第四回偽物川小説大賞 結果発表&講評
はじめに
しばしのお時間を頂きました。2022年7月1日から8月15日にかけて小説投稿サイト「カクヨム」において開催され、『愛』というテーマのもと74作品のご参加をいただきました第四回偽物川小説大賞、結果発表と参りたいと思います。
さて、では早速参りましょう。
第四回偽物川小説大賞、栄えある大賞受賞作は!
大賞発表
和田島イサキ様『14へ行こう、二度とは来ないあの特別な季節を生きよう』に決定いたしました!おめでとうございます!なお、和田島イサキ様よりコメントを頂いております。こちらになります。
また、大賞受賞作には、作品イラストが進呈されます!こちらです!どんどんどんどんぱふーぱふー
大賞選考の模様などについては講評の後に用意してございますので、さっそく次に参ります。各部門賞、並びに審査員個人賞の発表です。
各賞発表
第四回偽物川小説大賞は、『愛』というテーマに即し、愛の六つの分類に従って作品を募集するという形式を取りました。そのため、今回は金賞・銀賞といった形式を取らず、愛の六つの分類の名を冠した六の部門賞に、七つの作品が選ばれる形となりました。以下の通りです。
エロス賞
朝の儀式 辰井圭斗様
雲間の月と知りぬれば 佐倉島こみかん様
アガペー賞
主我を愛す 矢田川怪狸様
ルダス賞
ナイトフィッシングイズグッド 草食った様
プラグマ賞
写真の中の、花嫁事情 白里りこ様
ストーゲイ賞
Best girls On Board 森本 有樹様
マニア賞
醜悪な恋人 ペンギン4号様
以上が各部門賞です。そして以下が、審査員三名による個人賞となります。
偽の教授個人賞/レジオン・ドヌール勲賞
Le Songe d'Ossian 中田もな様
偽の籠原個人賞/籠原賞
ラブ・ガン 南沼様
偽のマヤ個人賞/この世で最も絢爛な情景に捧げる賞
サドリの物語―匣― 辰井圭斗様
受賞作発表は以上です!重ねて盛大な拍手をお願いいたします!
全作品講評
さて、ではこれより全作品講評全文を発表していきます。と、その前に毎度のことなのですが一つ説明させていただきます。本企画、偽物川小説大賞においては、三名の評議員が選考会議の直前までお互いの講評を「まったく見ていません」。したがって講評における作品解釈などに大きな食い違いが生じていたりもするのですが、それこそがわたしの企画の「味」でございます故、そういうものだということでご了承ください。ナンバーはエントリー順、著者名は敬称略となっております。
No.1 フィナンシエの惜別 偽教授
エントリー部門:プラグマ(※評議員自作につき受賞権限なし)
偽の教授:輝くものみな金ならず
一本目は主催者自作。つまり俺。主催者である都合最初からテーマを知っているわけなので実際に書いたのは企画開始前。……実はこれの前に書いて消したやつが二本あったりするんですが、ともあれ公表されたものとしては一本目なので一本目である。「この作品のテーマはこれこれこうです」と言うようなこと、語れなくはないんだけど、実際のところ勢いでだーっと書いた作品なので、何を言っても後付けであり、だからあえて特に説明しません。
偽の籠原:進化心理学的には、男が女の浮気を嫌う理由と、女が男の浮気を嫌う理由は、ぜんぜん別らしいですね。
つまり、男は女が浮気することによって「自分の子孫を残せない=托卵される」ことを本能的に憎むのですが、女は男が浮気して――浮気から本気になることで「出産育児する自分に支援が行き届かなくなる可能性」を厭うのだそうです。
そういう意味では、男が女の浮気性を嫌うのは、逆のパターンよりも遥かに生物的・直接的だと言えます。人類の歴史に一夫多妻制はあっても、その逆はあまり確認できない理由が少しだけ分かりますね。「男は女の『体の浮気』を許さないが、女は男の『心の浮気』を許さない」という有名な言葉の説明にもなっています。
なにを言いたいかと言うと、これ、なんで主人公はヒロインの放蕩癖を許したんでしょうね。その関係性の新しさ、面白さは分かるのですが、主人公の心情が完全にブラックボックスになっていて、そこが不思議と心地よい読後感を残すのかなと思います。
偽のマヤ:おなじみの偽教授さんによる主催者一番槍です。タグとしてはプラグマなんですが、エロスというかルダスというか、プラグマ以外の感情が芽生え始める様を描いた作品でした。そういう意味では、企画最初の小説がこちらの作品というのは何だか象徴的で縁起がいいですね。ただ一つ思うのは、この題材でかつ書き手がきょうじゅさんであるのなら、もうひと調理できたのはないか、ということです。本作はワンアイデアをそのままで肉付けして出したもの、という印象が強かったので。とは言っても、これは雰囲気を味わうためだけに研ぎ澄まされた小説だと捉えてみれば不足があるわけではないし、最大三作出せる中の一球目なのだからペース配分も考えなければならないだろうし……と考えれば、どのような講評を書いたらいいか迷ってしまう作品でした。もう少し「妻が実は元娼婦だった」とか「離縁を突き付けられると思ったらそうではなかった」ことが明らかになるシーンは地の文が饒舌でもよかったんじゃないかな、という風には思います。展開が余りに淡々としているために、劇的になるべき箇所が影絵みたいにぬるっと処理されてしまっているように感じられたので。とはいえ、非常に魅力的で「ここすき」が沢山ある作品なのには変わりありません。きょうじゅさんのセンス本当に高いな普段から何お召しになってたらこんな色気出るんだろうと驚くばかりでした(タイムラインできょうじゅさんのお昼とか軽食の画像は度々拝見してるんですがそういう意味ではなく)。あと題名もよかったです。「フィナンシエの惜別」、紹介文に書かれている通りに言い換えるならば「金融資産家の惜別」になるんですが、これがまた、作品の概要を示しつつ大事なところは隠し切れている題名だったので感服しました。各話の題名も、小説の中の対称構造を読者に気付かせるものとして大変心地よかったです。
No.2 とろけたにく 292ki
エントリー部門:アガペー
偽の教授:かわいいぼくでーす
主催者自作はノーカンですので、こちらの作品がいわゆる「一番槍」になるわけですが。一発目から実に淫猥な作品が来たものです。いや、エロいという意味ではなくてな。たいへんにフェティッシュな内容で、性描写それ自体は口づけくらいしか出てこないんだけどナルシシズムやら近親愛やら同性愛やらが入り混じって、実にまったくいやもう、どろどろでぐちゃぐちゃでぬるぬる。そんなに長くはないしストーリー構造そのものは極めてシンプルなのですが、とにかく描き出された世界観の雰囲気がすごい。それだけでかなりのパンチ力がありました。ありがとうございました。
偽の籠原:とても面白かったです。たしかに自己愛もまた愛のひとつなのだと思えました。愛しているからこそ殺して食べてひとつになることもあるし、愛しているからこそ自分自身を差し出して食べてもらうこともある。この関係性の難しさを「父親が残した不完全なクローンとの共同生活」というシンプルなコンセプトに落とし込んだのが見事でした。
偽のマヤ:凄い色気でした。こういうの大好きです私。抽象的な、少し遠回しな語りから物語は始まるので多少面食らいはしたのですが、それもブラウザバックしそうになるほど長いわけでもなく「お前のクローン、作って失敗しちゃったんだ」というどこかコミカルな台詞が状況を端的に説明してくれます。情報の配置の仕方が上手い作者さんだなぁ、と感嘆しました。第一話の最後「我が父は何と哀れな生命体を無責任にもこの世界に生み出したもうたのか」と不自然に尊敬語で書かれているのは、たぶん、第四話で明かされる息子さんのクローンの名前とリンクさせようとなさっているのだと解釈しました。それにしても自分の息子のクローン作って愛そうとするのだけでも大概ヤバいのに、それに人類最初の女性の名前付けていたの物凄く気持ち悪くて最高でした。もう本当に、この作品に登場する男たちが三人揃って私の性癖を刺してくるんです……大好物でしたありがとうございます……この小説大賞の開幕にこの作品を読めて良かったです。素敵な作品をありがとうございました。
No.3 “H”の愛と幸せの定め 故水小辰
エントリー部門:アガペー/マニア
偽の教授:モルダー、あなた憑かれてるのよ
一読して「どのへんがクトゥルー神話なんだろう」と思い、主人公の名前でぐぐってまた首を捻り、海野しぃる先生のクトゥルフガイドを読み返してようやく理解できました。ラヴクラフトによってクトゥルー神話に取り込まれる以前の、最古のハスター神話(ほとんど童話だが)をベースにした、パスティーシュですねこれは。で、愛の物語としての本作品ですが、「十全な人間性すら備えていない不器用な神が人間を愛する話」だと私は受け取りました。人を愛する人ならざるものの話。いいですね。そういうのは好物です。パスティーシュであるのは半分くらいで残りはオリジナルで書かれているのだと思いますが、ハスターがオリジナルにあるような単なる素朴な神ではなく、なんか妖怪然とした雰囲気を持っているのも話に独特の余韻を持たせていてよい感じでした。
偽の籠原:構成の美しい作品だと思います。物語前半の青年は、神に祈ることを通じてその向こう側に乙女を求めていた。他方で物語後半の青年は、男に助けられることを通じてその向こう側に神を感じることができる。青年と神をめぐる「乙女」と「男」の対比がとてもクリアだと思いました。あと、ラストが微妙に不穏なのが良いですね、続きが気になります。
偽のマヤ:一人の男に不器用で愛情深い神様の独占欲が降り注ぐ様はオタクの弱点をくすぐってくるような良さがあります。……それにしても、たった一人のための神様、贅沢でいいですねえ。私はクトゥルフ神話に余り詳しくないので、ただの変な勘繰りになってしまっているかも知れませんが、こうやって一対一の信仰にすることで物語の構造をシンプルにし、平易な文体もあいまって、一万字を越えるそれなりの字数でありながらもあっと言う間に読み切ってしまえる親しみやすさがありました。五感の使い方や情景の結び方の上手さにも安定したものがあり、作者様を信頼しながら読み進めていける点も良かったです。青年のキャラクター造形も素敵でした。無垢だった青年が迷い、惑った果てに信仰者としての成長があるのも、この物語に一定の読みやすさを担保しているように思えました。ある意味共同作業なのですよね。青年の信仰が曇ると、神様はそれに対策を打つ、でもその対策の取り方には欠点があって、青年の信仰は別方向から揺らいでしまう。それを繰り返しながら、信仰の根拠はより根強いものになっていく……。素敵な作品をありがとうございました。
No.4 愛の身勝手 尾八原ジュージ
エントリー部門:エロス/マニア
偽の教授:死者の宮殿
とりあえず二回通読しましたが、一回目は気分が悪くなり、二回目は具合が悪くなりました。この作品、臭い立つような腐敗の描写がものすごいんだけど、何が一番腐っているかというとゾンビになってる奥さんというよりも「主人公の男の愛と精神性」が腐ってるんだよね……。愛とは呪いである、という種類の作品はこの第四回偽物川小説大賞では既に何作品かエントリーされているのですが、今のところはこれが極めつけだと思う。強烈な作品でありました。
偽の籠原:途中からこの夫婦の幸福を本気で願っていました。淡々とした文章の繰り返しに、少しずつ正気を失いつつある主人公の心情がよく現れていると思います。どこかでねじれてしまった純粋で切ない愛。私なんかは、最後、主人公が車に跳ねられたシーンで「これで主人公も蘇ればゾンビ夫婦でハッピーエンドじゃね?」と思ったんですが、そんなことはなかったので悲しかったです。あと、呪術師の言動が意地悪で最高でしたね。
偽のマヤ:愛さなければならないから、愛する。私が今回の偽物川で考えていたマニアの回答と似ていて、それでいてそれが別方向から突き詰められて表現されていたので、刺さりました。とても良かったです。「不快指数高め」のお話というより、悲しいお話だったな、と感じました。死んだ妻が蘇るという奇跡はあっても、死んだ彼の魂は少しの容赦もなく消えてしまう。徹底的に彼らに幸いしない運命でした。題名が『愛の身勝手』とある通り、本当に「ぼく」は妻のことを愛しているのか、という問いが繰り返されるのですが、私はやはり愛していたのだと思います。彼は現在の妻のことを生理的に恐れていたとしても、彼女との思い出のことは大切に愛おしんでいたのですから。愛の段階がズレてしまっていただけでしょう。それに、私は愛するということは覚悟の問題だと思っているので。もし、この物語に救いがあるとすれば「ぼく」が本当に妻を愛していたかどうか、考察の余地があることでしょう。愛の力が彼の今際の願いの成就に関わっているかどうかは、明かされません。もしかしたら、どんなに強く愛していたとしても無理なものは無理だったのかも知れませんから。素敵な作品をありがとうございました。
No.5 夏の終わりのナポリタン ロマネス子
エントリー部門:ストーゲイ
偽の教授:過去は永久に静かに立っている
長年小説の自主企画というものをやっているとですね、「ああ、こういうのを読ませてほしくて俺はこのテーマを企画したんだよなあ」という作品にエンカウントすることがままあるのですが、例えばこの『夏の終わりのナポリタン』なんかがそれに該当するわけですよ。嗚呼。じーんときた。胸の深いところに。血は繋がっていない、家族だったと言っていいのかどうかも分からない、だけど「親子の愛」という以外にほかに形容するすべのない、美しくも切ない純愛。心が洗われるようでしたわ。構造を分析すればわずかに四千字足らずのショートなんだけど、それで過不足なくテーマを描き切っていて、そういう面から見た場合にも素晴らしいと思います。俺のハートを貫いた。
偽の籠原:ぐっときました。時を経た疑似的な親子愛の物語であり、同時に、年の差カップルの恋の始まりと終わりを描いた物語でもあり。娘の視点で進むために多くの事情が伏せられている点が、この小説をよりセンチメンタルなものにしていると思います(二人の恋の経緯を読者は何も知らないまま終わる。この情報の取捨選択は凄い)。
あと、ナポリタンの赤色とランドセルの赤色が響き合う小道具の描写も素敵でした。
偽のマヤ:細かい一つ一つの描写の選択が素晴らしい作品でしたね。きっと作者様は書きたいことを詰め込めたのだろうな、と思いました。ナポリタンを食べる仕草の書き方や、お母さんのコウくんへの態度……何から何まで拘り抜かれた「おいしさ」があります。その中でも「いつか動物園で見たキリンに似ていた」これが強かったですね。もう、これ一つでコウくんの雰囲気が察せられてしまう。鮮やかな比喩でした。この作品の一番の強みは、そんな風に描写の端々に光る「おいしさ」だったと、私はそう思います。「だいたいあのひと、お酒飲み過ぎなんだよ」。ここらへんの会話も、とても良かったです。ああきっとまだ愛着はあるのだろうなぁ、というか、人間、恋愛感情がなくなって別れたとしても、それで非恋愛的な思い入れや興味まで全くなくなることはないんだなぁ、と思わせてくれる魅力がありました。この作者様にはぜひとも一万字や二万字スケールの作品に挑戦してみていただきたいと感じました。この描写の妙をもう少し長めの規模感で、もう少し起伏の大きいストーリーで書くことができたら、恐ろしく強い作品が出来上がると思います。素敵な作品をありがとうございました。
No.6 姫様がさらわれました ぎざぎざ
エントリー部門:アガペー/マニア
偽の教授:魔王リトルプリンセス
ストーリー性は非常に薄いんですが、これはそれでいいんだと思う。あえてストーリー性を切ってテーマへの訴求に全振りしている感じ。これも一種の「呪いとしての愛」を描いたものだと思いますが、一味違うのは「愛を捧げている側の勇者も愛を搾取している側の姫もどっちも狂ってる」という点ですね。こんなに重いメサイアコンプレックスの塊みたいな男、それ系の漫画でもそうそう出てこないよ。この二人、たぶん肉体関係はないのだろうと思いますが、それもまた逆に重い。純愛の方が純愛であるが故に狂気に近い、みたいなさ。私はこれ、割と好きです。
偽の籠原:テンポよく繰り返される展開が良いと思いました。お姫様は心を壊していて、もはや勇者に救われる過程のなかにしか愛を見出せない。他方で、勇者もまたお姫様を救う過程のなかにしか愛を見出せない。このシンプルな構図が読みやすさを促進しています。ではこの二人はこれからどうすればいいのか、そこまで見てみたかったです。
偽のマヤ:初見時、全ての登場人物の台詞が棒読みで脳内再生されることにぎょっとしました。勇者や宰相はもちろん、物語の真相を知っているであろう悪役たちですら、台詞が棒読みで脳内再生されるんです。終盤の宰相は台詞がなめらかになる瞬間も僅かにあるんですが、勇者が邪神に打ち勝った途端に棒読み感の凄い台詞に戻ってしまう。たぶん異常に説明ゼリフだからなんですよね。「破壊の邪神たるこの俺が、」はそこまで丁寧に説明しなくても「この俺が、」で済むはずです。こういう本来ならなくてもいい修飾詞があるぶん文章が平坦で起伏のないものになってしまう。最初は作者様が文章を書きなれていらっしゃらない方なのかな、と思ったんですが「このくだらない茶番」という台詞が見えた瞬間、すっと腑に落ちました。この血の通っていないようなぎこちなさが、勇者や宰相が「くだらない茶番」に囚われた存在でしかないことを教えてくれる。作者様がこの作品で表現しようとされたことを表現するには、一番冴えた方法だと思いました。もしかしたら、姫が永遠に満たされないのは、所詮くりかえされる救出劇が「くだらない茶番」でしかないことに起因するのかもしれませんね。あと、これは下手な勘繰りかもしれませんが、不自然なまでに現在形に拘る文体は「このくだらない茶番」のくりかえしを暗示しているのではないでしょうか。辿り着ける未来も積み重ねることのできる過去もなく、ただ姫の欠乏を満たすための現在があるだけ……。私はそんな風に感じました。実験的で、かつその挑戦が見事なまでに成功しているという、非常に興味深く印象強い作品でしたね。ご参加ありがとうございます。
No.7 ラブ・ガン 南沼
エントリー部門:該当分類なし
偽の教授:ヘルズ・コロシアム
セックス・ドラッグ・ロックンロール。この作品、技巧がどうこうというよりも、変にソリッドにまとまっていないこと自体が味なように思います。お前の愛を見せろという出題に対して「愛の欠落」という回答を撃ち返してくるあたりのロックさも含め、「グダグダ言ってねえでとりあえず拳を固めて評議員を殴れ」という感じの在り方に非常に好感を覚える。要素を分解して分析してもどうやっても取り出せない「何か」が、この作品の一番の力だと思いました。
偽の籠原:登場人物がたくさん出てくるのが良かったです。破滅的な状況が人間の本能を剥き出しにしてしまうなかで、それぞれの事情があるのが伝わってきました。最後に主人公は愛を感じますが、それがどのようなものなのかを言語化できない。しかし、きっと、こんな風に皆が生き延びようとしてきた過程そのものが愛なのでしょう。
余談:個人的に、この作風は私のライバルだなと思いました。
偽のマヤ:一つの小さな共同体における指導者の死の直後、戸惑い悲しみながらも暮らしていくしかない少女たちの生活のワンシーンを切り取った作品と言えばいいのでしょうか、物語それ自体の起伏が激しいわけではありません。ですが、それでいて、ああこれは凄いものを読ませていただいたぞという確かな満足感のある作品でした。「私だって、ヒマリが死んで、平気な訳が無かった」と最後にぽつりと溢す感じとか、ああ、上手いなあと感じるところが端々にあり、この作者様は次の段落でどんなことをしてくださるのだろうか、と終始ワクワクしながら読めました。後半になるにつれて彼女たちの共同体がもうどうしようもない形で崩れていってしまっていることが明らかになっていくのですが、その鮮やかなこと鮮やかなこと。宗教画めいて美しくそれでいて悍ましい光景が脳内に入れ代わり立ち代わり現れるのですが、見どころの沢山ある小説だったな、というのがその感想です。テーマについては「該当分類なし」として、愛を失った彼女たちの在り様を提示するということで回答していらっしゃると思うのですが、初読時は「マニアとかエロス、プラグマかなぁ……」と思って読んでいたので、そういう着地になるのかと楽しませていただきました。先にテーマがあるという企画の性質を活用したテクニックだったと思います。それでは、素敵な作品をありがとうございました。
No.8 魔女と令嬢、猫を殺す花 ぎざぎざ
エントリー部門:エロス/プラグマ/ストーゲイ
偽の教授:百合の日々は追憶の中に潜み薫る
短編のお手本のような百合文芸。全体的にバランスのよい作品です。内容を一通り把握した上で改めて最初から読み返すと、初手から魔女の側が吞まれている様子がほんと面白い。私はこういう、世界構造的には強者である側を、弱者の側が精神的にリードする物語構造って好きなんですよね。セルフタグはエロス・ストーゲイ・プラグマと打たれていますが、一つに絞り込むならエロスの要素が一番強いかな、とは思った。ほぼ一目惚れですからね、魔女の方が。良くも悪くも極めて王道的な小説で、強さも弱い部分もそこにあるのだけど、まあこういうものはこういうものであるので、落ち着くべき形に落ち着いている感じですね。
偽の籠原:『姫様がさらわれました』を読んだあとだと、殊に感じるのですが、細やかな文章への配慮が行き届いていてとても美しいですね。魔女と人間という分かちがたい区別のなかで師匠と弟子が対話するシーンが特に気に入りました。結婚相手の男が誠実で愛溢れる男だったらヒロインはもっと迷って話がドラマチックになったかもしれません。
偽のマヤ:非常に綺麗に纏まった恋愛小説で、特に「灰色の明日」には沢山の見どころが詰まっています。白の花嫁衣装に黒い魔女、シンプルでストレートな組み合わせですが、作者様の書き方に変な衒いがなく、それでいて確かな盛り上がりのある最終部分に置いて、美しい二人の光景がありありと浮かぶようです。一つだけ気になってしまったのが「人間に戦いを挑むなんて……」の下りでした。不意にスケールのズレた話が出てくるので、少し困惑してしまったんです。戦争を仕掛けるなど、余分なストーリーを増やしていくのではなく「掟だから」とあっさりめに処理した方が「先生」の師匠としての側面により尺を割いて演出できたのではないかと思いました。あと、これは別に描写の不足とかそういう話ではなく、ただ単純に興味が湧いただけなのですが、シャーロットの父親は「私、この人と一緒に行きます。……誰よりも、この人のことが好きだから」という娘の台詞を聞いてどんな表情をしたのだろう、と知りたくなりました。はっとした顔をするのか、喚きつづけるのか、それで彼女を包む環境がどのようなものであったのか、それによって、イメージがだいぶ変わるような気がするので。素敵な作品をありがとうございました。
No.9 ベリト、嘘を吐かないで 偽教授
エントリー部門:エロス/ルダス(※評議員自作につき受賞権限なし)
偽の教授:影はとっくに太陽に消されてしまったね
主催者自作その2。ほぼ即興で出来ているフィナンシエの惜別と違ってこっちは時間をかけて練った結果の産物なので言いたいことがたくさんあるのですがここは主催者が自作語りをするための場ではないので控えます。
偽の籠原:サブタイトルが全てボカロ曲とその歌詞ですね~、好き。
タイトルを回収するタイミングが上手い、と思いました。終わりかたは意外とあっけなくて「え、ここで終わり?」「ベリトを追いかけたりしないの?」と思ったんですが、ヒロインの性格を考えるとここで終わるのが正しいのかもしれません。
ここからは作品の評価とは関係ないのですが、私はキリラが気になりました。
というのも、私ならキリラをヒロインにして「オアシスの女たちとは違って私は彼とともに戦っているのだ」みたいな述懐をさせたあとレニーズくんに「すまない、俺を待つ女を裏切れない」とか言わせて失恋させるだろうなと思ったので。これは評価の話ではなく、性癖の話です。
余談:ちょっと偽教授さんとは主人公を「少年」と呼ぶお姉さんキャラクターのありかたについて話し合ってみたいですね。
偽のマヤ:偽のマヤ:良質な恋愛小説でした。ベリトくん可愛いですね……! もうベリトくんが可愛くて最高でした……! 私の解釈としては、この作品の「愛」はシェディムちゃんがベリトくんに対してどういう形の愛を選択するか、ということで示されているのだろうなと考えました。「嘘吐き」というのはベリトくんだけでなく、シェディムちゃんにも適用されうる言葉なんですよね。本作は各人が理解もしくは察していることと、彼らが実際に口にすることを選んだことのコントラストが見事な作品でした。登場人物がみんな格好いいんですよね。『フィナンシエの惜別』でもそうでしたが、きょうじゅさんの小説の台詞には華があります。一つ読んでいく中で気になってしまったことがあるとすれば、本作のホットスタートが、SFならではの怒涛の情報開示とアンチシナジーを見せていたことです。「生きとし生けるものを無差別に蹂躙してまた去っていく」ようなヤバい存在に遭遇してしまった、という緊迫感のあるシチュエーションの中、主人公が一人称で丁寧丁寧に天使やデューンライダーについて説明してくれるので、あまり切羽詰まった感じがしないと言うか……。ここからベリトくんの華々しい登場シーンに繋がるので、ここで描写が躓くのは惜しいと感じてしまうのです。ただ、それを除けば非常に瑕疵の少ない、さすがきょうじゅさんだ、というべき上質な作品でしたので、このシーン以降は楽しく読み進めることができました。あと、講評と関係ない感想になってしまうのですが、読みながら「きょうじゅさん普通に女の子失恋させようとなさるからなー、しかも好きな男の子が既に別の女のものになっていた的なエグい失恋の仕方させようとなさるからなー」と警戒しながら読み進めていたところ「ほらやっぱりきょうじゅさんそういうことしはるやん!」と悲鳴を上げる結果になりました。ただ、きょうじゅさんの小説に出てくる女の子たちの失恋と言うモチーフ、大抵がエグめのシチュエーションで描かれるのですが、同時にどこか爽やかな優しさも感じるのですよね。そこが多分この作品が面白かった理由の一つであるのだろうなと思いました。あと、各話タイトルが懐かしい名ボカロ曲の題名とフレーズばかりだったのが凄く刺さって、終始ワクワクしながら読み進めることができました。
