見出し画像

第五回偽物川小説大賞 結果発表&講評

はじめに

お待たせいたしました。2023年3月1日から4月末日まで小説投稿サイトカクヨムにおいて「ニセモノ」というお題で開催された『第五回偽物川小説大賞』、結果発表のお時間となりました。今回の参加作品総数は45作品でした。

では早速ですが、この発表からまいります。
第五回偽物川小説大賞、栄えある大賞受賞作は!

大賞発表

紫陽_凛さま『アイマイに決定です!
おめでとうございます!どんどんどんどんぱふーぱふー
なお、受賞者さまよりコメントをいただいております。こちらになります。

 初めましての方も、なんだお前か!の方も、こんにちは紫陽凛と申します。
 このたびは「アイマイ」が第5回偽物川小説大賞の大賞を賜りまして、……あまりの畏れ多さに慄きながら筆を執っています。それしか言葉が出ません。ありがたいことです。ありがとうございます。
 今回私は「アイマイ」のほかに「銀の父」を提出しております。当初は「銀の父」だけで偽物川を終えようとしていたのですが、さまざまな「にせもの」を扱った皆さんの作品、その情熱、質量、筆力……読んでいくうちに圧倒されてしまいまして。「私とて字書き!このままでは終われぬ!」という一念のみ抱えて4月の終わりに書いたのが「アイマイ」になります。
 本作は「絶対にSFで純文学をやってやる」という気概のみで書きました。エンタメ筋というものがあるかどうかは知りませんがエンタメ筋を完全封印し、終点のみ決め、自分の書きたい方へ書きたい方へとつらつら書いていったらあんな形になっておりました。(じっさいに純文学になっているかどうかはわかりません。)
 要するに、私は、この偽物川でさまざまな作品に触れたからこそ、「アイマイ」という作品を研ぐことができたのだろうと思います。これだけは本当に本当です。皆様がすごすぎた。
 正直「どの作品が大賞取るのかなぁ」と完全に大賞レース見物人のつもりでしたので受賞のお知らせは寝耳に水でした。本当にびっっっっくりした。GWの職場で。
 今回の偽物川は非常にクオリティが高く、どれが大賞でもおかしくないと思っております。いやほんとにすごかった。こんなの見たことないよ私。どれもこれも「にせもの」に相応しかったと思います。人は偽物を好んだり憎んだり愛したり嫌悪したりして生きていくのです。そして時には偽物になる。
 というわけで皆様、二ヶ月間お疲れ様でございました。また皆様とどこかで、何かで、並走できることを願っております。
 紫陽凛 拝

なお、大賞受賞作にはのちほど特典が進呈され、ここに貼り出されます。いましばらくそちらの方お待ちください。
↓こちらです。美麗!みなさんもう一度盛大な拍手をお願いします!

各賞発表

金賞

今回は金賞が二作品あります。どうしてそういうことになったのかは下の方にある講評会議の模様を見ていただけばわかります。順不同なので、投稿された順(古い方から)でいきます。

南沼さま『翡翠の腕輪
立談百景さま『
すべては所詮、愛の偽物。

以上2作品が金賞の栄誉に輝きました!ぴかぴかー

銀賞

銀賞はいつも通りで二作品です。やはり投稿順でいきます。

草森ゆきさま『アンダードッグ
クニシマさま『
古い日記

以上2作品が銀賞の栄誉に輝きました!きらきらー

審査員個人賞

賞はまだあります。今回は銅賞は選出しなかったんですが、審査員各賞です。まず私のから。

偽の教授推薦!
トリック賞
椎葉伊作さま『人為の虚像

偽の星座推薦!
星座賞
志村麦さま『煙と望郷

偽の輪推薦!
確かな轍賞
田辺すみさま『Fw:

以上3作品が審査員個人賞に輝きました!おめでとうございます!ありがとうございます!

さて、というわけで各賞発表は以上です。みなさま盛大な拍手をお願いいたします!スタンディングオベイショオオオオン!

全作品講評

さて、ではこれよりお待ちかね全作品講評全文を発表していきます。と、その前に、これ本当に毎度のことなのですが一つ説明させていただきます。本企画、偽物川小説大賞においては、三名の評議員が選考会議の直前までお互いの講評を「まったく見ていません」。したがって講評における作品解釈などに大きな食い違いが生じていたりもするのですが、それこそがわたしの企画の「味」でございます故、そういうものだということでご了承ください。ナンバーはエントリー順、著者名は敬称略となっております。

No.1 ドッキリテクスチャー 偽教授

偽の教授:バンジーガム
自分で書いたやつの片割れ。二つある作品と見せかけて「1500文字目まで同じことが書いてある」という、実質主催者にしかやれない遊びです。固有名詞が全部ハンターハンター由来なのは、まあ、趣味みたいなもの。

偽の星座:伝説的な画家ドンの幻の作品をめぐる姉妹小説の一篇。こちらは、贋作を描くシャッチモーニの話。

「きょうじゅにとって、本作でフォーカスしていたのはドンの真作ではなく、ニセモノの磁場から生ある限り逃れることができなかったシャッチモーニという男なのかもしれない。そう思って読むと、非常に味わい深い。シャッチモーニは少なくとも彼が生きている間の期間(寿命から考えて多分発見時から百年以上)、みんなが探しまくっていたドンの真作を唯一手にしたにも関わらず、贋作画家を本業としてきたツケとして、生きている間それを発表することが叶わない。本物を手にしたにも関わらず、贋作を手掛けてきた彼の人生の呪縛によって、ついには本当の意味で「本物と関わること」ができなかった男。ごく僅かな展開で、彼の人生全体を切り取る手腕に感嘆しました」

……というのがレビューで、ここからが一人の書き手としてきょうじゅに送るお手紙なんですけど、今の私の本作に対する評価は上として、初読の評価は違っていました。「きょうじゅだったら普通だよね」とか。あと初読はかなり「薄い」と思った。読者としてシャッチモーニに焦点を合わせないと、読み口がかなり薄口になる。単に私が読めてなかったという話だと思うけど、一人読めてなかったやつがいるのも一方ではあって。読めてないやつに必ず配慮しなければならないという馬鹿な話はないし、私は大体切り捨てるんだけど、もし評価数の多さを目指すなら、凄味の部分をもう少しわかりやすく書いてもいいのかなとは思います。もちろん評価数の多さを目指すのは普遍的な善でもなんでもないし、きょうじゅは「書けない」のではなく「書きたくない」のだと思うし、書き手としてはその感覚にかなり共感するのだけど。そういう道も選びたかったら選べると言って、一本目の講評はおしまい。

偽の輪:姉妹篇二作分まとめて。
差別と、その克服の物語として読みました。
普通に書いたって面白い筋書きに露骨過ぎるパロディ。そしてその下にも更に、一見して不要に思えるファンタジーのテクスチャが被せられている。
『テクスチャ』がテーマの物語だ、と思いました。ドンが受けた人種差別と、シャッチモーニが受けた職業差別。こいつはろくでもない人間だ、という情け容赦のない偏見の話。
抗いようのない差別を、時の流れだけが乗り越えることが出来る。差別をじっと耐え、乗り越えて見せた人の物語。百年の後、『神の不在証明』は真作として世に出たが、これはそれだけの物語ではない。人を越える寿命を持つシャッチモーニは死の間際に、生きたまま栄光に浴することも出来たはず。
シャッチモーニを苛んだ贋作師という賎業こそ彼の本質であり、エルフの画壇から見れば食事にたかる蝿のような仕事もシャッチモーニにとっては日陰の、けれど矜持を持って取り組む仕事だったからだと思います。彼はドンがそうであったように一人の創作者で、だからこそ彼は自作に自分の名と職業を残したわけで。
彼は敢えて、名誉ある画商としてでなく、世界で最も価値のある絵のひとつに永久に付き纏う贋作師として歴史に名を残した。もしかしたら、という彼がドンの絵に刻んだ一抹の瑕疵が、エルフが厚顔無恥に作品を礼賛しつつ報いることのなかったドン自身の生涯に慰めを与えたようにさえ思える。偏見など糞食らえとほくそ笑む死に顔が目に浮かぶような傑作。とにかくお見事。

No.2 薄っぺらな嘘 偽教授

偽の教授: 伸縮自在の愛
自分で書いたやつの片割れ。この二篇にははっきりと種本があって、フィリップ・モウルドという英国の画商が書いた『眠れる名画』という本。小説ではなく、スリーパーと呼ばれる古い絵画の話を中心に、美術品の取引について論じた本です。ザイカハルが『薄っぺらな嘘』でやられていること、つまり「スリーパーに見せかけて、古いキャンバスの上に薄く絵を描いて作った、画商を騙すことを最初から狙った贋作」の話はモウルド自身が本当にやられた経験のある実話としてその本に登場します。偽の星座さんが分析した通り、冒頭二篇はあくまでも「ニセモノの絵画、すなわちスリーパーにまつわる話のための前置き」であって、ドンというゴブリンの画家の話は設定として置いただけです。その部分は本当はもっとボリュームを絞るつもりではあったんだけどね。ドンのモデルはいちおうヨハネス・フェルメールあたりを意識していて(ゴッホもちょっと混じってるが)、異世界ファンタジーにした理由というかせざるを得なかった理由は、現実の世界をベースに架空の画家や架空の絵画の話を出すといろいろ差し障りが多いからです。異世界ファンタジーにしてしまった方が、いっそ虚構性が逆に薄れるからね。贋作画家(ニセモノ)がホンモノの幻の絵画を発見し、まともな画商(ホンモノ)がニセモノの幻の絵画を掴まされるという対の構造にしてあるわけだけど、シャッチモーニが本物の絵をああいう風に処置した本当の動機とかは、「俺なりの解釈」はあっても「作者としての決定事項」は無いです。読み手の解釈に委ねるべきものだと思う。

偽の星座:伝説的な画家ドンの幻の作品をめぐる姉妹小説の一篇。こちらは一度は真作を手にしながら贋作を買ってしまう美術品ディーラーザイカハルの話。

「真作を手にしながら」という部分は『ドッキリテクスチャー』で語られるシャッチモーニのエピソードと共通するのですが、ザイカハルの場合、「気付きすらしなかった」というのが重要なのだろうなと思います。この道八百年のベテランディーラーであり、彼の性格を考えれば、恐らくは彼自身もそのことに並々ならぬ自負を持っていたにも関わらず、彼はみすみすドンの真作を逃したことに気付きすらしない。そして自分は「正統」だと疑わず仕事をしている。それが、贋作者としての傍流の立場を理解していたシャッチモーニと異なり、「許されざる者」とエピソードタイトルに書かれるに至った理由なのではないかと思います。彼は表面的にはその資格がありながら、結局「本物」とは縁がなかったのです。

前作と合わせて読んだときに、前半2話で同じものを書きながら、異なるエピソードタイトルを見て、多分表面的な文章が同じであっても、意味合いが異なる2篇を書きたかったのだと思いました。シャッチモーニの物語における前半2話は、いわばニュートラルな前置きですが、ザイカハルの物語における前半2話は、彼の「罪」の話なのですから。前半2話の性格は第3話を読んではじめて明らかになるという、思い返すことで意味が生じる構造で、かなり高等(読み手を選ぶとも言う)なつくりです。

ここから余談なんだけど、歴史的な「事実」なるものはあるにせよ、それは見方によってがらりと様相を変えるのである、というのは歴史ものを書く人間なら一度は手を出したいテーマではないかなと個人的に思っています。きょうじゅは異世界ファンタジーのかたちでスマートにそれをやったんだなと思いました」

きょうじゅの分だけ講評から抜粋してレビュー書いちゃったから、目新しくなくて申し訳ないな。それにしても「スマート」ってどこかで誰かもきょうじゅの作品について講評していた気もしますね。私はきょうじゅの作品は「スマート」であり「禁欲的」であると思っています。登場人物が禁欲的であるという意味でなく、作品をわかりやすく凄く(或いはシリアスに、そしてエンタメ的に)見せないという意味で禁欲的。書き手として、そのあり方をとても好ましく思うと同時に、多分新人賞界隈とかで求められているのはもっとわかりやすい凄さなんだよなと思うと複雑ではあります。なんというか、この作品は認められた後に書く作品で、認められる前に書く作品ではない。主催者自作なんだから、今回に関しては余計なお世話なんだけどね。

偽の輪:(まとめ講評につき、空欄)

No.3 順序不明・悲嘆ゼロ 辰井圭斗

偽の教授:カゲカゲの実
これは俺ではないが評議員「偽の星座」さんの作品。本人自身がやたら不出来なのを気にしているからどんなものかと思ったが、まあ確かに過去の偽物川で賞とか取った本人の作品と比べてしまうと、というところはあるんだけど、「ニセモノ」という出題に対する一つの打ち返し方としてはお手本的な作品になっているのかなと思いました。こういうのは先にやってもらった方がいいのよ、スタンダードな題解きはどうしたって大勢の人間がやるものだからね。これ、俺が内容から連想したのはアンデルセンの『影法師』という童話。影が本体を乗っ取って成り代わってしまうという話。『影法師』は童話とは思えないくらいヘビーな、哲学的な作品なんだけど、それに似た空気を感じましたね。

偽の星座:自作につき講評なし。

偽の輪:真偽、好悪、善悪。本来そういうものは全て不可分で、混沌として我々の人生に存在する。物語はそういうものを明確に二分して世界を明確化してしまいがちだし、我々も物語の消費者として、ついつい味付けの濃い世界の捉え方を好んで摂取してしまう。そこに対して今作はフィクションが日常を侵食するというある種陳腐な筋立ての逆で、日常がフィクションを侵食するような混乱が面白かった。
ただし匙加減がいまひとつ。倒錯した読み味でガードが下がってるのにこの作品はがら空きの顎へのもう一発がない。隠し味にキレ良く吹っ切れた嘘が欲しかった。
現状この作品単体では読んで生じた胸の中のモヤモヤは焦点を結ばないまま忘れてしまう。

No.4 百合に挟まる幸福は死ねばいい 狂フラフープ

偽の教授:Pokey Means Business!
評議員「偽の輪」さんの作品。賞レースに絡めない立場で当たり前のようにこれだけの作品を上げてくるのは本当に実力を感じさせ、ああ頼んで正解だったなって感じになるんだけど、ちょっと気になったのが、「男の描写を書き飛ばしすぎではないのか」ということ。あえてこうしてるのは分からないでもないんだけど、具体的に何があったのか、何がどうしてこうなったのか、「説明しないことの必然性が理解できる」というよりは「説明しないことに対して違和感を感じる」という感覚の方がやや強かったな。

偽の星座:百合が死体を捨てに行く話。

どこがすごいのか、大きく取るとほぼ一人称視点であることを最大限に生かした精密な心理描写だと思います。だと思いますってすっごい陳腐なことを書いていて嫌気がさすんだけど、ただ「緻密」ではなく、「精密」と言ったニュアンスはわかってほしい。必要十分を書く確信犯なのだと。一人称視点のいいところは、周りの情景描写ですら、視点人物というレンズを通した、心情の反映であることだと思うんだけど、これをこの精度でこの分量やっているのは恐れ入る。小説ぢからが強すぎる。もちろん、展開もスリルに満ちていて面白かったけど、そもそも基礎が強いです。

視点についていくつか。この作品は最終盤まで悠華視点ですが、ふとした情景が見えている割に断片的で視野が狭い。見たくないものは見なくて済むうちは本人の中で抑制されて見えない。それが悠華という人間らしさでもあったし、視野の制限がサスペンスの要素にもなっていたのが見事でした。

で、最後の最後だけ「彼女」の視点なのだけど、ここは二回読んで「うわ〜」ってなりました。多分私は最後まで悠華視点で書いてしまうんだけど、ラストはこっちの方が断然いい。ここの選択ができるかできないかだよなあと思いました。

難点を挙げるとすれば、「百合文芸小説コンテストって、方向性それで合ってるの?」くらいです。でもいいんじゃないかな。面白かったです。

偽の輪:自作のため割愛

No.5 天下第一の巧者 水野酒魚。

偽の教授:AU by KDDI
あの話まだ続くんだ……って正直思いました。偽物川は「続きもので参加すること」を禁止してはいないからいいっちゃいいんですが、別に点が高くなるということは全然なく、よほどのことがない限り評点でプラスには働きませんので念のため。この作品、「ニセモノ」という主題の解釈の仕方が一味ひねってあるというか、切り口が面白いけど、何より致命的なのは中島敦の『名人伝』に似てる。水野さんが名人伝を読んでない可能性もあるから「似せたかどうか」は断定できないけど、結果論を言えばはっきり似てる。ちょっと光るものがあるのは確かなんだけど、もう一皮剥けてほしさがある。そんな感じですね。

偽の星座:天下第一の功者になりたくて、師父を殺すも、遂に望みが叶わない男の話。

「なんというか、本当に個人的解釈の域を出ないのですけど、姮娥が月に去り、倒すべき厄災がこの世のどこにもなくなった時点で、(これは比喩表現ですが)天下の大英雄たる后羿は死んでいるのだと思います。言ってしまえば役割を終えている。けれども役割を終え死んでいてもなお、真の意味で死んではくれない。なぜなら、后羿は本物の英雄であるから。本物は死んでも死なないのです。或いは后羿がなおも生きた英雄であってくれるなら、逢蒙はあんなことをしなかったのでしょうか。ですが、そうではありえなかった。死んだ本物を殺そうとして遂に殺しきれなかった偽物の物語。私はそう読みました」とレビューには書いたのですが、ぶっちゃけそういう話だと作者が思っていたら、違った書き方になるんじゃないかなと思います。

ただ、作者の意図とは違っていたとしても、幅広い解釈ができるのは、水野さんが参照している古い物語の類型がそれを呼び込んでいるからだと思います。物語の参照はともすれば足かせになるのだけど、この作品の場合は、吉と出たのだと、私は思います。水野さんはこれを読んでも嬉しくないかもしれないですが。

ただ、いずれにせよ逢蒙には思い入れができない。私はこの逢蒙という男から何の良いところも切実さも読み取れないのです。別に良いヤツじゃなくていいですけど、もう一段彼が飢える理由を深掘りしないと彼の物語に思い入れできないです。そのあたりの理由は、彼の出自を考えればそんなに難しくなく書けるのではないでしょうか。

今回の偽物川はニセモノがテーマで、ニセモノは本物に対して分が悪い場合が多いのだけど、テーマである以上は作品を引っ張れるほどの魅力は持っていないとつらいなと思います。今回の難しいポイントの一つですね。

それはさておき、読み返すと非常に丁寧な作品です。象徴的な場面がいくつもある。終盤、逢蒙が鹿を持って帰らないところ。鹿というのは后羿の業績なので、あれを持ち帰らずに埋めてしまうことからも、逢蒙に栄光が下らないのは明らかです。

