日本における罪刑法定主義の継受と発展

  本稿は、私がロースクールの課題として提出したレポートです。刑法学説史のまとめノートに近いですが、備忘録にのせてみました。


1.テーマ設定・検討の手法

授業で扱ったのは、近代刑法の父たるフォイエルバッハが罪刑法定主義を提唱するに至った歴史的な経緯であった。もっとも、現代における罪刑法定主義の観念はフォイルバッハによって完成されたわけではなく、その後の20世紀には罪刑法定主義を廃止すべきという議論も乗り越えて、罪刑法定主義は現代では刑法のもっとも基本的な原則として確固たる地位を承認されるに至っている。したがって、現代における罪刑法定主義の観念を理解するためには、フォイエルバッハ以降の刑法学説における議論の参照が不可欠であり、本レポートはそこにフォーカスしようというものである。

 本レポートは、以下のように検討を行う。まず、フォイエルバッハによって提唱された罪刑法定主義の議論が19世紀以降のヨーロッパでいかなる形で展開されたのか検討する。明治日本では、近代国家の樹立に向けた法整備として旧刑法が1880年に制定されるところ、いかなる形でヨーロッパの議論が継受されたかのか検討する。そして、戦後・戦後を通じて日本の刑法学説が高度に発展する中で、罪刑法定主義の観念がいかに影響を与えているかを検討する。最後に、これらの議論を踏まえて、最新の刑法改正の動向を参照しつつ、罪刑法定主義の現代的意義を論じたい。


2.罪刑法定主義の成立とヨーロッパにおける展開

(1)前期古典学派

 前期古典学派は18世紀後半から19世紀初頭までに確立し、アンシャン・レジームにおける罪刑専断主義・刑罰の苛酷性に対する批判として、啓蒙思想に基づき理論化されたものである。アンシャン・レジームでは、王権神授説のもとで宗教的権威と結びついた、絶対王政における王の権威を示すものとして、一般威嚇思想が強調された。一方で、啓蒙思想では刑法制度を人間の合理的理性により基礎付け、刑罰権の根拠を社会契約とし、罪刑法定主義・法と道徳の峻別などを特徴とした。

 イタリアのベッカーリアは、『犯罪と刑罰』(1764)の中で、市民が社会契約によって供託した自由の総和として刑罰権を基礎付けた。そして、この原理から「何が犯罪であり何がそれに対して課される刑罰か」を前もって法律で定めることが不可欠であるとし、ここでは身分の差によらない刑法の平等な適用、罪刑の均衡まで主張された。

 これらの主張を一層論理的に体系化したのが、ドイツのフォイエルバッハである。カント哲学にしたがって法と道徳を峻別し、犯罪は法の違反であり権利侵害であると把握した。心理的強制説に基づく刑罰の予告による一般予防を主張し、この観点から犯罪と刑罰を一般人に知らせる必要があり、罪刑法定主義を刑法理論として基礎付けたのである。

 前期古典派では、罪刑法定主義を形式的な三権分立から貫徹させ、裁判官の裁量の余地を否定した。また、一般予防という刑罰の目的性の観点を重視し、法定刑は固定的なものであった。犯罪は社会的害悪であり、これを防ぐ目的で刑罰が設定されるという、功利主義があり、ベンサムの影響を強く受けていた。

 これらの理論は、主にフランスで展開された新古典学派において変質していく。1791年フランス刑法は、ベッカーリアの影響を強く受け、アンシャン・レジームの刑罰の苛酷性を否定したが、1810年フランス刑法(ナポレオン刑法典)では、犯罪の鎮圧という功利主義の発想から刑罰は厳格化・固定化した。そこで、自由主義思想の発展に伴い、刑罰の目的性(社会的効用)と応報性(正義の観念)を折衷する形で、新古典学派が形成され、19世紀後半までには支配的な学説となった。


