令和6年4月3日弾劾裁判所判決(岡口事件)の感想

1 本稿の方針

 4月3日、岡口基一判事の弾劾裁判の判決がだされ(以下、本判決という)、岡口判事の罷免が確定した。本判決は、弾劾裁判の特殊性もさることながら、裁判官の表現の自由といった人権問題のみならず、裁判所と国会の関係という統治の問題にわたり、数多くの憲法上の問題を含むものである。

 これらの諸問題について、本稿では、論点を提示するとともに、これらの点にいて私見を示したい。なお、本稿はただの個人の感想なので、とくに論拠は示さない。


2 岡口事件の概要

⑴    前提事情

岡口判事は、現職の裁判官であったところ、「岡口基一」という個人名でツイッターアカウントを有しており(フォロワーは約4万人)、法的な問題を含む事件を発信することを日課としていた。その際、簡潔にニュース記事を要約することで、事件を紹介していた。

岡口判事は、二度目の判事任命書の画像とともに、「これからも、エロエロツイートとか頑張るね。自分の裸写真とか、白ブリーフ一丁写真とかも、どんどんアップしますね」などとツイートしたこと(2014年4月23日ごろ。岡口判事はすぐに削除した)、行きつけの飲み屋で面白半分で上半身裸になり胸のまわりを縄で二周縛ってもらった画像を載せたツイートしたこと、などを理由として、2016年6月21日東京高裁長官から口頭厳重注意処分を受けた。


⑵    第一事件(刑事事件)

特定の性犯罪事件(以下、刑事事件)の検索URLとともに、「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男」、「そんな男に、無惨にも殺されてしまった17歳の女性」とツイートした(2017年12月13日ごろ)。遺族から不愉快との抗議うけ、直後に岡口判事は当該ツイートを削除した。この事件について、2018年3月15日東京高裁長官の書面厳重注意処分がなされた。


⑶    第二事件(犬事件)

犬の返還請求訴訟(以下、犬事件)の報道記事のリンクを貼った上で、「公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3か月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて、『返して下さい』 え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら‥ 裁判の結果は‥」とツイートした(2018年5月17日ごろ)。犬事件の原告であった元の飼主から抗議がなされた。犬事件のツイートについては、分限裁判により岡口判事に対する戒告処分が確定した(最高裁判所平成30年10月17日大法廷決定)。

 

⑷    弾劾裁判

刑事事件については、岡口判事はこのほかにも、「内規に反して判決文を掲載したのは東京高裁」と東京高裁を批判するツイートをしたほか、裁判官訴追委員会が「遺族を担ぎ出した」との見出しのブログを投稿するなどした。訴追委員会は、これらを訴追事由として、裁判官弾劾法2条2号の「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき」にあたるとして、令和3年6月16日、岡口判事を弾劾裁判所に訴追した。


3 本判決の論理構造

⑴    事実認定

本判決は、岡口判事が訴追事由となった各ツイートについて、第一事件について、岡口判事に、性的好奇心に訴えて興味本位で判決の閲覧を誘引する意図などの不当な動機・目的を認定していない。

また、第二事件について、原告による民事事件の訴訟提起を一方的に不当だとする評価を示したものとは認められないとしている。


⑵    法律上の争点

本判決は、法律上の争点につき、岡口判事の各ツイートを一体として評価して罷免事由(弾劾法2条2号)の判断をすることが許されるか(争点1)、罷免事由の有無(争点2)の2つと整理している。


⑶    争点1

争点1の意義は、一体的評価がゆるされるのであれば、個々の具体的行為(岡口判事の各ツイート)の悪質性が強くなくても、あるいは具体的な行為としては訴追期間を徒過している場合にも、これらを全体として評価して、罷免事由の該当性をみとめうる点にある。

本判決は、この点について、罷免の判断の対象は個々の行為を中核におくことは当然としつつも、「究極において潜在的には裁判官の人格」であるとしており、「数個の行為が行為者の同一の人格態度の発現と客観的に認められる場合には、「事実関係の一体性」があるものとして、包括して判断することが許される」とした。