読みどころの多い深みのある作品でした。

偽の輪:偽物にさえなれなかったどこまでも哀れな人物の、当然の末路。偽物にも格があるのだな、と思わされるお話でした。
天下一の弓巧者となり得るだけの才覚と恵まれた環境を得ておきながら、主人公はその才能や大望と裏腹にまさに小人としか言いようのない人物で、そもそもからして彼が成りたいと願った理想それ自体が偽物の英雄でしかない。英雄として人々から尊敬を勝ち取るために天下一である必要などさらさらないのに、目の前の真に偉大な英雄である師と寝食を共にしてなお最後までそれに向き合うことが出来なかった。いっそのこと、彼に弓の才能が欠片もなかったならば、もっと良い結末に辿り着いたのでしょう。
天与の才能と積み上げた努力にすがる他ない臆病さ、力持つ人間の弱さを描いた一作。面白かったです。

No.6 いくじなし あきかん

偽の教授:フェティストの彼はいくぢなし
お前やっぱ真面目に書けば書けるんじゃん……。って思った。ただ、正直、小説としては上手じゃない。構造レベルの話じゃなくて、小手先の文章表現とかそういうレベルの巧拙において拙であり、で、やろうとしていることの難易度が高いので、技術不足が足を引っ張ってやろうとしていることをやり切れていない。三回転半トリプルアクセルに挑戦しようとしてるのは分かるんだけど実際には二回転と半分しか回れていない、みたいな感じ。分かる?この喩え。具体的には、どのキャラとどのキャラが繋がってるのかが分かりにくくて、多分これは小説でやるより漫画でやった方が映える方法論だと思う。でもまあ、真面目に小説を書いて真面目に挑戦しようとしたことは褒めます。よくやった。

偽の星座:青春群像劇。

わからん。どこに「辰井のために」書いた要素があるんだ。二度読んでもさっぱりわからん。ということで、あきかんさんが狙っているようには読めていないのでしょうけど、好きな作品です。全体的に爽やかで嫌なところがないですし、特に最終話がとてもいい。あきかんさんは読後感が爽やかな作品を書きたかったようなので、それは十二分に満たしています。最終盤、ひとまとまりごとに人物が変わっていくところは、このかたちの群像劇でないとできないシーンで、書き手として羨ましくなりました。こういうのどこかでやりたいけど、かなり難しいことをやっているよね……。

短編で群像劇をやるなんてと私自身言われたことがありますが、今回の短編は群像劇で全然アリだと思います。一人称がややこしい人がいたりして、若干誰が誰だかわかりづらいけど、作品の良さは最終話でお釣りがきてるので、私的にはOK。とにかく最終話が美しい。

というのが一回目の感想で、二回目を読みました。二回目は、誰が誰だかちゃんとわかった。その上で読むと最高ー!! なんて美しい小説を書くんだ、あきかんさん。本当に最終話は凄味がある。最終話で5000億点。最高。あと、個人的には、「こんな文章書けねえよ」の連続で楽しかったりもしました。ちゃんと各々文章が違うんだけど、その各自の文章がもう……。多分私は正気を保ったままでは、あの文章は書けません。

似者とタグがついているけど、みんな似ているということなのかな。確かに共通する雰囲気はあるけれど、ちゃんとそれぞれ別の人で、よかったなあと思いました。

……ひょっとして、「辰井のために」って、「辰井はこういう作品好きでしょ?」ということ? うん、大好き。もっとあきかんさんの作品が読みたいなと思う作品でした。

偽の輪:よくわかりませんでした。一人称かつ頻繁な視点移動にやたら多い視点人物、呼称も統一されてないと読みづらい要素が目白押しで、終始混乱したまま初読では人間関係どころか登場人物の名前や特徴、人数も把握しきれませんでした。
伏せられていた視点保持者の特異な外見・属性が、視点が変わってから念押しで描写されたり男キャラの友人として細部を隠して登場したキャラが視点をもらってから男装する女生徒だと明かされるなど、叙述トリック的な描写が目立ったので再読しましたが、そういった描写の必要性も感じられない。素直に書いた方が良かったのでは、という感想。

No.7 偽物彼女系怪異ユウリさん ぎざぎざ

偽の教授:貴様の無、偽物じゃな
『順序不明・悲嘆ゼロ』と同じタイプ、「実在する人間の偽物」が出てくる、多分題解きとしてはもっともストレートな構造の作品。それが悪いと言うわけでありません、念のため。そこからどう持っていくか次第です。ぎざぎざさんは小説の上手な方で、地に足の着いた文章表現力とかは非常に評価が高いんだけど、ただこの作品に限って言えば「もうワンアイデア欲しかった」。わざわざドッペルゲンガーという怪異を持ち出したからには、その幻想性、ファンタジー性について何か一ひねりが欲しかった。首を絞めたら死にました、では、ドッペルゲンガーという怪異の怪異性が活きない。そこに何かワンアイデアあれば、オチももうちょっと捻れたと思う。

偽の星座:死んだ彼女のドッペルゲンガーをなんとか消そうとする話。

「彼女と彼女のドッペルゲンガーは、本物と偽物なのか、もうそれは別々の二人なんじゃないか、みたいなあやうい境界をギリギリで渡り切ったような作品」とレビューには書いたんですけど、すみません! 読めてませんでした! 2回目を読んでから、講評も全部書き直しています。

ユウリさんは、本物不在のドッペルゲンガーなので、偽物として不完全なんですよね。だから、偽物としてのバランスが危ういとか、「もうそれは別々の人では」と感じることがあるのは当然のことなのでした。ユウリさんに名前を付けるのも、初読は「危ういことをするなあ」と思ったんですけど、ユウリさんが不完全な偽物であることを考えれば、全然OKどころか、意味深いシーンですね。

この作品、ユウリさんを消す動機が弱いなと思いながら読んでいたんです。「存在意義」とか「ハイエナの餌食になる」とかは、ユウリさんと仲良くなればなるほど、「そっちの方が大事なの?」と思ってしまう。だから、全体に乗れないなと思っていたんです。でも、「偽物ってそういうことだからね」ということなのかもしれない。「もう全部手遅れなんだよ」というキャッチコピーが胸を刺します。愛莉が死んだ時点で、ユウリが消えることは確定していて、あとはどう消えるかだけ。そういう話なんじゃないかと。

思うに、「ニセモノ」というテーマで「完全な偽物」しか書いてはいけないということはなくて、「不完全な偽物」だからこそ、浮かび上がるものがあるなと思います。テーマへの回答も素晴らしい作品でした。

偽の輪:とにかくヒロインが可愛い。
ある日ひょっこり帰ってきた死んだ恋人が、明らかに何かおかしい。でもでも……、というのが定番の筋書きだと思うんですけど、そこを開口一番開示してしまう誠実さと率直さ、好意を隠さない一方のいじらしさがGOOD。
正直に言うと、主人公はストーカーだったとか、愛莉と主人公は姉弟だったとか、そういった飛び道具的な展開を勘ぐっていました。なぜって読者からすれば本物=正ヒロインは間違いなくユウリで、良く知らない愛莉こそよく似た偽物で、その点において読者は主人公と一致することは決してないから。だからこの物語はラブストーリーと捉えたとき着地点がべらぼうに難しく、読者と主人公とヒロインが心をひとつにして大団円を迎えるには、何らかのウルトラCが必要。
男女がひょんなことから行動を共にして、仲良くなって、仲違いして、仲直り。直球のラブストーリー故にド直球のハッピーエンドを求めてしまう。この期待が裏切られた以上、収まるべきところに収まるだけの『普通に良い話』では残念ながらモヤモヤが残りました。
戻ってきた恋人を信じたい気持ちとこいつは怪異なのではという疑念で綱引きするホラーの文脈なら、最後の種明かしと共にヒロインが愛を告げ消えてしまっても納得できたと思いますが、この物語はヒロインの可愛さ余ってラブストーリーの路線に乗ってしまっている。ヒロインを幸せにして欲しかった。

No.8 ビューティフル・ワールド クニシマ

偽の教授:美しく!
「これが自分の“ニセモノ”というお題に対する答えだ!」という打撃力が弱い。最初に結論を書くとそうなります。凝った構成ではあるんですが、「これが自分のやりたかったことなんだ」「これを表現したかったんだ」というのが見えてこない。一握の短編小説として評すれば美しい作品だとは思うし、そういったあたりこそが多分クニシマさんの持ち味だとは思うのですが、いかんせん「美しさ」は今回の企画では評価軸としてそんなに重視される要素じゃないので。そんなところ。

偽の星座:私と人魚のお姉さんの話、そしてそれと鏡合わせになる、絵本の中の男と人魚の話。

のっけから凄まじい文章の美しさでため息が出ましたね。少女らしい文章というのはちょっと違う、情念のこもった若い女の文章。もう前半だけでも、読んだ方がいい。あと、前半の白眉は、こういう言い方をするのはガサツなんだけど、ネックレスのビーズが飛び散るところ。とても視覚的に鮮明でした。

でも、この作品で一番すごいところは、後半というか、後半に映し出される全体だと思っていて、気が遠くなるようなことをやっている。私の解釈ですが、前半と後半、二つの人魚の話は鏡合わせになっていて、後半の話が前半の話を暗示している。だから、絵本の中で人魚が甦ったように、ひょっとしたらお姉さんも甦るのかもしれない。でも、だとしても、「私」とお姉さんはもう一緒にはいられないのでしょう。「あなたはとってもすばらしい世界を見せてくれたわ。わたしのための世界では、なかったけれど」と訳される原文 the scenery you showed me was wonderful. It was a beautiful world, for you.の“for you”ということばに込められた「私」と「あなた」の世界の埋めようもない溝が、それを示唆しています。私はここを読んだ時、ああ物凄いことをやっているなと思いました。

男は決して悪い人間ではないし、「私」も事故の最中、自分の作ったネックレスがあんな無惨な傷をお姉さんにつけるとは思っていなかった。でも、悪意の有無とは関係なく、「私」と「あなた」の世界は交われないのです。

こんなことがやれるんだなあと思う、素晴らしい作品でした。

追記:改めて読み返すと、〝ただ、お姉さんも、空も、月も、波も、私自身さえも含めて、そこにあるすべてがあまりに綺麗でたまらなかったのです〟が「うわーっ」ってなってしまいました。これも“It was a beautiful world, for you.”なんだろうか。そうには違いないけど、お姉さんは……? と思って寂しくなったり。でもここで「きっとお姉さんも」と安易に思わせないのが魅力でもあるなと思います。

本作のテーマへの回答、絵本と現実の「似者」関係なのかなと思いましたが、どうなんでしょうね。

偽の輪:看板に偽りなし、とにかく美しいお話でした。
詩情に満ちた美しい空気感とどこか恍惚とした語りが、格別の没入感をもたらし、文字がみっしりと詰まっているのに読みやすい。理路整然とした思考ではないのに筋道がある。論理ではなく感傷で積み上げられていく地の文が独特で、こういう文脈の展開をするとこんな読み味になるのだな、と感服するばかり。
何よりも美しいと感じたのはお姉さんの死の描写で、ここはぞっとするような凄惨でグロテスクな光景であるはず。思い出の贈り物が大好きなお姉さんを死に追いやったことがとにかく痛烈に胸に刺さり、けれどその一方で細いテグスが白い首筋を裂く様はどこか幻想的でもあって、本当に死んでいるのかと疑うほど綺麗な亡骸が目に浮かぶ。見る者の心情だけがズタズタに引き裂かれるような見事な描写でした。
お姉さんにとっての世界がどのようなものだったろうか、という念も浮かびます。年頃の娘が五つも年下の子とべったりというのがそもそも不自然だし、彼女の葬儀に訪れる近所の人の描写はあっても友人の描写がない。彼女の死がどれほど美しく描かれようと、死ぬ当人にとってその凄惨さに変わりはない。
けれどこの物語は語り口の主観性が非常に高く、描かれたもの、主人公が心で感じたことこそが事実を差し置いて真実になる。論理や客観を許さないこの文体で描かれる物語においては、真偽というものはさして重大ではない。テーマに対する、このぞっとするような回答が、お姉さんの死より何より怖い。お姉さんを人間でないと断じる彼女は、人魚は本当にはいなくなることなどなく、いなくなった人間のお姉さんはニセモノであると結論を出すでしょうか。ニセモノとは醜いものであり、人は己の見たい真実だけを見る。そんな残酷さの上に成り立つ美しい世界。

No.9 喫茶; 月の踊り子 杜松の実

偽の教授:出涸らしのコーヒーってどうなんだろう
えーとすいません、小説としての出来はそうまで悪くないと思うんですが、何がどう「ニセモノ」にかかっているのか全然わかりませんでした。評議員三人いるのでほかの二人には分かったかもしれませんが、あえてほかの二人からの意見を確認する前にこの文章を書き切っています。というわけで、わたくし「偽の教授」からの評価はそれ相応のものにならざるを得ません。あしからず。

偽の星座:喫茶店の看板娘と喫茶店の常連中瀬さんの話

先に言っておくと、ものすごく好きですね。やろうとしている(と私が思ったこと)がとても好き。多分、杜松の実さんが意図したのではないかたちなのだろうけど。

私はこの作品のレビューに、近代から現代までの文学の海を文学によって揺蕩う試みと書きました。それは好きだなあ。なんというか、「古い作品を参照して新しい作品を作る」といったような雑な手つきではなくて、読んだもの全部でできた海の中を漂っている、そういう作品。で、しかも「一緒に乗ります?」みたいな。私、これまで杜松の実さんは、昔の文学がお好きなんだなと思ってたんだけど、そしてそれはそうなんだろうけど、単にそれだけではないのだろうなと思いました。

さすがに冒頭から飛ばし過ぎて、何のことかわからないと思うので、そう思うに至った段階の話。私、最初の方の「私は結構、コミュニケーションには自信がある方で、この喫茶の、ひいてはこの商店街の看板娘として、みんなから蝶よ花よと可愛がられている」という文章を読んで、あ! と思ったんですよ。彼女は、近代文学とか戦後文学とかに出てくる女の子が集まってできた女の子なんだって。だって、「この喫茶の、ひいてはこの商店街の看板娘として、みんなから蝶よ花よと可愛がられている」なんて自分で言う女の子が現代にリアルにいるわけないじゃないですか(と、私は思う)。でも、文学の中ではこういう女の子見たことがある。彼女は従来の作品群を背負ったフィクショナルな存在なんですよ(妄想ですか? でももう少し語らせて)。

だから、そういう女の子がいる空間なんだなと思ってこの作品を読むとすごく腑に落ちるんですよね。どのレイヤーで読むかによって、多分評価が割れる。表面的に読んだら、「ヤだよ、そんなやたら店員が話しかけてくる喫茶店」になるんだけど、そんなレイヤーで読んでも仕方ない。この喫茶店の空間はこれまでの文学が集まってできたフィクショナルな空間なんです。

この作品のテーマに対する回答はずっとわからなかったんだけど、「Fake」なのかな。でもね、杜松の実さん自身に、「本当にこういう喫茶店があってほしい」という気持ちがあるような気がしているんです。だから、私の読みは外れている気がする。

読み返してみると、文体が移り変わっていくのも魅力的でした。最初の方が賑やかな口語っぽい感じで、後半になると落ち着いた現代小説っぽい語り口になる。それは単に筆が馴染んだのかもしれないけど、なんだか彼女のなかでアップデートされるものがあったからかなとも思うんです。

も、妄想かなあ。でも(多分読み方が違うんだろうけど)すごくよかったと思いました。

偽の輪:これって恋のお話ですか?
そういう類の問いに対する答えを言葉にしないまま持ち続ける、言ってしまえば小狡いすべを世の大人は身に付けてしまっているものですけれど、人と人との関係という二重振り子はふとした瞬間に思わぬ動きで一線を越えてしまうことがある。穏やかで繊細でありつつ、割れ物としての危うさも予感させるお話。
もしも恋であると言葉にしてしまえば、恋ではない関係性は切り捨てられて、言葉だけが本物として残る。
踏み込まなければ嘘にも間違いにもならないけれど、でも気になっちゃうんですよね。この人奥さんいるのかなとか。先にある不穏さを予期しつつ、けれどそれを否定するわけではない。この物語は前に進むことへの賛歌さえ、どこかに孕んでいるように思えます。それはそれとして、事の成否に関わらずいつか偽物になる今この瞬間の、確かにここにあってここにしかない尊さが染みる。

No.10 ぼくの化けの皮 尾八原ジュージ

偽の教授:なかなか気分がよかったぞ
前にもどこかで言ったことがあると思うけど、ジュージさんの作品である時点である一定のレベルにあることは期待されるので、「この企画の投稿作全体の中で見たときにどのくらいの位置づけになるか」という相対評価はさておいて、「尾八原ジュージ作品群の中の一つと位置付けた場合にどの程度の絶対評価になるか」という観点から評していきます。こういうこと、言われる側はたまったものじゃない(俺もよく同じようなことを言われるので分かってはいる)というのは分かるんだけど、それはそれとして。この作品、最後に置かれた一文を除くと書簡体系式なので、お得意の「信頼できない語り手」なんですよね。ただ、信頼できない語り手ものとしては「振り切れてない」し、そうだとすると最後の一文は蛇足ではないかという気がしてしまう。逆に話の通りに解釈した場合、「ニセモノに乗っ取られる本物」「本物よりも善良なニセモノ」「ニセモノである何者かの喪失」という切り口は、割とスタンダードな手法なんですよね、正直。別にそれが悪いわけじゃないんだけど、「そこからさらにどうやって個性を出していくか」を私としては見ていきたい。なので、とりあえず(絶対ジュージさんは書いてくると思うので)二本目に期待、というところですね。

偽の星座:ある日ぼくのお母さんたちがにせものになってしまい、ぼくはお父さんに手紙で助けを求めるのだがという話。

レビューに、「にせものというのは、戸惑いを含むものだなと思っています。にせものがもう身近になってしまったとき、離れがたくなってしまったとき、大切になってしまったとき、にせものがにせものであることをどう捉えればいいのか。

普通の人間はその宙ぶらりんの状態が居心地が悪くて、なにがしか結論をつけます。僕にとってはにせものじゃないとか、にせものだけどそれでいいとか。それがにせものとのかつての関係の終わりだったとしても。そしてそのとき、従来のほんものとの関係も終わりを迎えるのだと思います。そんなことを思う作品でした」

と書いたんですけど、なんでこういう感想になったかといえば、「途中、なんでにせもののお母さんたちは消えてしまったのだろう」と思ったからなんです。いや、そういう理に落ちないのがホラーなのかもしれないけど、私は「渾沌」の説話と同じようなものを感じました。つまり、ぼくがにせものの家族を受け入れて、彼女たちのにせもの性が損なわれたから、彼女たちは消えてしまったのではないかと考えたんです。

