
レース出走直前にトイレに行けなかった反動がここで来ます。
膀胱が破裂しそうです。
『機材トラブルか落車、降りなければいけない状況になったら考えよう』とずっと思いながら走っていましたが幸か不幸か全く機材トラブルがありません。

しかし不謹慎な事を考えた罰が突然下ります。

集団の5列目を走っている際に先頭走者がなんらかのミスで突然落車したのです。

偶然にも列の左側を走っていたのと(日本とは逆で左は追い越しエリアのため常にスペースがある)先頭走者が見えた瞬間に『あっ、あの人こける』と直感で集団から離れたこともあってか落車に巻き込まれる事はありませんでした。
落車した人の後ろにいたローディーは残念ながら巻き込まれてしまいました。

横の人からは「やっぱり安全が1番だな」と言われ「まったくだ!」と強く共感した返事をしました。

本来ならここでトイレ休憩を取れば良かったのですがその事を一瞬だけ忘れてしまい再び走り出してしまいました。

更に10km程走ると集団の先頭走者が突然茂みに自転車ごと突っ込みます。

『えっ!?また落車!?』と、思いましたがなんとそのローディーは私以上にトイレの我慢できなかったらしくそのまま茂み突撃したそうです。

なるほど、その手があったか。

しかしそう思った時には運悪く集団が横4列になり、その中央にいたため集団から抜けられませんでした。
諦めてそのまま走りますがいつ漏らしてもおかしくないような状況でした。

『自転車は後で洗えば良いからこのまま漏らすか

もう思考回路がとんでもない事になっています。

このような状況でも脚は動くんですよね。

その直後に今度は道の端で落車により完全に動けない状態で救急隊員に保護されているローディーを目撃します。

真っ二つのロードバイクを見て頭の中は大混乱です。

90kmあたりで前日に試走したコースに入りました。
道が一気に狭くなり3列、4列だった集団が再び2列になりました。

更に森へ突入したため道が暗くて段差に対応できません。

『よし、漏れたら諦めよう』

訳のわからない覚悟を決めました。

幸いにもゴールするまで膀胱が耐えてくれましたがいつ漏らしてもおかしくない状態で走り続けていたのでやっぱりロードバイクとトイレ事情は重要な問題ですね。

一瞬だけなかなか揺れる石畳を走らされたのは狂気以外の何物でもありません。

話を戻して…集団の中には女性ローディーが2人いました。
かなり序盤の段階で見かけていたので『この人達速いなー』程度に思っていましたがなんとこの2人は集団を引き始めます。
集団を10km以上引っ張り続けていました。
その際の巡航速度は約38〜36kmです。
レース開始時からほぼずっと一緒に走っていたお兄さんと一緒に「あのお姉ちゃん達やべぇな!」と驚いていました(そのお兄さんとはレース後に写真を撮ったので最後の方に載せておきます)

あっという間に115km地点から徐々に集団がゴールを意識し始めて速度が上がり始めます。
この時点で足に限界を迎えたローディー達が次々と集団から切り離されていきます。
前からは同じような理由で単体走行をしていたBブロックのローディーが何人もいました。
ほぼ先頭を走らなかった私は体力的にも余裕があったので常に先頭の3番目から5番目あたりの位置を陣取っていました。
そのため集団の速度が上がった際にも反応する事ができたので置いていかれることはありませんでした。

120kmを過ぎてミュンスターの街中へ突入します。
125kmのコースですが正確に言うと123kmだそうです。

KEIMASA CYCLEの動画でもよくKEIMASAが言っていますが順位関係なくその集団で走り続けたのであればトップでゴールラインを通過したいと思うのは当然のことです。
『さぁ、いつ誰が飛び出すんだ!』と思ったラスト1kmを切った瞬間に女性を含む3人が集団から飛び出します。
誰が飛び出すかを今か今かと待っていた人達ばかりなのでその飛び出しを皮切りに一気に集団の速度が上がりました。
私はスプリント(全力漕ぎ)は大の苦手ですがこの時ばかりは全力でスプリントします。