もっとも、弾劾法が「とき」という文言、訴追期間が設けられている趣旨から、いわゆる人格裁判の危険を指摘し、本判決は包括的評価が許される客観的基準が必要であるとする。その基準として本判決は、「その行為主体の全行為体系の中で、他から識別しうるだけの特性を有しているかどうかをもってこれを判断することが相当である」とした。その考慮要素としては、相手方の共通性、動機・目的・行為態様の類似性、密接な因果関係等や、時間的接着性を挙げた。

 結論として本判決は、判断の対象を、刑事事件に関する行為群、犬事件に関する行為群の2つと特定した。


⑷    争点2

ア 争点2の判断枠組み

本判決は、争点2の判断について、非行で当たる場合であったとしても、「裁判官としての威信を著しく失う」程度に達する者かどうかを慎重に判断しなければならないとして、2段階の判断枠組みを採用している。

イ 非行該当性

裁判官という地位には、単なる専門性だけでなく、人格的にも一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位が必要であると述べ、非行該当性の判断については「裁判官という地位に望まれる「一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為」であるかによって」「健全な常識に基づいて、慎重に」判断する、とした。

刑事事件に関する行為群では、「積極的に被害者を傷つける意図」はなかったものの、「結果として何度も執拗に遺族を傷つけることになった」と評価し、健全な常識に基づいて判断しても、一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為であり、非違行為該当を肯定した。

 犬事件に関する行為群では、個別的な行為は、犬事件の原告による民事訴訟提起行為を一方的に不当とする認識ないし評価を示したとまでは認められず、当該訴訟当事者本人の社会的評価を不当におとしめたとまでは言えないものの、他方で、全体的にみれば、当事者を傷つけるものと認められることや、被訴追者の意図を実現する表現としては他に選びうることなどの問題があったことを指摘し、全体としてみると非行に該当するとした。

 本件訴追以降に、訴追者が再任希望を行わなかった事情は考慮されなかった。

ウ 「著し」さ

 非行が「国民の信託に対する背反」に達する程度なのかどうかは、「非行」の悪質性にかかわるとしている。

 刑事事件の行為群に関して、岡口判事のツイートが不法行為法上違法となっていること、裁判官は職責を離れた私生活でも職責と相いれない行為をしてなならず、慎重に行動する義務の存在(最大決平成13年3月30日裁民201号737頁)、現に生じた被害者遺族の精神的苦痛の大きさ、を指摘する。

一方で、裁判官の表現の自由との調整の観点も考慮する。情報の急速な伝達、時と場所を選ばない、種類の多様性などのSNSの特性を指摘し、発信者の意図に反し、他者を精神的に傷つける投稿が社会に広く拡散する危険性があり、これを岡口判事においても認識していたことを指摘した。これを踏まえて、高裁批判、訴追委員会批判を除く投稿について、岡口判事に悪意がなくても、表現の自由の行使として裁判官に許容される限度を逸脱したものとされた。

 犬事件については、犬事件の原告は犬事件ツイートには東京高裁に抗議しているものの、そのほかには抗議をしていないため、行為の悪質性が低いものとされた。

エ 結論

 したがって、刑事事件に関するツイートについて、高裁、訴追委員会に対する批判を除いて、罷免事由となる。


4 論点の検討

⑴    罷免事由の判断の対象

本判決は、罷免事由の判断の対象を究極において裁判官の人格であると述べる。

判断の対象を具体的行為に閉ざされていると考えると、個別の行為の罷免事由該当性のみが問題となり、複数の行為を包括して罷免事由該当性を判断することは許されない。このような考え方には、メリットとして自由保障機能を指摘できる。すなわち客観的行為のみが罷免の判断対象となるから、罷免事由として規定されていない行為をもって罷免事由とすることは許されないから、裁判官としての規範が明確に与えられることになる。

 他方で、判断の対象を人格であると考えると、具体的行為は裁判官の1個の人格の表徴ないし発露であり、具体的行為は裁判官として不適格な人格を推認するような間接事実になるにすぎない。このような判断は、個別具体的な総合判断を可能にする。