思うに、ひとがにせものに対して築ける最初の関係は、ひとの弱さと柔らかさゆえに往々にして期間限定なのです。

あとは、多くの人が触れるだろうけど、ラスト一文には触れざるをえない。あれで全体が一気に締まるというか、ジュージさんの小説的腕力を感じました。

私の読み方は違うのかもしれないけど、テーマに対する回答がすごく好きな作品でした。

偽の輪:最後のシーン、「お父さんへ」だったのが「お父さん。」になった部分から手紙形式でなくなっているのだと思いますが、その辺がきちんと表現できていないように思います。
少なくとも直感的・シームレスにすっと理解できるものではなく、オチ在りきの唐突で不自然な視点移動。理解するのに一旦思考を挟む必要があって、意識が物語から剥がれてしまい、ここまできっちり稼いだ没入感が台無しになって白けてしまった。話の作り上、全てがここに集約されるので、ここがいまいちだと全て中途半端に感じた。

No.11 銀の父 紫陽_凛

偽の教授:銀と金
この話の一番面白いところは、「金の父もニセモノである」というところだと思う。というわけで、前提などを大幅にすっ飛ばして結論から切り込んでいくきょうじゅです。「ホンモノを池に投げ込んだらニセモノが二種類出てくる」という古典的なフォーマットを面白い形で使い切ってあって、これはおれの解釈だけど、「金の父」が「悪の部分」、「銀の父」が善の部分、そして「鉄の父」は死んだ本物、だっていうことだよね。銀父が「ホンモノ」ではない、というのが「人間の全人格性としての不完全さ」の中に集約されていて、それがちゃんと文学として切り出されているのが面白い。ただ、作品として疑問の残る部分もあって、師父とお嬢様の存在。生活感と世界観の奥行に寄与してはいるんだけど、しかし正直なところ削っても話が成立するのでは?とは思った。そんな感じ。

偽の星座:昔から自分や母に凄惨な暴力をはたらいてきた父を湖に突き落として殺そうとして、紆余曲折の末「銀の父」を連れ帰るのだが、という話。

言いたいことはレビューに書いた通りで、誠実な作品だと思いました。自分が書き始めた一人の人間を一人の人間として書くという一番大事なことはできているので。

寧は、家では父親の精液を拭い、洗濯婦としての仕事ではお嬢様の経血を洗う、性の汚れを清める人ですが、その分彼女は汚れに接近する。ただ、その中でも汚れに混じってしまわない、「清」を指向する人なのだと感じました。あと、冒頭で父を湖に突き落とした後の情景描写の美しさがただ事ではない。情景が美しいからこそ、「これからどうしよう」が浮かび上がるとてもいいシーンでした。

さて、恐らく本作で最も一般の読み手に受け入れられづらいのは、物語が展開しないところです。最終数話を除いて、本当に展開しない。本作は金の斧と銀の斧モチーフで父親殺しの話なので、本来は話の面白さで見せる作品だと思うんだけど、話が動かない。

これを、私はレビューで、寧の過去と感情が、銀の父登場程度の事件では動かないほど重いためと書きましたが、もう一つ要素があるかなと思っています。「動機」です。一応父親を湖に突き落とした後の寧には、物語を推進させるほどの「これをしたい」とか「これはやだ」という動機がない。あるのは銀の父に対する気持ち悪さで、それも動機になるほど煮詰まってくれない。この主人公にもはや動機がないということが、本作を書きづらくしていた大きな理由ではないかなと思います。

間違っていたら申し訳ないですが、恐らく1話目を中心に組み立てた話だと思います。ただ、この寧という主人公は、本人にもはや動機がなく、前向きな道をどう進めばいいのかも見えづらいことから、最終話までの構成をしてトータルサポートしなければならない主人公ではあったのだと思います。これがはっきりと動機のある主人公なら、一話目を中心に考えても、どうにかなる場合もあるんですけど。例えばロケットを打ち上げたくてたまらないとか。

非エンタメ作品なら、紫陽さんのやりたかったことを思い切りやっても何とかなる道筋があるんですが、この作品は1話目がかなりエンタメ寄りなので、ちょっと相性が悪かったかもしれませんね。2回読むとあんまり気にならないんだけど。

偽の輪:突拍子もない銀の父の存在と父との関係を描く筆致の丁寧さとの継ぎ目の粗さが気になる。
なまじ主人公の苦悩の部分の描写がきめ細かい分、父の変貌を周囲は怪しまないのかといった些細な疑問にも同じ解像度での返答が欲しくなり、物凄く雑に誤魔化されている印象になってしまう。作中にリアリティラインが複数存在していて、どうやっても一方が浮いているように思えました。

No.12 美しき楽園 神崎あきら

偽の教授:記憶のかけらに描いた薔薇を見つめて
いやぁ、いい作品だった。また最初に結論から書くわけですが、まず最初にそう思いました。この作品、ニセモノである立場の人間が出てくるけど、核になっているアイデアはそこではないですよね。「ニセモノの記憶」。これがコア。SFとして考えるとかなり無茶なことをやっているのですが、まあミステリというくくりだし、そこは大目に見ることにするとして、まずアイデアというか、お題の消化の仕方がよかったという意味でそこが高得点です。物語として考えるときに評価が分かれるのは、あとは四話が置かれていることの意味だと思う。これ、話としては3話で終わりでも成り立つんですよね。主人公が孤独の刑に処されて終わり。でも、本作はあえて「その後」を描写している。文字数の都合ではないでしょうから、意図があるわけです。そこをどう評価するかなんだけど、個人的には抒情的で、いい物語になっていると思う。ご参加ありがとうございました。

偽の星座:男は家族と一緒に小さな島で暮らしているのだが、島民が次々に行方不明になっていく話。

いろんなところで書いているんですけど、文章が物凄く好みですね。読みながら「書き写したい文章だな」と思いました。文章自体にも味があるんですけど、文章のレンズが対象を映すときの距離感があまりに上品で。神崎さんのプロフィールに飛んで行ったら、写真を撮られる方なんですね。なんというか世界の映し方に普通の人にはない独特の巧さがあると思いました。前半で穏やかな島での暮らしを存分に描いているからこそ、後半の展開での男(隆一)の荒み具合がはっきりとするんですよね。お見事でした。

ただ、話は、私はちょっとうーん、かな。男の正体が明らかになるくだりなどは、いくらなんでも無理があると感じました。記憶を操作できるということなら近未来だと思うんだけど、それならどこかしら近未来であることの伏線を前半に入れておかないと「後から設定を足せば何でもありなのか」と思わせてしまう。

だから、私はレビューで「作者さんの方向性とは違うのかもしれないですが、私はこの文章が最大限生きる方向で、この方の純文学か地味目な一般文芸が読みたいです」と書いたんですけど、こうして数週間おいて考えてみると、大きなお世話で、神崎さんが書かれたいものを書いたらいいのでしょう。別に私がうーんってなったあたりは書いているうちにどうとでもなるのだし。

2回読むとやっぱり文章が美しい。特に冒頭とラストがちょっと信じられないくらい美しい。色々言ってきましたが、これを読めただけで、本作は十分です。他の作品を読みたくなる作品でした。

偽の輪:現実感が希薄で、写真のような文体。身体感覚の描写が乏しく視覚的で厚みがないので、美しさと引き換えに没入が浅く一歩引いた視点で物語を読んだが、少なくともこの文体はどんでん返しを描くのに適していないように思えました。どんでん返しは目に見える世界が一変するからこそ衝撃的なのであって、読者と視点人物との視点が一致しないまま一歩引いた立ち位置で見る遠くのどんでん返しはただの他人のでんぐり返しに見えかねない。
文体とギミックが噛み合っていないこの感じだとよほど熱心な読者や素直な読者以外を罠に嵌めるのがちょっと難しく、興味本位くらいの読み手を取りこぼしてしまうのでは。

No.13 代筆屋さん 野村ロマネス子

偽の教授:君のいた場所に未練残しても
なかなか玄妙な、大人びた雰囲気の力作だったと思う。三つの小ストーリーから構築される一つの短編という構成を取っているわけだけど、制約文字数的にはまだ余裕があるものの、やろうとしていることは十分に表現されているので、まあここで終わっていいかなという感じ。ただ、一つ肯定的に評価する上で難しいのは、代筆屋と呼ばれる存在のあまりの存在感というか存在性の薄さ。正直、キャラクターというより怪異あるいは現象に近いので、代筆屋である(あるいは代筆屋のニセモノである)というギミックがいまいち活きていなかったかなという部分はないこともない。でもまあ佳作ですね。

偽の星座:深い森の奥で手紙を代筆する代筆屋さんの話。

丹念な作品だとは何度も言っているんですけど、ちょっと講評ではそれ以外のことも。さて、代筆屋さんは、依頼主が言っていることとは裏腹なことを手紙に書くのですが、それは依頼主の本当の気持ち。しかし、代筆屋さん自身のこころは、書くのが難しいし、書いても自分には読めない。そして封を閉じれば二度と開かない。では代筆屋さんは思うところのない空虚な人間なのかといえば、それは「インクの色が森を煮詰めたような深い緑色をしていた」ことからも違うように思うのです。思うに、ひとの本心を伝えるという代筆屋の仕事を書いてきた本作においても、本心がわからないということは決して「悪」であるとか「不満なこと」ではないのではないでしょうか。代筆屋さんは、自分がぼんやりと覚えている本心の欠片に思いをいたすことはあるだろうし、それは溜息につながることもあるかもしれない。でも、代筆屋さんはコーヒーを飲みながら暮らしていく。その暮らしは「不幸」を感じさせない。非常に味わい深い最終話でした。

老婆のエピソードが好きという感想はちらほら聞くんですけど、私も好きだな。これを書きながら気付いたんですけど、依頼主たちは手紙によって周囲の動きや状況が変わっていくんだけど、必ずしも当時手紙を書いてもらったときに自分の本心がそうだったとは気付かないのですよね。私だったら当時の本心に気付く描写を入れてしまうんだけど、気付かせないところがこの作品の深さであり、ドライさなのだろうなと思いました。本心を重視する作品のようでいて、本人が本心に自覚的であるかは、突き詰めれば関係がないというか。

こころに落ち着くとても良い作品でした。

偽の輪:人には誰しも見せたい自分があって、けれどそれとは別に本心もある。とはいえ、移ろいゆく人の心のどれか一瞬を本物、それ以外がニセモノだと断定してよいものか。貴族の箱入り娘が泥に塗れながらも想い人への手紙のために覚悟を持って暗い森を訪れたのも事実で、彼女や青年の恋心がニセモノだったとは思いませんし、優しい老婆だって本当の一度も世を憎んだことがなかったとは思いません。
偏屈な代筆屋に、ほとんど数滴しか『ほんとうのところ』というものがなかったことに答えがあるのでは? と思いました。
ひょっとすると、手紙に記されることのなかった『ほんとうでないところ』は、混ざってしまった別の誰かの心なのかもしれません。森の奥で孤独に過ごす代筆屋には、人との関わりが産む誰かに見せたい自分というものが乏しく、だからこそ見てくれの自分と『ほんとうのところ』がほとんど一致している。
あるいはタイミングが違えば。優しい筆致ではあるけれども、ビターさも孕んだお話だと思いました。面白かったです。

No.14 REAL - FAKE Pz5

偽の教授:にせものだもの
うーん。悪いけどお題に対して回答する小説としての体裁をなしていないと思う。いつものわかりにくい小説じゃないのはいいんだけど、その逆の方向に振りすぎです。「凝りすぎたものじゃなくていいから普通の料理を出して」って言われてそうかよって言って生肉をどーんと出したような印象の作品になってます。それは結局、「凝りすぎたものしか作れないのではないか?」という前提を補強するだけです。みんな真面目にやってるんで、こういうのは粗目立ちしてしまいますよ。

偽の星座:二人の男が喫茶店で本物の時計とニセモノの時計について語らう(というか、後半は大体片方が片方の話を聞いている)話。

noteの雑感で、「喫茶店で二人の男が延々喋る話」と書き過ぎて悪かったなあと思ったんですけど、実際本当に好きですよ。いつもそういう小説を書きたいと思っているくらいには。本物とニセモノについて議論する系の小説としては、今までで一番スマートでした。というかほぼ議論なんだけど、十分面白いからこれでいいじゃんと思う。

Pzさん的には1話目が前段で2話目が本番だったのかな。私は1話目と2話目を割と等価に読んだのだけど、2話目が本番なら、ニセモノがテーマの話にはなっていますね。なんでこんなこと言うかといえば、今回の偽物川だと、本物の影をちらつかせながら、本物がテーマの話にはしないことに大体の人は苦慮しているのではないかなと思ったので。本作、末尾があれだから、そのバランスが怪しいとは感じたんですけど、「わかる人」の中では、結局本物に話を持って行かれてしまうのがニセモノということなのかなとも思いました。

ともあれ、全体的にバランスのよい作品でした。山田君の喋り方の胡散臭さとか、ラストの平田サンの怪訝な顔とか。この通じなさは、私はPzさんの諦観なのかなとも思ったんですけど、それより押し付けはしない余裕なのかもしれませんね。この作品の場合、ラストはあれがベストだと思う。

最後に、これは別件ですが、Pzさんの作品が難しいみたいな意見はあまり気にしなくてもいいと思います。あれ、もう言い古されてネタみたいになっているし。真に受ける必要はないと思います。個人的には、「難しい」と言われるPzさんの作品が直球で来る方が好きだな。解釈とかはPzさんが思っているのからは外れることが多々あるのかもしれないけど、良いものだということはわかるので。Pzさんが何か物足りなさを感じているのだとしたら、それを埋めるのは「難しい」「難しくない」とはまた別軸の要素なのではないでしょうか。

偽の輪:いや~いいですねこういう蘊蓄。
今まで知らなかったことを知る=解像度が上がることで、世界の見え方が変わる。そういう経験は誰しも人生の中で味わっているはずなんですけど、実際に出くわすたびに衝撃を受けるものです。
無知と知の境界を踏み越えることで本物だと思っていたものが偽物だったと知ることは珍しくもない。この境界は一度越えると戻れないものなので、無知→知が不可逆の変化であるように、本物→ニセモノも同じように不可逆の変化であるという先入観を抱きそうなものですが、実は案外そうでもない。何かを知ることで、見ている対象自体は何も変わっていないのに、ついさっきまでニセモノだったものが本物に転じることもある。
真偽なるものは見る側の認識次第で、視点が変わればホンモノとニセモノは両立しうる。登場人物と一緒になって感嘆できる、とても良い読み物でした。

No.15 アンダードッグ 草森ゆき

偽の教授:吠えて悪いか地声なんだよ
ご本人はBLだって書いてますけど、これは大括りすればUVじゃないかと思う。紫外線じゃなくてウルトラバイオレンスね。ハーラン・エリスンで有名なやつ。日本ではハーラン・エリスン自体が有名じゃないけどそれはそれとして。小説としての完成度の高さがすごい。世界観はたぶんアメリカの実像に照らし合わせればだいぶ間違ってて解像度が低いんだけど、それはつまり現実の江戸時代と座頭市に出てくる謎のウルトラバイオレンス江戸時代を比較するような野暮な行為であるわけで、日本っぽいジパングが舞台である何かを鑑賞するのと同じように、これはアメリカっぽい何かを舞台にしたUV小説として賞味するのが正しいのだろうと思う。特筆すべきは主人公と相棒のキャラクター造形力の高さで、さすがの一言でした。

偽の星座:限界な暮らしをする少年オリバーが事あるごとに銃をぶっ放すクレイジーなスナイパーの犬になる話。

この世には「色々考えさせられる良い作品」と「何も考えさせない良い作品」があると思うんですけど、本作は後者ですね。頭空っぽの状態で思い切り楽しんでしまいました。レビューでも書いたけど、これ何の魔法なの?凄すぎるよ……。文章も本当に読んでいて心地いい。

ロベルトにとってオリバーが最後まで、というか最後からも「犬」なのが本当にいいですね。それは二人のほの暗い関係性萌えとしてそう言っているところも確かにあるのだけど、それまでのオリバーの限界な暮らしぶりを考えると、「やっと人間になれましたねよかったですね」というのは上から目線ではどうしても後味が悪いですから。「お前はこれからも俺の犬だよ」というのはひどいっちゃひどいんだけど、ある意味肯定なのかなとも思いました。

あと細かいところもすごくちゃんとしている話ですね。農場のトーマスは中盤だとすごく良い人そうなのだけど、いやいや冒頭であんな酔い潰れ方しているやつがエクスキューズなしに良いやつなわけないじゃんとか。だから終盤であの展開になっても全く違和感がない。

潜入捜査あり、アクションあり、ブロマンスありですごく楽しい小説でした。エンタメ性も抜群。私はもう関係性萌えは基本的にしないので、本作はドストライクではなかったですが、そういう意味でもっとオタクだった高校生くらいで読んでいたらすごく大切な作品になっていただろうなと思いました。

偽の輪:ウワー暴力!暴力は作劇上の問題さえ解決する!!
とにかくキャラの火力が高い。物理的にもヘキ的にも。セオリー的には予想しうる種明かしも、夢中で読んでいる最中に叩き付けられるとぶん殴られるような衝撃を受けますね。
しょっぱなで提示されるお前は犬のニセモノだという強烈なパンチが、犬以下の存在として扱われてきた主人公と、バディの偏屈ながらも嘘偽りない愛情が明かされることで、ふたりの間でしか通じないオリジナルの手触りに化けていくのもニクすぎる。
読んでいてハラハラドキドキの絶えない、こんなにアンバランスでバイオレンスなキャラクターたちの手綱をしっかり握り、ラストはここまで綺麗なハッピーエンドに抑え込む豪腕があってこそのこの読み味だと思います。陰鬱な設定の物語だからと安易にビターやバッドなエンドに逃げず、エンタメをがっぷり四つで叩き伏せた快作!!