(2)後期古典学派

 ドイツにおいても1840年代以降、民族精神の高まりの中で、前期古典学派の刑法理論は変質していき、形而上学的な応報思想が強調されるようになった。これには絶対的応報刑論を主張するカント・ヘーゲルの観念論の影響がある。カントは、刑罰の根拠を他の前を促進する手段ではなくその者が罪を犯したからという正義の観念としての応報に求め、同害報復の法理による絶対的応報刑を主張した。ヘーゲルは、精神の弁証法的展開の中で、人倫が家族・市民社会と高まっていき、国家において客観的精神の最高段階として、完全かつ具体的に発現されるとした。ヘーゲル学派では、犯罪を客観的形態における人倫・道義としての法の侵害として捉え、刑罰を法の回復であるとして、道義的応報の観念を主軸とした刑法理論が展開されたのである。

 1870年代には、後述の近代学派との対決の中で、法実証主義とドイツ観念論に影響された後期古典学派が成立した。主な論者は、ビンディング、ビルクマイヤー、ベーリングがいる。理論の内容は一様ではないが、形而上学的な自由意思の存在を肯定し、自由意思によって犯罪行為をしたことの道義的責任を認め、その犯罪行為に対する応報として刑罰を科すものとした点では一致する。ここでは、国家の道義的優位性が前提となる権威主義的側面が指摘できる。後期古典学派においても自由主義的要素があり、特にベーリングは『犯罪の理論』(1906年)の中で、罪刑法定主義の遵守を至上命題に掲げ、犯罪を輪郭付ける構成要件論を確立した点が注目される 。

 前期古典学派との対比では、刑法と道義の区別がない点で差異があり、一方で客観主義的な犯罪論を構成する点において共通性があるといえる。


(3)近代学派(新派)

 19世紀後半は、古典学派への対抗として、近代学派(新派)の刑法理論が確立した。近代学派の根本の問題意識は、資本主義社会の発達に伴う犯罪の激増への対処である。古典学派に対し犯罪と刑罰を法律現象としてみるだけで応報刑を主張するのは無策であると批判し、イタリアのロンブーゾやフェリーが人類学的研究に基づいて、犯罪の原因に対処する観点から、刑法理論を構築した。

 近代学派はドイツのリストによって体系化された。イェーリングの目的思想に影響を受け、刑法に目的思想を持ち込み、単なる反動としての応報から、法益保護という刑法の目的を自覚し、目的刑法を展開した。犯罪の社会的原因には社会政策をもってのぞみ、個人的原因には刑事政策をもってのぞむべきとし、処罰の対象は古典派的な「行為」ではなく「行為者」とされ、行為者の反社会的性格と法秩序に対する危険性によって刑罰が決定されるとした。ここでは、刑罰は応報ではなく社会防衛という観点から正当化され、刑罰は犯罪者の社会復帰のためになされるものとされる。

 目的刑法を徹底すれば、行為を待たずとも処罰が可能になり、この意味で罪刑法定の主義の要請は不可欠ではないものの、リストは罪刑法定主義を個人主義にとっては自明であるとして、処罰の対象となる人格が客観的に認識可能になることにより処罰が可能になるとした。いまだ客観主義の枠をでるものなかった点は重要である。


(4)学派の争いとナチスの台頭

 1890年代から1910年代にかけて、近代学派のリストらと後期古典派のビルクマイヤーらの間で激しい論争が展開され、学派の争いとして著明である。しかし、1920年代には両学派が歩み寄る形で妥協が成立し、近代学派も犯罪者の反社会的性格の徵表として犯罪行為を重視するようになった。妥協として生まれた統合説は、後期古典派の基本的立場を堅持しつつ、近代学派の目的刑法・特別予防論も組み込まれた。

 1930年代に入ると、全体主義の影響が強まる中で、学派の争いの中でも前提となっていた自由主義的側面が否定され、ナチス刑法は罪刑法定主義を明確に否定するに至った。犯罪は民族共同体に対する誠実義務違反とされ、刑罰は贖罪としての応報であり、刑罰の威嚇性が強調された。ここでは、後期古典派の応報刑論と客観主義の結びつきが絶対的なものではなく、応報刑論が主観主義と結びついたことを示している。