 では、本判決は、これらの2つのメリットをどのように理解しているだろうか。

そもそも、人格判断とすることの可否については、本判決では何も述べていないため、論理を補う必要がある。弾劾裁判は、裁判官たる地位を一方的にうしなわせるものであり、憲法上の身分保障(憲法78条)に対する例外として規定され、国会において構成される弾劾裁判所が行う(同64条1項)。これは、民主主義の契機であって、民主的基盤のない司法に対する国民の代表者たる国会の監視と統制がその本質とされ、三権分立を担保する相互監視の一部になっている。したがって、弾劾裁判には、裁判官の職業の自由に対する重大な制約の可否を判断する側面の他に、国民が裁判官の適性を判断する側面があるのである。そして、司法権の行使に国民を従わせる司法の権威を確保するためには、国民の裁判の公平性への信頼が不可欠であり、その信頼はことに我が国においては裁判官の人格的廉潔性に対する信頼によって確保される特性がある。したがって、裁判官の適性判断は、その能力と人格の総合評価となるといえる。

本判決の構成は、人格を判断する複数の具体的行為を行為群として特定する。ここでは人格を対象としつつも、人格態度の発現となる「事実関係の一体性」のある限度で人格判断の基礎となる行為群を特定することにより、行為ベース判断のメリットである自由保障機能への配慮がなされている。このようにして、裁判官に対する信頼を確保する民主政の要請をベースとしながらも、裁判官の自由保障の要請にもこたえており、両者の要請の調整が図られている。

もっとも、疑問があるとすれば、行為群の考え方の採用という2つの要請の調整の仕方の妥当性である。刑法では、通説によれば、結果発生の危険性に着目して、その危険の高まりの中で、実行行為が判断される。もっとも、結果発生にむけられた行為者の主観の外部的な発現として行為をとらえる見解もある。しかし、いずれにしても個々の行為が連続して1個の処罰対象行為を形成している点には変わりなく、個々の行為の連続性は不可欠の要素である。ここでは行為は一定の目的(犯罪という構成要件的評価を離れた主観的目的)のために積み重ねられるものであるという理解が背後に働いている。

私見によれば、行為者の行為に一定の積み重ねがあることは、行為がどこまでも細分化できることの裏返しとして、一定の包括的評価はやむを得ないものであろうと考える。結局のところ、包括的にとらえてよいという客観的基準が問題になるに過ぎない。本判決では、「その行為主体の全行為体系の中で、他から識別しうるだけの特性を有しているかどうかをもってこれを判断する」という基準と、相手方の共通性、動機・目的・行為態様の類似性、密接な因果関係等や、時間的接着性という考慮要素を挙げており、客観的基準が示されることにより、対象とされる行為群を特定している。したがって、実質においては、対象行為(行為群)の基準を明確に示しており、本判決が人格判断に陥ったという批判は妥当ではないと思われる。


⑵    弾劾事由の判断枠組み

ア 全体の枠組み

 本判決の弾劾事由の有無の判断について、大きな構造としては、非行性判断とその程度(著しいこと)の2段階により、判断されている。これらについて、まずは判断の枠組みの論理的構造を検討する。


イ 非行性の判断枠組み

本判決における非行性判断の構造は、裁判官に望まれる「一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為」か否かの一元的判断であり、当該行為にいたる経緯、行為の社会的影響等のすべての事情を考慮する、総合考慮である。そして、品位を辱める行為をしてはならないという倫理規範が内在していることも指摘されている。

あてはめレベルでは、刑事事件に関する行為群について、「きわめて軽率だった」とか、「岡口判事は接客的に遺族を傷つける意図がなかったものの、結果として何度も執拗に遺族を傷つけることになった」と評価している。また、犬事件の行為群では、表現行為手段として他に選びうる手段があったことも指摘される。

これらを合わせて考えると、本判決は、裁判官として与えられた規範からの逸脱とそれによって生じた結果の重大性により、非行該当性を判断していると思われる。もっとも、非行があるかどうかの判断であり、その非行の程度は後述のように「著し」さの中で判断されている。

この判断における疑問は、被訴追者による行為の悪性の認識までは必須ではないとされた点である。いわゆる刑法上の故意は、行為者において刑法の規範が与えられ、刑法の規範を乗り越えたものとして行為者の責任を追及するためには行為の認識が必要であるという観念に基づき、これが刑事責任の原則である。しかし、過失犯においては、具体的な状況下において、具体的行為者に与えられた注意義務に違反する行為について、さらに処罰可能とされる。これとパラレルに考えるのであれば、結局のところ、規範が与えられており、これを乗り越えたのであれば、十分に非難可能であり、悪質性の認識は規範が与えられたことを基礎づける事情にすぎないと説明可能である。