No.16 天使の告解 ぎざぎざ

偽の教授:ほらごらん天使呼ぶための機械さ
惜しい作品だと思う。思索的なSFとしては非常に練られた着想の作品なんだけど、小説として読むとどうしても描写というか話の流れが静的(スタティック)に過ぎて、躍動感(ダイナミズム)が足りない。語り手を医師に置かず、天使と呼ばれる少女の側に視点と主観を置いた方が面白かったんじゃないかな?ということを思いました。難しいだろうけど。あとね、この物語は偽物の天使の物語というより本物の悪魔の物語になってる。そこがテーマ性として考えた上で若干、弱い。でもまあ、面白かったですけどね。

偽の星座:男が記憶の操作によって少女を天使に仕立て上げる話。

ぎざぎざさんの二作目。一作目とは大分趣が変わっていて、書けるものの幅が広い作家さんはいいなと思いました。

さて、レビューに書いた通り、私は本作を源氏物語の光源氏と若紫とか、谷崎の『刺青』のような古今東西に溢れている「男が女を仕立て上げていく話」として読んだのですが、なんというか、古典的な「男が女を仕立て上げていく話」とはまた違った味わいのある作品ですね。

レビューでは色々配慮して「おぞましい」と書いたんですけど、本当のところを言えば「気持ち悪い」の方がぴったりきます。もちろん褒めているのですが。男側一人称で男の思想が流れ込んでくるだけに、手加減の無い「気持ち悪さ」を読めました。でも、そもそも、「男が女を仕立て上げていく話」というジャンルそのものが気になる人にはある程度気持ち悪いものでもあるよなあと思ったりもして、概ね楽しく読みました。

心理学的なところとか神の話とかは正直首をひねりながら読んだんですけど、多分きょうじゅが書いてくれるので割愛します。私がむしろ気になったのは、最終的に彼女の反抗ですら、結局男が記憶を操作した結果生じたものだったということで。記憶を全部消されているから仕方のないこととはいえ、そこは男の手から離れたところで反抗してほしかったなとは思いました。あれは個人的な読みだけど、折角ジャンル自体の気持ち悪さまで行きついていたのにとちょっと残念ではありました。

でも力作であることはよくわかる良い作品でした。

偽の輪:ぎざぎざさんの二作目。言われて初めて『偽物彼女系怪異ユウリさん』と同じ作者さんだと気付きました。
身構えたところへ投げられた球ながら、そこから予想外の方向へ展開してくれてワクワク。既存の型の変奏ではあるけれど、アレンジが明確に原曲に無い魅力を産み出す期待感で楽しく読めました。話の筋としてはフランケンシュタインの怪物だが未完成を嘆き自死を選ぶフランケンシュタインと違い、この天使は医師の死により完成してしまう。
正直、この先を見てみたいという気持ちでいっぱいですが、短編としてはここが適切な着地点だと思います。

No.17 令和元年藪の中 柿木まめ太

偽の教授:あなたを、犯人です
ごめん、全然わかんなかった。トリックというのは種明かしをすることで初めて機能を発揮するものだと思う。「なんとなくの匂わせだけを延々と繰り返す」だけでは、張られた伏線がどこにあるのかも分からない読者というのもいるわけなんですよ。

偽の星座:えーと、エッセイでも言及されてましたが、内輪の会じゃないので安心してください。どうしても過去作を読んでいる作家さんとかが来たら、過去作にも言及したりするので温度差を感じることはあるかもしれませんが、賞としての評価はその作品単体で行うので大丈夫ですよ。

さて、視点人物たる千恵子は夫の浮気を疑っているのだが……という話。もう最後、寒気のするラストが圧巻でしたね。「叙述トリック」とタグがついているので、大体話は読めてしまうのだけど、ラストが凄まじいので気にならないです。私は別に話の展開が読める話があってもいいと思っていて、というか積極的にそういう話を書いている節すらあるんですが、展開が読めても予想以上のパワーで殴れば解決するんですよ。

細かいところでいくと、ものすごく事務的な冒頭文とかオルゴールのモチーフとかが好きですね。気になるところとしては、(「叙述トリック」の部分を踏まえたとしても)いくらなんでも夫の行動は不自然だというところ。ちょっと話に振り回されている気がする。あそこが自然じゃないと、全体として「叙述トリック」が活きてこないのではないでしょうか。

でも、やっぱりラストがよかったので印象的な作品です。

偽の輪:すみません。ちょっとどういう叙述トリックなのかよくわかりませんでした。
こちらの読み落としだったら申し訳ないんですが、叙述トリックは登場人物にとっては周知の事実であることに読者だけが騙されているという奴で、この作品には当てはまらないかと思います。「信用できない語り手」の話として読んでもフックが弱い。夫婦仲は冷め、子はなく経済的人間関係的に自立しているので切実さに欠ける。ストーリーラインが貧弱。

No.18 翡翠の腕輪 南沼

偽の教授:翠玉白菜
ただぐいぐいと読まされた。テーマがどうだとかいうことを考えるのを忘れて読まされた。強い。これ毎度のように言うんだけど、良い参加作品には講評を書きやすい良い作品と講評を書きにくい良い作品があって、これは断然後者ですね。ただ「良かった」以外に言うことがないんだよ、こういうのは。あえて評価というか感想のようなことを言うと、とても情景的な小説だと思う。読み終わった後に、まるで映画を見終わったあとのように、洪水に流されていく登場人物たちの姿が頭に浮かぶんだ。文字しか見せられていないはずなのにな。

偽の星座:2008年ミャンマー・ヤンゴンにいた三人の話。

ちょっとずば抜けて良いですね。これ以上の作品が出てくるとしたら……悪いことは言わないから好きな公募に出してくださいという感じなんですけど。私はこの作品、例え商業ベースだったとしても、まず間違いなくファンがつくかなり良い作品だと思います。

南沼さんが、軍政下のミャンマーに行ったことがないのが驚きという、冷静に考えるとなんかよくわからない感情を持っています。よくリサーチだけでこれを書きましたね。もちろエンタメ的な面白さは十分あるんだけど、本作の魅力は懐の広さかなと思います。純文学でもちょっとエンタメ寄りのところなら十分いけると思う。あと、これは個人的な好みの問題になってしまうのだけど、いろいろ汚いこともままならないこともひどいこともあった中で、でもやっぱり美しいものもあったということが伝わる作品でとても好きですね。

テーマに対する回答も見事でした。単に偽物が出てくる話ではなくて、偽物がちゃんと作品のテーマにいる作品。羨ましくなるような、でもそんなことは置いておいて読めたことに感謝したくなるような小説でした。

あまりに中身に触れてない! でも、もういいかなって。

偽の輪:うーん、滅茶苦茶良かった。とにかく密度がすごい。
雑踏が匂い立つような世界の密度と、次々と起こる出来事の密度。このふたつをハイレベルで両立していて、「これでもう二万字か」と「これがたったの二万字か」の感想を同時に抱ける目まぐるしくかつ心に残る物語でした。
背景が書き割りでないからこそ、人物の些細な魅力も嘘臭くならない。色濃く性格の出るやり取りはキャラクターは不足・欠落があるからこそ愛おしく感じるのだということを強く意識させられました。破れ鍋に綴じ蓋で幸せになれればいいのに、塞ぎきれない大きすぎる隙間から色んなものが溢れ、入り込んできてしまう。
難を挙げるとしたらニセモノ要素が薄れ、あるいは書き切れていない点が残念。どちらかと言えばニセモノというより疵物のお話としての印象が強い。

No.19 CUT 辰井圭斗

偽の教授:明日君を名画座に連れて行こう
なんかどっかで見たような作品の寄せ集め感がすごかった。そもそもがそういう前提で書いたものらしいからしょうがないんだろうし、評議員に参加者としてまで多くを求めるつもりは別にないんだけど、それにしても「強さ」は感じなかった。やっぱり小説というのは自分にしか書けないものを書いてこそではなかろうか。

偽の星座:自作につき講評なし。

偽の輪:「僕が君を捨てないために、君は偽物でいなくちゃいけない」
これを言われたエミリーの心情やいかに、と考えるだけでも胸が痛む。この一連のやりとりが淡々とダイジェストで進むのが上手いです。「ああ、自分はこの物語を読むにあたってエミリーに心を許してはいけないんだ」というのが一発で分かる。ここのヘイトコントロールの逆というか、思い入れのコントロールの巧みさ。
これがどういう話なのか理解できて、かつその上で戸締りさせた心を、伏せた情報や飛び道具なしに描写の積み重ねで正面からこじ開け押し通ろうとするストロングスタイル。一作目と比べても書き手の迷いの無さが伝わってくる。シンプルに良かったです。

No.20 泥船 杠明

偽の教授:彼はアレック・ホランドではない
んぐ。なんていうか、ベタな古典的SFをベタにやっている感じだなと思いました。高評価になるかというとならないですが、何事も挑戦するのはよいことです。ご参加ありがとうございました。

偽の星座:欲望のままに自分を自分でないものに作り替えていく話。

それだけだとよくあるんだけど、最後に「自分」と対面してしまうところまで書くのが素敵だなと思いました。私はこの話をニセモノの話というよりは、自分はどこまで本物でありうるのかという話として読んだんですが。

何度も書いているけれど、描写がすごく制限されているのが印象的で、ほとんど「僕」の思考と他の人物との会話で進む。なんというか、義体になって気になるはずの見た目描写とかが、(途中あるにはあるけど)ほとんどなされない。この作品の場合はそれがマイナスにはならず、むしろ「僕」が欲求にのめり込んでいくさまをありありと伝えています。本当に情景描写をしない主人公。この人が、最終的にああいうところまで行き着いちゃうのは自然なことだったのではないかなと思いました。

終盤でスワンプマンの思考実験とかテセウスの船とかが出てきますけど、この作品自体も、なんていったらいいのかな、説話的なんですよね。書いている全体で楽しませるというよりは、書いている内容で楽しませる作品というか。多分そこは評価がわかれるポイントで、私はもっと全体で楽しませる小説の方が好みではあるんだけど、このアプローチは必ずしもダメではないと思います。

面白い作品でした。

偽の輪:フィクションとしては手垢がついている使い古しのテーマ。これはどうしても過去の名作との比較になるので、大胆なアレンジが欲しかった。
SFというジャンルは性質上、予想した通りのものが予想通りに出てきたときの点数は、どうしても他のジャンルより低いです。

No.21 死と海と再臨 武州人也

偽の教授:敢問死曰未知生焉知死
言いたいことは分かるんだけど、悲惨な話だなあと思いました。「偽りの世界でいいからそこに揺蕩うことを選ぶというのも一つの解である」というテーマはいいんだけど、それを表現するのなら、もうちょっとなんというか、具体的に何とは言えないんだけどもう少しなにがしか救いのようなものが欲しかった。これではただ悲惨な話が悲惨なだけで終わってしまっていると思うので。

偽の星座:バスで眠ってしまって目覚めると、「僕」が失いたくなかったものがまだそこにある世界にいた話。

あちらの世界で神社のところのバスを見つけてしまうシーンなどは、はっきりとホラーなんですけど、最終的な着地が「こっちの方が正しくて、向こうの方こそ間違っていたんだ」なのは清々しいなと思って読んでたんです。

でもね。こっちの世界、「お母さんがいる」んですよ。お母さんは、心の調子を崩してはいるけれども、まだ生きているので、こっちの世界は死んだ人間がみんな集まっていくような「死後の世界」ではない。「死後の世界」ではあるかもしれないけど、それはあくまで「僕」にとっての死後の世界で、例えば優希にとっての死後の世界ではない。だから、「本当」の意味で優希と再会することはできていないんじゃないでしょうか。優希が二回もバスで寝ている理由、私はやっぱりわからなかったのだけど、もしかしたらこっちの世界における優希の不完全さを表しているのかなと思いました。

そういうことを考えて「こっちの方が正しくて、向こうの方こそ間違っていたんだ」を改めて読むと、また違った印象になります。いわばこっちの世界は「僕」のための虚構なんだけど、でも、もうそれでいいじゃないという。

大体こういう話ってなんだかんだ戻るところまで行くし、多分私が書いてもそうするんだけど、突き抜けちゃうのもそれはそれでいいなという作品でした。好きです。

偽の輪:真面目な話だからとサメを手癖で抑えてませんか。この話は支離滅裂さが良い意味で許される題材で、サメという強烈なモチーフが少々お話を壊しても成立したはず。
サメの出てくるシーンが物語にきちんと馴染んでいて、夢うつつの世界の幻想的な雰囲気と非日常感を描写するにあたって水族館とサメの大水槽のモチーフは有効に機能しているからこそもっと徹底的にサメを使い倒せば全体の完成度も上がったのでは?と思えた。ワンポイント程度の扱いではもったいない。

No.22 春抱くイルカは麒麟の夢を見る 月見 夕

偽の教授:隣り合わせの灰と青春
抒情的な物語だなぁ、というのが最初の感想。話の核が「登場人物のアイデンティティの不確かさ」に置かれているあたりが、良くも悪くも物語に瑞々しさを与えていると思う。物語の構成全体を考えるともうひと化けさせる余地はあったのではないかとも思うけど、まあこれはこれで綺麗にまとまっているとは言えるかな。ありがとうございました。

偽の星座:二人と一人、でも三人にはなりきれないと感じてきた「イルカ」と二人の話。

もう、タイトルもサブタイトルも抜群ですね。特にサブタイトル。「2+1=2」とか「3-1=1」とか書いてあるだけで、もうそういう話だってわかるし、どちらの立場であれ、心当たりのある人は多いんじゃないかなと思います。

あと、良いところが沢山ある作品。文章全体でイルカが伝わってくる。すごく繊細で、彼女の雰囲気とか心の温度感まで伝わってくる文章で、いいなあと思いました。こういうの書けないな。あとほぼ毎話、引きがよくて、これリアルタイムで連載で読んでいても面白い作品だっただろうなと感じました。引きがあるのは大事です。派手なアクションとかがない話だからこそ、そう思います。

気になるところとしては、最終話あたりがウェット過ぎます。書いていて主人公を泣かせてしまう気持ちはわかるんだけど、作中で主人公が先に泣いていると、こっちは泣けないです(と私は思う)。折角そこまでよかったのに、最終話が……という印象。状況や感情がウェットであるからこそ、もっとドライに書いてもよかったのではないかなと思いました。でも、そういうところで泣いちゃうのがイルカでもありますよね。だから、色々言いましたが、イルカの物語としてはこれでよかったのだと思います。

きれいな作品でした。

偽の輪:今一歩で傑作になるのを逃しているような印象。
仲間内での疎外感やある種の身勝手な期待の押し付け、行き違いはよく書けていてポテンシャルは感じた。
ただし、何もかもが手遅れなのは物語としての起伏が弱い。最終的に叩き落とすにしても、落とす前の持ち上げ、上手くいくかもという淡い期待を持たせる勘違いや思い違いでもないと主人公の悲しみにいまいち乗り切れない。

No.23 何億光年の団欒 杜松の実

偽の教授:即興曲第4番 嬰ハ短調 遺作 作品66
うーん。これは、練りすぎているか練り足りないかのどっちか。アイデアを生のまま出してしまっているか、あるいは考えすぎたせいで味付けがおかしくなっているかのどっちか。そういう印象を受けました。幻想文学的な趣は出ていますが、作品として佳であるかと言えば残念ながら否です。唐突に詩が出てくるのも正直、投げっぱなしジャーマンな印象にしかなりませんでした。

偽の星座:根津が図書館で謎の少女に「杜松の実の偽物ですよね」と言われるという杜松の実さんの作品。

そこまで詩が混じった楽しい文章だなと思いながら読んでいたら、「杜松の実の偽物ですよね」が出てきて、あまりのことにちょっと笑ってしまいましたよ。マジか。それやる? みたいな。

でも結局根津が杜松の実の偽物であるという論理がわからないんですよね。やっぱり杜松の実は根津だし、根津も杜松の実だから本物とか偽物とかの関係ではないんじゃないかなと思ってしまいます。終盤で根津は「梵我一如」みたいな思想に行き着くんですけど、根津=宇宙なら、やっぱり根津=杜松の実なんじゃないの? と思ってよくわからない。

この作品の詩が混じったような文章は多分評価が分かれると思いますが、私は杜松の実の話より文章自体が好きだったな。正直、詩的な部分は文章に対して馴染んではいないし、多分杜松の実さん自身も試行錯誤の途中だと思うんだけど、それができるのがWeb小説の良さだと思うので、Web小説として良い作品だと思います。

あと、「作家」が暮らしの中でふと現れるのってなんか近代っぽいですね。

偽の輪:ごめんなさい。この類のお話はよくわかりません。

No.24 人為の虚像 椎葉伊作

偽の教授:ああ死者がよみがえる
「古典的な設定のベーシックなホラーかな」と思っていたら最後にひっくり返された。理屈で考えるとそんな高度な叙述トリックではないとは思うんだけど、見事に引っかかってしまった。なんか、「すごく予想外の作品」ではないと思うんだけど、不意打ちとしては非常によくできていたと思う。読み終わってから振り返るとホラーであるというよりはガリゴリの人情もので、かつSFであると思うのだけど、「偽物は本物より劣ったものである」とか「偽物が本物より優れる場合もある」とかいう単純な話に落とし込まず、「偽物でもいいから、と縋ってしまう人間の弱さ」みたいなものを的に狙ってきたのもなかなかの妙手だったと思う。

偽の星座:妻亡き後、息子との関係に悩む「私」は故人の姿を映せるAIホログラムの可能性にためらいつつも心を奪われていくのだが……という話。

面白かったですね。設定はSFチックなんです。スマートマンションとかAIホログラムとか。でも実際その舞台で展開されるドラマはびっくりするほどオールドスタイルというか。息子との関係をめぐる私の葛藤なんて、テレビドラマ的ですらあります。そのギャップがまず面白い作品でしたね。

あとは作中何度も「隠されていたことが明らかになることの恐怖」が鮮やかに書かれた作品でした。お隣さん然り、息子の年齢然り、そして――。何かがわかっていくって、実は恐ろしいことだ、それまで「怠けていた」のなら猶更。そういう身に覚えのあるリアルな感覚がよみがえってくる作品でした。だからホラーとしても面白かったです。

気になるところというか、私が評価できないなと思っているところは、登場人物がいくらなんでも型にはまった「キャラクター」であることです。私は全ての作品がリアルな人間を書かなければならないとはちっとも思わないのだけど、この作品の場合はもっとリアルに人間を書いた方が設定やストーリーが活きたんだろうなと思います。心の繊細な動きの話ですから。

でも、魅力は十分の作品でした。

偽の輪:良い意欲作。SFではあるんですが、非常に地に足の着いた人間ドラマで、そのことが割と手垢の付いた題材にも新鮮な読み味を与えていました。
希望の夢物語でなく、ディストピアでもなく、目の前の今と地続きの、人生でいずれ直面するだろう未来の物語。
単に物語として見ると物足りない部分は感じますが、欠点というよりは手直しでもっと良くなる伸びしろに見えます。そのくらい書きたい芯の部分はきっちり書き切れているのが強い。
その上でひとつ難を挙げるとすれば、昨今AI観を劇的に更新された現代の読者にお出しするものとして、人間と同じように苦悩し人間と見分けのつかないAIというのはあまりに前時代的で、どうしても嘘臭さを感じた。ここまで徹底的に地に足のついた描写を繰り返していたのもあって、ふたつ目の種明かしで本作が大事にしている丁寧なリアリティラインから浮いてしまっている。

No.25 抱卵 押田桧凪

偽の教授:天使のたまご
正直、何を主張したいのか、あるいは何を演出したかったのかが散漫な作品だという印象を受けました。押田さんの作品、個人的には『ネオテニー』も『ビーとフラット』もいずれもそれぞれ「茫漠さ」がかなり刺さったんだけど、正直これは同じような方向性を持った作品でありながらもよく分からなかったなというのが素直な感想です。