3.罪刑法定主義の戦前日本における受容

(1)旧刑法の成立

 明治日本では、明治維新後、刑事法として仮刑律(1868年)、新律綱領(1870年)、改定律例(1873年)が制定されたが、これらは中国法系の律の系統に属するものであった。ここでは罪刑法定主義を取り入れたものではなく、類推適用なども認められたものであった。日本初の近代的刑法は、旧「刑法」(明治13年太政官布告36号1882年施行)であり、ボアソナードらの起草による。ここでは19世紀後半に至るまでのフランスにおける支配的学説であった前述の新古典学派(折衷主義刑法理論)が採用され、罪刑法定主義が明文で宣言された(旧刑法2条、3条)。明治憲法23条でも改めて罪刑法定が宣言されている。一方で、新聞紙条例など特別法による自由民権運動への弾圧に刑法が利用され、現実としては自由主義の理念による支配がなかった。

 旧刑法下では、ボアソナードの講義を受けた宮城浩蔵、井上正一らにより刑法理論が展開され、刑罰の目的性(社会的効用)と応報性(正義)を結合させるものであった。宮城は、刑罰の目的を特別予防と一般予防の双方に求め、罪刑法定主義の歴史的意義と必要性を論じ、類推解釈の禁止を主張した。

 明治20年代に入ると、江木衷がドイツ刑法を紹介し古典学派が導入され、一方で富井政章らにより近代学派(新派)の理論が導入された。岡田朝太郎は、リストの議論を参照しつつ、社会進化論に基づき主観主義的な新派理論を展開した。このような理論状況の背後には資本主義の発達による犯罪の増加があり、まさにヨーロッパの新派の問題意識が合致する現実の状況があったことが指摘される。

 そして、明治40年、ドイツ刑法の影響を受けた形で現行刑法が制定された。その特徴は犯罪類型の簡素化・弾力化であり、法定刑の幅を増やして裁判官による裁量を拡大し、執行猶予制度など刑事政策的制度を拡張した点にある。社会防衛の目的のために刑法による刑罰を利用するという目的刑法への変容が見てとれる。


(2)日本における学派の争い

 現行刑法制定後も昭和戦前期に至るまで、旧派(古典派)と新派(近代派)の間で激しい学説の対立があった。小野清一郎、瀧川幸辰らの旧派は応報刑論に基づく客観主義を維持するのに対し、牧野英一、宮本英脩、木村龜二ら新派は社会防衛論・教育刑法論のもとで主観主義をとった。

 牧野の新派理論は、社会進化論に基づき個人と社会の調和に向けた社会進化の中で、刑罰理論は反動としての応報刑論から目的刑論、特に犯罪者を社会復帰させることで社会防衛を目指すき教育刑法へと進化していくものであり、罪刑法定を重視する旧派理論は克服されるべきものとされた。刑法の積極的意義を認める反面、罪刑法定主義による個人の自由の保障への危険が十分意識されていなかったことが指摘される。これはリストが罪刑法定主義の建前を堅持し、客観主義的犯罪論をとったことと対照的である。現に牧野は思想犯保護観察法(1936年)に積極的に支持しており、昭和戦前期にかけて、新派の国家主義的・権威主義的側面を強めていくのである。

 一方で、大正期には瀧川・小野を中心に旧派が新派を厳しく批判した。小野の刑法論は、反道義的行為に対する応報として刑罰を理解し、この道義観念は国家的道義性と結びついたものであった。小野は、ベーリング、E.M.マイヤーの構成要件論を導入して客観主義をとり罪刑法定主義を基礎とするものの、その根本には国家的道義性の強調があった。