No.10 冥婚 尾八原ジュージ
エントリー部門:ストーゲイ
偽の教授:髪の毛も指も 思い出も骨も
この作品についてはちょっと、色々私としては論じたいことがあります。既に各方面から絶賛されていて星もたくさんついており、もちろんそれに値するだけの作品で。そしてストーゲイというテーマで書かれている以上、テーマの消化という観点だけ見れば完全にこれでいいんですが。しかし正直、一小説読みとして考えてしまうんだよね。この二人のこれからを。私としてはこれ、めでたしめでたし、二人はその後幸せに暮らしました、という風にはどうしても読めない。むしろ、二人の愛の本当の試練はここから始まるのだと思う。当たり前体操みたいなことを言うんですけど、この作品、体温というものがないんですよ。もちろん登場人物の片方が幽霊なんだからそれでいいんだけど、でも筆致それ自体を見ても、人間の生身の温かさみたいなものがしっかり欠落している。意図してそう書いているにせよそうでないにせよ、私はこれを「いい話だった」という感想で終わらせたくない。むしろ心のどこかが辛いです。そういう読後感でした。
偽の籠原:ごめんなさい、途中ずっと読みながら泣いていました。この夫婦にどうか幸せであってほしい、というか、成仏なんかするなよ、ずっとヒロインのそばにそのままでいてくれよという気持ちで読んでいました。『愛の身勝手』のときも同じこと思ったなあ。私、この作者さんの描く人間模様にメチャクチャ弱いのかもしれません。良いエンドで良かった。
偽のマヤ:開幕のパンチの強さもさることながら、単なるワンアイデアでは終わらず、欠点の見つからない丁寧さで「いい話」として纏め上げる手腕には、流石ジュージさん、と思ってしまう巧みさがあります。
二人の生活や関係性、キャラクター、そういった情報の散りばめ方には不足がなく、描写にも、これはきっと漫画や映像にしても映えるのだろうなぁ、という華と細やかさがあります。
もしもう少し気になることがあるとすれば、主人公が虐待されていた関連についてですね。きっと尾八原ジュージさんがここは広げない方がいいと判断されたために、序盤に少し言及されただけで流していってしまわれたと思うのですが、IFとして、もっと文字数が多めでこの作品が書かれていた場合、どんな処理のされ方をなさっていたのだろうか、と思いました。
素敵な作品をありがとうございます。
No.11 どこまでも、どこまでも 赤井風化
エントリー部門:ストーゲイ/マニア
偽の教授:運命の果実を、一緒に食べよう
実はわたし不惑を回るこの年になるまで『銀河鉄道の夜』読んだことなかったんですけど(宮沢賢治が嫌いなわけではない。『疾中』がすき)、これ読んでから青空文庫のやつを読破し、そして戻ってきてもう一回この作品を読んで、改めて講評をしたためております。要するに振られた同性愛者が思い出を反芻する話であるわけですが、なんというか良くも悪くも語り手の人物像が恐ろしくイヤらしくて、そしてそこにこの小説の持つ「力」を感じました。この男を私の個人的な感覚で見たときに好きか嫌いかと問われればはっきり嫌いであり、そりゃカムパルネラも逃げるだろとは思うのですが、そういう「人の感情を掻き立てる力」というのは小説というものの持ちうる一つの味には違いないので、いっそこの道をこのまま進んでみるのもよいのではないかと思います。天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。
偽の籠原:銀河鉄道をモチーフにしているのが面白いと思いました。銀河鉄道は、どこまでも他者の幸福を願う博愛について語られるのが印象的ですが、この作品では、男たちはどちらもエゴイズムのまま他者を省みず突っ走っていく。この不毛さが切なかったですね。
偽のマヤ:二人の関係が緩やかに腐り、崩れ落ちていく様、きっとあの日、既に道は分かれてしまっていたのでしょう。とても美しい小説でした。感情自体はどろどろで「醜い」と言ってしまえばそうなのですが、現在から振り返って語っていくという形式であるために嫌な雰囲気が纏わりつくことなく、絶妙な塩梅を保っていました。最後、敬語で他人行儀のメールのやり取りをするシーンは圧巻でした。どうしようもなく胸が苦しくなって、彼にとって、主人公はもう過去の忌々しい思い出でしかなくなったのかと思うと、もう。宮沢賢治の引用が、素晴らしい効果を発揮していましたね。それ自体が美しいのは勿論ですが、それを引き合いに出して桂伍との絆を確かめようとする主人公のいじましさ、けれど本来離れ離れになってしまう少年たちの台詞である以上、未来を暗示していることは疑いなく……これほどまでにぴったり嵌まることがあるのでしょうか。作品の雰囲気もそれを助けていましたね。主人公の身なりは汚いし、桂伍に至っては「耳の穴をいじって中身を見る」ような癖がある。言うまでもなく車や部屋はごっちゃごちゃ。そんな雑駁で、どこか青春のエネルギーを思わせる作品の色と混ざり合うことで、引用元とはまた違った作風を生み出しているのが素晴らしかったです。ご参加、ありがとうございました。
No.12 誓い 赤井風化
エントリー部門:エロス/アガペー/マニア
偽の教授:抱きしめてあげる以外には何か
こういうものを書きたくてこういうものを書いたっていうのはよく分かるのですが、ちょっとド真ん中に投げすぎかな、というのが正直な感想。野球ならストライクなんですけどボウリングだとスプリット。そんな感じ。あまりにも展開が直球すぎるので、なんか一ひねりしてこちらの予想を裏切るオチが待ってるのかと思ったりもしたのだけどまっすぐにそのまま真ん中に抜けていった感じ。一つ具体的に問題を指摘しますと、メンヘラ的な女性、というものの描写が定石のまんますぎます。小説というのは技芸ですので、自分なりの味付け、というものを少しは混ぜた方がいいです。よくいる人間をよくいるまんま書くにしても、切り口や視点をわずかに変えるだけで出る個性というのもあるわけでして。
偽の籠原:あずみちゃんクソかわいくて最高でした。これ、主人公の視点で見るから必要以上にあずみちゃんが激ヤバに見えるだけで、事実だけ見るとSNSで適度に愚痴ったりレスバしたりしてストレス発散しながら人生の階段を順調に上がっているんですよね。逆に、赤の他人のあずみちゃんの人生にここまで執着する主人公がヤバい、という構図が面白かったですね。
偽のマヤ:偽のマヤ:主人公の自己中心性や自己正当化がどんどんと膨らんでいく様を見れば、ぞっと背中に怖気が走ります。作者様、丁寧に一つ一つ彼女を狂わせていっていらっしゃるんですが、特に凄いなと思ったのが、主人公、大抵あずみちゃんが「愛を粗末にした」と非難されてきた振る舞いをなぞっているんですよね。「親子愛」や「姉弟愛」や「親族愛」を仮定しながら「私にとって欲しくて欲しくてたまらない「異性による、『恋愛』『愛情』『性愛』」にはまったく恵まれていない」とか一蹴しているの、本当に、本当にこの女は、となりますし、神の御使いだとか名乗りながら、結局は自己愛でしかないのとか……ヘイト管理と言えばいいのでしょうか。読み終わって、作者様の手の平の上で感情を転がされていたことに気付くような感じです。凄まじい作品をありがとうございました。
No.13 Love-knowledge proof モリアミ
エントリー部門:該当分類なし
偽の教授:誰にも愛されぬ人の悲しみ
モリアミさん、ご参加ありがとうございます。なかなかチャレンジブルな構造の作品で、挑戦するという行為そのものはよいと思うんですが、これは多分にわたしの小説嗜好の問題もあるんですけどなんでこの流れで死ななきゃならないんですかね?正直そこんところがよくわからなくて、うまく作品に感情やらなにやらを没入することができないです。すいません。
偽の籠原:途中に出てくるコード文が雰囲気を醸し出していてよかったです。この二人の関係性をもっと眺めていたかったですね。
偽のマヤ:機械が人間に抱く愛は、そうプログラムされているがゆえに何よりも確かな愛である、というテーマの扱い方は、今回の小説大賞の中でも際立ってユニークなものだと思いました。機械が抱く愛をテーマにした作品は他にもあったのですが、どちらかというと機械の愛の不確かさについて描いたものが多く、本作をとても興味深く読むことができました。この小説で特に印象的だったのが「セクシー」という言葉が先行していることです。本来なら余り良くないことだとは思うんですが、この作品では却って深い魅力になっているのです。最後の「とてもセクシーな表情だった」が本当に切なくて……。恐らく3000少しと字数の限られた短編だからこそ使えたテクニックだったのだとは思います。Aliceからペギーへと変化したその違いを細かく描写する暇がないほど引き絞られたこの作品だったからこそ、なのでしょうね。作者様の実力の光る、とても素敵な作品でした。ご参加、ありがとうございます。
No.14 吉祥天 赤井風化
エントリー部門:エロス/アガペー/ルダス
偽の教授:誰を愛そうが どんなに汚れようが
延々会話文だけで展開され、最後に一気呵成に叙述される。悪くない技術的チャレンジだとは思います。ただ残念ながら、成功してはいません。はっきり申し上げると何が何だか分からないまま何千字も読まされるのは読むのがかったるいです。ただ、人生も文学も「やった方がいい失敗とやらない方がいい失敗」というのがありまして、これは前者ですね。失敗も糧にして、前に進みましょう。それが人生。それが文学。あ、あともう一つ。この作品が受理された時点で、作者様が「三本エントリーの一番槍」となりました。主催者である私よりも先に。ありがとうございます&おつかれさまでした。
偽の籠原:台詞だけの応酬がいくつか続いたあとで一転して種明かしがされる、独特の構成が面白いと思いました。とても古い言葉遣いもあれば、スラングに満ちた現代風の言葉遣いもあるあたり、最後に出てくるキャラクターはずいぶん長い間この活動を続けているのでしょうか。そういう想像をかきたてるところも良いですね。
偽のマヤ:偽のマヤ:彷徨える霊を救うために老若男女の姿に化ける「お師さん」の話。愛というお題に対して、愛を実践する神様の在り様を回答とするスタンスは、とてもストレートで格好よかったです。惜しいなぁ、と思ったところが「お師さん」が霊たちを救済のために誘惑するシーンの書き方です。霊たちの知能にだいぶデバフが掛かっているというか……(霊体になると思考がぼやける、みたいな裏設定が何かあったりするのかも知れませんが)陥落するのが余りにあっさりとし過ぎていますし、口調もどこか不自然です。ここは読者が息を呑むような描写を見せつけて、吉祥天女の使いの凄まじさを刻みつけることができたらもっと素敵になるのになあと思いました。恐らく、台詞だけで彼らの状況を説明しようとしたことが原因でしょう。地の文を使えないと小説というより脚本的な方面での「不自然な台詞にならないようにしつつ、しっかりと情報を開示していく」技術が必要になってくるので、そこが壁になってしまったのだと思います。ですが、この台詞だけで進めていく形式だからこそ良かった点もあるので、一概には言えないなあ、というのが私の感想です。例えばそれは、吉祥天の使いが本当に善の存在であるかどうか、ぼやかしたままで終わることができる、ということです。もし私が「あなたの好みのイケメンを宛がってやるからそれで満足して成仏してね」と言われたら、「ふざけるな」と怒鳴りながら討ち死にして祓われる方を選んでしまうかも知れません。成仏させられる彼らには知る由もない裏事情ですが、読者にとってはどうしても開示されなければいけない情報ですから、取り扱いは丁寧でなければなりません。だからこそ、吉祥天の使いに反感を持つことも、賛同を示すこともできるこの構成は効果的だったと思います。ご参加、ありがとうございました。
No.15 Best girls On Board 森本 有樹
エントリー部門:ストーゲイ
偽の教授:空を飛ぶ、鳥のように。
ひとりの小説読みであるわたしにとって、非常に好きな作品です。いやもううっかり大賞選考の三選に入れてしまうかもしれないくらいに。まあ、わたしもアマチュアながら長く文芸評論の類をやっていますから「この作品を評価しない人がこの作品を評価しない理由」もやろうと思えば言語化することはできるのですが、そういうことのために評議員が三人いますので、私からは「好き!」というメッセージを主に伝えていきたいと思います。何が良いって、この作品は本当に「肉欲の介在しない、肉欲を根底から必要としない」種類の愛をしっかりと描き切っているんです。それだけでもかなりわたしとしては評価点が高い。ひたすら続くメカニカル描写も神林長平ファン的にはたまりません。自分ではこういうの書けないので。憧れさえする。ありがとうございました。よいものを読ませていただきました。
偽の籠原:とても好みの作品です。作品の中で映画を撮るという構成と、二人乗りの飛行機で、片方は本物で片方は俳優であるという構図と、そして、その中で一方がもう一方に夢を見せるスターだったという背景。ばっちり決まっていると思います。流麗な文体のなかにきちんと専門用語を織り交ぜて硬派な雰囲気を出しているのも最高でした。
偽のマヤ:始め、小説の説明文を拝読したとき、これが13000字程度で収まるのか、と疑いましたが、杞憂でしたね。とても良い作品でした。主人公がハーピー族であることなどそこまで触れなくても差し支えないことには深く触れず、テンポよく物語が進んでいくのが印象的でした。第一話の序盤では女優への反感を推進力にしつつ「私」について語られ、「魔女と七人の勇者」の話へと入る頃には、もうすっかり物語の中に引き込まれてしまいました。二人の思いが交わされていく様、飛行シーン、どちらも魅力に溢れ、それ以降は息を吐く間もなくマウス片手にページをスクロールする手が止まりません。描写の一つ一つに華があるのですよね。作者様の書きたいコンセプトが明確な小説だったなぁと思います。最後、彼女から「私」に宛てられたメッセージを見た時は、もう目元がじーんとなってしまいました。盛り上がりも、見どころもたくさんある、確かな腕前のもとに書かれた素敵な作品でしたね。とても格好いいストーゲイでもありました。ご参加、ありがとうございます。
No.16 そこに映るは苦い夢 おくとりょう
エントリー部門:エロス/ルダス/ストーゲイ
偽の教授:マン・イン・ザ・ミラー
いわゆるひとつの「男の娘」もの。男の娘ものはありていに言えば氾濫しており、完全に「ジャンル」ですので、そこからどう個性を発揮していくかが作品の評価の分かれ目であるわけですけどこれについて言えば、「姉との関係性」と「ナルシシズム」、その二つが軸になっているという印象。ただ、んー、ちょっとその二つがうまく調和していなかったかな、という印象は受けた。どちらかに絞れとまでは言わないけど、この二つの問題をうまく一つの作品として昇華するためには、もうちょっと字数を割いて主人公の内面を深彫りするなり姉との関係を掘り下げるなりした方がよかったんではないかという印象です。でも全体を通じて流れているなんとなく透明な空気感みたいなものは不思議と好きで、なんか妙な吸引力のある作品なのも確かだった。
偽の籠原:ところどころに振られたルビが、この少年の甘いナルシシズムと感傷を浮き彫りにしているのが良きです。男でありながら女の心を持つ人間は女装をしますが、逆に、女装をさせられていくなかで女の心に流されていくこともあるのかもしれませんね。可愛いと言われて喜んだり、男の性欲に対して拒否感を抱いたり、そういう変貌が面白いです。
偽のマヤ:おくとりょうさん、こんにちは! 遼遠小説大賞に引き続き、七五調を思わせるリズムを持った作品で参加してくださいましたね(こむら川メタなのだろうとは思うのですが、それはともかく)。ストーリーがとても分かりやすく、それでいて鮮やかに、映えるように配置されていたため、内容自体の起伏が少なくても、作品の構造によって十分に楽しめました。良かったです。作品の全体的な傾向としては、機知に偏った言葉遊びや、流れるように積み重ねられる比喩、一定の秩序をもった文章のリズム……バロック文学を思わせるものがありました。ですが、文体芸と言うか、それだけで読者を魅せるには、もう一工夫あった方が良かったかな、という風には思います。例えば、英語のルビを振ることによって、似た音の言葉を連ねる技法が使われているのですが、ここは日本語でやった方が良かったと思います。七五調のリズムで物語を進めると、途中で引っ掛かって「この文章はどういう意味だろう?」と考えた途端にリズムから外れてしまう、という風なことを遼遠の講評で申し上げた記憶があるのですが、今回も恐らくそれです。ルビ芸は韻律と相性が悪いのです。本文とルビを同時に読まなければならないので、それぞれで音が違うと脳内で朗読することが難しい。「眼鏡を外す」「(髭の)芽が根を生やす」くらい露骨な駄洒落をやって、最低限の読み仮名を振るのが、この作品では最適解だったのではないかなぁ、と思います。
ご参加、ありがとうございました。
No.17 写真の中の、花嫁事情 白里りこ
エントリー部門:プラグマ
偽の教授:アトム・ハート・ファーザー
恐ろしく渋いテーマを取り上げた、こういう企画で審査員を唸らせるのに向いているかどうかはさておくとしてもいぶし銀の「スゴ味」を感じさせられた作品。やはり歴史ものの経験値が高い人の筆さばきってのは違いますね。剛腕です。わたしもあまり守備範囲でないあたりの歴史を取り上げているので勉強になった、という点でもよかった。それに、正直作品数のあんまり集まってないプラグマ部門なので、一点突破という意味ではこういうのがいいのかもしれない。そのへんは現時点では必ずしもなんともいえないところもありますけれど。
偽の籠原:男の32なら結婚を急ぐ歳でも年増でもない、逆はともかく、とか、ヒロインの手紙も奥ゆかしい(古き)日本女性のそれで、とても強気とは言えない、とか、色んな違和感を持って読みました。たぶんそういう男たちのズレたやりとりが、そのあとでヒロインが登場したときの爽やかなギャップになっているのかな、と思います。
読んだあとの「お幸せに!」感がいいですね。
偽のマヤ:優しくて、温もりのある小説でした。こういう、小説に現れる優しさとか温かみと言うものも、ある種のセンスや技術に基づくものと私は思っていますので、ここまで魅力的なものをお書きになるのは、一つの才能ではないかと存じます。一つ一つの仕草や言葉遣いの細やかなところまで、お互いへの気配りで満たされているのですよね。「土で汚れた手をズボンで拭いて」だとか、「ハワイは気候も温暖でよいところですが、僕はというと決して裕福とは言えず」だとかの部分は特にそうであるなと感じました。他にも、清さんが「一番上等な服を着て」来たように、康子さんも「西洋風のすっきりしたハイカラな」服を着ているのを見ると、きっと彼女も一等良い服で伴侶となる相手との初対面に挑もうとしたのだろうな、と想像できて、とても良かったです。タグにはプラグマとありますが、きっとこれから、この物語の先での二人はストーゲイやアガペーのように愛を積み重ねていくのだろうと思いました。きっと彼らなら大丈夫、そんな風に思わせてくれる素敵な作品をありがとうございました。
No.18 有閑ムッシュと春の朝 クニシマ
エントリー部門:ストーゲイ
偽の教授:いくつになっても男子は
素晴らしいブロマンスでした。正直、あまり多くを言葉にして語りたくないくらい良かったんだけど、それでは企画主催者としてだめだめぷーなのでもう少し頑張って講評ります。今回の企画のストーゲイ部門ってすごく激戦区になっているとわたしは思ってるんですけど、「こういうのって、一種の愛だと思わない?」みたいなアプローチではなく、「これがブロマンスだよ(断定)」という大振りの殴り方をしてくる作品で、そしてそれがきっちりクリーンヒットを持っていく。言うことなしです。もうちょっと具体的に作品内容に寄せると、「愛はこれから二人の間に」じゃなくて「愛はここにあった」で完結する作品、これがエントリー18番目なんですけどかなり珍しい感じなんですよね。今のところ。ブロマンスをやるのに「死にかけた老人」という切り口、言われてみりゃそりゃそうだってなるんだけど少なくとも本作品に触れる以前の私にはありませんでした。脱帽です。
偽の籠原:癌細胞に侵されていない身体どうしをくっつければいいじゃないか、という、細やかな会話のユーモアのなかにも新鮮なアイデアがあるのが素敵でした。猫とその飼い主に生まれ変わるという未来予想も切なくて面白い。ふと、しみじみと、こういう老後を過ごしてみたいものだなと感じました。
偽のマヤ:絶妙な加減で描かれた小説でしたね。タグに「ブロマンス」とある通り、「きっと僕は彼ではなく恵里子さんが羨ましいのだ」というような台詞は見られるのですが、事前に「彼」がとても優しく、心の行き届いた人物であることが提示された上での語りなんです。下手に「男同士で恋愛は成り立たない」とか「僕が彼は好きだ」と振り切ってしまうことは簡単ですが、この作者様のようにぎりぎりちょい内側くらいのバランスを保ったまま小説が進行していくのは、確かな実力に基づいたものなのだろうと思いました。「ぼくも殺されちゃったらいいのになあ、と彼はつぶやいた」と、開幕の惹き込み方もお上手だな、と思いました。「有閑ムッシュ」が「春の朝」に優雅にコーヒーをたしなむという何とも穏やかな話なのですが、その実は、テロの息吹をすぐそこに感じ、十分な恐怖を覚えながらも「ぼくも殺されちゃったらいいのになあ」という考えに共感したりするし、若い頃は二人とも「ロック・スターのように早死するのだと信じて疑いもしなかった」。そんな激しさや不穏さがこの小説にアクセントを与えており、巧みだなぁと思いました。素敵な作品をありがとうございます。
No.19 独白 水野酒魚。
エントリー部門:エロス/ルダス/マニア
偽の教授:イタリアでもホモでありたい
衆道ですね。適当なタイトルを置きましたがこれはボーイズラブでもホモ・セクシャリティでもなく、衆道だと思う。あるいは少年愛。衆道が主題の小説大賞だったら相当上位に食い込むだろうし、本企画においても間違いなくいい線行っています。エロい。何がって性描写がじゃなくて、主人公の精神性がエロい。そこがいい。他の講評もずーっと読んでいけば分かることなので書いてしまいますがわたし「殺害オチ」や「死亡オチ」をあまり評価しない傾向があるんですけどこれについていえば良いと断定します。なぜって、殺す動機に「添う」ことができるからです。そして、それも愛であるという構図。美しい。
偽の籠原:少年愛の残酷さを克明に描いているところがよかったです。大人でありながら未成年の教え子に手を出す相手の非道さを知らないままのめり込み、相手を殺してしまうほど想ってしまう主人公の愛が悲しいと思いました。
偽のマヤ:美しい魔法の世界における、上下関係の位置エネルギーを利用したボーイズラブというものは、まさにレッドオーシャンというべき魔境でありましょう。(いや、私の今までの読書経験が偏ってるだけかも知れませんが……)。この小説がどのような点で先行小説と差別化されているかと考えると、ある種の童謡めいた美しさがこの作品にはあるなぁ、とそう思いました。敬語を地の文にするという手段は、意外と難しいものがあります。特に『独白』で用いられている文体は尊敬語や謙譲語などがふんだんに使われるものであり、少しでも間違えれば冗長になりかねない。雰囲気のある文体であるがゆえに、雰囲気を壊してしまうような俗っぽい単語や口調が混じると、一気に見た目が悪くなってしまう。ですがこの作品においては、作者様がなるべく美しい文体を作ろうとコントロールを試みていらっしゃることが十分に感じられました。その結果の副産物なのでしょうか、はたまた作者様の生来の持ち味なのでしょうか、ある種の童謡めいた(例えば北原白秋のような)美しさを感じたのです。「喉を潰してしまいましょう」の下りなどは特にそうだなぁ、と思います。砂糖菓子のアイテムとしての使い方も巧みでしたし、体言止めや省略法を駆使してこの作品ならではのリズムを生み出しており、繊細洒脱なボーイズラブの雰囲気の底に抒情性が流れている素敵な作品でした。ご参加ありがとうございます。
No.20 オフパコした男の部屋の本棚に自分が十年前と十一年前と十三年前に出した同人誌が全部刺さってました 偽教授
エントリー部門:エロス(※評議員自作につき受賞権限なし)
偽の教授:男の人っていつもそうですね(おめーだよ)
しみじみひどいタイトルで、自分でも読み上げたくない。俺が書いたんだけど。
偽の籠原:この小説は「パロディギャグ」と「真面目な恋愛論」ふたつの性質を併せ持つ♡
ヒソカとゴレイヌが出てきたあたりからずっと腹抱えて笑ってました。ジンさんも出てきたし、あとよく見たらサブタイトルも念能力だし!w 最後のほうで「愛というものはきっとこういう形に具現化するものだから」という文章が大真面目っぽく置かれているのも心憎い。きっと水見式したら不純物が生成するんやろなあ。
じゃあ、この小説はただのパロディギャグとして笑って流していいのかといえば、そうでもなく、愛と性と小説についての真剣な考察もところどころに織り交ぜられているのが、読者の緊張感を損なわない良いアクセントになっていると思います。
偽のマヤ:偽のマヤ:前島密、日本近代郵便の父だそうですね。最初、有名な作家か芸能人かと思ったのですが。ここでこのチョイスが出て、通じてしまうのが何とも面白かったです。お医者様でも草津の湯でも、とか、明智光秀の言葉がすっと出てくるのとか、ああ、きょうじゅさんだな、と思うと同時に、彼らはそういう人なんだな、という認識が積み上がっていくのが上手かったですね。三点リーダーの下りとか、他パートでメタ要素が提示されていたからこそ映えるテクニックだったなぁと思いました。色々と恋愛についてうだうだ考えてきたであろう彼女が「にんげんというものは、こんな風な感じで増えたり減ったりするのだ」だとか「愛というものはきっとこういう形に具現化するものだから」と言ってみせるのが、軽やかで、良かったです。ラブコメとして非常に面白く、八千文字に少し届かない程度という文字数ながらも、めいいっぱい楽しんで読むことができました。素敵な作品をありがとうございます。
No.21 ホワイトノイズ ぎざぎざ
エントリー部門:エロス/マニア
偽の教授:凍えそうな季節に君は愛をどーこー云うの