偽の星座:たたない夫と側にいる私の話。というとなんかハートフルな話を想像しますけど、全然そんな感じじゃないです。

押田さんの魅力満点の作品でしたね。私は、押田さんは「社会的な性と成熟していくことへの居心地の悪さ・気持ち悪さ」をずっと書いている人だなと思っているんですけど、その中でのバリエーションの広さに驚いています。というより、押田さんが何かを見ている解像度が私なんかよりずっと高いから、私が「似ている」と思うものが、押田さんには全然違って見えるんじゃないかなと思いました。

今回も「社会的な性への居心地の悪さ」を書いているように見えますが、同時に「〝欠けている〟ものから離れられないこと」も書いているように見えます。それはひょっとしたら、同根なのかもしれないけど。

相変わらず、冴え切った比喩など、読ませる文章を書く作家さんですね。文章が巧い人とか上手い人とか旨い人とか沢山見てきましたけど、「読ませる」ということでは押田さんがトップクラスだなと思っています。

私は押田さんとのファーストコンタクトで、「私はあまり良い読者ではない」と書きましたし、今も読めてるかといえば読めてないんだけど、何作も読ませてもらううち、どんどん好きになるなと気付いた作品でもありました。

偽の輪:偽物と理解したうえで卵を温めること。
我々人間が自分たちの本能の部分、根源的な性欲や食欲を低俗であると見下しているというのは間違いなくあって、そのくせいつだってそういったものに振り回されている。
脳ミソの上っ面、大脳の部分でやることだけが高尚で素晴らしいと思っている。脳の根元がないと死ぬくせに。
あまりに個人的故にセンシティブさで覆い隠された折り合いの付かない部分をどこか露悪的にさらけ出す様は痛快ではある。ただ、個人的には話が散らかっているのがちょっとマイナス。

No.26 パンダの中の人 押田桧凪

偽の教授:マンモス哀れなヤツ
読み終わってからカテゴリーを確認したら現代ドラマってなってたけど、これがホラーじゃなかったら何がホラーなんだってくらい不条理ホラーだった。落とし方の手法はまあ古くからあるテクニックではあるんだけど、まあ効果は出ていると思う。「ニセモノ」をテーマに小説を書け、って言われて「人間がパンダのふりをする」という作品を打ち返すのはなかなかの奇行だと思うし、今回(第五回偽物川)の中でいえば今のところ屈指の怪作と言ってよいですね。

偽の星座:パンダになる話。

……そうだよなあ、こういうのも書く人だよなあと思いました。すごく好きですね。すごく好きで面白くておかしかったんだけど、サイコー! と呑気に書くのはためらわれる。なぜなら、背筋が冷える怖い作品でもあるから。それを含めてサイコーなんだけど。

まずスタートダッシュから素晴らしいですよね。「ごめんね井上くん、四月からパンダやってくれない?」というか、読み返して思ったけど「ごめんね」なんだ……。一応謝るんだ……。もっと度し難いじゃないか。で、実際にパンダになってから、哀愁漂うというか、笑ってしまうんだけど、同時に背筋が冷えて、でも安易な解釈ができない感じがしました。

「パンダ」を選択するのは絶妙だと思うんです。もちろん、あの「人気者」の立ち位置はあるけれど、彼らを囲んでいる人間を含めた全体が、なんかプラスチックみたいな感じ。同じ感覚かはわからないですが、ともあれパンダをめぐる感覚をちゃんと作品にするまで、自分の中に落とし込めているのが、トータルで丁寧だなと思いました。

どうしよう……前作とどっちが好きかな。好きでいくとこっちで、評価するのはあっちかな。すごく軽い読み口で楽しめる作品でした。無邪気に楽しめるって言えないんだけどね。

偽の輪:会いに行ける地獄。狂った手順さえ正しく踏めば、人は狂う。
設定は一番馬鹿げたタイプの陰謀論そのものなのに、手順とか規則とか滅茶苦茶具体的で、荒唐無稽さがまるで感じさせない。
こんなことやる意味も許される道理もないんだろうけど、実際にやれば人間はほんとにパンダになるだろうな、という嫌さがすごい。
人間を偽パンダに詰め込む社会は嘘で偽物だとしても、詰め込む人間については何も嘘をついていない本物。自分だってきっとパンダになる。

No.27 サナギ ももも

偽の教授:美しさは罪 微笑みさえ罪
いくつかの「方向性」に向かって書かれてはいるんだけど、いくつかの「要素」がちぐはぐになっているという印象。どういうことをしたくて書いた作品なのか、的が絞り切れていないように思う。なんていうか、料理用語だけど「味が喧嘩してる」。美少年耽美をやりたいのか、寺の陰惨さを描写したいのか、戦国武勇伝みたいなものがやりたいのか……全部中途半端になってる。独特の味があったかなかったかでいえばまああったんですけど、完成度はあまり高くなかった。何より、三つ目がギミックとして作品中であまり活きてないです。そんな感じ。

偽の星座:魔性の稚児が破滅的な状況にまで周囲の人間を導いていく話。

私、魔性の人間によって周りが破滅する話が大好きなんですけど、そういう大好きな人が読みたいツボをきっちり押さえた作品でした。大好き。偽の女王蟻の話ですけど、舞台が寺ということで、コンパクトに短編に収まっていました。私自身、「ニセモノ」がテーマなら偽王とかやりたいなと思ってたんだけど、短編に収まらないからやめようと思って、でもこうやって書くと収まるんだなと思った作品でもありました。

途中時間が飛ぶところがあって、そこが最初不満だったんです。こっちは破滅に転がり落ちていくそのさまを見たいのに、時間を飛ばすのかと。でも、一晩あけて考えてみるとあれでいいかなと思いました。魅了されている当人が気付かない話なので。

コハクの振る舞いはどこまでが「ホントウ」だったのでしょうね。「私」はコハクを見て色々思うのだけど、それも全て「私」を魅せる振る舞いだったのですよね。そういう意味でも「ニセモノ」の話だったのかな。でも、全部が「ホントウ」のあり得ない存在だからこそ彼だという気もします。

最後の終わり方がいいですね。私も同感です。行き着く先をもっと見たいと思ったので。コハクに魅せられているんです。フィクションで崖から落ちた登場人物なんて絶対生きてるし。「私」がコハクを確実に殺す方法なんていくらでもあるのに、崖から突き落とすのを選ぶのは、(自然な選択ではあるのだけど)魅せられているが故なのかなとも思いました。彼をどこかで生かしておきたい気持ちがあったんじゃないかと。

もっと読みたいと思わせられる作品で、「もっと読みたい」と思わせるところで切るのがこのジャンルの作品の特質なので、そういう意味でもツボを押さえた作品だったなと思いました。

偽の輪:寺という歪に取り繕った沼のような環境で獲物を絡め捕っていく魔性というシチュエーションの艶は見事。しかしアリの生態に関する部分で語られる知識があまりに現代的、体系的過ぎる気がして一度は絡め捕られ没入した意識が物語から逃れてしまった。推察される時代背景を考慮するともっと憶測を含んだ断片的な知識であるべきだし、これがただの一介の坊主の口から出るのは流石に納得できない。

No.28 王と薔薇と灰色 田辺すみ

偽の教授:王。
叙事詩のようなかっちりとした雰囲気は嫌いではないですが、高得点になるかというと微妙なところ。この作品はもうちょっと字数を割いて説明して、内容をわかりやすく読者に伝える工夫をした方がよかったんじゃないかな。

偽の星座:斜陽のオスマン帝国。私は若い頃侍っていた暗君のもとを訪れるのだが、という話。

偽王だー!! しかもこんな短い作品で。それはさておき、何から何まで好きな作品です。だって、私自身オスマン朝風で物語と滅びの話を12万字くらいで書いているところだから、そりゃ大好きですよ。ここまで重なるかと思いました。

もう何から何まで好き(2回目)。耽美というのとは違う、透明感と浪漫のある文章も、私と王の関係も、灰色も、王の日記も、灰色の手記も、全部好き。舞台はものすごく小さくて、冒頭で宮殿を概観したあとは、ほぼ塔で話が進むんだけど、巨大な帝国の滅びが浮かび上がってくる話で、もう、その作品のつくりが大好き。

あと、最後。最後が素晴らしい。もうため息が出るほどに。獣が王になり替わるという非常に物語的なことが起こった物語であるにも関わらず、すべては物語の彼方に消える。それが素晴らしかったです。

どうしよう、好き過ぎてなんと言ったらいいのかわからない。「好き」で言ったら、ぶっちぎりで好きですね。

偽の輪:この丁寧に書かれた絢爛な光景に漂うどこか投げやりな寂寞感、雰囲気がとにかく良い。
人間の身勝手な感傷と心変わり、つたない字で記されるけものの真っ直ぐな眼差し。
芯を腐らせ、うろを晒す人と国を見る汚れた毛皮。確かな技量に裏打ちされた鮮烈なイメージが残り続ける。

No.29 残光 ラーさん

偽の教授:ユー・ディー・オー
貫禄と実力を感じさせる、力強いいい作品でした。へんに奇をてらっていないスタンダードな題の解き方も、これはこれで悪くなかったと思います。二万字の尺をいっぱいに使って、間延びせず、かといってかつかつにもならず、きれいに話を落としているのはさすがの手腕ですね。賞レースに食い込めるかというとそれはまた微妙なところではあるのですが、この作品のどこかが不足していたというより、それは今回の企画自体の水準の高さに起因する部分が大きいので致し方ないかなと。

偽の星座:偽の皇帝と国家の命運を賭けた一大決戦の話。

こんなデカイ戦記を2万字で読ませてもらえるなんて贅沢ですね。いや、どう考えても5万字いる話ではあって、読み終わっても5万字あればなあとは思うんだけど、中途半端な印象はあまり受けず、読者の負荷を高める代わりに限られた字数へ圧縮することにかなり優れたかたちで成功している作品だと思いました。

固有名詞のつるべ打ちではあるけれども、それがちゃんと生きてくるので、固有名詞が沢山出てくることを含めて楽しみました。もう光が差し込んだところをバークレイが突進してくるシーンとか最高ですよね。シーンのビジュアルが格好いいのは言わずもがな、それまでの「ことば」の積み重ねで、シーンそのものが神々しい光に包まれている。ちょっとここしばらく読んだ小説の中で、一番格好いいシーンでした。

いや、言いたいことは色々あります。例えば、私は遊牧民びいきなので、カマルムクが策略に乗せられっぱなしなのは気になるんです。やっぱり彼に帝国側ももっとしてやられないと、戦記物としては面白さが落ちるでしょうとか。あと、「光輝」とかは最初に置いた方が物語としては面白いよね、引きも十分あるエピソードだし、とか。でも、全部「だって字数足りないし」でおしまいなんですよ。やっぱり字数の制約で完成度が落ちているのは否めない。

けれど、減点方式ではなく加点方式で読むのであれば、突き抜けた良さに溢れた、十二分に優れた短編でした。

偽の輪:帝国の存亡と一個人の内面的な葛藤が、その中間を埋める無数の存在を捨象してダイレクトに接続される、いわゆるセカイ系をSFやファンタジー程嘘の付けない大真面目な戦記ものでやる。驚きました。野心的で凄く大胆。会戦を俯瞰する神に近い視点とひどく個人的な回想が並んだとき、これ2万字で書き切れるか?と不安を覚えたんですが、やりたいことが分かった瞬間に、ああ、覚悟の上でやっているんだと伝わってきました。
主人公の個人的な物語として見れば、非常に美しく完成されていて素晴らしかった。ただ戦記物として見たとき、物語の開始時点で全部お膳立てされ、勝つべくして勝つ消化試合でしかなく、関心事は主人公がいわゆる戦犯になるかどうかだけ。内面パートにおける並ぶべき存在のラートイを偉大に描けば描くほど戦記パートのボスであるガルマルの格が落ちてしまうという噛み合わせの悪さが否めません。

No.30 古い日記 クニシマ

偽の教授:トリック・オア・トリート
あれ?と思っていたら「あっ」ってなるような、クニシマさんの独特の叙述のスタイルとは違うところから切り込んでくる鋭さのある作品でした。かなり評価は高いです。ただ、「一太刀」の鋭さはあるけど「作品全体としての強さ」だと今回、もっと上を行く作品がひしめいているからなあ、というのが正直なところ。

偽の星座:「私」が日記を書いていく話。

テーマに対する回答の「内容」ではなく「仕方」ということでは、ここまでで最も鋭い作品が来たのではないでしょうか。テーマへの回答と同時に、それまでに読んできた本編の印象ががらりと変わる作品。「そうやってあの日記をほんとうに松本さんの書いたものとして読めたなら」のところで、我が目を疑いました。

「痛み」について触れた感想もあって、クニシマさんはむしろそっちで読んでほしかったのかもしれないけど、私はこの作品、とても幸福な話として読みました。たとえ、離れ離れになって、自分の望んだかたちでの連絡もなく、たよりが途絶えたのだとしても、さほどに思いを懸けられる相手がいるのなら、もうそれでいいじゃないと思ってしまう。

いいところが沢山ある作品です。はじめの日記と終わりの日記で書き出しが同じなのもとても素敵だし、「いつかもっと思い出せないことが増えた頃にまたあれを読もうと思う」というのも大人なしっとりとした思いが透けてとてもいい。性急に思い出にすがることをしないことからも本当に大切だったのだとわかります。

確かに青春を描いた作品ではあるけれど、非常に大人な作品だと思いました。

偽の輪:白状すると最終話の途中まで、退屈な 話だなー、こらダメだなー、と思いながら読みました。
そんなに悪くはないけれど、劇的なことはどうせ何もなく、自分はこれをいずれ読み終えて別の物語に移っていく。
まさかそこから「なにかが起こりそうでなにも起こらない、退屈な話」だと思って読み進めていた自分の感想に刺されるとは思いませんでした。
垂らされたほんの一滴の嘘で、これと言ってなにも起きない日記が、なにも起こせなかったことについて書かれた日記に変わる。読者は後悔と怯懦に彩られた掛け替えのない幸福の記憶を唐突に思い出す。
基礎部分が退屈な話だからもしすごいギミックがあっても大して面白くはならない、という経験則を打ち破り、もう読んだ部分を遡って退屈な話を書き換える凄まじいギミック。こんなことができるのかとただただ驚愕。

No.31 ラビリンス 柴田 恭太朗

偽の教授:タイガー!アッパーカット!
うーん。単純に読み物としてはかなり面白いし、テーマという面でもニセモノというテーマに対する切り込み方自体は悪くないんだけど。純粋に小説というか、物語として見たときに……「暴力でぶちのめして終わり」っていうのは、どうなんだろう?というのが正直な感想でした。やはり暴力。暴力はすべてを解決する。

偽の星座:フルーツカービングを生業にする私を含めた人間とベタの話。

東南アジアが要素としてあって、アングラで、男女の枠にはまらない主人公でということで、どうしても先行する南沼さんの『翡翠の腕輪』を想起せざるを得ない作品なのですが、本作はなんだかじめじめしているんです。日本が舞台だからなのか、全体にいやな湿度がある。このいやな湿度を書きたかったのであれば成功なのだろうなと思いました。

ニセモノをテーマにする今回の企画で、これでもかというくらい偽物を積み重ねた話で、そこが面白い作品でもありました。偽物というよりは「擬態」なんじゃないかと思うけれど。ラスト周りが楽しい作品でもありますね。「そんなわけあるかい!」な展開なんだけど、いっそ快感がある。「というか、あなたそんなアングラなフルーツカービングしなくても、そっちで生計立てられるでしょう」とは思うけど、最後にいいもの見れたしいいかみたいな。

色々な設定が有機的につながっていなかったりして、そこは以前別の企画で寄せていただいた『渤海の刀工 ~理想の刀剣を求めて~』に引き続き課題だとは思いますが、楽しそうな作品でした。

偽の輪:予想外だが期待はずれ。とっておきが意表を突いただけのビックリ要素でしかない。
クライマックスがクライマックスになっていません。状況は好転していないし主人公は変化していない。環境が悪化し、いつでもできたがやるべきでないのでやらなかったことを受動的にやらされただけ。物語開始時点でも同じことをされれば同じ結末になったはず。これではこの物語そのものが必要ない。

No.32 煙と望郷 志村麦

偽の教授:紫煙拳
なんだか幻想的な雰囲気のある、文字通りけむに巻かれるような雰囲気の独特な小説でした。カフカ的というか、なんというか。正直、もうちょっと「このテーマに対する回答はこれだ!」というパンチ力みたいなものが欲しかったところはあるのだけど。

偽の星座:どこにもないノスタルヂアに囚われる倦怠を含んだ青春の話。

私の中でしばらく大賞候補3作に入っていた作品ですね。あまりこういうカテゴリ分けに意味はないのかもしれないけど、純文学方面ではトップクラスの作品ではないでしょうか。

冒頭のセリフ、「思いがけず、懐かしさに胸がつまされるときがあるんだ」は正気では書けないセリフですが、もうここで本作のある「ライン」が示されているのだと思います。これは、こういうセリフがありえる作品。それを飲み込んでしまえば、あとはもう、「ありもしないノスタルヂア」、あの日の夕暮れを詰め込んだ宝石箱が覆ったような燦燦たる光景に圧倒されるばかりです。

思うに、世界への違和感も、どこにもないノスタルヂアも、それを手の平の上で転がすことが許されるような特権的な季節はないのだと思います。でも、留年間際の、それこそ夕日がずっと沈まないような倦怠感を含んだ青春(モラトリアム)の上でなら、ありえてしまう。この題材を書くのに、こんなに向いている時期は多分ほかにない。題材だけ思いつくなら、他の人にもできるでしょうけど、これをこのかたちで成立させてるのは奇跡的にすら感じています。

じゃあお前は意味がわかっているのかと言われたら、別に意味はわかっていないのでしょうけど、「意味がわからない」が自分の時間のコアな部分にありうる季節を描いた小説なのだから、何かの妨げにはならないでしょうと思います。

凄まじい作品でした。

偽の輪:いまいち掴みが足りない。というか、そもそもの要求値が高すぎる。
錯覚というのは百聞が一見に如かない最たるもので、正直な話、錯視や盲点の存在を知らない人間に実体験抜きではどんなに言葉を尽くしても目に見える世界が間違っていると納得させられるとは思えません。体験を伴わない問答主体で錯覚の話をするのはいくらなんでもちょっと難しいと思います。

No.33 飲み込みすぎた煌めき 秋乃晃

偽の教授:ゲボイデ=ボイデ
非常に誠実に小説をやっているな、という印象の作品。「非常に誠実にSFをやっている」でも「非常に誠実に偽物を描いている」でもなく、「小説をやっている」です。よくもわるくもそこがキモで、印象もそこにとどまるところがあるのが痛しかゆしというところ。