 本判決では、刑事事件投稿について、遺族がその投稿により「自分の娘を汚されたように感じるというのは当然のこと」であり、「被訴追者の行為は極めて軽率」と言及している。いずれの投稿についての評価は「遺族の感情を深く傷つけた」ことをあてはめ・評価の結論としているものの、客観的に「軽率」であったことが強調されており、規範が与えられていたことを当然の前提としている。

 このような検討の下では、非行性の本質について規範違反を前提とした結果の重大性ととらえることができるから、悪質性の認識が必須の要素でないこともありえる論理構成である。


ウ 「著しい」ものかの判断枠組み

本判決は非行であることに加えて非行の程度が悪質であって、「著し」いものであることまで要求している。本判決は、この悪質性の判断の中で、裁判官の表現の自由の保障がおよぶことを指摘している。この2段階の判断枠組みは、買春の事例では取られていなかったところ、表現行為に特有の判断枠組みのように思われる(なお、筆者は本判決の他は、平成13年11月28日判決を除き、弾劾裁判の判決文にアクセスできていないため、検討は不十分である)。このように、あえて2段階目の悪質性の程度において表現の自由の保障を考慮して非行がみとめられてもなお罷免を否定する場合があると認めることは、表現の自由がある種の違法性阻却事由のような位置づけになっていることが指摘できる。

判断基準については、本判決は「国民の信託に対する背反」という基準を定立しており、その具体的判断においては規範違反の程度と結果の重大性の程度によって判断されていると整理できる。

規範違反の程度を基礎づける事情としては、SNSの危険性と被訴追人の危険性の認識があげられる。すなわち、本判決は、SNSについて、不特定多数に拡散される中で、発信者の意図に反し、他者を精神的に傷つける投稿が社会に広く拡散するという事態が往々にしてみられること、すなわちSNS意図しない加害の危険性を指摘する。また、本判決は被訴追人がSNSに通じており長年にわたって多数の発信をしていたことで、このような危険性も熟知していたと認定した。そして、その危険性を踏まえて他者を精神的に傷つけないように配慮すべきであったとして規範違反を認定している。これは、危険性の認識が規範違反の程度が高いことを示したとみてよいと思われる。

刑事事件については、犯罪被害者の遺族の心情を執拗かつ反復して傷つけたことを指摘してその結果の重大性の程度が高いことを示し、加えて犯罪被害者支援の活動を被訴追人には犯罪被害者に対しての配慮を示すべきであり規範逸脱の程度もいっそう高いことを示している。

犬事件については、原告の社会的評価を不当に貶めたものでなく、犬事件の原告の抗議の程度が東京高裁に1回きりであったことなどから、著しさを否定している。これは、結果の重大性の程度が低いものであったという評価に基づくといえる。

 以上のように、本判決の枠組みは、規範違反と結果の重大性のそれぞれについて程度の高さを認められない限り弾劾を認めないという形で表現の自由に配慮した枠組みであるといえる。


⑶    規範設定の妥当性

ア 問題設定

本判決は今までみてきたように、枠組み自体にはさほど問題があるものではないように思われる。しかし、規範違反をベースとして非行性判断・悪質性判断を行ったのであれば、規範が明確に示されなければ裁判官の自由保障に欠け、裁判官の表現行為に対する萎縮効果が生じる。規範が示されていたとしても、表現の自由を制約するものである以上、その内容が国民の信頼を確保する目的の下で、制約が必要かつ合理的な限度でなければならない。


