滝山城跡  2万の武田信玄の軍勢に2千の北条勢が守り抜いた滝山城

画像1 こんにちは~、たぬきです。戦国山城ファン必見の滝山城跡に行きました。無料駐車場があります。
画像2 昭和26年に国史跡に指定された滝山城跡は、中世城郭の最高の傑作と言ってもいいくらい、空堀、土塁、馬出等の遺構を見ることができます。1521年頃に多摩一帯を治めていた大石氏により築城と伝えられています。のちに、小田原から勢力を広げていった北条氏の支城となります。城を継承した北条氏照のもとで大拡張が繰り返されました。河岸段丘の地形を見事に活かした滝山城は、関東屈折の城と言われていました。
画像3 公園入口の手前でしいたけの直売所を発見。お金を、ボックスにちゃりん。(もちろん、買いました)(笑)
画像4 公園入口から歩き始めると、すぐに上り坂です。三の丸付近は雄大な空堀が続きます。
画像5 三の丸付近は、三方を空堀(水を入れない堀)で囲まれています。攻めのぼる敵側にとっては、大変な脅威にさらされる場所で、侵入するのが難しそうです。
画像6 ここは、千畳敷址。滝山城跡の中で、最も広い広場で千畳敷と呼ばれています。一辺が60mの正方形に近い形をしており、東側には、「二の丸」を守る兵馬が控えていたと考えられる「角馬出し」があります。千畳敷は、城下の民が年貢を納めたり、陳情に来る役場的役割があったのではないかとありました。
画像7 滝山城の最大の特徴ともいえる複雑な地形を巧みに活かして構成された縄張からは、北条氏の築城の力の高さがうかがえます。
画像8 ここは、馬出(少人数で守れる出入り口前の防衛設備)馬出があることにより大変堅固な守りとなり、守備する城兵の出撃が容易になったとあります。
画像9 本丸址には、石碑があります。屈折の堅城との呼び名も高く、1569年頃には、武田信玄が率いる2万の軍勢からの猛攻に対し、わずか2千の北条勢で守り抜いたと言われます。
画像10 中の丸からの眺望。多摩川から狭山丘陵まで見渡せます。
画像11 引橋。平成になって設置された木製の橋。かつての滝山城では、さらに低い位置に架けられ、戦の時には外すことができたと言われています。
画像12 中の丸址です。平成29年には、「続 日本百名城」に選ばれています。公園全体が「都立滝山自然公園」の中にあり、豊かな自然とともに、桜の名所としてしられています。
画像13 気軽なハイキングでも、油断大敵。帰りは、道を間違えてしまい、狭い道に倒木を見た時は、ハラハラドキドキ。手入れされていない場所が続き、無事に、滝山街道へ出られるのかヒヤヒヤしました。
画像14 笹いっぱいの場所へ踏み入れた瞬間に、この先の堀は登れないと降参して、元のルートに戻りました。ちょっと、怖かった。今日もお忙しいところ、お読みいただきありがとうございました。次は、桜の季節に訪れたいと思います。

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