 これに対して、瀧川はマルクス主義の影響を受けた自由主義的刑法理論を構築し、階級対立の国家観を前提に、罪刑法定主義を鉄則として遵守するのでなければ、刑法が階級抑圧の道具になる主張していた。しかし、瀧川の罪刑法定主義も資本主義社会を前提とするものであったから、ソ連のような社会主義社会において罪刑法定主義が否定されても、それ自体を問題とは考えなかった。


(3)電気窃盗事件(大審院判決明治36年5月21日大審院刑事判決録9輯874頁)

 電気窃盗事件は、罪刑法定主義をめぐって新派と旧派のそれぞれで評価が分かれた事件として著明である。

 本件は、旧刑法下で、366条「人ノ所有物ヲ竊取シタル者ハ竊盗ノ罪ト爲シ二月以上四年以下ノ重禁錮ニ處ス」と定めるところ、被告人が電気を窃取したとして起訴され、電気が「所有物」にあたるかが問題になった事案である。原審は、窃盗罪の「所有物」は有体物に限られるとしたが、大審院は、「可動性及ヒ管理可能性ノ有無ヲ以テ竊盜罪ノ目的タルコトヲ得ヘキ物ト否ラサル物トヲ區別スルノ唯一ノ標準トナスヘキモノトス」と述べて、有体物でなくても、可動性・管理可能性のある物については窃盗の客体たり得るとし、電気も「物」にあたるとした。

 罪刑法定主義は類推解釈の禁止という派生原理を有するところ、本件で大審院は、刑法の文言解釈だけでなく、財産権保護という窃盗罪の保護法益との関係から、目的論的解釈を行い、拡張的に「物」を管理可能性により把握するものと解釈したと言える。

 この判例について、牧野は「刑法に類推解釈を施して刑法と社会との関係を円滑ならしめ」たと肯定的に評価した。さらにこの判例を肯定する立場からは、例えば無賃乗車のような無形の利益も窃盗の対象とする説まで登場した。

 一方で、穂積陳重は罪刑法定主義を厳格に適用する観点から「有体物に非ざる電気の窃用を以て有体物を要素とする盗罪に擬するが如きは、刑法類推の危険を虞ずして、目前の利害に拘泥し、之を一時に弥縫する姑息手段を採らんとするものなり」と評した。

 諸外国の例としては、同時期のドイツ判例は電気を有体物でないがために窃盗の客体にならないとして無罪としたものがあり、一方でフランス判例は電気を窃盗の客体として肯定したものがあり、いかに罪刑法定主義を厳格に適用するかについては、各国ごとの態度の違いがあった。


(4)構成要件論の展開

 構成要件論は、訴訟法的な罪体概念(Tatbestand)をドイツのフォイエルバッハが刑事実体法に導入し罪刑法定主義を実質化する概念として展開した。これを体系化したのがベーリングであり、犯罪類型の輪郭として構成要件を位置付け、構成要件、違法性、責任からなる三分体系を確立した。しかし、客観的に犯罪を記述する観点から、構成要件要素として主観的要素(故意・過失)を否定したため、犯罪の個別化機能を果たせず、かえって罪刑法定主義の要請に反するという矛盾を抱えていた。M.E.マイヤーの構成要件論においても、やはり主観的構成要件要素を否定したため、同様の矛盾を抱えていた。もっとも、ベーリングにおいて構成要件と違法性は完全に分離していたが、マイヤーは構成要件と違法性の事実上の関連があることを認め、構成要件による違法性の事実上の推定機能を実質的に認めた(認識根拠説)。メツガーの構成要件論は、構成要件は違法性の存在根拠であるとしてより強い関連を認め(存在根拠説)、違法性を基礎付ける限りで主観的構成要件要素も肯定した。

 古典派においては一貫して罪刑法定主義の表れとして構成要件を重視していた。しかし、新派においては犯罪徴表説を前提とし、行為でなく行為者を処罰対象と考えるから、罪刑法定主義自体が必須のものではない。それでも、新派のリストは、刑法典は犯罪者のマグナカルタであるとして、刑法の法治国家的機能を認め、また実質的には構成要件概念に行為者に徴表される危険性の明確化として意義を認めていた。