偽の星座:似せもののボクとオルタネーターの彼女の話。

こんなところでうなぎ職人の話を読むとは思っていませんでしたよ。しかも、うなぎ職人であることが活きてくるし、関東と関西の違いも後で設定が活かされるし、ホント上手い。ストーリーラインはすごく王道なはずなのに、設定が変だし、なんか変なんですよ! でも、そこがいい。

あまりにも似すぎたボクと兄とか、本物になりたがった代替品とかは、「ニセモノ」がテーマの企画に来る作品としては王道中の王道なんだけど、そしてストーリーも王道なんだけど、色々変で、でもそれが取ってつけたような変さじゃなくて、ちゃんと物語に溶け込んでいて活きている、トータルで見たときにすごく面白い作品。

色々細部が好きですね。小学二年生のときの入れ替わりのデティール。ボクが九九を言えずにもじもじしていてある意味兄の評判を落としてしまっている。これが後の二人の入れ替わりの関係を示している気がします。損をするのは兄の方。あとアニーで兄を連想するのは、そんな連想の仕方ある!? って笑っちゃったし、アナゴの話も好き。本物と偽物ではなく、それぞれは別物なのだというのは、呪縛のかかっていない周りの人間は容易く言えるのだけれども、当人がそう思うとは限らないという話だという気がしました。

すごく面白かったし、愛しい作品です。

偽の輪:代替品が体臭で区別できたり回収後食肉加工されたり突き詰めれば面白そうな設定で良かったです。
ストーリーに関しては焦点が散漫で何の話かわかりませんでした。

No.34 Fw: 田辺すみ

偽の教授:オーストリアにコアラはいません
すごくおもしろくなる作品のたまごを生のまま読んでいるような印象がありました。なんていうか、プロットはいいんだけど調理と味付けが(文章力の話ではなくて、物語としての工夫とでも言いますか)、もう一工夫する余地があったんじゃないかなっていう気がする。

偽の星座:時代を越えて展開されるオーストラリアを舞台にしたファンタジー。

プロフィールによれば田辺さんもオーストラリア在住で、登場人物たちのオーストラリアに対する想いの幾許かは、田辺さん自身の想いなのかなと少し思いながら読みました。

思うに、容易にファンタジーになる土地とファンタジーにならない土地がある気がしています。少なくとも、メジャーなかたちのファンタジーにはなかなか乗ってくれない土地というのはあるし、こう言うのはオーストラリアに失礼かもしれないけど、オーストラリアはそれじゃないかなと。特に現代を舞台にファンタジーを書こうとしたときに、ちょっと苦慮すると思います。でも、田辺さんはどうしてもオーストラリアを舞台にしたファンタジーを書きたくて、この作品に行き着いたのではないでしょうか。

「偽ファンタジー」とタグが付いていて、なんとなくそのタグがついている理由はわかるのだけど、私はすごく良質なファンタジーを読んだと感じていますし、現代オーストラリアでファンタジーを書くとして、ちょっとこれよりいい書き方を思いつかないです。あとオパールの正体がすごく好きですね。コミカルさを漂わせながら進む彼女たちの冒険も。

作家に根差していると感じる作品でした。

偽の輪:引き込まれる描写力。基礎的な功夫が高いので、僅かなやりとりだけで人物に入り込むことが出来て着地点どころか一寸先も予想できなくても翻弄されることを楽しめました。
ここまでくると消化試合で、どういう着地をしても「面白かったー」という感想を引き出せてしまう。普通なら空中分解するような遠い世界のイメージ群を単純な小説パワーが繋ぎ留めて、遠い過去と現代に跨る遠大なファンタジーのロマンとする。強い書き手が書いた小説は強い。

No.35 影のための煙草の吸い方 尾八原ジュージ

偽の教授:パレードの日、影男を秘かに消せ!
ロードムービー的な雰囲気がすごく好き。小説としてはすごく好きなんだけど、「ニセモノというお題に対する解き方」という点ではあくまでもオーソドックスな解き方にとどまっている感があって(プロットを工夫しろという話ではなくて、このプロットから書ける内容としては最高の仕上がりになっているとは思うんだけど)、賞レースを狙うには一歩及ばずという印象でした。

偽の星座:人間になり替わってしまう影と影とりをする彼女たちの話。

ジュージさんならではの珍しい読み口の作品だなと思いました。影とりって最初のお屋敷の反応からもわかるように、一種の「汚れ仕事」で、ひわことみかりは見つかったら保健局に連れて行かれてしまう影。でも、悲惨な感じは全然しなくて、乾いた、けれども血の通った仕事人としての彼女たちがそこにいる、そんなふうに感じました。

たくましさとか力強さというには女性的で、いやなところがない。こういうジャンルにありがちな力んだところがなくて、落ち着いた大人な雰囲気があるのがいいなと思いました。なんというか、同じ設定で百人に書かせたら、九十九人はもっと固い話にすると思うんだけど、ジュージさんは柔らかくて、それがすごくいいです。

あと、最後の終わり方が感傷に陥らずに、でも情緒があって、すごく好き。煙草という小道具が持つ規範から少し外れた性格も、本作にとても合っていたなと思いました。ジュージさんらしさがありながら、書けるものの幅広さを感じる作品です。

偽の輪:うーん、面白い。すごい。結構な特殊設定なのに、大した説明もないまま違和感がまるでない。独特な強みがきっちり出ている。
影というごく身近な存在を、身近さを維持したまま別物に作り変えて、日常感覚の中に滑り込ませる手際。
気配を殺して読み手のすぐ後ろに立つ、という技術をホラー以外でよくもこう上手く活かせるものだなと感心します。

No.36 sister's writer しぎ

偽の教授:竜雷太
あの……これ多分言っちゃうとみもふたもないんだけど……口述筆記すればよかったんじゃ……?それでは話が始まらないというのは分かるんだけど、「口述筆記は無理だった」となる設定を一行でもいいから流し込んでおくべきだったんじゃないかと思う。それが気になって、正直作品の内容に集中することができませんでした。全体的に、プロット段階での煮詰め方が甘い印象です。

偽の星座:自分のWeb小説が書籍化、しかし怪我をしてしまい妹にゴーストライターになってもらうことに……という話。

なんですけど、むしろ本作の白眉はその後だと思っています。妹にゴーストライターをしてもらうくだりは、いかにも無理があるというか、なぜ君は口述筆記をして妹に手伝ってもらわないのだと思いながら読んでいたんですけど、そのあたりのリアリティは別に本作では重要ではないのです。その後、3話目のAI編集者が「うわあありそう」というか「どこか実験的にやってるんじゃないか」という内容で、むしろそっちが楽しい作品。

でも、編集者に対するAI編集者は作家に対するゴーストライターとの対比で出て来ているので、やっぱり前2話にも意味があるんですよね。両方とも「自分で仕事をする」「自分で表現をする」ということから外れていくさまを描いている。「もうこっちにまかせておけばいいのでは……?」という葛藤も含めて。多分リアルだと、もっと「自分」にこだわる人が多い気がするんだけど、本作ではその要素が薄口なのが、現実を先取りするフィクションならではなのかなと思いました。

しぎさんは以前読ませていただいた『illusports!』といい、AIがある時代の表現者の繊細な問題(でも実はAI登場以前から問題だった問題)を書く方だなと思っているんですが、本作もそういう意味で面白い作品でした。

偽の輪:脇道の描写は詳しく、読みたい本筋のディテールは薄い。
そもそもワンアイディアの話なのだから無理して膨らませずともいっそ片っ端からディテールを削って、星新一スタイルのショートショートにでもした方が満足感があったと思う。

No.37 こんな夜には死ねない カニカマもどき

偽の教授:チェンソーでかみをこうげき
ほっこりするいい話でした。こういう作品が大賞レースにからむかと言えばそれは無理なんですが、でもこういう作品があってもいい。それが愛っていうことなんだ。そんな感じです。女神の言ってる話、本当なのかもしれないし嘘なのかもしれない、そのへんのよくわからなさがインチキくさくていいですね。

偽の星座:飛び降り自殺をしようとする僕がニセ女神に止められて――? という話。

安心して笑えるコメディでよかったですね。ちょっと個人的な属性の問題で「自殺を止める話か~」と怯んでいたんですけど、ほぼ問題なかった。動機が最低!笑 でも、あの動機で止められたらちょっと腹も立たなくていいなと思いました。

本当にバランスがいいんですよね。大笑いさせる感じじゃなくて、「ふふっ」と笑わせるくらいのがずっと続く。まあ最終盤がちょっとイイ話っぽくなっていて不満ではあったのだけど、そこまではかなりよかったです。

あのニセ女神の過去回想めいた話が作り話なところもすごい好きだし、猫がまさかの癒し提案をしてくるところも好き。良質なコメディでした。

偽の輪:コメディとシリアスの良いとこどりができておらず中途半端。腹を抱えて笑い転げるほどのネタの密度もなく、感動モノと見ると掘り下げが足りない。

No.38 アイマイ 紫陽_凛

偽の教授:アイマイミー・マー
ニセモノという用語の捻り方が二重三重になっていて、とても巧妙に書かれたSF文学だと思う。アンドロイドは人間の偽物なのかとか、そういう単純な捻り方で終わっていないところが強い。「どっちが好きか」と聞かれたら『銀の父』の方が好きなんだけど、「どっちを大賞に推すか」となったらこっちなんだよなあ。有無を言わさず。そういう力のある作品でした。

偽の星座:イミテーションなのではという問いに揺れるマイの話。

かなり悩んだんですけど、本作が大賞候補の一つですね。大賞候補を他の作品とどっちにしようか、かなり迷ったんですけど、テーマ点分こっちです。

「どっちがイミテーションなの」そんな呪いのようなことばにずっと囚われているマイ。もうそんなことは考えなくてもよいほどに、彼女は彼女として生きているのに、やがてこれ以上ないほど残酷なかたちで偽物としての自分を突き付けられる。じゃあ、これは彼女が敗北する話なのか。そう読めてもおかしくはないけど、私はそうではないと思うんです。〝完全にイミテーションとなり果てた〟その時でも、《山羊の穴》に《山羊》を迎え入れる、目的に向かって進み続ける、生きるエネルギーが奥底で流れ続けているのだから。この主人公の物語で、初潮や出産が描かれるのは決して偶然ではないと思っています。

途中、"we"が出てくるのがすごく好きですね。アイ、マイ、〝私〟から"we"に至っていく物語。或いはマイは〝私〟こそがほしかったのかもしれませんが、光明はそこに見えているのだと思います。

とても文学的なSFでした。

偽の輪:ウワーッえぐい。なんて丁寧で穏やかで切実な心の抉り方。
冒頭からブッ叩いてくる劣等感も、信じていた相手の裏切りも、突き付けられる人と機械の違いも、自分の根幹を揺るがすような痛みだと思っていたそれらは、ほんとうの意味で自分をイミテーションになどしない。終わりから見返せばなんて些細な痛みだったろうと思えてしまう。
主人公は姉との離別も、夫の死さえ乗り越えて強い女に成長したのに、最後に突き付けられるこの喪失はどう受け止めて良いのかわからない。
よくもまあ人をここまで凄惨な抜け殻に出来るなと震えています。

No.39 すべては所詮、愛の偽物。 立談百景

偽の教授:100点だ
凄かった。第五回のトラック枠ですね。トラックというのは川界隈の用語で、「みんながマラソンをしているところにトラックで突っ込んできて、全員ひき潰してそのまま走り去っていくみたいな感じの凄い作品」に捧げられる称号みたいなものです。初参加じゃないとトラック扱いにならないという説があったりなかったりしますが、立談百景さんは偽物川はこれが初参加なので完全に条件を満たします。いやぁすごかった。圧巻、ぶっちぎりです。内容については、ここではあえて触れません。すごすぎて逆に語ることがなくなるタイプのやつなので。ただ、一つ言っておくと、この作品ひとつでも「ニセモノというテーマで企画をやった甲斐があった」と思わされるだけの力がありました。

偽の星座:同性専門の恋愛詐欺師の話と彼女が騙す遺伝子ベンチャーの起業家の話。

ちょっと凄いのが来たので、色々変動しました。ええ……なにこれ。Webと紙ひっくるめて最近読んだ小説の中でかなり面白いですよ……。もちろんストーリーの面白さがとてもある作品なんだけど、文章とかセリフとかが格好いい! んですよ。そのハードボイルドな感じにやられながら読んでいると、手加減のないシナリオがぐいぐい進んでいくという……。

テーマへの回答も申し分ないし、ノイズになるようなリアリティに欠ける甘いところもなかったし、もうずっと面白いんですよ、なにこれ泣。私、「相手の方が一枚上手だった展開」が大好きなんですけど、それが惜しげもなく振舞われて全部面白いの。今回の偽物川、「どこかの公募にも行った方がいい」レベルの作品が多くて悲鳴を上げているんですけど、「腕力」では本作が一番だったんじゃないかなあ……。

「破壊者」の称号を差し上げます。面白かったです!

偽の輪:設定がすでに勝っている。
SFの話であり政治の話であり犯罪小説であり百合小説であり、無数のジャンルを横断して繰り広げられる多角的な面白さはあらゆる界隈に読者視聴者を虜にして社会現象を引き起こすメガヒット作を彷彿とさせます。
惜しむらくは終盤の駆け足感。このスケールの物語に二万字はちょっと不足か。青天井のポテンシャルを感じさせる怪作でした。

No.40 神の月の建設 おなかヒヱル

偽の教授:月を見るたび思い出せ
シュールな小説ですね。「月を作れ」とか言い出したときは『カリギュラ』(※アルベール・カミュの戯曲)のあれ(カリギュラが家臣に、月をとってこいと無理な命令をする)かと思ったんだけど、まさか本当に作っちゃうとは思わなかった。いろいろ無茶ではあるんですが、度肝を抜かれるようなインパクトがあったのは事実です。

偽の星座:新たな月を建設するイラムの話。

稲垣足穂『黄漠奇聞』の贋作(オマージュ)として書かれたというこの作品。『黄漠奇聞』講評書く前に読んでおきたかったな。電子で買えたら間に合ってたんだけど。

『黄漠奇聞』の方は、ロード・ダンセイニが書いた伝説の都市バブルクンドが舞台。一方こちらはイラムが舞台。イラムはクルアーンに登場する伝説の都市イラムでしょうか。クルアーンを確認してみたら、本当に少しだけ出てくるんですね。クルアーンにおいて、イラムは「理性(抑制)(あるいは知識、宗教)」が欠けていたために滅びたことが示唆されているんですけど、私はバブルクンドよりイラムで書いてある方が好きだな。あと、『黄漠奇聞』の方では三日月を討ち取るように命ずるのだけど、こちらでは満月を攻める。「何かの目に似ている」満月を。『黄漠奇聞』を読めていないのでなんともではありますが、本作の方がより「神」が意識されているのかなと思いました。

レビューで、「王の狂気が生んだイメージがことごとく叶えられていく、そのさまが面白くもあり禍々しくもある作品でした。滅びの所以は、王の狂気だけではなく、不可能を不可能としないことにあったのではないでしょうか。ゆえに、科学者のことばは凶兆を帯びるのです」と書きました。「科学に不可能はございません」という科学者の言葉は彼にとっても不吉であるし、イラムにとっても不吉。不可能が不可能であったのならば、王が卑小なる「人間」に過ぎなかったのならば、かくまで滅びは訪れなかっただろうにと思わされる物語。その意味で、妃の言っていることはとても正しく響きます。一貫した作品ですね。

好みを言えば、もっと整っていた方が好みです。中年男性を全裸にするところや、笑い声のところは、私はやり過ぎに感じました。折角良い作品なのに、もったいないなあと。でも、骨子はとても好きですし、細かなところの凄味に筆力の高さを感じる作品でした。

偽の輪:書いて伝えることに必死な印象で、全体的に情報量が少ないです。書けば書くほど薄まるので、もっと書かずに伝えることを意識して欲しいと感じました。

No.41 煌々たる天窓 宮塚恵一

偽の教授:俺だけの時間だぜ
コンパクトなんだけど綺麗にまとまってる。今回全体的にレベルが高いので賞レースに食い込むところまではいかなかったですが、でもなかなかのところにつけている作品だと思う。「世界がまるごとニセモノ」というのはそう傑出したアイデアというわけではないですが、でもなんていうか、希望があるようなないような、でもやれる限りのことを友情のためにやっている、そのへんのさじ加減が好きな感じですね。

偽の星座:意識を失くした親友のために仮想現実で彼女のための世界を作り出し、その中で高校生活を送る話。

ということがわかるのは、大分話が進んでからだけれども。優しいなと思ったんです。今回の偽物川は、結構「ニセモノ」という概念が暗がりにいる場合が多かったので、「それは現実と何も変わらない」というかたちで嘘の世界を受け入れる作品が来て少し安心しました。

多分この作品は宮塚さんにとって「『ニセモノ』がテーマなら書いておきたい作品」で、賞とかを取りに行くのは別の作品だったんじゃないでしょうか。だからというか、宮塚さんのキャパシティからすると、かなりゆとりのある作品に感じられましたが、だからといって悪いことはないだろうと思います。

こうやってもう一回出し直しをしなければならないのは想定外だったと思いますが、来てくださってよかったなと思った作品でした。

偽の輪:押さえるべきところはきっちり押さえ、これといって破綻もない優等生な作品。うーん、良くも悪くも言うことが特にありません。コメントに困るレベルで丸い。

No.42 Re:Answer 292ki

偽の教授:アレック・ホランドにはなれない
荒っぽい作品だとは思うんだけど、嫌いではないです。こういうアイデンティティクライシスものは割と好き。主人公というか語り手がなんなのかよく分からないんだけど、その分からなさそのものがテーマなんだろうからこれはこれでいいんだろうと思います。ありがとうございました。

偽の星座:少女に宿った三十六歳のおっさんと主治医の話。

思ってたよりずっと濃厚なブロマンスでびっくりしています。なんだか前半の方はまだリアリティとかが気になっていたんです。十歳の少女から三十六歳のおっさんが構成されることなんてあるかなとか。でも、メッセージから彼らの関係性が浮かびあがってくるにつれ、一話目の後半あたりから思い入れして読んでしまいました。二話目もウェット過ぎず、ドライ過ぎずよかったです。

テーマに対して非常にストレートな球を投げる作品でした。でも、コンパクトにきれいに感情と絶望が収まっていく最終盤を読めただけで、ありきたりな作品が来たとは決して思わないです。難点を挙げるとすれば、桜のエピソードに説得力がないくらいでしょうか。今一つ彼があれで消える理屈が、わかるんだけど、直観的にわからないです。

でも、とても魅力的な作品でした。

偽の輪:わァ……自分のことをおじさんだと思い込んでいる幼女だァ……すき……
儚いですね。栄養があります。どうしようもなく事実として自分のことをおじさんだと思い込んでいる幼女なんですけど、これはおじロリではなくブロマンスだ。
バ美肉おじさんのキャッキャウフフがホモではないのと同じくらい、これは未成年相手の不純異性交遊じゃなくておっさんの友情です。
結局人の魂には性別なんてなくて、関係性はお互いの認識で決まるんですね。

No.43 重ね合わせのデイドリーム・オレンジ 狂フラフープ

偽の教授:時が見える
すげかった。『百合に挟まる幸福は死ねばいい』の講評で「頼んでよかった」って書いたけど、こっち読んだときは一瞬だけ「頼まなければ狂フラフープ氏の二回目制覇がありえたのでは?」とちょっと思った。評議員の作品なので賞レースにはかからないやつなんですけど、そうでなければ大賞推し三選の一角を占めるところまでありえたかもしれないクラスの傑作。恐ろしいほど技巧的で、ちょっと俺ではマネできる気がしない。「時間がニセモノ」というアイデアも素晴らしかった。

偽の星座:時間の感覚がおかしくなってしまった僕の話。

良いんですけど……良いんですけど、本来もうちょっとどうにかなった作品なんじゃないかと思ってしまいます。どこをどうすればとも言えないんだけど、多分もっと上手く書けるだろうなとは思います。折角アイデアがいいので。

でも、小説以外でちょっと表現方法が思いつかないなという場面がいくつもあって、非常にスリリングでした。

……え? 短い? 評議員なのに最終日に来るからだよ!