ごめん、近親ものも地味子も大好物なんだけど、これはなぜかいまいち個人的な感覚としては乗れなかった。掌編の恋愛小説としては一定の水準をクリアしているし、愛というテーマへの回答してもちゃんと成立しているんだけど……なんだろうな。何が俺にとってハマらなかったのか。まあ、俺個人の趣味に合うか合わないかということはまた置いておくとして、近親相姦までは至らない、しかし複雑に鬱屈して屈折した愛憎というテーマ性そのものはかなり良いです。この作品ならではの、独特の味わいがあります。「嫌いだ。だけど確かに愛していた」っていう一文が特にいいですね。そう、愛ってそういうものなんです。ある一面においては、ですが。
偽の籠原:短くまとまっているなかに、回想という形で、姉と弟の(ちょっと普通とは違う)長い時間と情緒がぎゅっと詰まっているところが素敵だな、と思いました。
偽のマヤ:偽のマヤ:なるほど……そう来ましたかと唸らされる作品でした。初見時、「けれど姉さんと目が合うことはなかった」という描写を読んで、弟君は幽霊だったりするのかなと軽い予測を立ててみたのですが、なるほどそちらですか。いいドロドロ感情でした。詩や音楽にしても映えそうな題材でしたね。お姉ちゃんがあんなことがあった弟について結婚式でクイズを出さして平然としているの、気にしているにしてもいないにしても、あんた悪い女だよ、という気持ちになってしまいます。そして何より末尾の「俺は二人の幸福を静かに祈った」の歪さ! 見事と言う他ありません。三千字という限られた文字数の中、一つの感情の描写を研ぎ澄ましていくという手法には、シンプルでありながら強いものがあります。「愛」というテーマに対して真正面から拳を突き付けてきたような快さ、いいですね。私、三千字前後の短編ってその作家さんが何を武器にして小説を書いている書き手なのか測るリトマス試験紙になると思っているんですが、この作品はそれが明確に分かるような気がして、興味深かったです。
No.22 愛するときは目を瞑れ 志村麦
エントリー部門:ストーゲイ
偽の教授:死体は偽物(フェイク)☆-_-
凝った世界観を練り上げた凝ったSF。世界構築の面では力作だと思うんですが、ストーリーの主題は個人的にまったくダメです。Not for meの極みでした。こういうタイプのオチを読むといつも「死ぬなら一人で死ねよ。“他人”を殺すな」って思っちゃう種類の人間だもので。
偽の籠原:自分が抱いている愛情は本当に自分のものなのか、それとも、誰かにこっそりと操られて植えつけられたものにすぎないのか。多くの作品で繰り返されたモチーフですが、それをSF風味のポリティカル・フィクションに仕立てているところが面白いと思います。前半の子供の遺伝子にこだわるくだりも生々しくて良いですね。
偽のマヤ:自分たちの愛が本物であると証明しようとする女性たちの話でしたが、とても興味深かったです。愛というテーマに限らず、我々は環境にもはやどうしようもないほどの影響を受けて人生の選択をしなければなりませんし、そうなると、この小説と現実の違いは、私たちを誘導する存在が「国」や「政府」という形に見えやすい存在ではなく、「世界」や「運命」といった抽象的なものであるかどうかだけです。そして、愛を証明しようとする行為も、誘導された愛を拒もうとする行為も、また。彼女たちは、自分たちの愛が作り物でない純粋であることを証明するために抵抗することを選びましたが、それでは永遠に堂々巡りする他ないのです。物語の序盤で荀南が考えたように「それでも私は自由意志であなたを愛した」と折り合いを付けない限りは。ですが、その道も荀南自身によって閉ざされてしまいました。「私に愛は重すぎる」と。どこにも救いのない話だと、読み終えてそう感じました。ポーズとしての絶望ではなく、どうにか折り合いを付ける道をへし折ってまでこの結末になさったのが、もう、つらいですね。覚悟の決まった作品でした。ご参加、ありがとうございます。
No.23 月娘 水野酒魚。
エントリー部門:エロス/アガペー
偽の教授:月を見る度思い出せ
いい感じの伝奇というか神話というか、個人的には好きな作品ではあるんですが、「愛をテーマにして書いた小説」って言われると惜しむらくはちょっと弱いかな……。んー。オチのシーンとか好きではあるんですけど……その部分はオリジナルではない(んだよね?)、というのもちょっと弱い。別に既存の神話を下敷きにするのはいいんですけど、この企画は小説大賞ですので、そこに「どういう自分なりの味付けをするか」というのはどうしても重要になってくるもので、そして「どの部分が自分の味付けで出来てる部分であるか」をアピールする技術というのもそれのうちに含まれます。はい。
偽の籠原:奥さん、マジで身勝手な女だな~~!! 待てと言われたら待てよ!! 自分が待たなかったくせに寂しがるなよ!! という感じで微笑ましく読みました。古代中国の物語であることのニュアンスを、文体とルビを活用して、きちんと示しているのが作者の手腕ですね。
偽のマヤ:夫婦の愛、というよりは姮娥の天への慕情と后羿の妻への無償の愛、という「交わらない切なさ」を描いた作品でしたね。前者がエロスに、後者がアガペーに当たるのでしょう。三千字程度の短い字数の中に素敵な世界観が詰め込まれた作品でした。見慣れない感じの多い文体ながらも読みやすさを欠いていないのも凄いと思うところです。夫を待ちきれずに天へと昇ってしまった姮娥でしたが、我々は一度希望をちらつかされてしまうと弱いものですね。もし后羿の帰りが彼女の予想を大きく超えて遅れたのなら「夫が死んでしまった」と勘違いして先に神丹を飲んでしまったのかもしれないと同情の余地はありますし、夫が察してくれるまで相談しようともしない独りよがりもどこか親近感を感じるものがあります。とはいえ、二つあったはずの神丹が一つ飲んだだけで二つとも消えてしまったり、唐突に姮娥が何者かの罰によって(多分天帝ですかね……?)月面に囚われてしまったりと、神話的な不条理要素もあり、すっと入って来なかった部分もあります、彼女を「弱い人間」的な形で描く作品の性質上、もう一捻り解釈の調理があった方が評価は高まっていたでしょう。全体的な印象で言えば、重厚な題材でありながらべたつかない、あっさりとした読み心地の小説でした。ご参加ありがとうございます。
No.24 Le Songe d'Ossian 中田もな
エントリー部門:ストーゲイ/マニア
偽の教授:フランス……軍隊……ジョセフィーヌ……。
俺の中の主観が「良い」と言い、俺の中の客観も「良い」と言っている。それは客観ではないというツッコミはさておくとして、いやしかしこれはよいものだ。まさか「愛」をテーマに掲げた小説大賞企画にナポレオンの伝記(しかも抜き出しではなく、少年期から死ぬまでをびっちり)で殴り込んでくる人がいるとは夢にも思わなかったし、まったく想像だにしなかった切り口で「どうだ、これも愛だ」という感じにぶっ飛ばされました。マーヴェラス。歴史・時代ジャンルってのはネタの掘り下げ自体が技術なんですけど、これはその点でも非常によかったです。うまいところを拾ってきている。さて、もう一度この作品の「愛」のテーマとしての解き方について触れてみますが、ナポレオンの愛した女といったらジョセフィーヌだよな、みたいなところを遥かに飛び越えて、観念でもあり同時に具象でもある非常に文学的に読み応えのある「愛」の物語がここには提示されている。ありがとうございます。本当に。素晴らしかった。
偽の籠原:小間切れにされた断章のなかで、少しずつ浮かび上がってくるのは、たったひとつの物語に愛された男の人生でした。しかしそのオシアンの言葉が、彼を少しずつ不毛な戦争に導いていってしまった。「英雄ってのはさ、英雄になろうとした瞬間に失格なのよ」という仮面ライダーの名台詞どおりに、まさに彼は英雄であることを予言されて志した時点で詰みだったのかもしれませんね。
偽のマヤ:いい話でしたね。はじめはイマジナリーフレンドについて書いているのかなと思ったのですが、どうやら違うらしいですね。種明かしは解釈の幅がある感じでオシアンの口から語られるのですが、少し曖昧に過ぎたのではないかと感じました。このシーンの後もしばらく物語は続くので、もう少し具体的な説明があった方が首を捻って立ち止まることなくテンポを保って読み進めることができたかな、と思います。開幕時は文章のリズムがつまづきがちであるなど幾らか戸惑う要素はあったのですが、すぐに気にならなくなりました。ナポレオンとオシアンの関係性が魅力的で、惹き込まれてしまったからです。とはいえ、文体が僅かにぎこちないことには変わりなく、もう少し改善できるものがあったように思われます。この小説が読者を惹き込んでしまうまでの数十秒の間、読者を去らせないようにするための「スムーズさ」があった方が、より多くの人を魅了することができるでしょうから。それにしても、エモくて素敵な「愛」でした。ナポレオンの鬱屈した人生に寄り添ってきた優しいオシアン、それは彼の支えであった一冊の本が取った姿だと思うと、こう、胸に来るものがあります。まあ、実情はもう少し壮大なようですが。構成にも読者を飽きさせない工夫に満たされた、とても面白い小説でした。素敵な作品をありがとうございます。
No.25 風は知っている 杜松の実
エントリー部門:エロス/アガペー/ルダス/プラグマ/ストーゲイ/マニア
偽の教授:携帯型心理診断鎮圧執行システム
いかにもクラシカルなSFらしく構築された世界観や雰囲気は悪くないと思うんですが、いまいち作品全体を通しての主題として「これこれこういうことを表現したかった」みたいなのが見えてこなくて、その点がちょっと減点かなという感じ。ラブスタイル類型をギミックとして本編に導入する手法自体は評価しますが、そのギミックを、一万七千字も本文をつぎ込むのならもうちょっと掘り下げるべきだったと思う。なんとなく不思議な読後感は好きなんですが、ちょいとばかり惜しい作品です。
偽の籠原:痛快でした。本来は多様そのものであるはずの愛を恣意的に分類して数値化するディストピア社会の描写を通じて、まるで、愛を分類して作品を募集する偽物川大賞そのものへの意趣返しめいた精神を感じましたね。私は、これはすごく良いと思います。好きです。ラストが爽やかなのも感動しました。
偽のマヤ:こういった未来じみたSF設定の数々が、今日の現状を比喩的に表すために用いられているように思います。遺伝子情報並みに大切な個人情報――ラブチャートをコミュニケーションツールとして使うことで、人間はお互いを理解しあえるという、どこか軽薄ささえ感じる風潮。スタートラインの平等を謳ったからこそ、同化圧力的になってしまった社会の価値観。行動範囲を制限された人類……今とイコールというわけではないけれど、どこか似ていると思わせる雰囲気があります。それらを通して、今日における「愛」の意味を探ろうとする小説が、こちらの作品だったのではないだろうかと感じました。この作品については、ストーリーよりも設定の先行するSF小説だったなぁという風にも感じました。開幕、都市の効率性やスケールの面からどんな舞台にしようかと考えていく風に設定を述べていく方法はある意味メタなものでさえあり、きっと、設定と設定の中で進行する物語の化学反応を推進力にすることを前提として組まれた小説だったのではないかと推測します。作中で回収されたものや回収されなかった余剰も含めて、楽しい作品でした。ご参加、ありがとうございます。
No.26 フレスコの底 森本 有樹
エントリー部門:アガペー
偽の教授:ぼくの、マシン
うーん。小説概要欄にアガペーって書いてあるからアガペー部門のシングルエントリーということで受けましたが、誰から誰に対するどんな愛を主題として書かれているのか正直私にはよく分かりませんでした。現代社会風刺みたいなことを小説でやろうとするのは別にやる人の勝手といえば勝手なのですが私のこの企画でそれをやられても、というのが正直なところです。長編小説ならともかく、六千字程度の尺でやるのなら、社会風刺をやるのが主題の作品ならずばっとそれだけやる、あるいはメカニックからメカに捧げられた愛みたいなものを書きたいならそれをバーンとやる、ってやらないと、高確率で話がぼやけます。実際そうなってます、この作品についていえば。もう一つストーリー面について言うと、「飛行機が墜ちる」というのがストーリー構造上いちばん重要な要素である以上は、その部分ももうちょっと掘り下げた方がよかったと思う。結局、奇跡的に不時着してパイロットが助かったという話なのか、そういうことではない何らかなのか、よく分かりませんでした。
偽の籠原:可哀想な……いや、この場合は可愛想なと書いたほうがいいですね……存在を優先して救い上げる社会のなか、誰からも可哀想とは想ってもらえない主人公が、誰からも可哀想と想ってもらえない対象へ愛を注ぐ。これが胸に染みました。ラストで、なにも知らない男たちが主人公の想いに気づかないのもエモくて良いです。
偽のマヤ:文体がとても特徴的でしたね。海外文学の翻訳のような格調と骨太さがあり、大変魅力的でした。ですが、かなり勢いに任せて文章を書いていらっしゃるのではないか、とも感じました。それは作者様の文章に内在する躍動感のあるリズムを生み出す源であるでしょうし、ある程度の数の誤字と、読みにくいセンテンスの一つ二つを生み出す元凶でもあったのでしょう。例えばこの文章。「飛行よりも戦闘機について何も知らない連中に『バズる』方が大事なのだ」、初見では「飛行よりも」が「戦闘機について」にかかっているように見えて、読者はここで躓いてしまいます。「飛行能力よりも、戦闘機について何も知らない連中に『バズる』方が大事なのだ」と少し付け加えるだけで、だいぶ誤読の可能性が少なくなるかと思います。書き終えた後に、もう何度か推敲のために読み直されてはいかがでしょうか。付け加えて、私が拝読したかぎりでは後半に進むにつれ筆が乗ってきているような風があり、それが作者様の強みを活かす鍵になるのではないかとも感じました。それでは、素敵な作品をありがとうございました。
No.27 雲間の月と知りぬれば 佐倉島こみかん
エントリー部門:エロス
偽の教授:ヨーコは魔人の斧を装備できない
実績と実力のある書き手様によるそれ相応の力のある作品ではあるのですが、なんというか……どうしても一点気になったのが、ちょっと在原業平の台詞で肝心なことを説明してしまいすぎ、かな。ものすごく恋愛小説的な構造が強いので、二人がすれ違いながら誤解しあいながらしかし互いの絆を深めていく……という展開になっていくのが一つの王道で、登場人物は事実上三人くらいしかいないにも関わらず、多分これは中・長編向けのプロットと世界構造の作品ではないかと思う。王道を外すのはもちろんいいんですけど、「一番肝心な部分を第三者が説明してしまう」というのは、あんまりいい外し方、いい味付けであったとは言いにくい。でもまあ読んでいてぐいぐい引き込まれるだけの力のある作品ではもちろんあるんですが。直接的には姿を見せていないにも関わらず、魔性の女として大きな影を落としている小野小町のファム・ファタールっぷりはとてもよかったです。
偽の籠原:綺麗にハッピーエンドになっていて良かったです。声だけが有名な美人に似ているからこそ顔を見られて必要以上に幻滅されてしまう、という女の悩みを描くにあたって平安時代はうってつけのチョイスだと思いました。そんな女を愛する主人公の素朴な性格が作品に暖かい印象を与えています。にしても在原業平くん、おいしいポジションにいるなあw
偽のマヤ:在原業平の動かし方がとても良かったです。垣間見によって、彼に康秀より先に菊子の顔を認識させる。すると、業平から秀康に菊子の素顔に関する情報を流せますし、嫉妬を動機に彼を動かすことさえできます。たったその天才的なアイデア一つで、一気に物語がスムーズに作動していくその様は、鮮やかと言う他ありませんでした。三人が三人ともの魅力があるのがいいですよね。在原業平の強烈な存在に呑まれておらず、秀康も菊子も落ち着いたキャラではありながら、可愛い。基本的にこの二人のやり取りから成り立つ小説だと思うのですが、会話の中で丁寧に、序盤に開示されるべき情報が一つ一つ配置されいっている様は、作者様の確かな経験値を感じさせます。素敵な作品をありがとうございました。
No.28 成就 頭野 融
エントリー部門:エロス
偽の教授:汝殺すなかれ
いや殺すなよ。ごく普通に精神科案件だよこの女。と物凄く思ってしまう主催者ですどうもこんばんわ。えーとですね、作品の構造上殺させないと話が成立しないとは思いますが、この場合「なぜ殺すのか、回避の余地はなかったのか」ということがどうしても重要になってくるので、そこに説得力を持たせるように(がっつり字数を費やしてでも)書かないとダメだと思うんです。で、この作品この状態ではそのような説得力がまったくないですのでダメだと感じました。愛というテーマがどうだとかいう遥かな手前の問題です。残念賞。
偽の籠原:和気あいあいとしたやりとりから、唐突に命のやりとりになってしまう、この展開が面白いと思いました。それにしても、なんで主人公はヒロインを殺したんでしょうね。たぶんそこに想像の余地を残しているのが味なのかな、と思いました。
偽のマヤ:ああ、これは、掌編でかつこの淡泊さだからこそ素敵な作品なのだなぁと思いました。私だったら多分、彼がスマホを投げ捨てるに至る心情をつらつらつらつら書いて雰囲気ぶち壊しにしてしまうでしょうから。思えば彼女はこの物語の初めの方から、ずっと死を切り出すために言葉を連ねていたわけで、あまつさえ、彼女が死を思った時期がいつかのかと考えてしまえば、成くんにとって「彼女との幸せな時間」だったそれは、一体何に変わってしまうのでしょうか。うむむ……下手な語りを入れたくない、と思わせてくれる小説であったがゆえに、書く講評に困ってしまいますね。「そうきっぱり言い放った谷井を前に、江坂は諦めがついたような、何かを悟ったような表情になった」。ここがとても好きで「そんなあっさり受け入れてしまうのか」という感想よりも「ああ、きっと葛藤と逡巡の果てに受け入れることを決めたんだろうな」という雰囲気があって、どうやったらこんな風に書けるのだろう、ととても興味深かったです。とても良かったです。素敵な作品をありがとうございました。
No.29 作者が自創作のキャラと座談会する話 平坂四流
エントリー部門:該当分類なし
偽の教授:無題
憎しみは愛の裏返しとは言ったもので、愛されるに及ばない奴は逆に嫌われることもないよ。
偽の籠原:俺くんが出てくる昔ながらの「あとがき」のようでもあり、『新世紀エヴァンゲリオン』の旧TVアニメ版最終回のようでもあり。私もときどきこういう妄想(自分自身のコントロールから外れて別の世界で自律して生きていく登場人物)をすることがあるので、シンパシーをもって読めました。
偽のマヤ:面白かったです。ですが、おくとりょうさんにはちゃんと許可を取った方が宜しかったのではないでしょうか。切実に。一度書き終えてしまった物語の登場人物とどういう付き合い方をしていくか、というのは私も度々悩むことなのですが、本作における作者様の選択は極めて明るく、それでいてとても優しいものだったと思います。それを「自己愛にも似たキャラの愛し方」と自嘲するのは、ある程度彼女たちに真面目に向き合おうとすれば避けられない思考であり、一度そうと決めたのなら、作者様がそうなさったように、振り返らずに歩き去っていくのが正しいのだろうとは思います。
ある意味、この物語は作者様から彼女たちへ送るSOSであったのだとも思います。作者様は、彼女たちが物語の魔力に操られてひとりでに動き出すほどには満足に描ききれなかった、そんな悔いを残していらっしゃるようですし。物語の登場人物たちはあなたが召集しなければ現れませんでしたし、喋り動くことさえなかったのです。ですから、この結末は文句なしのハッピーエンドだったと思いました。素敵な作品をありがとうございます。
No.30 14へ行こう、二度とは来ないあの特別な季節を生きよう 和田島イサキ
エントリー部門:エロス
偽の教授:命の音(カウントダウン)
もうタイトルを見ただけで『強い』のが来たと思った。和田島さんはもともと「タイトルが強い」というのを強力な持ち味にされている書き手様ですが、この独特なリズムと音感と詩情、完全にくろうとはだしというやつです。いやはやタイトルを語るだけで三行(手元で使っているエディター換算)もかかってしまった。内容ですが、いやーもう……評するための言葉を探すのが難しいくらい良いですね。特に「愛を渡そう。この十四の小さな心と体、全部燃やし尽くして出した目一杯の愛を。」という一文。泣くかと思った。なんかもう優勝です。優勝決定。マジックゼロ。えー、いちおう小説的なギミックはちゃんと仕込まれていてなんなら現代ファンタジーとかでもいいような内容ではあるんだけど、あえてそれを「恋愛」カテゴリ、そして「エロス」タグで打ち込んでくるあたりも強かった。総じていえば物凄い勢いで人を轢いてくる作品だった。俺の中の何かがヒキガエルのように潰されている。そんな感じです。ありがとうございました。
偽の籠原:タイトルが好きです。「きみ」という二人称で綴られる物語の語り部が、やがて彼その人だったというのが分かるのも良いですね。個人的には、生前葬があるように生前霊もありうるというアイデアが素晴らしく、少年少女の恋物語をセンチメンタルに盛り上げていると思います。
偽のマヤ:わりと早い段階から「彼」が「ぼく」なのだろうなと察せてしまっていたのですが、恐らく作者様はかなり意図的にそうしていらっしゃるのかもしれないと思いました。何というか、彼が強がって気丈な振りをしようとしているけれど、しきれていなくて……という感じがあって、物語が進むにつれて彼はボロを出していくのですが、それがやっぱり「好きな女の子の前で格好つけたいって気持ち」なのだろうと思うと切なくて仕方がないですね。「周囲の誰もが気を遣って避けてきた終点に、触れて泣く機会を初めて与えてくれたのがきみだ」という言葉の重みが増しています。彼のこの苦しみや恋心を描いたパートだけでも十分一つの小説になり得る魅力があるとは思うのですが、そこからさらに二段構えに、目についての彼女の葛藤が描かれることで「目」はただのギミックに堕すことなく昇華され、そこからさらにもう一発、彼の神様への祈りのくだりを読んで私もう泣きそうになってしまって……。いや、本当に天才の所業でした……。恐るべき怒涛の連撃でした……。凄かったです……。語りの饒舌さがものすっごくかっこいいのですよね、圧倒的なセンスで思考が積み重ねられていく様は、ある種の近代文学を思わせると同時に、この作品ならではの瑞々しく爽やかな味を損なわずに読者を魅了してくれます。この作品を読めて、よかったです。ご参加ありがとうございました。
No.31 朝の儀式 辰井圭斗
エントリー部門:エロス
偽の教授:私は生きるために食べる
この企画ももう四回もやってるから分かるんですが、強いエントリー作品には「強いが故にものすごい勢いで講評が書き上がってしまう作品」と「強いが故に講評が書けなくて困る作品」の二種類があり、この作品は明瞭に後者なので本当に困りました。私はエントリー順に講評を書き、順番飛ばしは原則やらないので、ガチで何日もの間作業が止まった。残りの開催期間の間でこの先どんなのがエントリーされてきても大賞に推す三選の中から外さないことはとうに決まってるんですが、本当にここに講評として何を書いたものか……。こういう企画である以上、「愛とは何か」という問いの提示ってのはもちろん誰の前にも示されていて、主催者であると同時に一人の人間でもある私にももちろんその問題に対する一つの答えってのはあるんですけど……あえて明かしましょう。私の「愛とは何か、お前なりの答えを一言で言語化しろ」という問題に対する回答は「生きることと食べること」。このワンセット一文です。なのでこの作品を読んだとき、かかとを射抜かれたアキレスのような気分になったよ。人間、どんなに小難しい理屈を捏ね上げたところで結局お前は土から作られた私の写し身であるという制約の中を生きざるを得ないんで、毎日ごはんは食べるわけなんですが、愛というものも観念や哲学の中にだけあるわけではなく命の中に息づいてこそという側面があるわけなので、結局「生きるために食べる」ということこそが、もっとも具象的なレベルで愛を介在させるコミュニケーションの形態なんですよ(断定)。それを踏まえて、武器をもった奴が相手なら「覇王翔吼拳」を使わざるを得ないし、この作品は大賞に推さざるを得ない。少しは内容の話をしましょうか。三千字の中で二回も丁寧な食卓シーンが出てくるわけですが、その二つが「愛の存在」と「愛の喪失」の対旋律を為す、というのが構成を見たときのこの作品の最大の特徴でありまた強いところであると言えるでしょう。文章技巧の面からも、テーマへの回答として見たときにおいても、これがおそらく三千字でできることの限界だと思う。
偽の籠原:好きな小説に「人間の生命力は驚嘆に値する。彼が死んだあとも私は生きている」みたいな文章があるのですが、それを思い出しました。愛を喪ったあとも純粋な生理的欲求で人はおなかが減ったり眠って起きたりする。生活は続いていく。そういう生活のなかに、かつての愛の痕跡が残っている。たとえば料理という習慣で。そういう話だと思いました。大好きです。
偽のマヤ:私、今回辰井さんがどんな回答を見せてくださるのか凄い楽しみにしていて、はい、もう、いや、よかったです……めっちゃ最高でした……(語彙喪失)。辰井さんの過去作である『不在』にせよ『イスマイール・シャアバーニ』にせよ『風』にせよ「こういう小説の在り方もあるよ」と見せてくれるような作品でして、こんな素敵な作品を最前席で読めるなんて、と思わず辰井さんが参加された企画の評議員の方が羨ましくなってしまうような小説ばかりなのです(『風』が投稿された第一回遼遠小説大賞では私も評議員だったのですが、それはそれとしてあの日の自分が羨ましくなる)。