 日本においても、瀧川幸辰はベーリングの構成要件論を受容し、小野清一郎はマイヤーの構成要件論を展開した。小野はマイヤーの見解を一歩進めて、構成要件を違法・有責行為類型として論じていき、現在に至るまでの通説となっている。


4.罪刑法定主義の戦後日本における展開

(1)議論の転換

 第二次世界大戦後、現行憲法の制定により天皇主権から国民主権へと転換し、基本的人権の尊重のもとで、改めて罪刑法定主義を徹底させる重要性が認識された。すでに見てきたように日本における学派の争いでは新旧両派に国家主義的影響があり、これを排除する形で戦後刑法学は再構成された。刑罰論では、旧派・新派双方の主張が受容され、刑法の処罰根拠として応報と社会防衛目的の双方を認める相対的応報刑論が通説化している。すなわち、犯罪結果に対する応報であるとともに、犯罪予防の効果も期待できるため、刑罰が正当化されると考える 。犯罪予防としては、特別予防を強調する教育刑論は衰退し、一般予防が刑法の中心的任務になっている。これは刑罰の画一性によっては特別予防を果たすことが困難であると認識された結果であり、また特別医療法や少年法などの保安処分との役割分担が意識された結果である 。

 このようにして、戦前の刑法学は処罰の根拠と関連付けて罪刑法定主義のあり方そのものを論じてきたのに対し、戦後刑法学は、罪刑法定主義を当然の前提とした上で、国民にいかなる形で自由を保障するか、つまり国民に刑法がいかなる形で規範を与えるかという分析に論点がシフトしたと言える。以下では、違法性論、規範論の2つの視点から、罪刑法定主義がいかに深化していくかを概観する。


(2)違法性論

 違法性については、客観的違法性/主観的違法性の区別、規範逸脱/法益侵害の区別という2つのレベルがある。戦前の議論では、新派の宮本英脩は主観主義を徹底させて主観的違法論を展開した。刑法の与える行為規範はこれを理解する者のみに与えられるから、責任能力なき者の規範逸脱を観念しえないとする。もっとも、責任と違法の区別が曖昧であり、この説は支持を集めず、客観的違法論が主流となった。

 客観的違法論は、責任なき違法の存在を認め、内心から離れた外部的行為を基礎に客観的に違法性を判断するものである。この違法性の理解には大きく規範違反説と法益侵害説があり、違法性の実質について、前者は国民に与えられる刑法規範からの逸脱自体(行為無価値)と捉え、後者は法益侵害やその危険(結果無価値)と捉える。新派の牧野英一、旧派の小野清一郎は規範違反説をとり、旧派の瀧川幸辰は法益侵害説をとった。

 戦後、ドイツのウェルツェルの目的的行為論に基づく人的違法論が紹介され、木村龜二が規範違反説をとった。ウェルツェルは法益侵害の危険がなくても規範に違反すれば違法であるとする。大塚仁は法益侵害の危険を前提としつつも規範違反でない場合には違法でないという違法の理解をとり、これが日本における行為無価値論のスタンダードの理解となった。平野龍一は法益侵害の危険から一元的に違法性を理解し、法益侵害だけでは捉えきれない部分があることを大塚は批判していた。結局のところ、いわゆる行為無価値論は結果無価値を前提とする行為無価値という二元論であり、これと結果無価値で一元的に理解する結果無価値論との対立であったと理解できる。

 行為無価値論は、法益保護を刑法の目的としつつ、罪刑法定主義の要請から国民に規範を示すことを違法性の役割と捉える。結果無価値論をとる佐伯千仭からは、行為無価値論に対し、先取りされた結果無価値論に他ならないと指摘される。一方で、結果無価値論としても事前告知機能自体を否定するものではないとして、罪刑法定主義に基づく規範告知の要請に応答している。