日本でのレース経験はないので違いが分かりませんがゴール前の気迫は中々のものです。
雄叫びを上げながらスプリントをしている人までいます。
もはや漫画の世界です。

そんな中、この集団スプリント合戦を勝ち取ったのは先述した女性ローディーの1人でした。
最後のスプリントにて私は時速50kmで走行していたので彼女はそれ以上のスピードでゴールラインをぶち抜いた事になります。
私の実力からすると彼女の実力は圧倒的でした。
それを目の当たりにして『プロの世界でしか見たこと無かったけど、ヨーロッパの女はマジで強いんだな』と驚愕していました。

約123.11kmのコースを3:12:54で走り切りました。
順位は847人中544位、年代別で260人中163位でした。
私としてはまぁ良い感じに走っていたつもりではありましたがゴリラ達の壁は思った以上に厚かった事を実感しました。

来年は登録速度を38kmに上げて今年の自分を超えたいです。

ゴールはプロと同じゴールゲートを通る

フルではありませんがNaoくんが撮影してくれた動画があるのでそちらも載せておきます。
雰囲気だけでも感じ取ってくれれば幸いです。

今回の記録は以下のとおりです。

最高速度はゴール前での54.1km
先日お迎えしたパワーメーターを実装して初めてのレースだった

レース終了

スプリント合戦をした人達と走り切った喜びを分かち合いながらある場所へ向かいます。
ドイツのレース後には必ずお世話になるビールコーナーです🍺
レースイベントなので用意されるものはアルコールフリーですがそんな事はお構いなしにみんなで乾杯します。

その際にずっと一緒に走っていたお兄さんに話しかけられます。
途中から『この人ずっと一緒だな』と思っていましたがなんと最初から最後までずっと一緒に走っていたそうです。
名前も全く聞いていませんでしたがこう言う出会いがあるのがレースの醍醐味だと思っています。

老けて見えるがおそらく年下

私達より先に出走したNaoくんとTaroさんを探します…この大人数のローディー達の中、なぜか1発で見つけました。
無事に完走できたようで安心しました。

携帯を確認したらKEIMASAから連絡が入っており、落車の時点でリタイアして既に帰路に付いていると言うのを知りました。

この場に彼がいないのは本当に残念です。
無事と言う事を知れたので本当に安心しました。
しかし自転車は残念ながら修理が必要な状態のようです。

かなり辛いとは思いますが少しだけ休んでまた走り始める日を待つとしましょう。

その後会場内のトイレを探し回り事なきを得たタイミングで序盤で置いていった海崎さんがゴールしました。

その後は4人で前日のレース受付時にもらえたパスタ無料券を使い即席お疲れ会を開きました。
海崎さんだけ車に置いてきてしまったので自腹です。

Naoくん(左)と私は脚質がほぼ同じタイプ
そして同じ年齢でもある
偶然にも共通点が多い

もう少し長く話していたかったのですがNaoくんとTaroさんはこの後片道7時間以上の帰路が待っています。

後ろ髪を引かれる思いはありましたが距離が距離なのでここで解散しました。
私は海崎さんの車に乗せてもらいレースの話をしながら帰路につきました。

不運な事が多々ありましたが最後まで走り切れたのは本当に運が良かったです。

ちなみにNaoくんは今回のレース後にTwitterを始めました
もし良ければ荒らしてあげてください。


長くてあっという間だったレースイベントも終わりです。

同時に今年のロードバイクシーズンも終わりを告げました。

来シーズンは9つのレースイベントに参加する予定です。

そこら辺はまた追々書くとしましょう。

みなさんも怪我には本当に気をつけて2022年の残りの2ヶ月間を楽しんでください。

それではまた。

集団走行の楽しさを味わうと同時に怖さも痛感したレースだった


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