たった三千字と少しに凝縮されているのに三千字ほどとは思えない満足感のある作品を書くことにも定評のある辰井さんですが、今回の『朝の儀式』は際立って洗練されているという印象を受けました。多分「上手くなられましたね」というのはこういうことなのでしょうね。私からしたら自分より遥かに上手い人がさらにぐんぐんと高みへ上っていらっしゃるのを見るような感じがして……何というかもう「ほえー」となるばかりです。まず何からお話しましょうか。良かったところが多すぎて迷ってしまいますね。……そうですね。まずは文体のお話からさせてください。近頃いろいろな人の作品を読ませていただく機会が増えたのですが、辰井さんのお書きになる文章は、とても強みのある文章ですね。今回の偽物川、読者に一切違和感を感じさせない文章をお書きになる方や、硬質でかっこいい文章をお書きになる方はたくさんいらっしゃるんですが、簡潔かつ人を惹き付ける魅力のある文章、という意味ではこの講評を書いている現時点、辰井さんの『朝の儀式』が頭一つ抜けてトップだと思っています。私、文体は基本的に読者の信頼を勝ち取るためのものだと思っていまして。文体が自然な動きをしていて、かつ作品の雰囲気に合ったものであるほど、読者は作品を信頼して読んでくれる、そんなものだと思っているんです。言い換えれば文体は作品の魅力を守る鎧にはなるけれども、文体だけで作品における魅力の一つになることは難しい、と。でも『朝の儀式』の文体はそれに留まらないものでした。言葉としてのリズムも、脳裏に浮かぶ映像も、受けの姿勢で読者を魅せるのではなく、それだけでずいずいとこちらを惹き込んでしまう魅力があります。私はこれについて、辰井さんがお持ちである素晴らしい武器の一つであると思っています。次は作品の構成についてお話させてください。「夢を見た。」とどこか夏目漱石の『夢十夜』を思わせるような簡潔な形でこの作品は始まります。夢から覚めて「ぼろっぼろ泣」きながらも、絶えず「仕事に行かなければならない」と意識する主人公。そうして続く第二話で時間は四年前に遡るのです。作品の性質にもよりますが、舞台転換は頻繁に行われた方が作品には精彩が与えられるでしょう。ただ、舞台転換は無理にやってしまうと作品が破綻してしまうのも確かなことです。ですがこの作品においては、それが破綻なく、それでいて十分な必要性を持って行われるのです。第一話と第二話の間だけではなく、作品を通してシーンの切り貼りがとても良い形とタイミングで行われていて、凄かったです(語彙喪失)。あと、各話の題名が日付と時刻を表しているのが、とても臨場感があって良かったです。誰かの大事な記憶を、決して時間を止めることも手出しすることもできない場所で、まるでその横にいるかのように見ているような感覚がして。私は、作家がどんなに優れた技巧を持っていようとも、その作品における「見せたいもの」がなければ滅多に作品は輝かないと思っています。この作品はそれが非常に明確で、「愛」というテーマへの回答としてとても好きだなと感じるものでした。「作品を読み終えた後に、恋愛六類型のどのタグが付いているのか、確認するのが凄く楽しみになる」というのは正にこれですね。余談にはなりますが、始めキャプションを拝見したときに真っ先に『You will kiss me』を思い出しました。舞台も同じ現代ですし、愛する人との死別というモチーフには似たものを感じます。けれど、ちゃんとそれぞれの物語になっているのが、とてもいいな、と思いました。彼女たちの思いが無数の物語に埋もれていないというか、何というか。飯テロ描写がとても素敵でしたとか、二人の幸せなシーンの書き方が最高でしたとか、結末がとても好きですとか、申し上げたいことは沢山あるのですが、切りがなくなってしまいますのでまたの機会に。それでは、素敵な作品をありがとうございました。
No.32 愚かな女 羊屋さん
エントリー部門:該当分類なし
偽の教授:痴愚神礼賛
アンダーグラウンド文学の味わいを感じる三千文字。この作品の評価はおそらく最後の一文がこのように置かれていることをどう考えるかで大きく左右されるんじゃないかと思うんだけど、しょうじき私としては突然神の視点から一刀両断するより、何しろ2万字までは書いてもいいというルールが前提としてあるわけでして、もうちょっと文字数を費やして「読者をこの結論に導くような小説」を書いた方がよかったんじゃないかと思う。もちろんそれはかなり難しいチャレンジにはなるんですが。
偽の籠原:ピース美味いですよね。この作品も『風は知っている』と同様に、偽物川大賞で採用されている愛の分類を全て網羅してやろうという意志を感じました。ただ、この作品はややバッドエンドめいた余韻を残すんですね。個人的には、こんな風に愛を渡り歩いた彼女が最後に「なにか」を掴む、という終わりも見てみたかったです。
偽のマヤ:偽のマヤ:社会の倫理と外れてしまった恋愛観を持つ女性が「愛」とは何かを知ろうとする物語でしたね。「すり合わせ」と言ってもいいかも知れません。一人の人間に絞って愛することができない彼女が複数の人間に愛をふりまかねばならない仕事に就くのは、彼女と彼女を取り巻く諸々との違いを埋めるための行為なのでしょうか。物語の最後で何者かが彼女を嘲笑いますが、この第三者が語る部分でさえ「井の中の蛙」であるように思えてしまえます。それは本当に彼女を理解しての言葉なのだろうか、と。彼の言葉に反して、終始ずっと彼女は「なんなんだろう」とか「かもしれない」と言った曖昧な言い方をしているんですよね。「知った気分」になって、それでも何か違うと感じて、その違いをどうにか埋めようと繰り返すのが彼女の性質のようにも思えます。それなら、彼女は荒波に揉まれて藻掻きつづける蛙であるとも見なすことができるのではないでしょうか。まあそれも私の「早とちり」で「知った気分」になっているだけなのかも知れませんが……。そういう意味では作品の外へと訴えかける力の強い小説でもありましたね。知らない、知ろうともしない、愚かであるということ、私は別にそれでもいいんじゃないかなとも思うのですけれども、本作ではそれへの徹底的な嫌悪をどこか眩しく思いもしました。強い信念とはそれだけで格好いいものですね。素敵な作品をありがとうございます。
No.33 友と暮らせば 水野酒魚。
エントリー部門:ストーゲイ
偽の教授:彼女が空へ向ける機械
かなり重めの感情をはらんだ、しかしまあジャンルとしてはガロマンスと言うべき作品ですね。よく書けてはいるんですけど、なんかもう一味、ちょっと足りないものがあるかな……というのが率直な印象です。登場人物二人の「キャラ立て」をもう少し盛り上げるか、あるいは二人の「関係性」の部分を掘り下げるか、あるいは重要なギミック部分である「今この状態にある彼女の、その状態にあるということの意味をテクニカルに掘り下げる」か……いずれにせよ、何がしか、もう一味工夫する余地が残されていたのではないかと思う。
偽の籠原:愛する人を模倣した別のなにかと暮らしていく、という小説はたくさんありますが、ここからどう膨らませていくのかが個性じゃないかなと思います。AIはしょせん真似事であって彼女本人ではないと思うようになるのか、あるいは、それでもAIに縋っていくことを決めるのか。そういう部分を読んでみたいなと思います。
偽のマヤ:開幕二行のフックが良いですね。何か強烈さがあるわけではないんですけど「お? これはこれは」と思わせてくれる感じ。比較的起伏を必要としない作品だったので、こういったものがあるだけでだいぶ印象が変わると思います。思わず興味を惹かれちゃいました。昔どこかで「人間は、身近な人が死んだときに、その人がいなくなった“空白”をその人の霊だと認識する」みたいな話を聞いた記憶があります。例えば、いつも通りの食卓に、いつも通りの数食器を並べる、でもその人はいない、そんな営みにその人の「霊」がいると考える、という風に。本作の主人公はそれを埋める技術がある世界に生まれたわけですが、どうやらそれでも欠落したままのものがあるらしいことは、作中で少し言及されます。ですが、そこに余り字数を裂かず、さっと流してしまえたのが、この作品の持つどこか爽やかな明るさの源なのではないでしょうか。本作を読み進める中で、主人公には、親友への憧れの感情もあったのだろうな、と何となくそんな風に思いました。だからこそ危ない橋を渡ってまで、彼女のデータと暮らすことを選んだのではないでしょうか。素敵な作品をありがとうございました。
No.34 御上の花嫁 高村 芳
エントリー部門:エロス
偽の教授:我々はみな『運命』の奴隷
言っては悪いんですがものすごく使い古された物語主題を、圧倒的な文章力というその一点だけの力でど真ん中に投げ込んできているストレートな作品、という印象。「運命の力で引き裂かれた悲しきふたり」という構図の話だとは思うんですが、この作品世界の中で帝というのがどれくらいの存在感を持った存在であるのかがよく分からないというのが一つあって、悲恋としてのニュアンスを強めたいならもうちょっとそのへんの記述が置かれていた方がよかったんじゃないかと思う。この構成だといかんせん「抗えよ!運命に抗え!」と言いたくなってしまう。まあ、そう言わされてしまうということ自体が一つの作品力であることも確かではあるんですけれども。
偽の籠原:御上はどういう人なんでしょうね。そこが分かると、切ない三角関係モノとしてさらに深みが増すのかなと思います(私は愛し合う二人の仲を引き裂くためだけの舞台装置として出てくるキャラがいるとそっちに同情しちゃうんですよ)。
偽のマヤ:月裳は、思いを伝えられなかったのですね。切ない、と言うよりかは、ただひたすらにつらかったです。思いを伝えられていれば、須原も彼のことを胸に秘めて生きていくことができたでしょう。でも、そうはならなかった。いつしか、彼女の記憶の一ページにしかなりえないであろう恋にしかならなかったのです。村の人たちが「よかったなぁ」「綺麗だなぁ」と喜ぶ度に、悍ましく感じて、苦しくなりました。彼らに悪意も過失もないのですが、誰かが察してくれるなんて奇跡には、期待しない方がいいのだなと思いました。作者様の小説家としての基礎体力が高いであろうことがありありと分かる文章がゆえに、この無慈悲な物語は効果を最大限にまで発揮しています。物凄く感情を揺さぶられました。あと、描写される映像のカメラの動かし方がとっても格好良かったです。嫁ぐ須原の花嫁草履を目の前に、彼女が転ばないように必死に板を抑えるシーンとか(これが御上は知らなくて彼だけが知っている須原の思い出に起因するのが、もう)。最後、ひたすらに雨が降る中で、板に触れるシーンとか(もし私だったら板を抱きしめさせたりしてしまうので、この塩梅で抑えていらっしゃるのが、本当にもう、お上手だなぁ、と)。とても良かったです。素敵な作品をありがとうございました。
No.35 コーヒーシュガーは甘くない (゚、 。 7ノ
エントリー部門:ストーゲイ
偽の教授:砂糖菓子の弾丸
いい攻め方をしている作品だと思う。だけどいかんせん説明が足りない。これは二つの意味で言っておりまして、まず「使われている業界用語について説明が足りない」。これは「下手に説明すると演出として野暮くさくなる」という問題と表裏一体なので仕方がない部分でもあるんですが、もう一つ「作中世界で何が起こっているのか説明が足りない」。主人公の人物像も難しいですけど、相手の人が結局どういう何者なのか、私にはよく分かりませんでした。ただ、この実に闇が深そうな世界観の作品を、きっちりエンターテイメント性のあるハッピーエンドに落ち着かせたことは評価させていただきます。
偽の籠原:一人称が文章ごとにブレていく感じが、主人公の不安定な自我を上手く表現していると思いました。あと、VRチャット関連の専門用語を注釈なしに書き並べていくところがリアリティを生んでいると思います。個人的には性自認が曖昧なまま「女」を売っていた過去が足枷になる、というあたりが生々しくて良かったです。
備考:セクシャルマイノリティは、精神分析的には「倒錯型」と「精神病型」の2種類があるんですよね。前者は性的な規範が逆転する(女なのに男の恰好をするとか、男なのに男を好きになるとか)のですが、後者は規範そのものが崩壊している(自分が男か女か分からないとか、何を愛せばいいか分からないとか)。近年は「普遍精神病」という概念(人間はみんな生まれつき精神病質だよという意味)が主流になっていて、たぶん、性的なモラルはこれから良くも悪くも崩壊していくんだろうなと思います。
偽のマヤ:コーヒーシュガーって、大粒であるがゆえにコーヒーに溶けるのがゆっくりなんだそうです。だから「甘くない」のでしょうね。物語の最後では「優しい甘さ」を感じるほどになっているのは、この物語の終わりでコーヒーシュガーが溶けていくように葛藤が解かれる様を比喩しているのでしょうか。そこらへんは余り正確に読めなかったので、作者様の自作語りとかあったら読んでみたいです。本作を読んでいて、VRの描写が上手いなぁ、と思いました。一つ一つの仕草をある程度分析して書いていらっしゃるんですが、それが何というか手探りで彼らが動いているような感じがあって(私はVRを体験したことはないのですが)普段の暮らしとは勝手が違うのだろうなということが鮮やかに伝わってきます。あと、開幕の台詞がとってもいいですね。素敵な方向に叙情的で好きです。終盤、明らかにエロスに属するであろう感情を抱いている「彼」は、どんな思いで友達でいようと提案したのでしょうね。「僕」の目線からすれば取り敢えず安穏な終わり方をしたのでしょうが、彼の側からすると、どんな思いで恋情を押し殺してでも側にいることを選んだのでしょうか。言葉の裏や中身に含んでいるものとか、雰囲気とか、そういったもの込みで魅力的な作品でした。ご参加ありがとうございます。
No.36 Long season 山口静花
エントリー部門:マニア
偽の教授:エタニティ・オブ・マタニティ
刺さる人にはかなり深く刺さる種類の棘ですね。この作品が刺さる人、というのは具体的にどういう人であるかというと例えば俺です。この物語、一種の現代ファンタジーとして読解するべきなのか、あるいは信頼できない語り手のフォーマットだと解釈するべきなのか(もしかしたら想像妊娠だとかそういう何かなのかもしれんと考えることはできる)、どうとでも解釈はできると思うんですが、そういうことをするのは野暮だとも感じるんですよね。この女性は三年間妊娠しているのであり、それを前提とした思索が綴られている。本人がそう言っている以上はそれが全てあって、それを踏まえて読むのがいいんじゃないのだろうか。この作品を読んで、私も一瞬「こんな愛は正しいのか?」って考えてしまいましたが、しかし愛に正しい愛だとか正しくない愛だとかがあるなどというのがそもそも勝手な決めつけであって、これが自分の示す愛であると言われればなるほど承りましたと言わざるを得ない。力作でした。ありがとうございました。
偽の籠原:すごい、と思いました。生まれ落ちてしまうことの悲しみを、両親の諍いを見てよく知っているからこそ、ただ生まずに孕み続けるという愛の形をとる。なるほど道理だなと思いました。彼女が心の底から愛し合える男と出会ったとき、この子は生まれてくることができるのでしょうか。そんなことを思いました。
偽のマヤ:物悲しいお話でしたね。ある意味ハッピーエンドではあるんですが、どちらかと言うとメリーバッドエンド的というか……。彼女は現実の子供を愛することができず「永遠に生まれてこない子供」を作り出してその子に愛情のありったけを注ぐわけですが、彼女が期待している胎児は「きちんとした好き嫌いがある」「きちんと表情がある」しかも「音楽、色、小説、気温、匂いなど」を鑑賞することさえできる、と言うのです。信じられないくらい成熟した赤子ですね。赤ちゃん、というよりは、かなり物分かりのいい少年少女のようにさえ思えます。どんなに工夫を凝らしたって不完全な愛で愛するしかない、その物悲しさが印象的なお話でした。ご参加、ありがとうございます。
No.37 ネオテニー 押田桧凪
エントリー部門:マニア
偽の教授:ベイビー・ドール
念のため検索かけて確かめましたが、タイトルである「ネオテニー」という言葉が本文中には一回も出てこない「タイトルを回収しない小説」なんですよねこれ。「タイトル回収」というテクニックは広く使われていてもちろん悪いものではないですが、「タイトルが作品の全てを説明していて、作品の全てが最終的にタイトルに示されているテーマに帰結する」というのも、とても良いものです。どっちかというとこっちの方が難しいだろうし。いちおう、一人の女性の半生的なものを追いつつ、その屈折した自己愛のかたちが綴られていくという作品であるわけですが、そのこじらせ具合の中に独特なキャラ立ちがあって、その柔らかくも粘っこい手触りが持ち味になっていると感じました。佳作というに値すると思います。ありがとうございました。
偽の籠原:ずっと子供のままでいたい、未熟なままでいたい、社会的な責任を取らずに生きていきたい……そんなワガママを、ここまで切実に語られると却って胸に迫るものがあるのだなと思いました。説教してくれる人間が周囲にいないまま、遠巻きに敬遠されながら、彼女はただ子供のまま年老いていくのでしょうか。悲しい、と思いました。
偽のマヤ:ただ一人の少女の内省的な思考を通じて、大きな動きも展開もなく進んでいくこの小説が、どうしてこんなにも心を惹くのでしょうか。恐らく作者様に、読者を飽かさずに読み進めさせることができる小説を組み立てるための構成力と、このテーマに真正面から向き合える材料があるからなのだろうと思いました。愛の否定を提示してみせる小説でしたね。彼女が「押し付けだ」と生理的嫌悪・恐怖を抱いたそれは「エロス」だったのでしょうし、幼くいることを諦め切れずに生きづらい方へと自ら歩いていくその「マニア」は「隷属的」であるという自覚を下されます。シンプルで破滅的な「愛」に憧れ、おやゆび姫に憧れながら、ついぞそれになることができなかった主人公。爪を切るという終幕の仕方は、聞こえる「少しは成長しろ、学習しろ」という声をひたすらに振り払うためのものでしょうか。変わらないことを望みながら、変わらないという選択が彼女を苦しめる。余りに茨の道めき過ぎて、何とも皮肉な結末だったと感じました。素敵な作品をありがとうございます。
No.38 醜悪な恋人 ペンギン4号
エントリー部門:マニア
偽の教授:いまのあんたがいちばんみにくいぜ
非常に平易ですっきりと読みやすい、いかにも小説然とした小説の体裁を表面に持ちながら、実はおっそろしくグロテスクな主題を扱っている作品。これを「マニア」部門単独でエントリーしてくるというあたり、実によくこの企画の本質をわかっていらっしゃる。主人公のアンナさん、差別されたり迫害されたりいじめられたりしながらもちゃんと一本筋が通った精神性を持っていて、それなりに社会の中で自分の居場所を確保していたりもする人なんだけど(勤勉を通り越してワーカーホリック気味ですらある)、差し伸べられた偽りの救済がその全てを踏みにじり礫砕していく、ほんと救いがなくて最高です。バッドエンドとタグが打ってありますが、これは「悲劇」というカテゴリーに置いて一級の作品だと思う。この作品は設定から構成から伏線からすべてが最後の破局に向けてまっすぐに敷き詰められているので、何をどうやってもハッピーエンドに書き換える手段がないと思うんですよね。そしてそれがいい。主人公が最後に死なない、死ねないのもとてもいい。悲惨で。作劇として分析するときにどうしても一点考えないといけないのはロジャーというキャラクターの精神性についてなわけですが、こいつの本性が明らかになることそれ自体が結末を構成しているわけだから事前に詳細に説明してしまうわけにもいかないし、多分最後はこういう風にばっさり断ち切ってある方がいいだろうし、この諒解不能性も含めて「醜悪な恋人」であるという物語なわけだし、まあこの形でベターなのだろうと思います。
偽の籠原:顔に傷がある美少女キャラっていいよね……というフェチズムはよく分かります。その傷を手術で治しちゃうなんてとんでもないですぞ! そういう感情をこじらせ続けるとこんなことになってしまうのかもしれません。いずれにせよ、夫婦間で隠しごとがあるのは良くないよな、と思いました。
偽のマヤ:まず作中で一番に解き明かされるべき謎は「なぜロジャーがアンナを美しいと思うのか」でしょう。読み進めていく中で言及される顔の傷を治すための手術。「あっ……」となってしまいますよね。どうしようもない寒気と恐怖が背中を這うのを覚えました。もう絶対これ顔の傷がなくなったら愛してくれないヤツじゃないですか。ある種の神話や童話めいた恐ろしさや悲しさがありますね。青髭とか、オルフェウスの冥界下りのような。物語が進んでしまうのが怖くてしかたなかったです。こんなに読んでて心臓がバクバクすることは多分、初めてでした。彼にアンナを撃ち殺させなかったことが、せめてもの作者様の優しさでしたね。相手の容姿に惹かれての愛って、描写の仕方が物凄く難しいと思うんですよ。特に現代を生きる作家にとっては。それをこんな鮮やかに……。むしろもっと最悪な結末になってもおかしくなかったと思わせるほどには完璧な描写でした。他にも、作中アンナがロジャーに愛されて、どれだけ幸福だったかもひしひしと伝わってきて、私までそれを喪うのが怖くなって震えていました。凄かったです。偽物川の評議員としてこれを読めて、本当に良かったです。素晴らしかった。素敵な作品をありがとうございます。
No.39 家では飼えないの そのいち
エントリー部門:アガペー
偽の教授:ドクター・モンスター
今回のこの企画では珍しく、コメディ色の強い異色な雰囲気の作品。何かどのキャラクターもどこかズレていて、全体的に雰囲気がシュール。しかし中でも明らかに頭一つ抜けておかしいのが一人混じっていて、それはボケている老いた義父本人ではなく、いったいなぜそういう行動をとるのかまったく物語中で答えが示されないままの医者、という……愛をテーマにした小説というよりは、なんかツイッターみたいな場所で連載されているようなギャグ漫画を読んでいる感覚になってくる作品でした。冷静に考えるとしっかりとシビアな話ではあるんだけど、なんとなく楽しい気持ちになったのもまた確かです。偽物川小説大賞では第二回以来のご参加だったかと思いますが、よければまたお越しください。
偽の籠原:台詞の掛け合いがアニメのやりとりみたいに愉快で、思わず何度も声を出して笑ってしまいました。設定だけ取り出すと義父の介護に追い詰められる夫ということで、めちゃくちゃシリアスなんですけどね。最後に主人公が猫になっちゃうオチも「なるほど、その手があったか!!」というバカバカしさがあって好きです。普段なんの仕事してんだ、夫。
偽のマヤ:日常や自分の居場所を侵食されていく不気味な感覚が巧みに再現されていて、とても良かったです。かなりコメディ色の強い、それでいてどこかシュールな雰囲気を感じさせる作品でもありました。認知症という題材だとか「貴弘はロープで首を括ろうとしていたのだ」とあるように、実際真相が明らかになるまでは彼の視点からすれば悪質なセクハラを受けてなお誰にも相談できない絶望の中にあったわけで……。そういった地獄の気配を生活のすぐ隣に潜ませていらっしゃるのも印象的でした。クスっと笑ってしまうような部分に出会う度、その分、不穏なパートの存在感が増していくような気がしたんです。笹原先生がかなりおとぼけな人物でありながら、それでいて最後まで胡散臭さを放ち続けているのもユニークでしたね。「笹原総合特大病院 院長」なんて肩書を持っている彼ですが、全ての患者相手にこういうムーブをしているとしたらそれはそれで恐ろしくなってきますし、この家庭にだけ肩入れして仕事さえ疎かにしているのであれば、やはり目的はなんなのだ、と疑わしくなります。印象に残る、とても強烈なキャラクターでしたね。素敵な作品をありがとうございました。
No.40 魔改造キメラエルフにTS異世界転生したアラフォーオッサンの俺が、骸骨魔王のために勇者と死闘を演じています。 ラーさん
エントリー部門:エロス/ストーゲイ
偽の教授:斉艶極崇瓢濡暴天大聖
今回の企画で最多、文字数上限二万文字を使い切った唯一の作品。わたしは基本的に「たくさん書いた方が偉い」というような考え方をしないので、この前提から話を始めるときには「この作品には二万字を消費する必然性があったか」という分析がまず入るのですが、これについて言えば『長い尺を使って語り手と骸骨魔王の間に友愛の情が育っていくところを丁寧に描写しないといけない物語構造がちゃんと組み込まれている』という感じなので、その点はとても良かったです。タイトルと全体の文章に通底するあからさまなドぎつい演出はまあ読む側としては好みが分かれてしまうところでしょうが、それでも向こう側に神域の筆力が垣間見えるあたりが恐ろしかった。あと内容について言えば、魔王の素朴な人柄はとても好印象でしたね。
偽の籠原:最後に現実の家族に会いに行くところがいいと思いました。個人的に、こういう洋楽の引用で〆るのはとても好みです。男の魂が転生後に女の身体に入っているという設定が、主人公と魔王の、異性愛のようでいて異性愛にならず、友情のようでいて友情に留まらない微妙な感情を描くのに適していますね。
偽のマヤ:非常に良質なストーゲイでした。なんか全体的に急所を撃ち抜かれまくってしまった感じです。主人公はTSだけどちゃんとおじさん臭いし、魔王様は骸骨だし、展開も台詞もアツくてキザで格好良いし……最高でした。二万字もあるから読むの大変だろうなと思いつつリンクを開いたんですが、あっと言う間でした。読む途中で天地魔闘の構えについてググってひとしきり笑ったりしたんですが、その最中も読書の魔法が解けなかった。これって凄いことです。いや本当、めっちゃ良かったです……。あの、主人公がぼろぼろになっても必死に立ち上がるほど、ああ、あなたはそんなに魔王様のことが大切なんですねってなりますし、魔王様がちゃんと作戦考えて、助けに来てくれるのが、王道なんですけど、ほんっとうに格好良く書かれていて……。愛の伝え方が不器用過ぎるんですよ二人とも……でもそれがまた良くて……。パロディネタの使い方も本当に巧みで……単なるネタとしてではなく、キャラクターの描写とか物事のシンボルとして鮮やかに使われていて……。最初、どうやったら「魔改造キメラにTS異世界転生させられたオッサンが、あんな骸骨魔王のためにこんなバケモノ勇者と命がけで戦う」まで好感度を上げていけるのかなと思ったんですが、なるほど「情」ですか。大好きです。凄い好みの解題です。しかもそれをちゃんと描写によって証明しているというのが本当に素敵で……。そんなわけで私の中の大賞に推す作品の現行トップに踊り上がったのがこの作品。めっちゃ絵で見たいです魔改造キメラエルフ姫TSおじさんと骸骨魔王様。素敵な作品をありがとうございました。プレゼンタイム(大賞選考)頑張ってきます。
No.41 サドリの物語―匣― 辰井圭斗
エントリー部門:エロス
偽の教授:まじょなの?