 このように違法性論は罪刑法定主義との関係で議論が深化し、現在では究極の目的が法益保護にあること、事前告知による一般予防の要請があることの両面から、違法性の実質を基礎付ける点でほぼ一致しているように思われる。


(3)規範論

 刑法の国民に与える規範は、歴史的文脈としては、まず構成要件という行為類型として議論された。次の段階として、これをより実質的にいかなる行為が禁止されているかという観点から、違法性論における規範違反として論じられた。そして、すでに見てきた通り、違法性に関する大上段の議論では、実質的な規範の事前告知機能を果たせないことが明らかになっていると言ってよく、現在では刑法がいかなる規範を与えるかに着目する規範論の理論的重要性が指摘される。

 規範論においては、刑法規範の二面性が指摘される。刑法は国民に行為規範を与えるとともに、裁判官に国家の処罰権の発動要件を画する裁判規範(制裁規範)を与えていることが確認する。そして、高橋則夫教授はこれがハートの一次ルール・二次ルールの区別に対応すると述べる 。ハートは一次ルールとして社会生活において義務を付加するルールであり、二次ルールを一次ルールを制定・承認する認証ルール、一次ルールを変更する変更ルール、一次ルールの実効性を確保する裁決ルールを想定し、法の体系は一次ルールと二次ルールの結合であるとする。そして、刑法は一次ルールとしての行為規範と二次ルールとしての制裁規範の結合である。

 このように刑法規範の二面性を承認する意義は、次の通りである。刑法が行為規範を与えることで、事前告知による一般予防が果たされる。行為規範は法益保護のために設定され、この点で道徳的・道義的な規範とは区別される。法益保護は行為規範によって達成され、制裁規範によってではない。この帰結として、憲法的価値をベースとして保護されるべき法益、かかる法益を保護するためにいかなる行為規範を国民に与えるべきか、行為規範を遵守させるためにどの程度の制裁を課すべきか、という緻密な考察が可能になるのである。

 

5.罪刑法定主義の現代的意義

(1)罪刑法定主義の現在

 罪刑法定主義は現在ではもはや確固たる原則として確立しており、その意義は多様である。立法府に対して処罰権を行使する要件の明確化を要求し、行政府に対しては手続的正義・適正手続きを要求し、司法府に対しては要件の類推解釈を禁止し、恣意的解釈を禁止する点で、国家権力たる三権についてそれぞれコントロールを及ぼしている。ことに立法付に対するコントロールは明確性の原則として現れ、刑法規範による事前告知がなされているかをチェックするものであり、新たな立法のたびに常に問題になる。今までの議論が現実の問題として立ち現れる場面であるから、性犯罪に関する2023年の法改正も踏まえて、明確性の観点から論じることとしたい。


(2)明確性の原則の意義

 明確性の原則は罪刑法定主義の自由保障機能として刑法による禁止規範が明確でなければならないとする理論である。徳島市公安条例事件(最判昭和50年9月10日刑集29巻8号489頁)は、明確性の判断基準について「ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである」と判示した。

 この基準は、①基準の読解可能性(基準を読み取ることができるか)、②基準の適用容易性(読み取った基準が具体的状況下で法令の適用の有無を容易に判断できるか)という2要件を内包するものである 。①②いずれも「通常の判断能力を有する一般人の理解」によるべきという理解が一般的である 。もっとも、この理解には異論もあり高辻裁判官意見は一般人基準では①要件を充足しない旨を指摘する。この点、樋口教授は明確に法律家による告知で足りると理解しており、①要件については裁判官による読解可能性という理解だと思われる 。

 裁判官による読解可能性で足りると理解したときに、法が行為規範の事前告知機能を果たしているかが問題になるも、これに対してはグレーゾーンの存在の告知とセーフゾーンの告知により、自由保障が達成されるという応答が可能である。このような応答によって、①要件が①要件がより客観化され、この二重の告知がなされていない場合には、明確性が否定されるという方向性が示唆される。