一番驚いたのは、継子が初めて出てくるところで、フルネームで書いてること以外全然初出っぽくない書き方なのに、あそこが彼女の初出なの。なんか読み落としたのかと思ってすごく戸惑ったんですけど、あの読み味はわざとなのか気になってる。わざとなのだとしたら、気が強い。真似できない。うっかりだったらダメだけど、わざとだったらOKのバランスだと思います。

偽の輪:自作のため割愛

No.44 薄荷の輝きに何を見る 十余一

偽の教授:禁じられた遊び
四話が蛇足だと思う。それに尽きる。台無しもいいところで、小説で絶対にやってはいけない禁じ手の一つだと言ってもいいレベルです。一つだけいいことを言うと、「観念のニセモノ」でも「人間のニセモノ」でもない物質的に作られた「贋物」を扱った今回の企画では貴重な一作なのはちょっと気に入っている。

偽の星座:人魚の木乃伊を観に行く話。

すごくコンパクトに楽しく時代物を書かれていて、名人芸だなあと思っていたら、沢山時代物を書かれている方なんですね。日本橋の河岸から歩いて行くシーンなんて本当に楽しくて、しかも全然力んだところがないものだから、こちらも何の気なく楽しんでしまったのだけど、いや、これすごいことですよ。

さて、今回何がニセモノなんだろうと思っていたら、全部ひっくるめてお話自体がつくりごとというテーマの回収の仕方はかなり好きです。良い作品だなと思いながら読みました。今回の偽物川が魔窟すぎて埋もれてしまうだけで、悪いところがある作品ではないです。

偽の輪:人魚が本物だったところから一気にぐわっと盛り上がって大変ワクワクしたが、ラストがこれではちょっと夢オチと変わらない。こういうなんにでもくっ付けられるオチではなく、これしかない、という必定の一手が欲しかった。

No.45 セヒスムンドは夜の底で 藤田桜

偽の教授:誰なの?怖いよおッ!!
ごめん、二回読んだけどなんだかよく分からなかった。鍵になっているアイデアが最後のあたりにあるんだろうけど、駆け足で書いてるからだろうと思うけど叙述が簡潔に過ぎて解読できませんでした。結局屋敷にいたのは誰なの?何がどうしてどうなったの?わからない。

偽の星座:ぼくは古き友セヒスムンドの招きを受けて彼の屋敷に行くのだがという話。

うーん、最初の感想は「どう見ても時間が足りていない」でした。1と2で文章の温度感が合っていなかったりするのは、もう少し時間があれば直せるところだろうと思います。あと、ラスト2話は、私が読めていないのもあるだろうけど、何が起こったかよくわからない。レビューで書いたように、語り尽くせないからこその「魔」なのかもしれないけれど。2回読んでやっぱりわからない……。

でも、空気感とかは非常に好きです。これはちゃんと吸収できているものが自分にないと書けないものなので、良いなと思いながら読んでいました。あと、手帳を見つけてしまうという小さな取っ掛かりから話が展開するのも好き。登場人物も、本当に短いシーンにしか出てこない人が多いんだけど、全員素敵でした。あと、冒頭のミノタウロスからノッカーのかたちに繋がるのも上手いです。

滑り込んできてくれて安心しました。

偽の輪:残念ながら終盤の描写が駆け足になりすぎて、事の真相以前に目の前で何が起きているかが読み取れないです。
「真相が気になる」という状態に至るにはある程度自分の中で仮説が立てられる程度の情報が必要ですが、文章から読み取れる情報量がそのラインに達していないと感じました。


以上が全作品講評です。では、ここからは大賞その他各賞選考、並びにそれに引き続いて始まるトークの模様です。なお、「教」が主催である私、「星」が偽の星座こと辰井圭斗さん、「輪」が偽の輪こと狂フラフープさんです。