なんていうか、一読して思ったのは……これ、どうしてそう思うのかロジックで説明することは私には多分できなくて、要するに直感だけで言うんですけどなんか『長編小説の書き方のリズムで書かれている』という印象があるんですよね。あ、これを書いている今時点では、まだこの作品のスピンオフとしての派生元作品であるところの『サドリの物語―百年の檻―』というのは読んだことがないです。わが偽物川小説大賞では、別の作品のスピンオフであるとかオマージュであるとかパスティーシュであるとかそういうものを別に禁止したりはしていないのですが、それは「ボクサーが片腕を自ら封じてリングに上がってはいけないというルールは無い」というようなものなわけでして。さて、なぜこの作品が長編のリズムになるかということですけど、思うには長編の執筆経験が豊富であるからでしょう。まったく長編を書いたことがない人はなかなかこういう風には書けないと思う。つまり、キャリアと実力が逆に足かせになってしまっているということです。短編小説に出てくるファム・ファタール系ヒロインはね。一瞬で心を奪い去らなきゃいけないし、一つの台詞にも全身全霊を込めなくちゃいけないし、やる事全部がテーマ性に結実していなきゃいけないの。ってマキマさんも言ってたし(言ってたとは言ってない)。サドリさんはもちろん魅力的なキャラクターなのですが、短編系じゃなくて長編系のヒロインです。そこがいかんともしがたい、というのが総合的な印象ですね。
偽の籠原:思わぬ大人物の女を拾ってしまった純朴な大学生が、彼女の領域に入り込む資格も資質も持ち合わせないままに、身の程知らずの恋に落ちていく……とても好みの物語でした。なんとなく自分の小説『エヴリアリの群青』を思い出しました(序盤の構造がだいたい同じなんですよ)。そこから急転直下で呪いと戦いと喪失の物語になるのが切なかったですね。
偽のマヤ:繋がらない物語だなと、読み進める中そう感じました。六話までの間、作劇の事情の上でも、登場人物の因果関係の上でも、起こる出来事の多くがそれぞれ別に発生していってるんです。ふつう物語と言うのは、これが起こったからこれが起こって、だから今度はこれが起こって……という風に連鎖していくものだと私は思っています。ですがこの作品では、そういう風に出来事が結び付けられていない。作品世界を繋げているのはもっと奥底の部分にある。ある意味でそれは極めてリアルな世界の描き方だと思いますし、実際の人生を生のままに切り取って編集したらそうなるだろうとも思います。そうした日常の気付かない一瞬一瞬が降り積もり、いずれ来る破局に影響する様は、何とも胸が切なくなるものがあります。一万五千字という決して短くはないけれど、全てを描けるほど多くもない字数の中で、きっと彼らは大切な日々を過ごしてきたのだろうなと感じさせられました。七話目は「絢爛」とある通り、辰井さんの本領発揮と言っても差し支えのないような美しさでしたね。浮かび上がる情景にその全てを注ぎ込んだような文章でした。今まで私が読んできた辰井さんの作品でも、この部分は白眉、圧巻というべき美しさだったと思います。正直、これ以上に美しい文章を思い浮かべろ、または記憶から持ってこい、と言われても、恐らく不可能だと思います。と言うより、今までの人生の中で見てきた映像や光景でさえこの部分より美しいものを思い浮かべるのは難しいでしょう。凄まじかったです。そして最終話が、今回の小説大賞のお題である「愛」への回答になっているように読み取れました。ここでは「愛している」という言葉やそれに類するものは使われていませんが、どうしようもなく、それを愛として提示していらっしゃるのだな、と分かるくらいには鮮烈で、強固な情念でしたね。この小説は、以上の三つの要素に分けられるように感じます。たった一作で、こんなに沢山のものを描き切れるのは、掛け値なしに凄いなと思いました。確かにこれは、辰井さんが『ミキヒロ・ライジングサン』よりもこの作品が面白いと仰る気持ちも分かってしまうかも知れません。素敵な作品を、ありがとうございます。
No.42 一緒の布団で寝てあげるのなんてこれで最後なんだからねっ! 戯男
エントリー部門:エロス
偽の教授:死者知るありと言わんとすれば
正直なところ、物語の根幹をなしているアイデアがよく使われる種類のトリックなので、落ちは割と早い段階で読めます。二人いるはずなのに片方が一切喋らないショートはだいたいここに落ちる、というくらい。ということはつまりこの手法は「ジャンル」を形成するほど普遍的なものであるということなので、そこから自分なりの味付けをどう加えていくかの勝負になっていくんですが、いかんせんちょっと、本作品はわたしの印象としてはこの内容とこの切り口で一万字は必要なかったかな、という印象に終わってしまいました。一万字を費やすなら、一万字費やさなければならないだけの何かを表現しましょう。それが小説というものの力です。
偽の籠原:まんまとタイトルの軽やかさに騙されました。女が男に一方的に語りかけるスタイルの小説で「なんかASMR作品にありそうなシチュエーションだなあ」と思っていたのですが、そこからのどんでん返しにしてやられました。
偽のマヤ:ちゃんと綺麗な形で短編として纏まっていますね。かなり添い寝のパートが長かったので、もうそれだけで小説を全部お埋めになるのかと思いました。もしそうだったらいけないという訳ではなくて、むしろ私はこの添い寝パートの語気一つ一つに作者様の個性が出ているように感じられて、読んでいて楽しかったです。もし意外な結末をメインにするおつもりでこの作品を書かれたなら、もう少し添い寝パートを減らした方が宜しいかと存じますし、彼女が語り掛ける空気感がメインなら、今のままでも、もしくは最後のどんでん返しをなくしてもいいのではないか、という風に考えた次第です。恐らく、第1回「G’sこえけん」音声化短編コンテストの文字数制限に合わせるために今のような形式になったのでしょう。もう一つの字数合わせの方法として、さらにそこからもう一つどんでん返しを用意する、という方法があります。もし何か思いつかれた時は、試されてみてはいかがでしょうか……。ご参加、ありがとうございました。
No.43 夜明け @Pz5
エントリー部門:アガペー/プラグマ/マニア
偽の教授:殉教は信仰の種子である
わずかに六千字の尺の中に、高度で複雑な技法とテーマ性を突っ込んだ労作。これは物凄く高く評価するか、かなり厳しめに評価するかの二択になってくるような気がする。で、残念ながら私は後者の立場で評さざるを得ない。なんとなれば今回は神とか信仰とかではなく『愛』をテーマとして作品を募集した企画なわけですが、この作品は『愛』をピンポイントに撃ち抜いた小説ではなく、もっと高度な、もっと複雑な、非常に高邁な何かを表現したものと受け取るべき作品なんじゃないか、という風に受け取れましたので。おっそろしくハイブロウな作品だと思うのですが、ハイブロウであるがゆえにクリーンヒットを取れていない。そんな感じです。
偽の籠原:神への愛をめぐる様々な葛藤と苦悩。個人的に、これは小説というよりは詩に近いなにかなのかなと思いました。なので、途中から音読して味わうことにしました。言葉のひとつひとつにリズムがあり、とても美しい文字の並びだと感じました。
偽のマヤ:物語上の双生児だな、と思いました。「二人の宣教師」として、別世界線ではなく別人としてお扱いになる以上、同じ時代を生きた二人の人間がそれぞれに拷問を受けたと、そう言葉通りに私は捉えます。とすると、不思議なのは彼らの言葉がここまで似通って、瓜二つであることです。同じ状況に陥らせるとは言え、ある程度生きてきた別々の人間が巡らせる思考が全く同じことがあり得るでしょうか。もしあり得るなら、何かその時限りの法則があるのではないか、という気にはなりませんか。私には@Pz5さんが無意味にそんなことなさるようにも思えないですし。私が思ったのは、それこそある種の神秘的な宗教体験だったのではないかな、ということです。朦朧とした生死の境、限界のところで彼らが信仰する「デウス」や「基督」と向き合うなかで、彼らは絶えず信仰の対象の存在を意識します。棄教した男でさえ、神はいないと否定するのではなく、神の存在は肯定したままで、神の愛は自分には与えられないという否定の仕方をするのです。そこには絶えず神の存在があります。彼らの語りの極度な類似性は、その共通点から生まれたのではないかと思いました。つまり、それだけこの物語における神の比率は大きかったのでしょう。最後の役人の言葉、「そこもとの申しておった『デウスへの愛』とやらは、これにて証されたのか……?」にはどこか困惑の色があるように思いました。宣教師を嘲笑った「棄教」の役人とは異なり、「殉教」の在り様を見て動揺しているように思うのです。役人の言葉遣いは両話で大変似通っているのに、台詞を読んだだけで声色が違うことがありありと分かるのが凄いなと思いました。素敵な作品をありがとうございます。
No.44 穴とピアス 志村麦
エントリー部門:エロス/アガペー/マニア
偽の教授:日に一竅を鑿つ。七日にして渾沌死す。
「わずか一万五千字足らず」で書かれているということが信じられなくなるくらい、濃密で重厚な世界観を築き上げることに成功している力作。なんとも実に壮大であると同時に等身大の苦悩が等身大で吐き出されていて、必ずしも誉め言葉じゃないことは分かってますけどしかし他に言葉が見つからないんだ、いい意味で『セカイ系』をやっている感じ。『愛するときは目を瞑れ』の方では「殺害オチ」を全否定する講評を書きましたが、こっちの作品ではそういう、私個人の価値観に照らしての違和感みたいなものは全然ありませんでした。むしろすごいものを読ませて頂いた、という感慨があります。文字数の上の流れでいえばキーファクターである『ピアス』が出てくるのがかなり遅いんですが、それがむしろそっから先のドライヴ感に寄与していて、計算でやられているのかどうかは分かりませんが面白い構成になっていると思いました。
偽の籠原:全てを吐き出す醜い自然の穴と、偽りの甘美を受け入れる人工の穴つまりピアスと、そしてそんな世界に風穴を開けるもうひとつの穴つまりピストル。こういうモチーフの交差が面白いと思いました。でもきっと、どこにも真実の愛はないのでしょう。虚偽の愛がないのと同じように。
ところで、人間の穴には吐き出す以外の機能もあると思います。眼孔は光を受け入れ、鼻孔は香を受け入れ、口腔は味を受け入れる。そして女の孔は男の愛を受け入れる。そういうものではないでしょうか?
偽のマヤ:ピアスを文字通りのピアスと思わせて、実はSF的なガジェットだったと明かす遊び心が楽しいですね。何というか、作者様も天使慈羽がどこか不気味な存在であるように書いていらっしゃるのを見て、安堵しました。私には、彼女の思想がきなちゃんを救うものであるようには思えないのです。国家の支配する世界のままでは彼女は苦しみつづける他ないでしょうし、天使の世界でも国家の示す愛の逆張りのようにしか見えなくて……。でもきなちゃんが選び取ったのは彼女の世界。そう易々と否定することはできません。作者様は、読者の情動を揺さぶるのがお上手だな、と思いました。
最後の数行、まるでくちずさむ歌のようでとても好きです。これまでの、母親の異常性に纏わる描写が「お母さんにこんなことを言われた」と主人公の語りの内で収まってしまっていて、臨場的な描写がなされなかったお陰で、彼女を哀れに思う余地もあり「きなちゃん、本当にそれでいいの?」とついつい葛藤してしまいました。素敵な作品をありがとうございます。
No.45 まえぶれ クニシマ
エントリー部門:マニア
偽の教授:鉄鎖より他に失うものを持たない
実にソリッドに文学をやっている作品だと思いました。小説の持ちうる遊びとか娯楽要素が丹念に排除されていて、かわりに人間というものに対する深い洞察の力がみしみしと文字と文字の間に滲んでいる。愛というテーマへの回答、としてどうかという観点から言えばいかんせんその高踏的な「硬さ」がちょっと回答としての「鋭さ」とは別の方向に作用しているかな、という気はするのですが、しかし光るところのある作品ではあったと思います。
偽の籠原:独特の文体のなかに、主人公と少年のやりとりがギュッと詰め込まれているのが良いなと思いました。ただ、主人公の心のうちにどのような具体的な感情が浮かんでいたのか、そこを、流麗な文体を食い破ってでも書かれることで、さらに小説として面白くなったんじゃないかなと思います。
偽のマヤ:今回クニシマさんが応募して下さった三作の中でずば抜けて好きです。擬人法を多用した表現の妙が、男が世界を見つめる瞳のどこか現実味のなさを巧みに表しています。擬人法だけでなく、周囲が大変なことになっているのに一切気にしたそぶりもなく動くような、重力の振り方を巧みに操作した描写なども、その傾向に一層拍車をかけていて、見事でした。男の不幸と少年の不幸がどうしようもなく食い違っていることが、改めて決定的に示される最後のシーンに至っては、思わず息を呑みました。本当に素晴らしかった。とても良かったです。少年のこれで男を助けられると思っている無垢と献身が嫌でも心の中に入ってきて、愕然としました。凄かった……。男にとって、少年は自分とは価値観が違う(そして自分の方が絶望的な状況の中にいる)と思いながらも、同じく不幸と行き詰まりの中に身を置く仲間として、ストーゲイ的な感情を向けていたように思うんですよ。それが、決定的に、がらがらと音を立てて崩れ去り、どうしようもない孤独の中に落ちていく様は、圧倒的でした。鮮烈な作品をありがとうございます。
No.46 円華の相手 黒中光
エントリー部門:エロス/ルダス
偽の教授:女の子は女の子同士で恋愛すべき
いわゆるひとつの百合文芸ですね。まあ、掌編小説として綺麗にまとまっていると思います。特筆するべき抜きん出た何かがあるかというと正直これと言って感じ取れないというのも正直なところではありますが。なんていうか、もうちょっとリリカルな美しさに寄せるか、あるいはドロドロした情念に寄せるか、どっちでもいいんですけど、端的にいえば「もっと暴走した方がよかった」と思う。小説をやる、というのはそういうことです。多分。
偽の籠原:百合作品で雑に当て馬として描かれる男の子が出てくると、私はもうそっちの男の子のほうが気になっちゃって主人公のこととかどうでもよくなってしまうのですが、今回も似たような気持ちでした。ちゃんと抜け駆けをしないように、揃って告白してくる男の子たちが微笑ましかったです。あと勉強に付き合ってあげているヒロインの彼氏。
偽のマヤ:まず最初に、ナイス暴走! とだけ申し上げさせてください。これはなるべくネタバレなしに講評を書きたいですね。それくらい鮮やかな展開でした。全てが最後の展開のために収斂されていて、非常に面白かったです。私最後の最後まで全く気付いていなくて、明らかになったとき思わず膝を打ってしまいました。作者様の文章が安定して優れていることも魅力の一つなんですが、高校生の描写という点で極めてハイクオリティでした。例えば、「あの二人、示し合わせて来てた」。ここの下りが凄く魅力的でした。本当に高校生の世界でそんなことがあるのかどうかは私のような浮いた話が当時全くなかった人間には知りえないことなのですが、何というか、尤もらしさと鮮やかさの両立という点で、この描写にはとても良さを感じました。
綺麗に纏まった小説でしたね。ネタばらしが成され、女子高校生の雑談タイムが終わった後も、その描写に耐え得る筆力、見事でした。素敵な作品をありがとうございます。
No.47 漁火 南沼
エントリー部門:ストーゲイ
偽の教授:死体は語る
実に筆致が流麗で、幻想文学としては上質な短編に仕上がっている。ただ、これはストーゲイを表現した小説である、と言われるとちょっと弱い部分があるかな。結局こいつらが幽霊なのか幻覚なのか明示されないという部分をはじめ、幻想文学としての強みがテーマ性に対する回答を相殺してしまっている気がする。まあ、これはこれで、今のこの形になっている作品として好きな感じではあるんですが。
偽の籠原:タイトな文体のなかで、主人公たちに死霊が群がっている、不思議な雰囲気の作品だと思いました。
偽のマヤ:物凄く些細なことなのですが、開幕、余りにも「月」という言葉を繰り返されていたため、文体が饒舌に感じられて、描かれる静かな雰囲気に浸ることができませんでした。他にも「波」という単語の反復や水平「線」、海「面」という言葉のラッシュが、雄弁な雰囲気を醸し出し「私は狂っている」という告白の重みを減じさせてしまっています。語彙の重複というのは何か意図がないかぎり避けた方がいいスタイルであり、私にはこれがこの作品の雰囲気には全編を通して合っていないように思えました。
作品全体を見ると、洒脱で詩的な雰囲気を漂わせる序盤と、仄暗く不気味な真相を思わせる中盤から、朝日にも似た爽やかさ、柔らかさを伴った終盤へと至るそのフェードインフェードアウトが美しく、非常に楽しませていただきました。「愛」というテーマに対し、こんな風なあっさりとした提示を見せる作品は本企画中でも珍しかったのですが、作者様の巧みな演出力もあいまって、この作品の淡い雰囲気を好ましく感じました。グロテスクな描写もこの作品の特徴であったと思うのですが、美しい夜の浜辺の描写と合わさると、どこかデカダンな魅力を醸し出してくれますね。良かったです。素敵な作品をありがとうございました。
No.48 九珠の剣 故水小辰
エントリー部門:ストーゲイ
偽の教授:壱弐参肆伍陸漆捌玖
こういうジャンルのこういう小説として考える分にはよく書けていると思います。ストーゲイ部門が選択されていて、まあテーマとしては師弟愛と言ったところなのだと思いますが、そこに視点を置いて考えるとまあちょっと、もうちょっとウェットな感情とかそういうのが表現されていた方が企画趣旨には添っていたかなーというところ。主人公の性別やら性自認やらの問題が物語のキーになっているわけですけど、その部分がテーマへの回答としてはうまく機能していない感があるのが惜しかったです。
偽の籠原:ここで終わるのか! というタイミングで終わるのが気持ちよかったです。個人的な趣味として、バトルアクションものの作品のなかで、凪のようにただ平穏が流れていくだけのシークエンスが好きなんですよね。この小説はそのくだりがたっぷりとあって、緊迫した戦闘描写とのコントラストを描いているのが良かったです。
偽のマヤ:読み終えた時にようやく息を吐く、そんな気分にさせてくれる作品です。こういった、重厚な雰囲気とひとまとめにしてしまえばそれまでなのですが、語彙一つ一つの選択や句読点一つに宿る文体の緊張を片時も崩すことなく、それでいて現代人にも彼らの情が伝わってくるような「柔らかさ」を確保しつつ、二万字に近い文章量を走り抜けるのは、並大抵の腕前ではできません。それこそ達人めいた修練が必要でしょう。とても良いものを読ませていただきました。少し気になるところがあるとすれば、唐突に出てきた「逸大哥」という単語です。本作や作者様の他作品を拝読するかぎり「兄さん」的な意味なのだとは思うのですが、私は一瞬フリーズしました。こんな登場人物いたっけな……と。ここが一番びっくりしてしまったのですが、それ以外にも、ギリギリ気にならないラインでの語彙の晦渋さが見られたので、ルビを振るなど「詳しくない」人でも読めるようなすり合わせがあった方が良かったかな、と思いました。あと、印象的だったのが、清丈ちゃんの登場シーンです。はじめ私は彼女のこと、簫無唱や律九珠について何か知っている人物で、彼らに敵や襲撃者をもたらす人物なのではないかと疑ってしまったのですが、作者様が早い段階で「若くて顔の良い男がいたら気になるに決まってる」と誘導してくださったお陰で、読みが変な方向に脱線せずに済んだのはありがたかったな、と思っています。素敵な作品をありがとうございました。
No.49 一夜の悪夢と世界の終わり 平坂四流
エントリー部門:マニア
偽の教授:無題
あのな。お前が自分で自分を嫌いなのは知ってるけど、お前の自己嫌悪にわざわざ付き合ってやる筋合いは誰にも無いんだよ。
偽の籠原:おお、いきなり巨大ロボットものの最終回から見られるなんて贅沢だなあ、と思いながら読んでいたのですが……おそらく終盤の展開からして、これは一夜の悪夢なのかもしれません。そして、そのあとに描かれる世界の終わり。圧巻でした。
偽のマヤ:私の読解力が足りないせいか、分かりにくい情報が幾つかありました。「アイツ」、読み始めは白針のことかと思ったんですが……違いましたね。とは言っても博士でもないようですし……では博士は何者だったのでしょうか。それに主人公は博士も込みで殺せる爆弾を起爆したのに、どうして生き残ったのでしょうか……黒針のままだったと考えるには「悪夢」という表現が矛盾を示すでしょうし……。あとどうして白針の武器が「憎悪」なのかもよく分からなかったです。あと、戦闘シーンはもっとたっぷりあった方が嬉しかったかな、と感じました。せっかくの怪獣や巨大特撮です。設定として使い捨てるだけではなく、見せ場として再利用しても良かったのではないでしょうか。もし、主人公の殺意が余りに強く、自己否定ではどうすることもできない比喩としてこの一方的な勝利を描かれたのなら、もう少し白針を蹂躙する描写があっても良かったかもです。作品を読んで、これは創作という活動に一部似ているな、と思いました。悪夢≒物語の中で、自分の一部とまた別の一部を葛藤させる。それを引き起こしたのが他者である博士だと思うと、なおさらに興味深いですね。全体的に言い回しが格好良くて、良かったです。特に「己に似せて人間を創造した神のように、人間を模して人間がこれを創造したのだ」。ここすきでしたね。素敵な作品をありがとうございました。
No.50 鉄檻とサメ 武州人也
エントリー部門:マニア
偽の教授:SS-314
透明感のような独特な雰囲気のある、ホラーテイストのドラマでした。突き詰めて考えればこのサメは悪さをしている存在というより、人の死を告げ知らせる死神のようなものなんだろうけど……怪物より人間の方が怖いしタチが悪い、という感じの物語ではありますね。時系列展開を考えたときに最後がぶつっと投げっぱなしになっているような印象はあって、字数的には余裕があるわけなので後半にもう1つか2つくらいエピソードがある方がよかったかもしれない。ただ、主人公の母に対する複雑な愛惜みたいなものはよく書けていたと思います。
偽の籠原:えっ、ここで終わり!? と思いました。結婚相手によって変わってしまった母親に対して、前後を知っているからこそ複雑な想いを抱いてしまう兄と、変わった後しか知らないから素直に嫌える弟と、その対比が生々しいなと思いました。それにしても、結局サメってなんだったんでしょうね。
偽のマヤ:子供って、どうしても親にインフラ握られてしまいますからね。料理や洗濯も、家の中にある設備を使って指導してもらわなければ、一から独学でやらなければならないわけですし。弟くんに至っては、一挙一動を握られてしまっているわけですから、もうどうしようもありません。親はどんなに子供のために動けているつもりでも、全知全能の神様ではありませんから、難しいものです。オオジロザメが海と川を行き来できるという豆知識、最後水族館の生き物たちが離散してしまったこと、正直言ってその象徴の正確な意味を推測することは私にはできなかったのですが、それでも隠喩や象徴として意味があるであろうことが分かる明確さがとても良かったです。全体的には、小説を書く経験値を十分に貯められた方がすすーっと書いたような雰囲気のある作品でした。綺麗に纏まっており、テンポ良く読めるのが心地よかったです。素敵な作品をありがとうございました。
No.51 浮気なあなた クニシマ
エントリー部門:エロス/ストーゲイ
偽の教授:君のいた夏は遠い夢の中
情緒をゆさぶるリリカル系の百合文芸でございました。ガロマンスというよりは、まあ、百合ですよね。この情緒。はい。思い出はあくまでも思い出で、現在には現在の暮らしがあって、でもどうしようもなく何か未練のようなものに引かれてしまう感情も心のどこかに残っている。エモーショナルで良かったです。えもえも。
偽の籠原:映画『秒速5センチメートル』のラストシーンを彷彿とさせる、切ないエンディングでした。タイトルのわりに「浮気」なキャラクターは出てこないんですよね。その場その場で本気になって、行き詰まって、どうしようもなくなっている女の人生がそこにはあったのかなと思います。
余談:パパがいいって父親に引き取られるってよほどのことだぞ。なにやらかした。
偽のマヤ:そんなことどだい無理だったのでしょう。一所に留まることができない奔放な彼女と、家族と言う枷を得てしまった主人公では。恐らく一緒に暮らしてみたとして、耐えられないのは彼女の方だったのではないでしょうか。立場ある以上、主人公は彼女に振り回されることはもうできないし、自分が手に入れられなかったものと楽しそうに暮らす主人公を毎日のように目の当たりにしなければならない。彼女が故郷で暮らす主人公が結婚していない、もしくは離婚してしまったその僅かな可能性に賭けて帰って来たのだと思うと、家を訪れて、主人公に纏わりつく家族生活の気配(例えばきっと玄関に複数大小あるであろう靴だとか)を見た瞬間、この物語の結末は決まってしまったのでしょうね。高校時代の魔性の女めいた彼女の存在感と、踏切に消えていくその背中の小ささは、鮮やかな対比となって読者の脳裏に浮かびます。「浮気なあなた」という題名は、主人公にも与えられるのだろうな、と思いました。今ある暮らしを顧みず、衝動的に彼女に一緒に暮らそうと誘うことを試みる主人公。袖を引く心ちゃんがその虚しさを一層増させます。素敵な作品をありがとうございました。
No.52 片想い部長の恋愛相談を受ける僕の片想い ラーさん
エントリー部門:エロス
偽の教授:やっぱり愛してるの一言だよな
今回の企画で最少、文字数下限三千文字を攻め切った唯一の作品。なお、最大文字数作品と同じ方であり、もう一つ書いておくと第二回偽物川小説大賞の大賞受賞者でもあられる。さて、本作品ですが、200文字のショートかける15本で3000文字、という構成で、勢いとスピード感がすごいです。正直内容的には大味な印象もあるんですが、一つの挑戦としては高く評価させていただきたい。そんなところですね。
偽の籠原:めちゃくちゃ微笑ましいです。『魔改造キメラエルフにTS異世界転生したアラフォーオッサンの俺が、骸骨魔王のために勇者と死闘を演じています。』を読んだときも思ったのですが、なんだか、人間の善性とか徳性とか、そういうのが詰まっていてエンタメとしてストレスなく読めるのが良いんだなと思います。
偽のマヤ:やはりラーさんさんは小説が上手い、基礎能力がしっかりしていらっしゃる、そう思わせてくれる作品でした。たった200文字のエピソードを15回も繰り返している形式なのですが、各話のスタートとオチがはっきりしており、そこ単体で取り上げても十分に物語として成立しているのが興味深いです。あと部長ちゃんがキャラクターとしてしっかりと可愛いのが凄いです。私だったら、各話成り立たせるのに夢中で描写がおろそかになるか、全体像を重視しすぎて、一話ずつが面白くなくなってしまうか、どちらかをやらかしてしまうので、両立できるラーさんさんが羨ましいです。部長ちゃんの魅力的なこと魅力的なこと、そりゃあ後輩くんも惚れてまうよ、という説得力がひしひしとありました。後輩くんが見本としてとは言え「好きです」と伝える山場、その後の13話の凄まじいテンション、そしてしっかりオチる最終話……盛り上がりが沢山あって、この形式における理想形、全てを兼ね備えた完全体と言えるのではないでしょうか。素敵な作品をありがとうございます。
No.53 メタ子☆ミラクルエクスプロージョン! 尾八原ジュージ
エントリー部門:ルダス/プラグマ
偽の教授:第四の壁でゲス
面白いということだけを言っていいなら面白いし、ジュージさんのこのタイプの作品は最近比率的にかなり希少度が高まっててレアなのでありがたく摂取させてはいただいたんですが、それはそれとして企画趣旨に照らして評価するのがかなりしんどい。どう論じろっていうんだ。ばっさり切り捨てるならばトンチキ:ルダス:プラグマ=98:1:1くらいの比重だよな、とは思いました。まる。
偽の籠原:楽しそうに書いていてなによりでした。やっぱり、展開を畳みかける系ってそれだけで面白いんですよね(個人的には上様のところで爆笑しました。宇宙人の次に上位存在とか出してもっとスケール大きくしても良かったかもですね)。
偽のマヤ:物凄くギャグやエンタメとして面白かったです。がっちりとかずっしりとした雰囲気の作品の多い本企画の中でも、清涼剤として楽しむことができました。ありがとうございます。何と言えばいいのでしょう。この作品も、実際にちゃんと考えられて書かれているのでしょうし、そうでなかったらジュージさんは本当に何者なのだ、という話になってしまうのですが、それを気取らせないというか、それを意識する暇もないスピードでジェットコースターのように読者を振り回してくれるというか……。「学園一のイケメン以下略の死体」と「肉体関係を持」つとか相当エグい内容は入っていたりするんですが、それで躓かず、思わず笑ってしまうほどに、勢いが凄い。美人妻も上様も死体も、みんなクスリと笑ってしまう。流石の腕前でした。
最後ちょっと意味わからないまま仄かにしんみりを醸し出しているのも楽しかったです。ジュージさん、メタ子ちゃん、ありがとう! ミラクルエクスプロージョン!それでは、素敵な作品と楽しい時間をありがとうございました。
No.54 "Human, All Too Human!" 中田もな
エントリー部門:マニア
偽の教授:神は死んだ。神は死んだままだ。
一読して「重厚な作品だったなあ」と思って改めて文字数を確認したら1万2000も行ってなくてびびった。『Le Songe d'Ossian』が1万5000足らずだったのも驚きだけど、こっちもすごい。すごい文章密度力。内容は、まあ面倒くさい人と面倒くさい人の友情は最終的にだいたい破綻するという話ではあるんですが、ふたりの人間の浮かび上がるようなくっきりとした人格の輪郭を描き出す筆致、実に見事なものであると評します。『Le Songe d'Ossian』も力作でしたがこちらも勝るとも劣らない。双方とも複雑な精神性を持つ複雑な人間ふたりの、そして特にフリードリヒ・ニーチェの本当に面倒くさい激重感情が見せる変遷、そのシーケンスの重厚さ、堪能させていただきました。