(3)不同意性交・わいせつ罪創設をめぐる議論

 不同意性交・わいせつ罪は、2023年7月刑法改正により強制性交等罪に代わって創設されたが、改正刑法176条1項「その他これらに類する行為又は事由」と規定し、その明確性が疑問視されていた 。

 和田俊憲教授は、行為類型により処罰範囲が明確化され、カナダ刑法と比較する形で被害者の事前の同意の余地が残された規定であることから、完成度の高い規定であると述べている 。しかし、前述の自由保障機能・事前告知との関係で考えるならば、明確性の点で疑問を拭えない。すなわち、同意がない性交・わいせつが処罰され、同意がない場合でも形式的には同意がある場合にも8類型およびそれに類する状況がある場合には違法であるとされるのである。従って、形式的な同意の有無では処罰されるか否かが判断できず、客観的な状況が8類型やそれに類する状況にあたるか否かの基準を行為規範として、国民に与えなければ、事前告知に欠けると言える。そして、8類型は被害者において同意の意思表示に瑕疵があるとみられる客観的な状況の列挙であるが、これに類する状況まで含めれば、セーフゾーンはないに等しく、仮に何らかの基準が読み取れるとしても、事前告知機能を果たしていないものと思われる。


6.まとめ

 罪刑法定主義は、フォイエルバッハが提唱し、処罰根拠と紐づけて議論され、構成要件論などの形で展開された。ドイツでの学派の争いは、戦前の日本でも基本的な問題意識を共有する形で広がりをみせ、その中で罪刑法定主義の意義が論じられていた。罪刑法定主義が、最終的に確固たる刑法の基本原則となったのは、現行憲法の制定により国民主権へと転換し、戦前の国家主義・権威主義への反省を経てのことであった。

 戦後日本における刑法学は、罪刑法定主義そのものを論じるのではなく、罪刑法定主義による告知機能、行為規範の告知をいかなる形で体系化するかという観点から、違法性論を中心に議論されていた。そして、現代においては、規範論として新たな展開を見せるに至っている。

 規範が与えられているかという観点は、罪刑法定主義の派生原則である明確性の原則によって立法府へのコントロールとして実際的に重要な現代的意義がある。昨年の刑法改正・不同意性交罪創設においては、この点が問題になりえるのである。


7.参考文献

内藤謙「刑法理論史(外国)」『刑法理論の史的展開』(2007、有斐閣)526-555頁。

丸山雅夫「構成要件論の系譜」井田良他『刑事法学の系譜』(信山社、2022)175-200頁

内藤「刑法理論の歴史的概観(日本)」、前掲注1)556-585頁。

日沖憲郎、別冊ジュリストNo.27, 12頁

前田雅英「相対的応報刑論」、法学教室No.128、49頁

松宮孝明「今日における刑罰の体系と刑罰論についての覚え書き」、前掲注2)57-71頁

曽根威彦「違法論の系譜」、前掲注2)201-226頁

山中敬一「規範論の系譜」前掲注2)151-173頁、増田豊『規範論による責任刑法の再構築 認識論的自由意志論と批判的責任論』(勁草書房、2009年)1-60頁

高橋則夫「刑法に行為規範と制裁規範」『規範論と理論刑法学』(成文堂、2021)1-20頁

木村草太、別冊ジュリストNo.245、179-181頁

木村昌彦他編『精読判例憲法[人権編]』(弘文堂、2018年)304頁

樋口亮介「「罪刑法定主義」は何を要請するのか―明確性の原則を素材として」『法律時報』95-3(2023)6-14

埼玉弁護士会会長声明https://www.saiben.or.jp/proclamation/001233.html(2024-2-9閲覧)

和田俊憲「【論説空間】「性犯罪神話」刑法改正で変えられるか」東大新聞オンライン、2023年11月12日、https://www.todaishimbun.org/keihokaisei_20231112/(2024年2月9日閲覧)

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