イ 規範の明確性

 表現の自由に対する制約が法令でなされる場合には、いわゆる明確性の原則によって、違憲性判断がなされる。この法理が弾劾裁判においても妥当するかは、さらなる検討が必要である。弾劾裁判は裁判官の独立の例外として三権分立の見地から憲法自身が設定する制度であるところ、弾劾裁判による裁判官の罷免を広く認めれば、司法の独立が害され、ひいて権力の相互監視の目的を達成できない。また、法の専門家として人権擁護を旨のとする裁判所の専門的能力に信頼をよせることが憲法の原則であり、あくまで弾劾裁判は緊張関係を維持するための例外的措置である。そして、弾劾裁判は裁判官の身分を失わせる重大な処分を決定するのにもかかわらず、弾劾裁判の結果は通常の司法手続きでは争うことができない。これらを踏まえれば、司法的な要請は強く働くというべきであり、やはり弾劾裁判においても、事前に罷免事由を法定し、かつ規範として明確でなければならないだろう。

 弾劾法は、本判決も認めるように、「著しい」「非行」という漠然とした罷免事由を定めるにとどめる。もっとも、刑法上の犯罪のように、一般人をしてもあきらかに著しい非行行為であたると判断可能な場合には、当該行為をしないようにするだけの規範が当該裁判官において与えられているから、規範としては十分である。一方で、本件のように、明らかに著しい非行といえるか判断ができないような場合には、具体的裁判において明確な基準が認定されれば足りるというべきである。というのも、事前にあらゆる行為を想定して罷免事由を具体的かつ明確に定めることは不可能であって、具体的場合において明確な基準が示されれば、立法府の恣意は抑制でき、裁判官の萎縮を招くこともないからである。

 本判決では、今までみてきたように、①判断対象たる行為群の特定の基準、②非行性判断の基準、③表現の自由による例外的な罷免の否定の基準について、具体的場合において当該行為をしないように動機づけるだけの基準が示されているといってよい。


ウ 規範の合理性

 本判決から読み取られる規範は、ことに表現の自由との関係において示されたものであるが、端的に要約するなら、「名誉棄損・侮辱表現を避けるべき契機が与えられていたのに、あえて被害者の名誉感情を毀損し、その被害の結果が重大であること」といえる。

 あくまで国民の裁判官に対する信頼を確保する観点からは私生活上の行為であっても一般人に対する名誉棄損・侮辱表現を戒めることは必要であるし、このような規範を設けること自体の合理性はみとめられるといってよいだろう。

 したがって、問題は、裁判官の罷免にとどまらず、法曹資格をはく奪するという処分の重大性を支えるだけの合理性があるかどうかである。弁護士法7条2号、検察庁法20条2号はそれぞれ弁護士、検察官の欠格事由として弾劾裁判所の罷免の裁判を受けたことを挙げるところ、裁判官弾劾法38条2項は資格回復の裁判により、両者の資格も回復できる旨を定める。弾劾裁判ではあくまで裁判官としての地位を失うにとどまり、弁護士・検察官は個別法によって資格が与えられるため、考慮すべき事項ではないとも言えそうである。しかし、あえて弾劾法により資格回復の裁判をあえて準備し、弁護士・検察官の資格にも言及していること、司法試験をベースとした法曹一元の制度がとられていることに照らせば、弾劾裁判による罷免は法曹資格そのものを失わせる処分であるといってよい。

 しかし、裁判の公正に対する国民の信頼を確保する見地から、とくに裁判官には弁護士・検察官に比して一層の人格的廉潔性を求めているのであるから、裁判官の職を解く合理性はあるにしても、法曹資格そのものを失わせるだけの合理性まであるとはいいがたい。あくまで弾劾裁判によって法曹資格をはく奪する制度の下では、弁護士・検察官の資格はく奪までも考慮した規範でなければその合理性が支えられていない。

 以上の検討からすれば、本判決で示された規範は目的との関連性は肯定できるとしても、罷免という処分の重大性を支えるだけの均衡を失しており、妥当とは言いがたい。


5 おわりに

 私の結論としては、本判決は一定の論理性をそなえているものの、その内容においては比例性を欠き、妥当でないというものである。もっとも、三権分立の建前からして、この判決の違憲性を争うことは不可能であるし、できるとすれば、岡口判事が弁護士法の違憲性を争って、弁護士資格の回復を通常裁判にもとめることくらいであろうと思われる。もし、これが認められるのであれば、本判決の妥当性は回復されるのではないだろうか。

なお、念のため繰り返すが、あくまで私個人の「感想」であって、なんら学問的な裏付けはない個人的な主張である。

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