偽の籠原:切ない。ニーチェ全集を買って家の本棚に収め、彼の哲学をよく読み返している私にはいつも不思議に思うことがあります。彼はなぜ、あそこまでワーグナーの音楽に恋焦がれてしまったのだろう、と。そしてなぜ、そこまで恋焦がれたにもかかわらず、やがてそこから去ってしまったのだろう、と。そんな彼の葛藤を余すところなく書いているこの小説に、とても心揺さぶられました。
偽のマヤ:『Le Songe d'Ossian』もそうですが、やはり壮大なシーンを描く筆致に華がありますね。作者様の得意分野でいらっしゃるのでしょう。ニーチェが声を振り絞ってワーグナーと対決するシーンなどは、特に素敵です。台詞と間に挿入される地の文が、無駄なく、最良の効果を発揮するように組み合わされています。また、やはり構成の仕方がお上手だなとも思いました。ワーグナーの演奏シーンや、ニーチェの心情描写が盛り上がりを見せるシーン、最後の引用、それぞれがメリハリが効くように配置されていて。とてもハイクオリティなものを読ませていただいたな、というのが私の感想です。ニーチェの視点に寄り添いながらも、ズームイン/ズームアウトの自由が効きやすい三人称視点を採用していらっしゃるのも良かったです。一人称の語りなどで、余り彼に肩入れしすぎていれば、二人の対立は今ほどには映えないものになってしまっていたでしょう。芸術家の主義の対立というのは、私も前々から興味のあったテーマですが、それを哲学者と音楽家というどうしようもない「隔たり」を利用して、それぞれのキャラクターを活かすという優れた方法には舌を巻きました。素敵な作品をありがとうございます。
No.55 読書クラブへようこそ! おなかヒヱル
エントリー部門:アガペー
偽の教授:サンリオSF文庫総解説
「なに?これはなに?どういうことなの?」と思いながら読み進めて、最後まで読んでもその思いは変わらず、いちおう二周目読み切ったけどそれでも「なに?これはなに?どういうことなの?」のままだった。このわけのわからなさとユルい雰囲気が味なんだとは思うのだけど、うーん、どう評価したものやら。これ、講評を書けと言われても困るんだけど、もしこの作品がアニメ化されて、けだるい夏休みの夕方とかに地方局の再放送とかで放映されてたら、なんとなく最後まで食い入るように見てしまうかもしれない。そんな作品でした。
偽の籠原:富野と宮崎が出てきたところで爆笑しました。でも、この小説自体の作風は実写映画でギャグやってるときの押井に近いんですよね(『紅い眼鏡』『トーキングヘッド』『立喰師列伝』あたりの)。読書クラブという当初の設定がどうでもよくなって、ヒロインの身体が金色に光り始めたあたりからもう耐えられませんでした。もうこれが優勝でいいよ。
偽のマヤ:いやぁ、面白かったです。何でもありの楽しさというか、高校生文学らしいめちゃくちゃさと言うか……それがしっかりと繋ぎ合わされて、一つの魅力的な物語になっている。序盤は少しリズムに乗り切れないところもあったのですが(例えば、余りに均等で過剰な改行が却って少し読みにくかったこととか)、終盤はもうそんなことも気にならず、すっかり世界観の中に引き込まれてしまいました。もう少し演出の細かいところに読者を引っ掛けるプラスアルファがあれば、さらにクオリティの高い作品になったのではないかと思います。あと、お題である「愛」の消化も、もう少し演出に一捻りあれば、賞レースでも他の作品を差をつけることができたでしょう。伸びしろが大きく、凄くワクワクする作品でもありました。演出の細かいところ、と言うのは例えば、益荒男ユキの容姿はかなり特徴が強いので、ただのキャラクター属性として処理するのではなく、後々彼女の正体が明らかになるときのためのヒントとして「(ネタバレ)は身長2メートルくらいある」だとか「(ネタバレ)は白い毛並みが特徴」だとか設定を入れて、それを前半から中盤にかけて散りばめておいたりするなど、終盤の盛り上がりに向けて伏線を張ることで、さらなる盛り上がりを演出することができると思うんです。SFの決まった最終決戦の格好良さと浪漫、ここが本当に序盤のホラーじみた描写と同じ作品なのかと思うほどに毛色が違って、それでいてちゃんと繋がっていて、とてもとても良かったです。素敵な作品をありがとうございました。
No.56 君のお骨を愛してる ももも
エントリー部門:ストーゲイ/マニア
偽の教授:骨まで愛してほしいのよ
流しのペット火葬業者をいとなむ遺骨愛好倒錯者と生臭坊主のバディもの。ありきたりな言い回しを使いますが、主役二人のキャラがくっきりと立っていて、とても出来のいい短編小説でした。語り手の方は人骨を手に入れたくて仕方がないわけだけど、それを坊主の人がきっちり掣肘する、その相方に対する解像度の高いっぷりがなんとも小にくらしい。物語として大きな波乱のようなものはなくて、全体には淡々とした筆致で書かれているわけですが、ストーゲイの物語としてはそこがかえって高得点に繋がっていると思います。
偽の籠原:金のために成仏をもたらす男と、我欲のために骨を求める男。この対比がとても面白いと思いました。
偽のマヤ:いつ彼らの本性が世間に露わになってしまうか、あわや死体損壊罪で捕まってしまうのではないか、そんな風にドキドキしながら読めました。彼ら二人とも俗物で、少しヤバめの人物なのですが、さりとて優しさがゼロかと言うとそんなことはなくて、親しい相方のための読経くらいはタダでやってくれるし、おじいさんの死を心の片隅で悲しめるくらいには人間をしている。その塩梅が、とてもキャラクターとして魅力的だなと感じました。基本的にはワンアイデアで走り切った小説だと思うのですが、田中さんのストーリーくらいにしっかりとした食べ応えのある話を複数用意すれば、レギュラードラマ的な形で長編化できるかも知れませんね。二人からは、まだまだキャラクターとしての良い出汁が取れそうな気がするので、連載バージョンがあったら更に面白いだろうなと思いました。素敵な作品をありがとうございます。
No.57 尸愛/支配 宮塚恵一
エントリー部門:プラグマ/マニア
偽の教授:ネクロマンティック
非常に分かりやすくシンプルにネクロフィリアを直球でやっているという印象の作品。別にそれ自体はいいんですが、ある程度そっち方面の知識がある読み手にとっては死体性愛というのは正直なところそんなに意外性や衝撃性のある素材ではないわけでして、そこからもう一歩踏み込んでなんらかの文学なり小説なりをやってほしかったというのがひとつの感想ですね。死化粧師のキャラクター像は面白いんだけど、なんか必要だから話に登場させられているだけなのかなという印象がなくもないし。
偽の籠原:平田のキャラクターが良いですね。傷つけても歯向かってこない、かつての飼い犬のような対象を求めて死体を新鮮なままにしておく、そんな自分の本能に対して実利的に素直な偏執さが、この作品の特色だと思いました。
偽のマヤ:ただ一つの情念を描いた作品でしたね。三千字全てを「愛」というお題に対して振り絞ろうとするようなストレートパンチでした。タグに「死体性愛」と書いてありますが、読み終わった後にこれを見ると嫌な予感が凄いですね。まさか「私」さん、あなた信頼できない語り手だったりします……? と。後半から本性表してきて、この男はヤバいと頭が警鐘を鳴らしまくる作品だったわけですが「これからも、彼は私と共に居続ける」。これがもうこの作品の全てを表しているように思います。「私は彼と共に居続ける」ではなく、この主語と述語の並びにするあたり、もう彼は根本的なレベルから主従関係の染み付いた人だったのだな、と。とはいえ、無意味に怖い怖いと片づけるのも失礼な話ではあります。ある意味純愛ではありますからね。彼と坂元さんの絆は。例え坂元さん→「私」の感情が刷り込みによるものだったとしても、「私」から坂元さんに向けられた愛は偽りないものでありましょう。……ごめんなさい、やっぱり怖かったです。序盤から後半に向けて少しずつ「私」と坂元さんの関係性が明らかになって行く様は、静かに、それでいて確実に明かされていくものであり、作者様の情報配置の上手さを感じました。素敵な作品をありがとうございます。
No.58 プロポーズ タケダ ノブアキ
エントリー部門:アガペー/ストーゲイ
偽の教授:親父の一番長い日
三幕構成のサの字もないような、流れるようで跳ね回るようでそしてこちらの予想を覆しまくる話の展開。最初に長々と提示される書簡文が話の本筋それ自体にはまったく繋がっていないにも関わらず、しかし重大な意味を持っている、という。いいですね。こういうの、私は好きです。全体的に粗削りなところは感じるのですが、しかしそれ故の作品の力というものがありました。なんというか、不思議と胸を打たれるものがあります。
偽の籠原:妻の父親に結婚の許しを乞うくだりって今でもあるんですかね? こういうのって現代ではただの定型的な儀礼にすぎないもので、そこで本気で断る父親ってヤバいんじゃないかという気がしました。冒頭の手紙も、娘とのデートとか書いているのが少し怖くて、これで感動するものなのか、というのが引っかかりました。そういう違和感も作者の意図したところなのかな、と思います。
偽のマヤ:面白かったです。正直序盤は、よく見るタイプの物語だな、この作者様はどうやって他の作品と差別化なさるのだろう……と思っていたのですが、そういう次元の話ではなかったですね。鮮やかでした。素晴らしかったです。二つの物語の溶接の仕方が天才的で、短い文字数の小説の中で、こうも上手く展開、応用できるのかと目を見開きました。何と言えばいいのでしょう。ひたすらにスマートでした。これは講評と言うより感想なのですが、彼が手紙を読んで素直に「気付く」ことができたのは、薄々自分の中に欠けているものを意識していて、手紙が見せた「愛」がそこにぴったり嵌まると認識したからなのでしょうね。「ですがその気付きも一つの側面でしか無いのでしょう」という説明文は、彼が絶対的な正解を得たわけではなくただ伽藍洞で生きづらさを感じていた部分が満たされただけであって、これから生きていく上で再び壁にぶつかれば、また別の「愛」に気付く必要が出てくる……。彼にはぜひとも頑張って成長して老いて人生を生きていってほしいです。素敵な作品をありがとうございました。
No.59 主我を愛す 矢田川怪狸
エントリー部門:アガペー
偽の教授:まだ、ママと呼んでくれるのね
全俺が泣いた。なんと美しき愛の物語であろうか。これが、これがアガペーの物語でないとしたら、何がアガペーであるというのか。ぜえぜえ。はい。ちょっと興奮しました。やはり、これは相当に強い作品です。大賞選出三作品に、喰い込んでくるかもしれない……俺の中で!でもこれを入れるとすればあれかあれのどちらかを落とさなければならない!ああああ!といったような具合で、かなり心を撃ち抜かれております。ご参加ありがとうございました。これ、愛の対象が『機械』であるということがテーマ的にも物語構造的にも非常に重要な要素になっていて、むしろそこにあるディスコミュニケ―ション的なものを表現することに作者様の意図は置かれているようなふしもあるんですが……それはそれとして、やっぱりこれは愛だし、アガペーだと思うのよ。わたしとしては。
偽の籠原:これがアガペーという分類なのが、まず良かったです。神が自身の被造物である人間を愛するように、人間は自身の被造物である人形を愛する。個人的には、再起動した人形が定型句の言葉しか返せない機械そのものであるのに、偶然、人と心を通わすような音声を発するくだりが感動的でした。神も人間の祈りに涙することがあるのでしょうか。
偽のマヤ:人間って、壊れかけの機械が撮った写真がぼやけているだけで「彼は最期、泣いていたのだ」と表現するような生き物なので、そりゃあダイレクトに情に刺さるよなあ、としみじみ思いながら拝読させていただきました。こうやって人間が、人ならざるものに対して人ならではの愛情を思い描く対象は機械にかぎりません。フローベールの『まごころ』という小説にフェリシテという人物が登場するのですが、「お母さん」を見て彼女を思い起こしました。決まった言葉しか喋らない鸚鵡を心の通った我が子のように愛する女性で、例えばそれが互いの意図が通じていない定型句のやり取りだとしても、我々は愛を成そうとすることができるのだなあ、と感じさせてくれます。本作の「ちなちゃん」は、人間の都合で作られ、プログラムされていたワードに反応することしかできない存在であることが語り手によって絶えず意識されています。説明文にもある通り、そんな彼女と愛が通じたと思うことは傲慢ではないか、そんな葛藤が付き纏うものであるでしょう。ですが、「あれはもう、哀れな機械人形なんかじゃない。少なくともあの老婦人にとっては」。それまでの語りを積み重ねて呟かれるこの言葉が全ての回答であるように思います。幾度も繰り返されてきた問いを、真正面から悩み抜き、一つの答えを魅せてくださった作品でしたね。ご参加、ありがとうございました。
No.60 約束 現無しくり
エントリー部門:マニア
偽の教授:Bury the hatchet
メタ的に「死体を埋める」というプロットの陳腐さを自嘲しつつ、そこから展開されていくのはなにやら芸術的苦悩を抱えた男たちの重たげな感情のやりとり。自嘲の内容や、死体埋めというギミックの文学的な位置づけなどはさておいて、まあこの物語自体はちゃんとそこをフックに話が展開されていて、必要な文学的広がりがあり、悪くなかったと思います。ただ、読むとどうも主題になっているのは何者かになりたい願望であるとか、タナトス(死への欲望/フロイトの概念)であるとかそういった感じで、偏執の愛としての「マニア」を表現した作品、という印象はあまり強くは受けなかったかな。
偽の籠原:芸術家として堕落してしまった友人を、芸術家として堕落してしまった主人公が弔う、このやるせない空気が良いと思いました。
偽のマヤ:この作品を読んでふと思ったことが「これは本当にマニアなのだろうか」でした。花坂の愛は、むしろストーゲイやアガペーに近いものであるように思えます。恐らく、この作品で主眼となる愛は、蝉倉が彼に抱いているものなのではないでしょうか。そう思うと、何だか腑に落ちたような気がしました。彼ら二人の関係性がとても好きです。一見干渉が少ないように見えて、その実お互いの在り方に強い拘りを持っている二人が。あと、蝉倉はきっと花坂のことを凄い気に入ってたんだろうなぁ、と思う描写が端々にあったのも、読んでいて楽しかったです。「木々から抜ける月明かりの木漏れ日だけが、俺たちを向かい合わせていた」とか「透き通るような画風は、何故か俺には濁っているように見えた」のような、ああ、いいなぁ、と思わせてくれる表現の数々も魅力的でしたね。それだけに限らず、弾みが少なく丁寧にひとつひとつ塗り重ねていくような文体が、物語の終盤に当たって速さ勢いが増すのも、花坂がこみあげる感情を抑えられなくなっているように感じられて、よかったです。「埋めてください。そこにある作品と共に」。彼が死んだとき、埋められる作品が「仕事にならなかった絵」しかなかったであろうことは、とても皮肉で、物悲しいことでしたね。だからこそ、この小説に描かれることが彼らには必要になったのでしょう。「何も変わらない生活でも、その目指す先がありきたりな死でなければよくって」。彼らの約束の果てを美しく描いた、素敵な作品をありがとうございます。
No.61 ナイトフィッシングイズグッド 草食った
エントリー部門:エロス/ルダス/ストーゲイ
偽の教授:どんじょばんに
一回目読んだとき、無抵抗で喉にクッキー詰め込まれて窒息死する話なのかと思って、イヤな死に方だなあ……と思ってもっかい読んだら小麦アレルギーなんですねこの人。なるほど。まあ、イヤな死に方に変わりはないけど。表面的にはヤリチン男が女に殺されるというそれだけの話ですが、女の側が犯行に至った契機に「男←男」の感情が介在しているというあたり、実に草さんらしい物語の構造だと思いました。限りなくアロマンティックに近いところにあるルダスというのがなんとも、清冽ですらある。力作だったと思います。
偽の籠原:講評:こういう男同士の絆、大好きっス!! 往年の舞城的な饒舌文体とともに幕を開けた物語は、登場人物を変えて進むごとに少しずつ湿度を増していき、最後に予定どおりの破滅へと辿り着く。魔性の男が、しかしどんな女からのエロスよりも、そんなルダスよりも、ただひとりの親友とのストーゲイを大切にしていた。そんな話だと思いました。
偽のマヤ:結末まで読んで、一気にこの作品への評価が跳ね上がりました。ただでさえ魅力的だったのに、さらに一気に。第二話終わりの時点ではそこまでヤバくはならないだろうとたかをくくっていたのですが……小麦だからと舐めすぎていましたね。何というか、意外な結末そのものに惹かれたわけではなく、あの危機的状況を描く草さんの筆致が素晴らしかったからでしょうか、優れたこの作品の中でも特に極めて美しい文章が不意打ちで来た点が刺さったんだと思います。ありがとうございました。ある一人の人物について、三人の視点から描いていく形式は、二万文字以内という限られたレギュレーションの中で、極めて整然とした効果を発揮しています。一文一文が長い文体でもこの小説が非常に読みやすいのは、草さんの文章力だけでなく、読者に入ってきやすい物語を作るそのご手腕にも功績があるのでしょう。スタイルの弱点を完全に打ち消しつつ、長所を活かしていて、凄いなと思いました。「ありがとな」という言葉についてゆっくりと意味を縁取っていく書き方や、第二話第三話の終わりなど見どころが沢山ある小説でもありましたね。素敵な作品をありがとうございました。
No.62 にせ物の愛、モノトーンの ポテトマト
エントリー部門:エロス/マニア
偽の教授:めしませ つみのかじつ
四周くらい読んだんですが、何が表現されているどういう小説なのかすら理解できませんでした。読んだ人間のうち少なくともわたしという一名は理解ができなかった、という事実にはそれ自体で重要な意味があるというのがわたしの信じるところですので、その旨をそのように書いておきます。もちろん自分以外の人が書いた「こういう解釈が可能である」という評文はいくつか確認済みなんですが、それらを読んでから読み直しても「なるほどそういう話なのか」という諒解すら得られなかったので、私の読解としては「分からなかった」が結論です。
偽の籠原:段落の位置を整えて、詩のように、あるいは映画のスタッフロールのように流れていく文字の連なりが綺麗だと思いました。人工知能が演じる愛の演技が本物になるのか、偽物になるのか、そんな物語が描かれているようですが、どちらかといえば、これは雰囲気を楽しむべき小説なのだと思います。
偽のマヤ:第一話と第三話の序盤、センテンスを細かく切り過ぎて、構文に多様性が出ず、文章のリズムが単調になってしまっています。途中からは流石ポテトマトさんと言うべきか、その制約の中でも音楽的で美しい文章を生み出しておいでです。ですが、文也が大好きだった映画から感動を得れなくなったことに対する驚きをそこだけわざわざ単調な文体でお描きになる理由が余り分かりませんでした。恐らく、字面を整えようとしてそうなってしまわれたのではないかと存じます。過去作のお話に言及することになって申し訳ないのですが非常に優れた作品である『青い繭のなかで』は絶妙なバランスの上に成り立っていて、「分からない」けれど、分からなくてもある程度の方向性を読者に指示してくれる作品だったんですね。『にせ物の愛、モノトーンの』でも、主人公が映画を再現しようとしていること、彼が実は(ネタバレ)であることなどの重要な情報は極めて明確な形で開示されており、その塩梅には流石というべきものがあります。ですが、それ以外の、主人公が今している動作など細かい描写に関しては、像を脳裏に結ぶことができない。『青い繭のなかで』では、主人公が操り人形のようにチョークを握らされ、ひたすらに黒板に薔薇を書かされる情景がありありと浮かびます。ここで映像をイメージできないと、文章はただの文字の羅列にしかなってくれないのです。言葉遣いや比喩表現の美しさはポテトマトさんの強力な持ち味ではありましょう。ここまで巧みに言葉を操れる方はそう多くないと思います。ですが、それも過ぎると、作品本来の味が分からなくなってしまうのです。かなり気難しい講評にはなってしまいましたが、ポテトマトさん、『小さな夜の夜想曲』とか『青い繭のなかで』とか、本当に良いものを書かれる方なので、そちらの方に行ってほしくない、という思いもあり、こういう形になってしまいました。申し訳ありません。ご参加、ありがとうございます。
No.63 L'Ultima Cena 佐倉島こみかん
エントリー部門:アガペー/マニア
偽の教授:EAT ME
まあ内容そのものは非常にシンプルなプロットから出来上がっているわけなのであえてあらすじなどは解説せずに行きますが、思うにこの作品は「食べたい」という愛のかたちというより、「食べられたい」という愛のかたちですよね。喰われる人の心性の方が主としてある。いわゆるカニバリズムというのは「人肉を食べたいという衝動」が前提に置かれることが多いわけですけど、この作品はそうではない。食べる側が、食べられたい側に押し切られて、こういう行動に出ている。グロテスクな主題を扱いながらも非常に美しい作品にまとまっているのは、それが前提としてあるからではないかと思いました。こういうプロットを露悪に走らずに書き切る手腕は流石の一言です。
偽の籠原:ジェフリー・ダーマーという食人鬼の記録を読んだ限りでは、人の肉って可食部分が多くて全て食べきるまでにかなりの時間がかかるんだそうです。このレストランも実は数日コースとかあるのかなと思いました。個人的には奥さんの気持ちがよく分かって切なかったです。『チェンソーマン』第一部のラストの展開とかも好きなんですよね。
偽のマヤ:薄々そんな気はしていたんです。奥さんの台詞がないどころか仕草や描写が一切ないのも含めて、入店直後から。でも、遺影抱きながらの晩餐なのかな、とかそういう風に予想を立てていたんですが、そんな生温いものではなかった。奥さんの台詞が可愛らしいのが、彼女の願いをむごいものではなく、どこか優しいものとして読者に認識させる一助になっています。料理がとても丁寧に作られていておしゃれで美味しいこともまた。作者様の驚異的なバランス感覚が光ると申し上げれば良いのでしょうか……。かなり人を選ぶジャンルだとは思うのですが、作品を読んでいる中、あまり嫌な感じはしませんでした。それと「人の細胞は三か月で全て入れ替わる」というこのジャンルにあるあるの反駁に対し「今日食べた料理の味と」「事実は私の心にずっと残り続けるだろう」という答えを出しているのが強かったですね。作者様の確かな描写力によって、ああそれは確かに忘れようとしても忘れることができないくらいには胸奥に染み付いて離れないだろうなと思わされてしまうのですから。あと、高原さんがその行為に対して実際どのように感じていたのかは解釈の余地があるなあとも感じました。妻のたっての願いだからというバイアス抜きにした時、愛おしい妻をそのように扱う行為が彼にとってどんなものだったか。もし、それが彼の倫理にとって考えられないものであったのならば、それでも妻のために心に蓋をしておくびにも出さず完食する様は、例え無私の愛であったとしてもマニアの域に達していると言えるでしょう。わざわざ「しまう」という助動詞を使っていたりと、怪しい箇所はいくつかありましたからね。そうであってもおかしくはありません。
とても素敵な作品でした。ご参加ありがとうございます。
No.64 公園の君へ ムラサキハルカ
エントリー部門:アガペー/ストーゲイ
偽の教授:わたしはここにいるよ
若干長尺な印象のある作品で、終盤に至るまで話の構造と主題が分かりにくいんだけど、最後まで読み切ってみるととても優しい愛の物語。語り手を完全な傍観者にして、物語に介在させない小説って話の動かし方とかダイナミズムの面でいろいろ難しさがあるんだけど、この作品に関していえばちゃんとそれが重要な意味をもっていて、うまく設定として機能しているところがよかったです。出てくる人々の「必ずしもイイモンでもワルイモンでもない、等身大のリアリティ」みたいなものも、話にいい具合の奥行をもたらしている感じでしたね。
偽の籠原:二人称で始まった小説のなかに、いきなり一人称の「私」が差し込まれたあたりから小説の緊張度がグッと増してきて良かったです。幼馴染の関係を経て、別の男と恋をする彼女にほろ苦い感情を抱く少年の物語、と、そんな少年たちの関係性を俯瞰する「私」の、湿気の強い視点が交差して作品に深みを与えていると思います。
偽のマヤ:釈然としないものがあるけれど、それでも呑み込まないといけない/呑み込んでいける、そんな描写の巧みさがとても素敵でした。慈愛と「うざい」が入りまじった栞ちゃんの反応、「愛想笑いを浮かべているけど、時折、なんでもない会話の端がつぼに入ったりするのか、本気で笑ったりする」君……登場人物の描き方がこの上なくお上手である中でも、特にこの二つは白眉だなあと感じました。あと、お酒で酔っているというギミックを使って、栞ちゃんがたいちゃんに話しかけられるようにする、というのもとてもよかったです。この人はそれがなかったら再び彼に話しかけることはなかったのだろうなぁと思うと泰介くんもたいがい共感性の低い人物だけれど、あなたもひどいよ、という気持ちになります。謝罪はできたけれど、その謝罪がそれでよかったのかどうか……。この作品で一番華の技巧は、語り手が誰なのか、ということなのだろうと思うのですが、それが、ただ読者をびっくりさせるだけの仕掛けになっていないこともよかったです。あの、だいぶネタバレが入ってしまうので、読んでいない方は先に作品を読んだ方がいいと思うんですが、言及しますと、「お母さん」がそれによってちゃんと登場人物の一人として光るようになったのが、本当に凄いなあと感じました。素敵な作品をありがとうございます。
No.65 ラウワ・オクリョ 藤田桜
エントリー部門:エロス(※評議員自作につき受賞権限なし)
偽の教授:キングダム・カム
インカ帝国史にはさっぱり疎いので何がどこまで史実ベースになっているのかはさっぱり分からないのですが、実に叙事詩ですね。流麗。あるいは演劇的ともいえる。恋人にせっついて愛を打ち明けさせておいてそれを全力で無下にする主人公の精神性、傲慢なまでに気高くてとてもいい。こういうのをローヤルデューティーというのだ。王者である。
偽の籠原:かつて、愛が今ほど自由なものではなかった時代の物語。政治的な事情のために愛し合う二人が結ばれない、しかしいちど通じ合った心の輝きが残りの人生を永遠に誇り高く照らし続ける、そういう作品だと思いました。現代では、少なくとも市民の私たちには、こういう葛藤は少ないでしょう(むしろ現代は、愛があまりに自由すぎるがゆえに決断の重みに耐え続けなければならない時代かもしれません。マッチングアプリ問題とかね)。だからこそ私には眩しく見えるのか、あるいはそれは他人事として、ガラスケース入りの歴史を綺麗だと思っているだけなのか、そんな風にふと考え込んでしまいました。
偽のマヤ:インカ帝国を舞台に古典主義で小説を書こうとしましたがめちゃくちゃ難しかったです。この作品を書けて一区切りの諦めがついたというか、古典主義の呪縛が解けたというか、そんな気分です。テーマへの回答としては「愛を殺す物語」を書きたかったというのがあります。愛を貶めたり否定して殺すというより、この上なく尊いものとしてのまま、押し殺したかったんです。しかし中々うまく行きませんでした……。
No.66 きっとエッチな女の子だから あきかん
エントリー部門:エロス
偽の教授:もうちょっと右だったらストライク
100点満点でいうとマイナス3点くらい、相撲で言えば不浄負けですね。箸にも棒にもかからない駄作とはこのことである。出直してこい。
偽の籠原:「セエエエエエックス!!!!!!!」←冒頭文インパクト部門があるならこの作品が優勝でいいです。めちゃくちゃ笑いました。下ネタに弱いんですよね私。「勃起しているからってなんだっていうんだ!!」とか、台詞がいちいちキレッキレでずっと笑顔のまま読み終えることができました。人を傷つけない文学。
偽のマヤ:一見おどろおどろしい内容の小説ですが、短編小説としての技術力はかなり高いです。引きの強いスタートダッシュ、勢いとテンポに優れた台詞の数々、テーマに即した文体、手に汗握る展開、そして何よりこれ以上ないであろう「意外な結末」は天才的だと言うべきか。本当に、無駄がなく、極めて高いクオリティで纏まった作品でした。普通に面白かったです。
コンプラ的に大丈夫なのかどうかはともかく、これから講評を書いていく中で競合する作品が現れなければ部門賞とか個人賞に推したりしてしまいかねないほどに上手かったです。何だかすごい悔しい。あきかんさん、凄い小説をありがとうございました。
No.67 永遠の噓をついてくれ ラーさん
エントリー部門:エロス/マニア
偽の教授:Viva Cuba Libre
結論から書きますが、とてもいい作品でした。要素要素に用いられているのは、夢オチであるとか友人の死であるとか死んだ友人との対話であるとかいった非常にオーソドックスなプロットなのですが、そういうものだけを使って、奇を衒わず、これだけの作品に仕上げる力量には感服するしかありません。そう、天下のコーラにアルコールが入れば無敵ということですね(どや)。ただ、上位に食い込んでいる作品だからこそ「なぜ大賞三選などに選ばないか」という観点から一つ指摘せざるを得ないのですが、「タイトルなどの中核的な要素が、他人のアイデアを軸にしている」というのは、どうしても上位争いのレベルになってくるとマイナス点として勘案せざるを得ませんでした。そこを含めての作品なので、どうしようもないとは思うのですが。
偽の籠原:かつて憧れとしていた存在を喪ったあとも、作家という生き物は、なにかを書き続けなければならない。たとえそれが、嘘のよりどころであっても。
私も大学の文芸サークルに在籍していたことがあるので、そのときの空気を思い出してしみじみしていました。繊細な感性で名文をモノにできる人って、案外早々に挫折しがちなんですよね。大事なのは駄作をつくる勇気だ!!
