思い立ってウズベキスタン(10日旅日記)3
プチウルルン滞在記
駅で待つこと1時間弱。寝台列車がホームに到着したっぽいので、自分の向かうべきホームを駅員さんに聞き、ホームに着いてからも不安でさらに人に聞く。を繰り返し、チケットを見せ間違いのないように列車に乗り込む。
《 本日の旅程 》
00:16 タシケントユーニー駅 寝台列車出発
06:00 マルギラン着
07:00 ヨドゥゴリク・シルクファクトリー着
→OPENは08:00
10:00 タクシーを呼んでリシタンへ向かう
国際陶器センターなどを見てコーカンドへ向かう
17:30 コーカンド駅 特急でタシケントに戻る
《 寝台列車 》
この旅行でいちばんのワクワクポイントでもあり、心配ポイントでもあった寝台列車。
まず列車の等級をどうするか。。
1等は2人部屋
2等は4人部屋
他はオープンな席 らしい。
寝台列車への憧れ(映画とかの影響)があったので。1等に乗りたい!でも
知らない人と密室に2人きりは怖すぎる(映画とかの影響)ので、2等級の4人部屋シートに。
さらに、ベッドの上の席にするか、下の席にするかでさらに迷うが、下の席にすると、上の人がいつまでも横(自分のベッド)にいたら寝れないので、自由度が高い上の席を選んでおいた。
深夜の静かな車内、同室のメンバーは若いカップルと青年。
もう寝るしかないのだけど、1階のベッドで4人で膝を突き合わして座る謎の時間の気まずさに耐えきれず、「に、日本のお菓子いる?(英語)」と言ってみたけど、受け取ってくれたのは美人の彼女だけだった。ロシア美人に人生初スパシーバをもらって浮かれつつ、何もすることがないので自分のベッドに登る。
、、、、登りたいけど登り方がわからない(梯子とかない)わからなくて苦戦してたら、彼氏の方が教えてくれる。一つしかない足掛け金具みたいなのをぺろっと出して、そこに足をかけて気合いで登るしかない。身長162cmと日本では決して低くない身長でも登るのはかなりきつい。
10年後の私には多分できない。
停車駅のアナウンスなどは無いとの情報だったので、到着予定時刻に一応アラームをセットして(バイブのみ)消灯。でも結局寝れなくて、我慢しきれずトイレに行くにも暗闇の中小さな足掛けを足探りで探して、下の人のベッドの隅に音もなく着地して、そーっとドアを開けて出て行く状況は滑稽だった。
廊下の先の車両のドアを開けるとトイレ臭がする。原因となっている廊下に置かれた使用済みペーパー入れゴミ箱を見て、入るのを覚悟したけどトイレ自体は想像よりは小ざっぱりしていて、掃除はしてますといった感じ。
ペーパーは流せないという情報はあったけどまさか廊下まで持って出て捨てるシステムとは、、、かなり面食らう。
戻ってもなかなか眠れず、日が登り始めた頃に廊下に出て景色を見ながら過ごしているうちにマルギランに着いた。
《 マルギラン 》
朝6時、歯を磨いたり、顔を洗ったりしたくて駅のトイレに駆け込んだものの、トイレにペーパーがない(断念)手洗所の水道が使えない。掃除用の壁下に着いている水道を使う気にもなれず、ミネラルウォーターで歯を磨き、洗顔シートで顔を拭いて、鏡も曇りまくって何も映っていないに等しかったので、手鏡で身だしなみを整える。
駅からシルクファクトリーまでは4キロの道のり。多分1時間くらいで着くだろうと、スマホを見たら何故かほぼ充電がない。モバイルバッテリーも空に近い。このまま地図アプリを使い続けると、タクシーが呼べなくなって詰むので、スマホを封印して歩き出す。
早朝のマルギランの街には、お掃除の人しかいなくて、学校の前を掃除しているおじいさんに道を聞いてみたけど全然英語が通じない。
それでも諦めず、説明をしてくれて、なんとなく理解できた道を進む。
大通りに沿ってほぼ真っ直ぐな道のり、4キロくらいは平気だけど問題はトイレと、スマホの充電。
トイレは商店で借りれるだろうと楽観視して、少年が店番している売店(朝早いなと思う)でお菓子を一つ買い、トイレ借りれるか聞いてみたものの、トイレないよ。とのこと。
歩き続けていくと登校する子どもたちとすれ違ったり(やはり朝早いなと思う)チャイナ?と聞かれてヤポンマンと答えたりしながら進んでいくと、野菜の屋台を準備しているお爺さんがいい感じだったので、写真を撮っていいか?と聞くと、快く了承してくれて、(お互いジェスチャー)そのまま手招きでお家に招待してくれた。
《 ウズベキスタンのお家 》
お爺ちゃん子すぎるが故に、何の警戒もせずついて行く私。後々知人たちには心配されたけど、この時の空気感的に全然心配はなかった。
細い通路を入っていくと、中央の中庭を囲むようにぐるりと何個か部屋がある造り。セキュリティー緩そうな感じが、治安の良さを物語っていて安心。
お爺ちゃんが案内してくれた部屋からはお婆ちゃんが出てきて、何を言っているかはわからないけど熱烈歓迎を受ける。
これがザ・ウズベクスタイルなんだろうなというテキスタイルに囲まれた部屋に通されて、そのお家の息子さん家族も後から揃う。
英語が通じず、スマホも充電が危ういので、あまり翻訳アプリも使えなかったけど、パンや、お茶、フルーツ、ナッツにチョコレートをご馳走になりながらノートに書いた行き先を見せる。
(この時小学生くらいの坊やが私のスマホでYoutubeを見始めて、充電が心底心配だった)
ここのお嫁さんはどうやら学校の先生ということがわかるくらいのコミュニケーションをとったり、日本のお菓子を渡したり、お婆ちゃんに大量のアーモンドをざらざらと直にリュックに入れられたりしてるうちに、旦那さんに自転車でシルク工房まで連れて行ってもらうことになっていた。
初日から人の優しさに触れて幸せな気持ちで、足がつかない自転車をまあまあなスピードで漕ぎながらついて行く。
シルク工房での別れ際、旦那さんが何やら言っているけど、わからない。
後から思えば、何が食べたい?迎えに来るからうちでご飯食べて行き、って意味だった気がする。(食べ物と家、という言葉が出てきてた)でも帰りの列車を予約していたので、戻ってくることはできなかった。
私が乗ってきた自転車を、片手で器用に並走させて帰って行く旦那さんに手を振って、オープン前のシルク工房のドアを叩いた。
つづく