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関羽独立諸侯説についての反論

最近よく関羽が劉備の同盟者だ、関羽は劉備から独立していた。という論を聞きます。情報元かなと思ったサイトを見つけました、それを元に反論したいと思います。
諸葛亮が忠誠心なかった劉備と対立していた、などと同じく、正直、あんまりだなぁと思う。正史に劉備への忠義心厚かったとまんま書かれているにも関わらず、揚げ足をとるように書かれている。
もちろん我々は面白おかしく解釈することは自由であろうとは思いますが、わたしもその自由を使い、流石に冒涜だよなぁ、あんまりだなぁと思い、反論文を書かせていただく。

一つには関羽は正式な諸侯だからです。曹操に与えられています。また威名が轟いているからです。呂蒙の関羽評などを見てもわかります。

一つには関羽は信用されていたので別軍を率いれる存在だからです。信頼の証であり独立志向のものではありません。劉備が曹操が孫策が親征するときはNO2の諸葛亮、荀彧、周瑜たちが領土を守るのと同じです。彼らに独立志向はありません。

一つには関羽が孫権の結婚話に怒ったのは忠義故です。普通に考えれば劉備を通さず孫権と婚姻などしたら離反行為です。怒って追い払って当然です。

一つには関羽に仮節が与えられて、初めて縻芳、士仁は関羽に配属されたからです。それまでは縻芳、士仁は同僚にすぎなかった。だから関羽傘下になり関羽の軽口に初めて怯えたのです。証拠として、それまでは関羽独軍で北上し撤退を繰り返しています。仮節を与えられて初めて大軍を編成できています。つまり関羽はどこまでも劉備傘下であったと思います。
もちろん荊州は容易に連絡取れる場所ではなく信頼されているがゆえに自由裁量権は巨大であったと思いますが、職責の範囲内で活動していることがわかります。

一つには関羽は後世の歴史家、当時の人たちも認める忠義の人です。そこにカリスマが生まれています。諸侯とは違い独立してしまえば霧散するカリスマです。

反論先サイト

蜀ファンに衝撃!実は関羽は劉備の部下ではなく群雄(同盟主)だった!? / https://hajimete-sangokushi.com/2016/04/06/post-11471/


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