偽のマヤ:その嘘を吐くのにどれだけの思いが必要だったろうと、どれだけの苦しみを乗り越える必要があったろうと考えると、ああどこまでも真っ直ぐな物語だなと思いました。○○もそんなこと望んでいないよね、という言葉は既に使い古されてしまった感のある言葉ですが、それをあくまで「嘘」でしかないとしながらも「全部あたしには必要な嘘だった。永遠に必要な嘘だった」と肯定する姿勢はどうしても弱い人間が、それでも強くあろうとする輝きを感じさせます。本作品では、実際に二人がどんな関係性だったかについては余り触れられていないんですよね。夢の中の主人公と先輩の絆は、それ自体が彼女の「嘘」であるかもしれないし、普通に当時の記憶のままだったかも知れない。共通するものがあるとすれば、ただそうあって欲しいという切な願いが込められている。だからこそ、なるほど、それで「さよなら」なのかと感じました。彼女が見ているのは既に「嘘」の先輩であって、生きていた頃の先輩の亡霊ではない。作中で見た夢によって、彼女の中の先輩という存在はどうしようもなく変質した。そういう物語なのだろうな、と私は解釈しました。「お、拓郎だ」の辺りからの台詞は、ああ先輩は彼女にどんな言葉を掛けることができるか必死に考えながら一言一句一呼吸を全て彼女が前を向いて歩けるようにするために紡いだのだろうな、と感じられて、とても良かったです。それでは、素敵な作品をありがとうございました。
No.68 母との(緩慢な)さよなら myz
エントリー部門:アガペー/ストーゲイ
偽の教授:愛は出会い・別れ・透けた布キレ
ほぼ「別れ」というその一点からのみ愛という概念を切り出した作品でしたね。死別というものは現実ではどうしたって瞬間的な現象ですが、ここでは「ゾンビ」というフックを打ち込むことでそこに物語的な広がりを作り、そこに情緒が展開される。うまい構成だったと思います。ユーモラスながらも物哀しげな筆致などを含め、全体にかなり良かったです。
偽の籠原:仏教の四十九日というシステムは、いちど死に別れた愛する者と、もういちど時間をかけて「別れ直す」ために必要とされたのではないか、と考えたことがありますが、この作品では、そうした惜別をゾンビという形で描いているのが面白かったです。途中までフフッと笑いながら読んでいたのですが、最後はしっかりと泣かされてしまいました。みんな、親孝行しような。
偽のマヤ:確かな小説力で書かれた「いい話」と言ってしまえばそれまでなのですが、それに収まらない凄さのある作品だなぁと思いました。細かいところのチョイス一つ一つが物語の刃をもう一歩読者に刺し込もうとする力があるんです。例えば、特定蘇生者の扱いに纏わるSF的な設定の細やかさ。私が特に舌を巻いたのは、特定蘇生者を遺棄したり、もう一度死なせたりする人もいる、という説明の直後に、主人公が母親を背負って山に行くというシーンです。姥捨てかな、と本気で思いましたもの。それからはもう、主人公が母親に真摯に接する度に、そうでなかった場合の世界線が頭にちらついてちらついて……主人公の母親への優しい視線が、かけがえのないものに思えました。ストレートに描写がお上手であるというのも魅力的な点でした。葬儀中に起こった異変に対する主人公の戸惑いや頼りなさ、医師から宣告を受けたときの嫌な静けさ、母親を失った主人公の視界が滲んで次第に「ああ今自分は泣いているんだな」と気付いていくような解像度の上げて行き方……それらのシーンは特に印象深かったです。素敵な作品をありがとうございました。
No.69 寂しん坊の肖像 灰崎千尋
エントリー部門:エロス
偽の教授:キング・ザ・100トン
いわゆる書簡体小説なんですが、語り手が書いているという体裁の書簡の中に描き出されている感情の激重っぷり、今回の七十四作品の中でもそこに的を絞って考えればトップクラスではないかと思う。完全無欠の同性愛小説なんですけど、そこにいやらしさのようなものがまったくない、にも関わらず、重い。とてつもなく重い。愛が重すぎる故に二人は結ばれなかったし多分今後もあらためてくっつたりしない。それが分かる。重い。素敵な作品でした。でも重かった。
偽の籠原:切ない終わりかたですが、相手が孤高の芸術家であることを考えると、これで仕方ないのかもしれません。画家の眼は現実を捉えるのではなく、逆に、現実そのものを創り出すことができる。主人公は彼の眼に射貫かれることで、初めて自分自身というものを持てたのかもしれません。そして、それって、実は全ての愛に言える普遍的なことなんでしょうね。
偽のマヤ:洗練された香気のある作品でしたね。嫋やかさというか艶というか、他人の肖像を描かない画家が描こうとするほどに、「僕」が本当に「見目の良い」ことがひしひしと伝わってきます。物凄く小説の基礎体力がある方がお書きになったのでしょう。とても読みやすく、魅力的でした。特に素敵だな、と思った点が、「貴方」が絵を描けなくなったのは「僕」に魅了されたからではなく、「僕」に孤独を埋められてしまったから、という点です。一見この離別という終わり方はバッドエンドのように思えますが、上っ面でしか判断されることのなかった「僕」に一生の思い出を抱かせつつ、孤独でなければ絵を描けない「貴方」に消えない孤独の傷を刻み付けるという点で、幸福な結末だったとも言えるでしょう。はまるべきところにはまるものがはまったというか……人生を変えるほどの恋をした「僕」と「貴方」がその本質は変えないままに物語の幕が閉じられたのが印象的でした。ご参加、ありがとうございます。
No.70 女の園のエデン 狂フラフープ
エントリー部門:アガペー/ストーゲイ
偽の教授:ふたりのイブ
うーむ遠未来SF。実にハード。実にソリッド。はい、というわけで前回企画、第三回偽物川小説大賞の大賞受賞者、狂フラフープさんの御参戦なわけですが。前回もそうでしたけど「何食って生きてるとこんな話を思いつくんだ」というような着眼点から切り出された、愛の定義づけや捉え方それ自体はともかく「そのための表現技法」がものすごい作品でございました。蛇が何者なのか、この楽園は何だったのか、まあ漠然と想像はできるけどテーマ性の上でそこはそんなに重要じゃないので最後にざっくり削って飛ばすあたりのダイナミックさもいいですね。確かな手ごたえを感じる力作でした。ありがとうございました。
偽の籠原:創世記の失楽園について、私は以前「なぜアダムを先につくったのだろう。まずイヴをつくって、そのイヴからアダムが生まれたことにすれば話としても自然なのに」と考えたことがあります。しかし、この作品はさらにその上を行き、無性生殖から有性生殖への転換という神話を新たに与えました。もはや他者は自己とは違う、愛のなかで分かり合わなければならない「異性」になる。これはとても面白い着想だと思います。
余談:「愛とは自己認識の概念です」。この定義はすごい。納得と感動が同時にきました。
偽のマヤ:よく分からなかった、というのが素直な感想です。イブの独白が第四話の歩いていくシーンで一気に盛り上がる演出や、文章の端々に感じる「うまさ」は流石狂フラフープさんというべき素晴らしさだったのですが、第四話の愛についてイブが必死に考えるパートやエピローグ部分をどう解釈すればいいのかが分からず、ああ絶対私一番おいしいところ読み逃してる……! と歯噛みするばかりでした。≪蛇≫の愛が何だったのかについては「誰かを愛したいと願うとき、まず必要なのはその誰かの望みを知ることだ」に関連する形で今から考えるいうことで明かされないままに終わった、のだと思うのですが、その後に「≪蛇≫は私を、私たちを愛している。私たちを、命の限り愛している」という締め方がなされてて、≪蛇≫についての思い入れとか情報があまりに少ない状態で彼がメインとして処理されていたのでだいぶモヤモヤしてしまいました。己の読解力のなさが恨めしいです……。
作品全体で見てみれば、イブ(イブ)とイブ(アダム)のすれ違いを描く筆力が凄まじく「百合カプの片方を無理やりTSする話」としてこんなに残酷で切ないものがあるだろうかとさえ思いました。服を着せようとするけど、どうしてもサイズが合わないシーン、彼女が仲直りの服を作ることを決意する時点で「あっ……」てなる分かりやすさと同時に、それが破れる段になるまでイブがその事実を受け入れられないのとか、≪蛇≫がもたらした「服」を拠り所にしていたイブが同じく≪蛇≫がもたらした「性別」によって無力を味わされるのとか……もう、しんどみが深すぎて……。素敵な作品をありがとうございました。
No.71 フィルムの中の妹 2121
エントリー部門:ストーゲイ
偽の教授:いちたすいちはれい
物哀しくもそして優しい、姉妹の肖像を描いた掌編。はっきりとオカルト、亡霊という現象を扱っているのだけど、ホラーではなくて確かにドラマとして成立している。よくできていると思います。コミュニケーションがいちおう成立してはいるけどやっぱり成立してはいない、いつまでもこの状況を続けられるわけではない、というあたりも、彼岸と此岸の距離感というものがちゃんと描き出されていて好きです。
偽の籠原:心霊写真という形で繋がるきょうだいの絆がある、というアイデアがまず素晴らしいと思いました。特定のフィルムにしか写らず、それが廃盤になるという話もノスタルジーをかきたてるものです。幽霊は常に、メディアと情報技術の進化とともに歩み、人間の郷愁と畏怖を刺激し続けてきました。こんな風に古いメディアとともに取り残されていく幽霊たちはたくさんいるんでしょうね。
偽のマヤ:この作品のキャプションと題名に「いったいどういう話なんだろう」と人を惹き付ける力があるのが前提として、物語が物凄くカメラが絞られた状況から始まるこの構造、いいですね。終盤になるともう清々しいくらいに惜しみなく情報が開示されていくのですが「分かりやすさ」と「分かりにくさ」がとても巧みに操作された作品だったように思います。それがある種の陰影めいた役割を果たしていたのが印象的でした。これは私の浅学が原因なのかもしれませんが、私最初は「妹は写真にしか写らない。それでも一緒にいれるならいいよね」って話になるのかな、と思っていたんです。でもフィルムが廃盤になるかもしれないというくだりを読んで、ああーっと悲鳴を上げそうになりました。そうか、それがあったか、と。いやあ、つらいですねぇ……。愛しい人の第二の死というテーマを描いた作品は、本小説大賞で他にも見られるのですが、それがこんなにも胸に染み付いて離れないような描かれ方をしているのはこの作品だけだと思いました。「愛」というテーマに対して「愛してる」とか「好きだった」とか「あなたのことが大切だよ」とか、そんな直接的な言葉や行動が示されている訳でもないのに、それでもそこにかけがえのない「愛」があることがどうしようもなく分かってしまう、そんな魅力的な作品でもありました。ご参加ありがとうございます。
No.72 うちにある調味料は全部あなたの涙で出来ている 292ki
エントリー部門:マニア
偽の教授:コンディメントキング
すいません、割と反響のある作品ですけど、私は正直に言いますがダメでした。物語の語り手本人もそれを自覚しているのでこう言っても仕方はないと思うんですけどやっていることもメンタリティも本当に気持ち悪いです。いや、読んだ人間の心をそういう風にざわつかせるだけの力のある作品だということは認めますし、マニア部門のエントリーである以上こういうのも当然ありではあるんですが。でも気持ち悪い。
偽の籠原:切ない。大好きな人の涙を混ぜた調味料、というアイデアまではふむふむと読み流せたのですが、それを風呂にブチ込んでダイブして口に含みながら泣く、というシーンで一気に引き込まれました。実際やってみたらどんな感じなんでしょうね。肌ヒリヒリしそう。こういう「誰も見たことのない景色」を描けたら小説ってもう勝ちですよね。
偽のマヤ:題名がめちゃくちゃ素敵ですね。今回の偽物川に参加してくださった作品の一覧で、真っ先に目を引かれました。そこからリンクをクリックして読んでみるといきなりのパンチの強さにびっくりします。これ主人公ちゃんヤバめのひとだ……! 好きな人の涙を集めるのはまあ理解できますし、それを摂取するのもまあ分かります。でも、結晶化させて調味料に混ぜるというツーステップがヤバさを増幅していますね……! 彼女はなんて健気な子なのでしょう……。第一話の「そういえば」は全て鍵括弧で囲まれたセリフで構成されています。懺悔というか何というか、自分がしてしまったことを告白するという内容なので、いわゆる説明ゼリフであっても不自然さが全くありません。作者様が丁寧に言葉を配置していらっしゃるのもあいまって、登場人物の声が聞こえるような臨場感があります。ここは二人の内どちらの視点なんだろうな、というのを考えるのが楽しかったです。地の文が完全に排除されているわけで、このセリフを聞いている視点人物はどっちなのかが明らかにされていないわけですから。調味料にされた子の視点ならば相当気持ち悪いだろうし、告白をしている子が視点人物ならとても悲しい物語になるでしょう。あ、そういえば三人称視点という可能性もあるのか、ならカメラをどこに置くのが作者様の想定に適うだろう――とイメージする余地があって、下手に描写を捻じ込むよりもずっと素敵な効果を生み出していると感じました。こちらの小説を拝読しながら思い出していたことなのですが、人間って、三か月もあれば体を構成する素材がほとんど入れ替わるって噂がありますよね。なので「無理だよ、あなたは彼女と離れた以上どうしたって彼女とは一緒にいれなくなるんだから」と悲しさがいやましてしまいました。調味料を必死に作って骨の髄まで浸透させたって、すぐに体から失われてしまう……。そんなどうしようもない破局が序盤から物凄いスピードで展開されていく小説でしたね。素敵な作品をありがとうございます。
No.73 荒野の怪物 宮塚恵一
エントリー部門:ストーゲイ
偽の教授:天使呼ぶための機械
友情に殉じるために自らを機械に変えた男の物語。語り手は外部にいますが、主人公は彼だと思いますので、そんなところでしょうか。構造はサイバーパンク小説の体裁で、サイバーパンク小説としては非常に巧みな筆致で書かれていると思います。メカやらなにやらの描写はさすがの一言で、まあ、お家芸というところですね。
偽の籠原:文章にサイバーなエッセンスが詰められていて、文字列を追うだけで世界観に引き込まれそうになりました。これって愛なのかな。でも、命を賭して人が守りたいものを愛と呼ぶのであれば、これも愛なのかもしれません。個人的には、シリーズ化希望です。
偽のマヤ:確かな腕前であっさりと綺麗に纏められた短編でしたね。巧みな配置で語られていくシンプルなストーリーと、たっぷりと詰め込まれたサイバーパンクの世界観。6000という文字数とは思えないほどの読みやすさと満足感の両立には目を見張るものがあります。恐らく、作者様の別作品と登場人物や世界観を共有していらっしゃるのでしょうか。この小説の中では語られない人々や事件を仄めかしつつも物語自体が分かりにくくならないようにコントロールする、その腕前も素晴らしかったです。上質な映像作品を見たときのような感動もありました。ひとえに作者様の描写力の凄さにあるのでしょう。全体的に物凄く演出の仕方がお上手で、講評を書くということである程度意識的に拝読していたのですが、その細やかなこと細やかなこと。事件の真相が明らかになっていく段取りなどはもう凄いという他なかったですし、私が特に好きなのは怪物とヴァイパーさんが意思疎通をするシーン、戦闘シーンも好きなんですが、怪物の仕草一つ一つの表現が本当に上手いのがこちらではより活きていて、どのくらい経験値を積めばこんな鮮やかな描き方ができるのだろうと不思議に思いました。素敵な作品をありがとうございます。
No.74 『 』 藤田桜
エントリー部門:エロス/アガペー/ルダス/プラグマ/ストーゲイ/マニア(※評議員自作につき受賞権限なし)
偽の教授:愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
やってもいいというルールにはなっていたわけだけど実際やるとなると非常に難しい、六カテゴリ制覇を成し遂げた作品。それだけで頭が下がります。実はわたしも書いたんだけど、あまりにも出来栄えが微妙で没にしてしまったもんで……それはさておき。並行して複数の物語が語られていくのかと思いきや最初に出てきた二人のうちの片割れによる作中作であるという構図、面白かったです。なるほどこういう手があったのか。
偽の籠原:最初のうちは「なるほど、六つの物語で六つのカテゴリをそれぞれ網羅する作品なのかな」と思っていたんですけど、だんだん違うことに気づき始めました。登場人物の名前を変えているだけで、ぜんぶ「同じ」話なんですよ。そして仕掛けが明かされて、予想どおり全ては1人の相手に捧げられたひとつの愛の物語だったということが分かると、やはりそういうことだったか、と膝を打ちました。淡々と反復されるモチーフが主人公の感情の切なさを否応なしに伝えてきて、良いな、と思いました。
作中作を積み重ねるスタイルはけっこうあって『好き好き大好き超愛してる。』とかもそうなんですけど、せっかく作中作なら、ジャンルもぜんぶ変えたりして、もっと暴れる手もあるんですよね。そこで現代劇に全て統一してるのは、作中作と思わせないためのミスリードとかではなく、それだけ主人公の感情がまっすぐ現実の相手に向けられていることのあらわれなのかなと思いました。
登場人物が小説を書くのに話題が創作論とかに行かないのも、そういうことかなと。
でも、だからこそ、まあこの小説って「六分類ぜんぶ」ではないよなと思いました。
余談:六つの分類を全て網羅しようとすると、ルダスとプラグマの難易度が本当に高いんですよね。現代の「物語」はロマンスの直系で、登場人物と読者の感情を「盛り上げる」ことに特化しているから、むしろそういうエモーションから逸脱するルダスとプラグマを描こうとすると作品全体が瓦解しかねない。悩ましいですよね。
偽のマヤ:応募は三作までということで「圧倒的に足りないな」と思ったんです。もっといっぱい書きたい、と。なので各部門に対応した六個くらいの掌編を組み合わせたものを書こうと思いました。それが紆余曲折を経てこれになったわけです。
以上が全作品講評です。では、ここからは大賞その他各賞選考、並びにそれに引き続いて始まるトークの模様です。
選考会議
教授:時間だ 答えを聞こう(会議開始時間、さっそくムスカの画像を貼り付ける主催)。いろいろやることはありますが、まず大賞選びから始めましょう。せーの、で書き込みをしてください。せーの!(千石撫子が恋愛サーキュレーション歌ってる画像を貼り付ける主催)。『14へ行こう、二度とは来ないあの特別な季節を生きよう』『主我を愛す』『朝の儀式』
マヤ:『魔改造キメラエルフにTS異世界転生したアラフォーオッサンの俺が、骸骨魔王のために勇者と死闘を演じています。』『醜悪な恋人』『サドリの物語―匣―』
籠原:『Best girls On Board 』『風は知っている』『冥婚』
教授:はい。全部バラバラ。どうしよう……。かつてこんな事態は経験したことがなっしんぐきょうじゅ(少なくとも偽物川では初の事態でした)
マヤ:神ひな川小説大賞で似たようなことがあったときは、一人一作に絞ってから投票、遼遠小説大賞で似たようなことがあったときは今出ている作品の中から一人当たりの票を増やして再投票、って感じがあった気がします
教授:とりあえず減らしましょう。各自、いまの三つの中から一つ選び直してください。『14へ行こう、二度とは来ないあの特別な季節を生きよう』
マヤ:では『サドリの物語―匣―』を
籠原:では『風は知っている』を。
教授:その上で 自分が選んだのではないどちらかに投票を せーのでいきます(※また画像を貼ってる)『風は知っている』
マヤ:『14へ行こう、二度とは来ないあの特別な季節を生きよう』
籠原:『14へ行こう、二度とは来ないあの特別な季節を生きよう』
教授:おk。『14へ行こう、二度とは来ないあの特別な季節を生きよう』大賞に決定です!では私はちょっと作業があるので離席します(※主催者にはこの時点で発生する作業が色々あるのです)
マヤ:『朝の儀式』か『サドリの物語―匣―』でめっちゃ迷ってたので、場合によっては……朝の儀式が残っていたら迷わず朝の儀式でしたね。
籠原:結局は「愛をテーマにした小説大賞で、どんな作品が大賞の『格』としてふさわしいか」を考えて素直に選びました。
マヤ:しかし凄い接戦だったわけですねえ……
籠原:今回ぜんぶすごいんですよ!w
マヤ:そうですね。全部凄いのでまあ正直めっちゃ票が割れるだろうなぁとは思っていました。
籠原:票はギリギリ悩んで入れませんでしたが、たとえば、『夏の終わりのナポリタン』とかも名作の域でしたよね。
教授:戻りました。さて。大賞候補残り八作品が、分類こんな感じ。
籠原:名作揃い
マヤ:ですね……
教授:個人賞だけ伏せて、六部門候補にわたしが挙げてたやつを。
籠原:分類ごとだと、私は次のとおりです(大賞候補に挙げた作品は除きます)
マヤ:私は以下になります。
教授:ルダス・プラグマ・マニアは全員一致かな?
籠原:部門ごとだと逆にすごい被るww
マヤ:そうですね
教授:じゃあ三つは決まりとしましょう。
ルダス部門『ナイトフィッシングイズグッド』
プラグマ部門『写真の中の、花嫁事情』
マニア部門『醜悪な恋人』
マヤ:ぱちぱちぱちぱち!
籠原:この3作は文句なしの部門トップでしたね。
マヤ:ですね。ずば抜けてました
教授:マニア部門 なにげにストーゲイより総数多いのに。圧巻。
籠原:『醜悪な恋人』は……良いんすよ……
マヤ:昨日、読んでてずっと心臓バクバクしてて。教授さんが「悲劇」という分析してらっしゃるのには凄くうなずけました。凄かった
籠原:「おまえ絶対に傷治すなよ? 治すよなよ? 治すなよ? ……あーー治しちゃったーー!」ってなった
マヤ:私も傷治せる可能性出た瞬間あっ、マズいってなりました
籠原:他の作品についても言及すると、『ナイトフィッシングイズグッド』は、遊び人の男とそれにハマる女たちの描写が淡々と良くって、そんな男に女より大切な親友がいるという構図が、単純に性癖でしたね。男の友情には割って入れないんだよなあ(嘆息)この内容で「夜の釣りって良いよね」ってタイトルつけてるのも最高ですね。
教授:ルダス的恋愛のダメなところがきっちり出ているのがすき
マヤ:草さんの作品は既に何回か読んだことがあるんですが、これはもう、本領発揮って感じが凄かったです。
籠原:『写真の中の、花嫁事情』については、これは講評で書きましたが、男たちのやりとりがちょっとトボけてるのが良いんですよね。別にヒロインの手紙は強気じゃないし、男の32って結婚を急ぐ年でもないし。そこから一転してヒロインが登場すると爽やかにハッピーエンドの雰囲気になるのが面白かったです。
教授:あれは淡々とした話の展開自体がプラグマ感が出ててよかった。
マヤ:空気感の作り方というか、そういったものがずば抜けてましたね。
教授:次。アガペー決めましょう。『とろけたにく』『主我を愛す』『風は知っている』
籠原:アガペーはいちばん難しかったです。「愛」という定義の領域に挑戦するような作品が多かったので。たとえば『女の園のエデン』とか『穴とピアス』とかの想像力ってすごい。個人的には、出来損ないのクローンとカニバリズムというモチーフを使って、自己を愛することが他者を愛することであり、殺して喰らうことも肉を差し出すことも愛である、という『とろけたにく』が、いちばん逆説的に博愛(アガペー)に肉薄しているなと思いました。
マヤ:アガペー部門のエントリー作はSFとか信仰系が多いですね
籠原:愛の根源を問うと遺伝子や生命の話になるってことなんでしょうね。
教授:現実世界を舞台にしたドラマでアガペーは扱いにくいしね
マヤ:活動家とかで博愛取り扱う作品来るかなって思ってたら意外とこなかったですね
籠原:「一人暮らしニートの俺のアパートを訪れた新興カルト宗教の勧誘女が意外とめちゃくちゃ良い奴だった」みたいな作品とかありそうでなかった
マヤ:わぁそれいいですね、面白そう
教授:「セックスは愛であり愛とはセックスである」もなかったな
籠原:意外とみんな、セックスしなかったですね
マヤ:そういった意味では『きっとエッチな女の子だった』は猛攻撃を仕掛けてくる作品でしたね。企画一個分のセッ〇スを言いつづけた作品。
教授:うむ
籠原:www
教授:アガペーだと『主我を愛す』の次が 俺の中だと『姫様がさらわれました』。無償の愛はまっすぐに表現してほしい派
マヤ:『公園の君へ』も好きでした
籠原:私は『とろけたにく』の次は『L'Ultima Cena』。その次で『主我を愛す』
マヤ:『L'Ultima Cena』よかったですよね。
教授:あれは料理がうまい(ダブルミーニング)。単に食人を扱うだけのオカルトに終わってないのがいい
籠原:あの題材なのに不思議とグロくなくて、清潔なのも良かったです。ああ、そういう愛の求め方もあるよね、ってなりました。
マヤ:弔いとしての食人は結構メジャーらしいですしね
籠原:生態系のエコシステムに還元するって意味では火葬より遥かに効率的ですからね。
マヤ:でもこの作品みたいに全力でコスト掛けて調理しないとマズかろうとは思うのです。美味しい方がいいですよ、きっと。
籠原:あと、講評で書きましたけど、人って豚とかより遥かに体積が大きいので、1日のコース料理じゃ食べ終わんないよね、というのは思いました。
教授:料金を考えると余りは荼毘に伏してそう。「ほかの客に食わせてる」って雰囲気の店じゃないし
籠原:そう、あの店の雰囲気自体がどこか弔いの場のようで、そこがアガペー的だなと。
マヤ:あの作品はマニアなしで「アガペー」単騎で応募して下さった方がよかったんじゃないかとは思ってます。
教授:ほむ。マヤさんは『主我を愛す』については?
マヤ:あれはプログラムでしかないと割り切りつつも、それでも彼女にとっては違うのだというきれいごとを、作者さんの全力でやってらっしゃるのが良かったです。そう有らしめるための祈りと言うか、そんなものを感じました。
籠原:いろいろ言いましたが、私も『主我を愛す』がアガペー賞獲るの賛成です。
教授:では、アガペー部門賞は『主我を愛す』ということで。そして残り2部門(二部門だけど二作品だとは限らない)
マヤ:エロス、挙げようとしてた作品が大賞取っちゃったんですよね……
籠原:いきますか、エロス!
教授:いきますか。
マヤ:はい。エロスというテーマ性で考えるなら『朝の儀式』が秀でていたと思います。
籠原:同意。
教授:うむ。わたしもそれ。じゃあ『朝の儀式』は決定として、エロス部門エントリーは31作品もあるので、もう一つ選ぼうかと思っているのですが。
籠原:あーなるほど。エロス2作品目は、『風は知っている』をもういちど推したいですね。全ての愛が分類され、定量化された世界で、最後にもういちど情熱の愛が勝利する展開が良いと思いました。それ以外だと、『愛の身勝手』。
教授:おれはまえにあげた『魔女と令嬢、猫を殺す花』と、あと『雲間の月と知りぬれば』かな
マヤ:私的にもう一つ挙げるなら『魔女と令嬢、猫を殺す花』ですかね
籠原:
おふたりの候補のなかだと、『雲間の月と知りぬれば』めちゃくちゃ良かったですね。
マヤ:作者様がめちゃくちゃうまいのが伝わってきますよね。
教授:うむ。前回銀賞受賞者。
籠原:声だけ有名人に似てて良いから余計に幻滅される、っていうモチーフと平安時代がジャストフィットしてるんですよね。そしてそれは、アバターのボイスチャットで交流している現代にもありうる悩みで。だから、時代モノなのにすごく現代的で、胸に迫るんですよ。
マヤ:登場人物の振る舞いの現代ナイズも巧みだったんですよね
籠原:すらっと「俺」とか言うw でもそれが不自然じゃないのがすごかったです。
マヤ:そう考えるとテーマ性的には『雲間の月と知りぬれば』の方が部門賞っぽいかもですね……
教授:そうね。じゃあ、『雲間の月と知りぬれば』エロス部門受賞ということで。
マヤ:ぱちぱちぱち
籠原:ぱちぱちぱち
教授:ぱちぱちぱち。そして六部門の中で最後に残った……
籠原:最難関、ストーゲイですね。名作しかおらん!(千鳥のノブ風)
教授:『Best girls On Board』はね 初期には大賞三選に入ってた。おれのなかで
籠原:『Best girls On Board』推したのは私ですが、この作品は部門賞というより「大賞」として推したって感じですね。単純に小説としての技量がアタマひとつ抜けてて上手い。心に染みる、という感じでして。ストーゲイ部門ってことなら他の作品かなと。
マヤ:『魔改造キメラエルフにTS異世界転生したアラフォーオッサンの俺が、骸骨魔王のために勇者と死闘を演じています。』は恋愛にはギリ入らないけど友情、愛着として考えるなら絶妙なところで、どこか泥臭くて暑い展開をしてくれたので。ストーゲイというテーマ的にめっちゃ良かったなと思ってます
教授:おれは『Best girls On Board』とあと『有閑ムッシュと春の朝』か『夏の終わりのナポリタン』、この三選かな
籠原:私は『冥婚』ですね…… ちょっと刺さりすぎました
マヤ:次点選ぶなら『Best girls On Board』ですかね。『夏の終わりのナポリタン』も良かったです
教授:冥婚は評価高いよね
籠原:あれマジ泣きしちゃいましたよ。ときめきやこだわりではなく、生活の繰り返しのなかでたしかに積み重なっていく愛が、良かったス。その意味ではストーゲイの名にふさわしい作品かなと。
教授:ストーゲイ部門としての一点突破なら『夏の終わりのナポリタン』総合力なら『Best girls On Board』かなと思う
籠原:『Best girls On Board』は、あの友情のありかたが本当に美しい。戦闘機の描写もカッコよくて良いんスよ。
マヤ:ベストガールズ、最後のメッセージが凄く良くて、戦闘機の描写がかっこいいのは分かりみが深いです。
教授:ふむ。『Best girls On Board』でいいですかね?ストーゲイ賞。
籠原:私は異存ないです!
マヤ:私も賛成です。
※ここで六部門七作品が決定しました。
籠原:うひゃー、名作ばっかりになった!
マヤ:壮観ですね。強者の中の強者が立ち並ぶ。
教授:次は審査員個人賞。各人一つ、大賞・部門賞との重複禁止。名前を自分で付ける。私は『Le Songe d'Ossian』「レジオン・ドヌール勲賞」。「主我を愛す」の講評書くまで、大賞三選に入ってたんだけど。ぎりぎりで押し出されてしまった。
籠原:あれは名作でした(というかこの人いつも取材ハンパない)。同じ作者だとニーチェのやつ("Human, All Too Human!")も良かったっす。何を隠そう私は学部生時代にニーチェとワーグナーの二次創作を書いた人間!
マヤ:『Le Songe d'Ossian』は突破力が凄いけど、『"Human, All Too Human!"』は作品全体を通して瑕疵の少ない安定型というイメージ。どちらも凄かったです。うむむ……『サドリの物語―匣―』と『魔改造キメラエルフにTS異世界転生したアラフォーオッサンの俺が、骸骨魔王のために勇者と死闘を演じています。』どっちにしよう……。サドリ、教授さんの講評見てなるほどと思ったんですよね。長編用のものを二万字前後くらいのスケールにチューニングした感じ。
教授:それができてしまう技量があるとそれができてしまうからねー
籠原:「短編小説に出てくるファム・ファタール系ヒロインはね。一瞬で心を奪い去らなきゃいけないし、一つの台詞にも全身全霊を込めなくちゃいけないし、やる事全部がテーマ性に結実していなきゃいけないの。ってマキマさんも言ってたし」←たしかにマキマさんの言うとおりだ……
マヤ:でも第七話が情景めっちゃ良すぎて第八話が「愛」への回答としてめっちゃ好きで……
籠原:『サドリの物語―匣―』は私も好きなんですよ。これマヤさんにも言いましたけど、序盤の「思わぬ大人物の女を拾ってしまった純朴な大学生が、彼女の領域に入り込む資格も資質も持ち合わせないままに、身の程知らずの恋に落ちていく」という構図を読んで、思わず自分の小説『エヴリアリ』を思い出しました。
マヤ:私、そこに滝くんも込みで関係性築かれていくのが本当に好きで好きで……よし、決めました。『サドリの物語―匣―』にします。総合点なら『魔改造キメラエルフにTS異世界転生したアラフォーオッサンの俺が、骸骨魔王のために勇者と死闘を演じています。』の方が強かったとは思うんですが、部分の最高打点がサドリは高くて……『この世で最も絢爛な情景に捧げる賞』で。
籠原:あー、うん、決めました。『ラブ・ガン』。籠原賞。私が賞を与えるんだから私の名前でいいだろうとw
マヤ:三者三様の賞名になりましたね
教授:『ラブ・ガン』、初期の作品の中では屈指の強さだった。誰か個人賞にあげてくるんじゃないかと期待はしていた
マヤ:私もぎりぎりまで大賞推薦中の中に入れていました
籠原:良い作品とか、感動した作品はたくさんあるんですけど、「あ、この作風は私の小説と近いところを目指しているんじゃないか」と思って、勝手に深い思い入れを感じてました。そういう小説はこれだけだったので、個人賞に挙げました。
マヤ:部門システムの割を一番受けた作品だとは思っています。
教授:そうねー。該当分類なしが10くらいきてたら分類無し賞つくったんだけど。
籠原:該当分類なし賞あったら今度は私はそこに『愚かな女』推してましたw『ラブ・ガン』は、徹底して「もう失われたもの」としてだけ、ドーナツの穴みたいに愛を描いているんですよね。否定神学的?
教授:うむ そこが強いんだけど 逆にどこの分類にも入れないという。
では次の話題、大賞受賞作についてのフリートーク行きます。割と話がすぐ流れてしまってほとんど内容に触れていない『14へ行こう、二度とは来ないあの特別な季節を生きよう』。
籠原:生前葬があるように生前霊がある、というアイデアだけでもう強いんですよこの作品。
マヤ:ひたすらに強かったですね。目についてのストーリーとか、文体とか、全ての要素が読者に畳み掛けられるだけ襲い掛かってくる。
籠原:死者との交流というモチーフは、今回たくさんの作品にありましたね。それだけ愛は生死の境界を超えてしまうものだということだと思うんですが、この作品の特色は、それでも「生前」、生きている側の話だけにギリギリ踏みとどまって情緒を積み重ねていくところでしたね。
マヤ:「彼」が「ぼく」だっていうギミックはかなり早い段階から分かってしまうんですが、それが出終わった後も次々と物語が展開されていく引き出しの多さがありました。
教授:『愛を渡そう。この十四の小さな心と体、全部燃やし尽くして出した目一杯の愛を。』このフレーズだけでKO負けです。
籠原:この一文だけで泣きそう。「彼」が「ぼく」であることとか、そういうギミックが早くにバレてしまうことが弱点になっていない。技巧ではなく、魂で読者を揺さぶりにきているなと思いました。
マヤ:めっちゃムキムキの戦士がそんな凄い肉体があるのに今更それ要る? ってくらいの重武装で突進してくる感じ
教授:すごく技術があって技巧的なんだけど 技巧に堕さない力がある
籠原:寿命が先に見えているから、相手の強がりの「死のうと思う」に気づける、とか、そういう会話のひとつひとつがナマっぽくて胸に迫るんですよね。
マヤ:ほんと何でこんな凄いもの書けるんだろう……
籠原:最後にヒロインの特殊な目を奪って、代わりに自分の目をあげるから色んな景色を見て生きてくれ、という終わりも、良いよなあって。
マヤ:そう! それなんです! そこめっちゃ好き
教授:さて。他の受賞作はともかく、『愛の儀式』があまり語ってなかった気がする。
籠原:『朝の儀式』は、色んなバンドやアーティストが多種多様な機材を持ち込んでド派手に演奏しているところに、アコースティックギターと歌声1本で勝ちにきた作品だなと思いました。
マヤ:もちろん会えないのは悲しいし、生きていてほしかったのは前提として。私は彼が好きで、好きで、もう会えないなら、会えないという事実ごと愛したいと思うほどには彼のことが好きだ。そうは思っても、時にはわんわん泣くけれど。それでも」。ここめちゃくちゃ好き
籠原:「、」の息遣いで感情が伝わる。そういう文章ってなかなかない。
マヤ:ああ、辰井さんの文章だ、って分かる魅力があります。
教授:朝ごはんを食べてもいいのかもしれなかった。」がほんとうにいい。日本語をこういう風に捻れるのは超上級テクニック。
籠原:そこ!私の講評引用しますね。《好きな小説に「人間の生命力は驚嘆に値する。彼が死んだあとも私は生きている」みたいな文章があるのですが、それを思い出しました。愛を喪ったあとも純粋な生理的欲求で人はおなかが減ったり眠って起きたりする。生活は続いていく。そういう生活のなかに、かつての愛の痕跡が残っている。たとえば料理という習慣で。そういう話だと思いました。大好きです。》
マヤ:教授さん、去年も辰井さん琴線のど真ん中撃ち抜かれてらっしゃっておいででしたね。
教授:うむ。前回(第三回偽物川)は個人賞。自分の「愛とは何か、お前なりの答えを一言で言語化しろ」という問題に対する回答は「生きることと食べること」なので、『朝の儀式』は解釈完全一致だった。だから『夏の終わりのナポリタン』も強いんだよね、俺の中で。食の記憶と愛の記憶は結びつきがつよいのだ。
籠原:辰井さんのこと、私は小説論から先に知ったんですよ。ここまで小説について考え抜いて考え抜いた先に、これが出てくるのか、と、いつも感動しています。食と愛については、たしかに、胃袋を掴むっていう表現もありますもんね(ちょっと違うか)
教授:ちょっとはちがうけどでもいいせんいってる。ただ、「なるほどそうか」と思われてグルメ小説がいっぱい投稿されても「そういう話ではない」ってなるから、この段まで明かさなかったけどね。
籠原:『夏の終わりのナポリタン』については、ナポリタンの赤とランドセルの赤を重ねて夕焼けを想い起こさせる、小道具の使いかたが本当に綺麗なんですよ。まーグルメ小説はそんなになかったですが、人は喰ってる小説が多かったですねw
マヤ:食べると被食者と一体化できますからね。
教授:グルメじゃないけど『うちにある調味料は全部あなたの涙で出来ている』講評に書いた通り、グロッキーになりました
籠原:調味料!良かった! 今までにない景色を提示できたら、小説は勝ちです。私は講評に書きましたが、「肌ヒリヒリしそう」って思いました。
教授:「欠点を指摘し得る作品はそれだけで傑作」とか何とかいう言葉もあるし、人をグロッキーにできる小説は強いのだが、だめなものはだめぽ
マヤ:調味料、ケチャップとかマヨネーズに入れるのは気持ち悪いけど、塩とか胡椒に結晶を混ぜるのは気持ち悪くない、っていう今まで気付かなかった謎のセーフラインを自覚させられた、かなり未知の作品でした
籠原:マヤさんの「一体化」ってことで言うと、私の友だちが教育実習生時代に愛について聞かれて「ひとつになることです」って答えてたの思い出しました。
教授:あと前評判などのわりにここでまだ話題になってないのは、赤井風化さんの三作品とか。『どこまでも、どこまでも』『誓い』『吉祥天』
籠原:『誓い』に関して言うと、あずみちゃんがクッソかわいくて最高でした。
マヤ:『誓い』も『吉祥天』もグロッキーになりました。多分この作者様は読者の精神を抉るそういう作品を作るのが上手い。グロッキーというか、ゾっとなる感じ、
教授:『どこまでも、どこまでも』のために銀河鉄道の夜を読破った。三十年前に読んでおくべきだった。
籠原:博愛精神についての問答がある『銀河鉄道の夜』の下敷きにして、その真逆のエゴイスティックな愛を語る『どこまでも、どこまでも』も面白かったです。
マヤ:『どこまでも、どこまでも』じゃ宮沢賢治を使いながら宮沢賢治と全然違う空気感を作れるのが、引用系の中でもトップの強さだと思いました。
籠原:『吉祥天』については台詞の語りのなかに色んな時代の言葉遣いを織り交ぜて、「あー、こいつ長い歴史の中でずっとこういう活動してんだな」って思わせるのが上手いなと。『どこまでも、どこまでも』は良い意味で「宮沢賢治に謝れ」みたいな作品ですものね。
教授:そういうところまで含めて宮沢賢治という文学のような気はする。銀河鉄道の夜読んで『輪るピングドラム』がいかに宮沢賢治であるかよくわかったけど、ピンドラもたいがいだからなあ。
籠原:大澤信亮の『宮沢賢治の暴力』って評論も面白いですよ。赤井風化さんの作品については、そこまでグロッキーなイメージはないです。クローズドな人間関係のなかで盛り上がっていく情緒を描こうとしたらもう円熟の域に達しているので、今度は、オープンな群像劇を描いたときにどうなるか見てみたいですね。
教授:お二人は、他に何か語りたい作品ありますか?これまであんまり出てない中で。
マヤ:狂フラフープさんの『女の園のエデン』、お二人はどうでしたか?
教授:あー。すごいんだけど、なんというか一点突破力には欠けた。
籠原:アイデアが大好きです。
マヤ:凄いのは分かるけれど、読んでいる私からずっと遠くで凄いことが起こってしまっている感があって、自分の読みに不安になったんですよね。上手いが故のと言うか、うますぎるがゆえのと言うか……
籠原:(もっと不安になる作品たくさんあったからなあ)作中に出てくる「愛とは自己認識の概念です」って台詞。この定義はすごい。納得と感動が同時にきました。
教授:発想がSFよね、そこんところ。神林長平の小説にたまに出てくるモチーフだな とは思った。あの愛の捉え方は。他者が存在することが自己を規定する、みたいな。
籠原:他者が自己に先行する、というモチーフですよね。読者としては、そこからまたアダムとイヴがどうやって関係を紡いでいくのか、というのが『愛』の読みどころだと思ったんですよね。なので、世界観の提示は素晴らしいから、もうちょっと続きを読みたい! という感じでした。
教授:籠原さんは語りたい作品的なものは?
籠原:語りたいとは少し違うんですけど、九珠の剣、良かったです。
教授:ああ。小説としては面白かった。テーマ性の面でちょっと評点を下げたけど。
マヤ:ひたすらに筆力が高かったですね。
籠原:たしかに、愛がテーマかっていうと、もっと別の方向性の作品なのかなと思いました。バトルで強いヒロインが……好きなんや……(ただの性癖)
マヤ:親への服従とそれを解放してくれた師への親愛と考えたら、もっと「愛」の出汁を搾り取れそうな題材ではあるんですがね……
籠原:そこが淡々としてるのは、サムライものとしては正義なんですけどね。テーマが「愛」じゃなくて「力」とか「武」だったらもっと上位だったという意味で、作品自体はメチャクチャ良いよなって。
教授:そうですね。私からももう一つ。『寂しん坊の肖像』これ、信頼できない語り手として読んだ方がいいんですかね。ツイッターだかで誰かがそんな話してた。
籠原:個人的にはすごい素直に読みました。肖像画が、それを見つめる画家の眼が主人公を規定して創造していったんじゃないかと。
マヤ:考えたことなかったですね。
籠原:あ。語りたいというよりは、せっかくだからここで名前を挙げたい作品があと2つだけありました。『母との(緩慢な)さよなら』と『読書クラブへようこそ!』です。『読書クラブへようこそ!』は、もう、めっちゃ笑ったのでそういう部門があったら優勝だなと。宮崎と!富野が!出てくる!w
マヤ:分かります。嵌まる賞があれば問答無用で推してたと思います。
教授:講評に書いたけど 小説じゃなくてアニメで見たい作品だった(無茶ぶり
マヤ:私は演劇で見たいと思いました(無茶ぶり2)。なんか、こう、実在の人間に演じてほしいみがあります。
籠原:個人的には、押井守の実写ギャグ作品を彷彿とさせたので、映像作品としても見てみたかったですね。寿司を無理やり口に詰め込むシーンとか、ベタベタで大好きです。
マヤ:私どんどんジャンルが変わっていくのが好きでしたね、あの作品は。
籠原:ですね。しかも、最後はアクロバティックにちゃんと着地する。
マヤ:やりたい放題なのに、空中分解していない。凄かったです。
籠原:話の本筋と「読書」が関係ないんだよ!ww
マヤ:まあ、それは、言ってしまうと。最悪部活名がSOS団でも成り立ったとは思うんですよね
籠原:そういうのも、自由だなあ、という感じですごい好きです。
教授:『『母との(緩慢な)さよなら』。いい作品だった。
籠原:死者と交流する系でゾンビをモチーフにしている作品は、他に『愛の身勝手』とかもあるんですけど、『愛の身勝手』の切ない絶望感と違って『母との(緩慢な)さよなら』は暖かい。
教授:うむ。死んでるのに、体温がある。
マヤ:しかもそれが、ちゃんと周囲に最悪のパターンや体温のないパターンを配置した上でのっていうのが、凄かったです。
籠原:個人的に、仏教が「四十九日」というシステムをつくっているのを、ゾンビものとしてやり直しているのかな、と思いました。死に別れてしまった死者と、もういちど時間をかけて「死に別れ直す」という。(逆に『愛の身勝手』については、講評で書きましたが、あれは夫が車に轢かれたあと妻と同じくゾンビになってゾンビ夫婦になればハッピーエンドだったんです。まあ、そうはならなかったんですが……)
マヤ:幽霊になれるにせよなれないにせよ、それを必死に彼に祈らせるのがもうほんと、つらくて
籠原:マジで『愛の身勝手』は切ない。
マヤ:キャッチコピーに「この愛に力あれ」とあるので、だいぶ物語の軸の部分から結末が決まっていたのだろうなぁ、と思いました。
籠原:部下の体の生き生きしている感じにドキッとして「ダメだ、俺は妻を愛しているのに」ってなるところとかすごい辛いんですよ、読んでて。
教授:ホラーのうまい人は人間の弱さやダメさを書くのがうまい。バリケードの向こうに愛する人の亡骸を見つけたらバリケードを壊してしまうのだ。それがゾンビ映画。
籠原:そして、人は弱かったりダメだったりするからこそ他者を求めるわけで、ホラーが上手い人は、愛を描くのも上手いということなのかもしれません。
教授:うむ。ところで今回、参加作をカウントしていて衝撃を受けたタイミングが二回あって。一回は『14へ行こう、二度とは来ないあの特別な季節を生きよう』と『朝の儀式』が並んでエントリーしてきた日。もう一回が、『Long season』『ネオテニー』『醜悪な恋人』が三連続で並んだ日。マニア部門の強烈な三作だった。
籠原:あー、『ネオテニー』と!『Long season』!
マヤ:ネオテニー、その質感の澱んだ感じがとても良かった。
教授:なんかこう、文芸の雑誌とかに載ってそう。
籠原:『Long season』については、「ああ、こういうモチーフがあるか!」という感じですごく心動かされました。「生まれ落ちてしまうことの悲しみを、両親の諍いを見てよく知っているからこそ、ただ生まずに孕み続けるという愛の形をとる」。
教授:こういう予想だにしない作品が来るから偽物川は楽しい。
マヤ:授かった「あなた」が一体何者なのか分からないままに話を終わらせた選択が凄く良いと思いました。
籠原:『ネオテニー』に関しては『そこに映るは苦い夢』と並べて論じたい作品だと思いました。どちらも、(男としての、あるいは女としての)成熟を拒否しながら生きるナルシシズムについての作品だと思ったんです。『そこに映るは~』では、それが耽美な文体で語られるわけですが、『ネオテニー』では淡々と主人公の絶望が描かれていく。どちらも面白かったです。
マヤ:あと比較して面白いのが、成熟を拒否して何でありたかったか、という点だと思います。『ネオテニー』は大人にならないために女を拒み、『そこに映るは』は少女であるために男を拒んだ。反発のベクトルが微妙に違うんですよね。
籠原:たしかに。『ネオテニー』の主人公は男になるわけじゃない、というのは対照的ですね。
教授:タイトル、回収されないけどちゃんとそこに結実する。そこがすき。あと結構良かったと思う作品で、『君のお骨を愛してる』まだ話題になってないかな?
マヤ:あれは、主人公たちのキャラクターがめちゃくちゃ良かったですね。
ほどよく共通点があって、ほどよく対になっていて、絶妙に人間味が残ってる。中長編にしても面白くなると思いました
教授:そうね。連載プロット向き
籠原:長編向き、短編向きって話題がちょっと前にありましたけど、そういう意味ではこれもシリーズ向きのキャラ造型かなと思いました。長く愛されうる。
マヤ:「骨を手に入れる」「金を手に入れる」という動機が明確なので、動かしやすそうでもあるなぁと思います
教授:車あるから行動力あるしな
マヤ:社会的信頼もあるし
教授:でも悪党 そこがいい。
籠原:そうそう。
教授:さて、ではラスト。総評を語りましょうか。七十四作品は私の企画としては歴代最多となりました。主にはひとり三作にしたからというのが大きいですが、でも質が落ちたかといえばそんなことはまったくない、たいへんに粒ぞろいの企画だった。『愛』というテーマを掲げることにしたとき、不安もあったんだけど。結果的には成功裏に終われたと思っております
マヤ:どの小説もちゃんとその小説にしかない魅力があって、偽教授さんの「粒ぞろい」という言葉に違わず、物凄くハイクオリティな企画だったと思います。「愛」というテーマに対して、我々が予想だにしなかった作品が次々と投稿されていく様は、きっとこういった小説大賞の醍醐味なのだろうな、と感じました。「愛」、多分まだまだ可能性に満ちたテーマだと思います。というか永遠に挑み続けることができるテーマだと。今回参加してくださった方々が、また「愛」を小説にしてくださる機会があれば、ぜひともまた読みたいなと思える、楽しい企画でした。
籠原:愛とは人間の生きた証そのものであり、その形は、人生の数だけあるのだな、と思えました。
愛について知りたい、学びたいという一心で飛び込んだ今回の小説大賞でしたが、どの小説を取っても、こういう形での心の交流がありうるのか、こういう愛の捉えかたもあるのかと全て心臓に響く思いでした。
結果的にいくつかの小説が大賞・部門賞・個人賞に輝きましたが、いずれも接戦であり、アタマを抱えながらの評議となりました。そういう意味では全部よかったんですよ。
やはり最初に宣言したとおり、試されたのは私たちであり、問いかけられたのは私たちだったのだと思います。
そして、皆さまから投げかけられた答えを読み、抱きしめながら、私もまた「なにか」を書き続けなければいけないのだと気持ちを新たにしました。
思い返してみれば、誰かが書いたものを読み、読んでくれる誰かのために文章を書くとき、そこにもう愛は存在しているのかもしれません。
お互いに頑張りましょう、なんて言ってみたいです。小説を書くってことだけじゃなく、この世界で、どうやらいっしょに生きている命のひとつとして。
最後に一言、この小説大賞にふさわしい挨拶でしめくくりたいと思います。
みんなを愛しています。また貴方の心を読ませてください。
追伸:超面白かったからまた評議員やりて~~!!
教授:では、長らくお付き合いいただきましたが、これにてお開きとしたいと思います。ありがとうございました!
マヤ:お疲れ様です! ありがとうございました!!!
籠原:ありがとうございます!!
最後に
というわけで、第四回偽物川小説大賞、これにて終了となります。第五回の構想は既にあるのですが、やるにしても2023年ですので、また「そんな話もあったっけな」くらいな感じで、頭の隅に留めておいていただけると幸いです。ではでは。あでぃおーす