選考会議

教:さあ はじまるざますよ いくでがんす ふんがー(※一人三役)ではまず大賞推薦三作品の発表からいきましょう
Ready?
輪:『古い日記』『アイマイ』『アンダードッグ』
星:『翡翠の腕輪』『アイマイ』『すべては所詮、愛の偽物。』
教:『アイマイ』『翡翠の腕輪』『すべては所詮、愛の偽物。』
アイマイに三票。大賞確定。
輪:ぱちぱち
教:ぱちぱちぱちぱち
星:おめでとうございます
教:さて、大賞については後で語るとして。整理。辰井さんと俺のセレクト完全一緒か
星:たしかに
教:『翡翠の腕輪』と『すべては所詮、愛の偽物。』
どっちかを金賞にするか。それとも金賞二本にするか。金賞二本銀賞二本でもいいかなあ
星:私もそう思います。あの2本には両方とも金賞を渡したい
輪:異論はないですね
教:では金賞銀賞けってい。つぎ個人賞いきます。おふたり先にどうぞ
星:じゃあ、星座賞『煙と望郷』
輪:『Fw:』。『確かな轍賞』で
教:おれは『人為の虚像』。トリック賞。大賞三選に推すかどうか最後まで迷った
星:『煙と望郷』もしばらく三作に入ってた
輪:最後の二択でした
教:銅賞は今回なしでいいですね。そんなに総作品数もいってないし。では受賞作はすべて決定!(こんなにスムースに決まったの初めてかもしれない)そしてここからが長い偽物川講評会議。今回は自作語りからいきますか。
星:自作語りか~語ることあるかしら。きょうじゅが語っているうちに考えようかな
教:言い出しっぺなので『薄っぺらな嘘』と『ドッキリテクスチャー』の話をします。シャッチモーニはなぜ、自分が見つけた真作を公表せず、しかも模作すら作ろうとしなかったのか。これ、執筆段階では考えてもいなかったんだけど、書き上げてから自分なりに解釈すれば、贋作職人特有の、「ホンモノを造り出せる存在へのリスペクトの現れ」だろうなとは思ってる。物語としては、ちょっとザイカハルというキャラクターに割を食わせ過ぎたなーというのはあった
星:レビューでは触れたんだけど、きょうじゅは1作にまとめようとは思わなかったの?
教:もともと作品それ自体より先に『二篇一対の作品をやる」というアイデアが先行してるんだよね。「同じ一つの宝石だが、片方は本物が出てきて片方は偽物が出てくる」というのがファーストプロット。でも資料として読んだ贋作絵画の本が面白くて、贋作絵画の作品になった結果としてこうなった
星:なるほど。きょうじゅの作品はどう講評を書こうか迷った。他の川だと、完全に別々の作品として読んで、一切つながりを認めなかったりするんだけど、偽物川はそういう規定がなかったから、つなげて講評書いちゃった
輪:噛めば噛むほど味のする二篇でしたねー。ちなみに、ハンタのガワはどの段階で被せたんです?
教:固有名詞をつけたとき最初から。たぶんタイトルが先。『ドッキリテクスチャー』と『薄っぺらな嘘』の二篇にする、というのが絵画の作品にする時点で確定したと思う
輪:『百合に挟まる幸福は死ねばいい』なんですけど、もうアホほど書き飛ばしましたね。校舎裏の楠の木で告白したとか久々に実家に帰ったらなんか閑散としてて親がやたら優しいとか。当初はふたりの配役が曖昧だったんで、主人公が親の命令で自分の恋人を裏で男とくっつけようとしながらその一方であの男嫌いと泣く恋人を慰めるみたいな、そういうシーンをまず書いて、全部オミットしちゃった。百合文芸と偽物川で書いてますけどそもそものコンセプトとして、百合文芸の側がスタートで、百合って何ぞや、というのが始まりなので
星:最後絵里視点になるけど、最後が彼女の視点になるのはどのあたりから見えていました?最初から終わりはああなるって見えていた?
輪:あー、その辺はかなり初期段階の名残です。書いたの全部ぶん投げて、電車に揺られるシーンから始めることにしたとき、なんか電波を受信してですね、殺された男の死体一人称でやろうと思ったんです。乙一のデビュー作『夏と花火と私の死体』のイメージで、死体の側から、なんで殺されたのかとか、百合カップルが本当は偽物だとかやれたらめっちゃ面白いんじゃない?と思ってですね。結局あまりにクソ難しいのと、途中で死体捨てなきゃいけないので頓挫したんですけど、その過程で、視点をリレーして最後にメイン二人にバトンを渡そうと思って、凝ったことするよりそもそも主人公の一人称で真正面から行った方が強火になるかと止めたんですけど、その時の名残がその部分ですね。
星:講評にも書いたんですけど、私が理詰めで書いたら最後絵里にはならないなと思って。でも、今のかたちがすごくいいから気になってた
輪:こう、百合ってジャンル、単なるレズとは異なって、日常系とかとも合わさって、なんかいろいろ曖昧じゃないですか。文芸としての百合を、セカイ系の後継として位置付けてですね、ペガサス味の部分とか、間に何も挟んじゃいけないとか、百合に男を挟むなとは言うが、ふたりの子供は挟んじゃいけないのか?とかそういう部分から攻めて、社会からの逃避、ふたりだけのセカイ、死への憧憬とかその辺りが文芸における百合ジャンルの心髄と睨んで、それ以外を一旦全部ぶっ壊して燃やして、灰の中から出てくるものを探そうというのが今回のこれなんですよ。だから百合から同性愛を取り除いて、日常を取り除いて、結婚を取り除いて、最後に何が残るか。そういう作品。で、レズ要素を抜くなら、じゃあ偽物も行けるじゃん!ってので偽物川に流したのですよ
教:なるほろ。次は『重ね合わせのデイドリーム・オレンジ』?
輪:はいはーい。まあそんなわけで一作目が百合が主題だったのでですね
偽物要素が物足りんかなーというのがスタートです
教:ニセモノアイデアではトップクラスですね 参加作中
輪:で、何のニセモノを書くか。AIにドカドカ候補を列挙させたら、面白いのがあって、「ニセモノの時間」に決定
教:ふつうはそのアイデアあっても調理できないよ
輪:伊藤潤二の『長い夢』(※漫画)をまず連想したんです。めちゃくちゃ面白いのでネタバレをためらう(注意。ここからネタバレ入ります)
とりあえず、一晩寝る度に、二年とか三年とか続く夢を毎日見て、それがどんどん長くなる患者の話です。夢で何十年も過ごしてそちらが真実と認識し始めて、ある日突然夢が覚め、狂っていくみたいなホラーなんですが、そんな感じのを書きたいなー、と病院の知らない天井スタート、時間感覚の壊れた男を主人公にして、何が出来るか詰めていきました。で、まず違う正常な世界に生きている人物と、同じ狂った世界に生きている人物とを出すことにして継子と小柚が出来上がりました。エンタメ的に未来視の能力を組み込んで、すると未来を変える動機に自動的に妹が組み込まれて、ただ元ネタにした『長い夢』が超常現象を扱わないので、つられてこっちも未来視は気のせいでした、というオチに。この上で、時系列を認識できないというトリックを使って何が出来るかを考えた結果、別々だった姪と継子が接続されて完成ですね
教:起点が奇想な分調理自体はこっちの方がシンプルなんだな。基本があやふやだから落としどころはシンプルにした方が全体が締まるんだよね。よかったと思う
輪:詳細を詰めるにあたって、どうやっても周囲の反応で妹が死んでることを隠せないので、その辺はバレるの上等で、もう一段階仕込みつつ人間ドラマによせる方向にしましたね。辰井さんの講評にある継子の登場シーンしれっと出してんな問題はもう解決策わからんし開き直ってます。序盤で出てるから!
星:あはは。うーん、あのシーンの中で解決できるんじゃないかな
輪:まあ、その、時間が無かったから……
教:さて次。『順序不明・悲嘆ゼロ』
星:『順序不明・悲嘆ゼロ』に関してはノーコメント。既に書き上げてしまった小説に興味がなさすぎる。ここまで考えていたんだけど、なんも感想がない。『CUT』に関しては、手を抜いたつもりはないとだけ言っておきたいかな。やりたいことやった作品なので、私は気に入っています
教:うい。手を抜いているとは思わないのだが
輪:『CUT』はおっ吹っ切れたなーと思いました
教:じゃあ次は大賞の話いきますか。『アイマイ』。三人推薦での満場一致受賞はなかなかないぜ
輪:すごかった
教:前回なんか九票ぜんぶ割れて大変だったのだ。なんていうか、ふつうは読んだ段階で「この作品は三選入りだな」ってわかるんだけど、『アイマイ』はちがった。読み終わってしばらくしてから「あれ?あれは大賞候補では?」ってなった。有無を言わさず
星:私も少し経ってからですね。『アイマイ』は講評にも書いた通り、ギリギリで三作の中に入りました。小説として優れている作品はいくつもあったんだけど、テーマへの回答に凄味があったので、テーマ点で推した作品。もちろん小説としても優れているんだけど、選ぶときにはそこで選んだ
輪:喰らったダメージを自覚するのに時間がかかる感じ。撃たれた後でしばらく動いてから、あれ、死ぬかも、みたいな読後感でしたね
星:すごく文学的だと感じた。思い返すことでもっと良さがわかるみたいな作品だと
教:本人の執筆中のコメント読んでたんだけど、「純文学として書いた」みたいなことを語られてる。……タグに打ってあるな、純文学って。SF小説としてよーく考えると設定によくわからない部分があるんだけど、そんなことをどうでもいいと思わせる小説ぢからがある
輪:初手で示される双子の劣等感、描写も相まってすごく切実で、普通ならこれ一本で一作書けるくらいのパワー。そこから更に、普通ならそれで一本書くくらいの重さのある人間とアンドロイドの葛藤があって、それを全部呑み込んで乗り越える強い女として成長した主人公を描き切ったうえで、最後に全部越えていく大波が来る
星:大波。でも、私はあの大波で彼女が負けたとは思わないんですよ。あそこの大波が凄まじい作品でもあるんだけど、彼女の生きるエネルギーがすごいから、負けた話だとは全然思わない
教:一種のアイデンティティクライシスだよね。それを乗り越えて人生があるのだ。消えない痛みは新たな魂の核となるのだ。人生!
星:そうなんですよね。あそこで終わるのは、どうでした?続きが読みたい話ではあるんだけど、私はこれでいいと思った
教:ああ、本人が言ってたな。「続きは?」って言われたけどあれで終わりでいいんだって。俺もあそこで終わるからいいんだと思う。あれ以上何書いても蛇足になる。よし、では次行きますか。金賞受賞、『すべては所詮、愛の偽物。』
輪:上限三万字なら大賞に推してた
教:トラック枠
星:私もトラックだと思った。腕力がものすごい作品だと
教:トラック枠、金賞に落ち着きがち
星:あんな終盤に来てびっくりした
教:あれねえ、ずっと書いてたのよ。初期から。二か月くらいかかってる。短編なのに
星:たしかにTwitter見たらそうでしたね。でも、そりゃ時間かかるよ
輪:大賞級だけど、大賞ではないですね。多分まだ上に行くので。現時点で賞レースに絡む出来ですけど、未完成だと感じました
教:トラック枠は新人賞てきなところがある。新入幕力士の敢闘賞みたいな。しかし「ニセモノというテーマで企画を立てたこと」についてちょっと反省点などがあるんだけど、あの一作でそのモヤモヤが吹き飛ぶだけのパワーがあった
輪:僕はあれを読んでエヴァとかハルヒを連想しました
教:セカイ系?
輪:内容の話ではなく、スケールとして。SF、犯罪、恋愛、政治、無数のジャンルを横断していて、そのそれぞれでファンを獲得できるパワーがある
星:うん、「パワー」ですよね。私はそのパワーに目を奪われていたのかもしれないけど、そんなに未完成だとは思わなかった。いずれどこかで賞は取れてしまう人だと思います。もっと大きなところでも
教:うむ。そんな気がする。まだ伸びしろがあるのは感じる
輪:まず設定が強かったですね。これ組んだ時点で勝ちってレベルで
星:設定がちゃんと生きてるし。強いうえに何も無駄になってない
輪:全方位強いんですよね。大賞には推さなかったけど、改稿して他所で大賞取ってほしいくらいには好き
教:カクヨムを見る限り長編作品がないな。書いたことないなら長編に挑んでみてほしいね。さて次行きます。『翡翠の腕輪』。もう一本の金賞受賞作。とても映像的な小説だった。ぐらふぃかる
星:翡翠の腕輪はずっと推してる。非常に好き。
輪:良かったですねー。物語満点。拙作読んで書いてくれたと聞いて光栄
星:この作品、「広い」ところが本当に好き。現実を舞台にしているからそれはそうなのかもしれないけど、彼らの周り以外にも世界が広がっているってわかる
教:ミャンマーの手触りがとてもいい。行ったことがあるのかと思うほど(※ないらしいです)。
輪:あー、それは本当に思った。行ったことないって聞いてびっくりしました
教:フィリピンとかタイではなく「ミャンマー」というのが攻めてる。『ビルマの竪琴』くらいだろう、日本で知られているの
星:そうね、でもミャンマーだからこその作品だと思った
教:ただまあ「ニセモノ」というテーマ点でわずかに落ちる、というのは分からないではない
輪:「ニセモノ」より「キズモノ」の話だと思いました
星:うーん、私は『翡翠の腕輪』に関しては、テーマ点で減点はしていないです。テーマ点でもすごくよかったと思う
教:家族ごっこの話かなと思わないではなかった。似せものの家族
輪:僕は彼らを本物の家族だと思ったし、本物なのに、欠けているが故に噛み合わない、欠けなければ出会わない、という悲哀と読みました
教:では次行きますか。銀賞受賞『アンダードッグ』。草森さん本人が『翡翠の腕輪』をライバル視する発言をしていたが、金賞銀賞という形に
星:最終盤まで3選に入ってた。途中まで翡翠の腕輪と2作並んでいて、3作目不在だった
輪:この二作は序盤の双璧でしたね
星:うん、揺るがないと思っていたんだけど
教:バディもの、「二者の関係性」のパワーがすごいよね。そこだけで120点をたたき出す力がある
星:上手さで言ったら、全作振り返ってもトップだと思う。本当に読んでいて心地いい
輪:バディものが最初仲が悪いのはお約束だけどここまでやって最後文句なしのハッピーエンドに行くのかよ!というのがある
教:ただね 本人が言ってたんだけど、『サウスパーク』なんだよね アメリカが。俺のアメリカは『ピーナッツ』なので、世界観が……小説なんだからいいっちゃいいんだけど、没入感を削いだのは事実
星:私はあんまり気にならなかった。アメリカというより、アメリカ風異世界のかんじで読んでしまったかもしれない
教:なまじ現代なのがな。「西部開拓時代のテキサスです」なら気にしなかったんだが
輪:時代劇、あるいはネオサイタマなら。道理を蹴っ飛ばすパワーは十分あるのでね
教:では次、銀賞二本目『古い日記』。来るとしたら誰かの個人賞で来るかなと思ってた。それだけの力はある。一太刀だけで持っていく
輪:僕これ正直つまんないなーと思って読んでたんですよ。わざわざ凡庸に書いてる感じがある。最終話に至るまで、何も起きない、気配がない。ああ、まあ悪くないけどこんなもんだな、読み終わって次の小説を読み始めたら忘れるな、と。経験則的に、ここまで読んでこの感じなら、なんかすごいギミックがあっても大逆転はないなってのがあって、基本的にそういう小説の仕掛けは素の面白さに、乗算でのっかるもんだと思ってて、だから基礎値が低いからすごい仕掛けがあっても届かない、と思ってたんです。あの日記なんですけど、たぶん全部偽物ってわけじゃないですよね。書くのをやめちゃったか、盗んだかして、一部分だけ書き手が変わってる。だからほとんどが真実。何も起きない、何も起こらない日常が、最後に垂らされた一滴で、何も出来なかった後悔の日々に塗り替わる。そのことに気付いた瞬間、『まあ悪くないけどこんなもんだな』って次のことを考えてた自分が、書き手と重なってですよ。退屈な小説を読んでいた自分が、主人公を置き去りにした存在になってしまう。これに刺された。手遅れになってから、自分にとっての退屈な日常が、視点が変わると掛け替えのないものだった、と気付かされる。読書体験として、凄い衝撃的でした。
教:わざわざ凡庸に書いてる感じがあるんだよね。で、最後にひっくり返す
星:とても鋭い作品だと思った
教:さてでは、次は個人賞作品について。まずは『人為の虚像』、偽の教授推薦トリック賞。講評にも書いた通りそんなに意想外の発想でも奇想天外なプロットでもないと思うんだけど、不意打ちでガツンとやられたんだよね。好きとか優れた作品というのより、その一点で個人賞にしました
星:私は不意打ちは食らわなかったのだけど、SFのガワの下にすごくオールドスタイルなドラマが走っているのが面白かった。作中何回も「隠されていたものとそれが明らかになることの恐怖」を書いているのは意図的だと思う
輪:これ、今じゃないと書けない物語ですよね。似たような着想のもっと古い話はたくさんあって、でもAIがSFとして想像する未来の可能性ではなく手の届く存在になったからこその質感。現代の社会にもある醜悪さ、蓋をしている臭いものと、これまで美しい未来として描かれてきた存在が地続きに接続されている。その点ですごく類似作と差別化出来ていて書きたいものを書き切れていると思うんだけど。僕はだからこそふたつ目の種明かし、AIの部分で引っ掛かりを覚えてしまった
星:私は人間描写で感心しなかったな。心の動きを書きたいんじゃない?と思うのに、出てくるのが全然生身の人間という感じがしない。そこさえよかったら、SF的な甘さには目をつぶるのに。デフォルメされた人物造形が一概に悪いとは言わないけど、この作品はそっちで書く作品じゃないと思う
教:では次いきましょう。星座賞『煙と望郷』お願いします
星:この作品はめちゃくちゃ身に覚えがある、というかある気にさせられてしまう作品で、来てくれた時ほっとした。やっとこのレベルの作品が来てくれたって。テーマ点で3選からは落としたけど、小説点だったらかなり高いと思う。書きたいと思って書けなかった小説をこれ以上ないほどうまく書いて出されたという感じ。なんかね、ちょっと思ったのは杜松の実さんがやろうとしていたことの先にあるのがこの作品でもあるんじゃないかなということ。小説の文章を散文ではないかたちでなんとか書こうとするというか、散文のくびきを外れていくということ
教:いま読み返してみたけど、やっぱり正直よくわからないしピンとこない
輪:志村さんはなんというか、ストライクど真ん中決めた時の火力はすごいけど、ちょっと外れると急に刺さらなくなるタイプだと思う
星:でも、小説が万人に受ける必要なんかないじゃん。私は、この作品にはなんらか賞を贈りたいので、個人賞で
教:うむ。それが個人賞である。では次、『Fw:』お願いします
輪:カラテが凄いので凄い。並の書き手だと、こんなん空中分解するんですよ、ありふれた金の羊毛にマクガフィンを投げて、現代のオーストラリアのロードムービーとファンタジーを接続する。無茶なパッチワークが、ただただパワーでもって浪漫に変わる。私はこういう純粋な暴力で殴られると弱いので個人賞です
教:ではここからはセレクト作品フリートーク。一作ずつで交代。まず辰井さんどうぞ
星:じゃあ、二人にはえー?って言われるかもしれないけど、『いくじなし』
教:脳髄は人間の中の迷宮であるという観点からあえて許そう。どうぞ
星:これ、私的には最終話が一点突破でものすごくよくて、『煙と望郷』が来るまでは個人賞を出そうかなくらいに思っていた。あのどんどん登場人物が移り変わっていくシークエンスが美しすぎる。そこがいいから、大好きな作品です。でも、二人の講評にも頷いたよ
教:「はたらきたくないから小説家になる!」くらいのモチベーションを持ってくれたら成長性があると思うんだがむりだろうな
星:やる気がないというよりは、多分良い小説というレールに乗りたくないんだと思う
教:あー。では次、狂フラさんどうぞ。
輪:『ドッキリテクスチャー』! ドッキリテクスチャーの話をします!感想漁ると割とみんなこれ、シャッチモーニが贋作師であったことを悲劇的に受け止めてるんだけど。個人的には全然そんなこと思わなくて。一番最初に、あ、これ『テクスチャ』がテーマの話だと思ったから、この、ハンターハンターのパロディと、ついでにファンタジーのガワを剥がして考えてみたんですよ。それでも成立するんじゃない?と。浅く読む分に普通に面白いし、かつ現実世界に持ち込んでも話が成立する。だからこそなんか核心部分はファンタジーとの差分に埋めてるんじゃないかと思って読んだんだけど。『残念ながら、神ならぬ美術史家たちがこの事実を知ることは、おそらく向こう百年あり得ないであろう。』ここをとっかかりにしたんですよ。我々の世界と、ファンタジーの世界で意味合いが変わってくる一文。ここ、百年は我々やドンにとっては一生よりも長い。でもザイカハルやシャッチモーニにはそうではない。つまり、普通に読めば「一生あり得ない」なんだけど、一見なくても良いファンタジーのテクスチャによって、「しばらくは起こらない」という意味に変質する
星:でもシャッチモーニは結局ドンの真作を出せないまま死んじゃったけど、そこは?
輪:そこ。百年後であれば、歴史の闇に葬られた「ドンの絵が画商に本人の手で持ち込まれたことがある」という事実が知れ渡ってたかもしれない。なんでそうなるかと言うと、当然ザイカハルが思い出すから。シャッチモーニの真作を目の当たりにするとザイカハルは過去のことを思い出したかもしれない。その可能性は、0ではなかった。我々の世界を舞台にしたら有り得なかった展開が、ファンタジーの世界なら現実的なレベルで起こり得た。でも、そうはならなかったことが明記されている。死ぬまでザイカハルはその事実を知ることが無かった。ここでメタ的に、それが何故かを考えて、ザイカハルが「許されざる者」だったからと思ったのよ。ザイカハルがかつてドンに与えた仕打ちが、自業自得として「ペインバック」された。つまり、シャッチモーニは真作を世に出せないまま死んだのではなく、出さないまま死んだ、と読んだ。だって百年後なら真作として受け入れられたのに、シャッチモーニは百二十三年後まで生きている。存命中に栄光を掴むことも不可能じゃなかった
教:他に打ちうるやり方はいくらもありそうなものなのに、隠蔽に近いことをしてるからねー
輪:なんでそんなことをしたの?と考えると、別の部分のダブルミーニングが目に入る。「蝿の仕事」「サイレントワーカー」シャッチモーニは贋作師という職業というテクスチャに苦しめられる。ドンが種族というテクスチャに苦しめられたように。人種差別と、それに続く職業差別。そういう形でドンとシャッチモーニを重ねてると思ったわけです。かつ、短命なドンでは不可能な解決策をシャッチモーニは取ることが出来た。職業差別を時の流れに解決させ、贋作師としてでなく、ドンの絵を見つけた画商として永久に歴史に名を残すことが出来た。そうしなかったのは、贋作師のまま歴史に名を残したいという職業差別へのカウンター、贋作師は贋作師なりに創作者としてのプライドを抱いていたからと。シャッチモーニはわざわざ自分の名前を贋作に書き入れている。そんなことをすると、のちのちドンの真作にケチが付くかもしれないのに。ドンの真作に『贋作師が見つけたもの』というテクスチャを掛けることで、永遠に解けることのない疑念を残すことで、自分の名を歴史に残すのがシャッチモーニの「パーフェクトプラン」だった。と、この物語を解釈した
星:なるほど。私は、シャッチモーニは贋作者として生きたがゆえに贋作者として死なざるをえなかった男だと思ったんだけど、だからこそ十分彼の人生は愛しいと思ってる。解釈はずれるけど、圧倒された
教:なんていうかありがとうございます。作者冥利
輪:講評書こうとすると、なんか無限に湧いてくるんですよ、この作品
教:では俺の番。『天使の告解』。講評に書いたように高く評価しているわけじゃないんだけど、なんか好き。これ、辰井さんの事前のやつを読んでも感じたけど、男性と女性で受ける感覚にプリミティヴなレベルで肌触りの違いがあると思うんだよね。ほとんど性的嫌悪感に近い
星:ああ、私はそこまで自分のことを女性的な読み手だと思わないんですけど、性差はあるでしょうね
輪:あーたしかに僕この最悪なオッサン嫌いになれないんですよね。読んだのが女性ならそうはならないと思う。むしろなんなら好きまである。ムッツリ親父
星:私ははっきりと「気持ち悪い」と思った。もちろん褒めてるんだけど
教:ひとの感情を呼び起こすには力がいるからな
星:うん、多分気持ち悪いものを書こうとして気持ち悪くなってるからこれでいいと思う。でも、ラストがな……ラスト気にならなかったです?私、あれじゃあいつのポカで自爆しただけじゃんと思うんだけど。あいつの手を離れた彼女ならではの強みで状況を展開させてほしかったな
教:俺が作者でもあいつは殺す。生かしておけない
輪:殺してこそのキャラですよね。これ、フランケンシュタインの怪物だと思ってて、フランケンシュタインは未完成のまま博士が死んでしまって、そのまま自殺する話じゃないですか。こっちは博士が死ぬことによって、怪物は完成する。博士は死ぬことは案外本望だったかもしれない
星:うん、博士は本望だったと思う。私が多分あの天使の彼女側で読んでるんだな。二人は博士寄りなのかな?
教:まあ主人公は「悪魔であるあの男」だよね。「お前はもう 立派な死神だ」的な。ニセモノの悪魔ではない。明らかにホンモノ
星:そうなんですね
教:心理学と神学の観点からの分析を俺がするだろうみたいな話が辰井さんの講評にあったけど、現実の心理学に根差しているかというと根差してはいないし、宗教的なバックボーンのある話でもないんだよね。少なくとも超自然的な天使や悪魔が実在する世界でもなさそうだし。そのへんにリアリティラインを置いている感じはない。SF的に処理されてるというか
輪:二週目いきますか?
教:はい。とりあえず辰井さんもう一回。
星:じゃあ、『王と薔薇と灰色』。好きで言ったら一番好きなんだけど、少し思ったのは多分私と田辺さんは、書き手としてちょっと似ている。何を良しとするかとか、得意な書き方とかが似ている。共感はものすごくした
教:辰井さんの好きな系統の作品なのはわかる
輪:ところで、この話の主人公って女性でいい?
星:男性だと思って読んでた
輪:ハレムの女は奴隷だけど、あくまで世話役だし、紫陽花(オルタンカ)が女性名なのかと思って
星:女性がこんなに宮中を移動できるだろうか
輪:そもそも史実のオスマンとは似て非なる国だし
星:まあね。でも、オスマン帝国を下敷きにしているからこそ、多くを語らなくても鮮やかに滅びが見える。史実の引き出し方が非常に巧いと思った
輪:史実ではまだまだ滅びるタイミングじゃないですもんね
星:そうね。本作を読んでると本当に斜陽という感じがするけれど
輪:最初読んだ時、結局滅ぼそうという試みさえ潰えるのか、と思ったんですけど、それもそれで無常感がいいなと思った
星:彼の代で滅びなくても、最盛期から傾いていくなら十分じゃないかな。田辺さんの作品は、他にも読みたいですね
輪:外側は絢爛なまま内を腐らせてまで永らえる人間と、薄汚れた毛皮の獣の変わることのない慕情の対比が良かった
星:狂フラフープさんは、イメージにも言及していましたよね。やっぱり違うところを見ているんだなと思った
教:うむ。三人がぜんぜん違うことを言う。それが偽物川の華
輪:これ結局何の獸か分からないからコアラを思い描いちゃう。少なくともとろくさそうな獸。絶対足は速くない
星:とにかく好きだよーとはお伝えしたい作品。非常に好きです
教:では次。狂フラさんどうぞ
輪:はーい、では『ビューティフル・ワールド』で
星:あーー!! よい
輪:辰井さんが言ってたから英語の部分頑張って読んだんですけど、「for you」これ。村人には美しい世界。人魚にとってはそうではない。これを、私にとっては美しい世界、じゃあお姉さんにとっては? というので捉えて
星:うん、日本語訳だと優しげなんだけど、そこのfor youが本当に残酷ですよね
輪:見え方全然変わっちゃったんですよね。私はお姉さんから貰ったものを気恥ずかしくて身につけなくなるけれど、お姉さんは付け続けている。私の手製のほうがちゃちな代物に決まっているのに。主人公の視線は非常に陶酔的で、文体は論理よりも感傷が先で組み立てられている。信用できない語り手、とはちょっと違うかもしれないけれど幻想小説的。この物語では真偽は問題ではなくて、主人公がどう感じるかの問題でしかない。お姉さんが人魚だろうが人間だろうが私はきっと好き勝手に解釈する
星:彼女の視点ではほんとうのところはよくわからないというところは一緒の考え
輪:だからこそ、本物のお姉さんのことを思うとぞっとする
星:私は、なんというか、私が見ていた素晴らしいものを果たしてお姉さんも素晴らしいと感じていたのだろうかというのがすごく気になっている。彼女にとっても、beautiful world ,for youに過ぎなかったんじゃないかって。彼女にとってはお姉さんとの時間は美しいものだったけど、お姉さんにとっては?可愛がってもらっているように、見えるけれど
輪:年上のお姉さんにべったり、と年下の女の子にべったり、は意味合いが違いますよね
星:うん、そこの不均衡さ違和感ありますよね
輪:そう考えるとお葬式の描写も怪しく見えてきて。普通は若い女の子が死ねば、その友達はわんわん泣くに決まってるのに、描かれているのは近所の人のことだけ
星:うん、お姉さんの「周り」が見えない
輪:そう思うと私が慕ってるのは「人魚のお姉さん」であって「人間のお姉さん」じゃないんだなと思えてくる
星:「私」が結構情念があるというか、底の方になんだか怖さがある
輪:もうひとつ気になるんですけど、英文から訳されていない、看病した老人が盲目であるという部分。ひとりだけ宴に参加しなかった老人が盲目であるのはどういう意味合いがあるのか。人魚を犠牲にした表面だけ美しい世界が見えないからこそ、老人は看病したのかなとか思ったんですが
星:ああ、blind読み飛ばしてしまっていた。もしかして、単に彼は押し付けられたんじゃないだろうか。人魚を食べるとなったらみんな食べたいに決まっている。でも、誰か男の傍にいないといけない。だから盲目の彼は嘘の情報を教えられて、男の傍にいさせられていた。でもセリフ読むとちょっと共犯ぽいんだよね
輪:本当に人魚のことを知らされてないのか、それともグロテスクさに自覚的だから男に解体された人魚を見せたくないのか
星:うん、日本語文を読むと後者な気がする。英文だとギリ前者が成り立つかもしれない
教:ではラスト、俺のターンで『美しき楽園』。これSFとして読むと無茶ではあるんだけど、コンセプトが好きなのよ。「人間未満のクズに人間らしい精神を与えて、その上で精神的な拷問にかける」もってまわっている
星:もってまわっているのはたしかにそう。すごく遠大だよね
教:うむ。罪に苦しむためには罪に苦しむための心がいる。殺すよりはるかに迂遠な復讐方法。三話で終わってもいいところに、四話で何十年も孤独に苦しみ続けていたということが描かれる。愛して失うことは愛さないことよりいいとかなんとか、たしかシェイクスピアが言ったんだと思ったが、あくまで文学なので試みとして面白いと思った。そんなところ
星:私は三話で終わるのはちょっと厳しそうと思う。四話でやっぱり迎えに来てもらってこそかなと思う。やっぱり冒頭とラストの美しさがあって引き立つ作品
輪:私は冒頭が絵に描いた幸せ過ぎて、主人公より疑り深くなってしまった
星:絵に描いた幸せをあれだけ書けたらすごいよ。ちゃんとコンパクトに必要な描写をしている
教:そうですね。では第五回偽物川小説大賞を振り返って総評といきましょう。テーマ「ニセモノ」。ちょっと挑戦的に過ぎたが、そして俺の予想したような結果ではなかったが、綺羅星のごとくに傑作が集まったと思う。もっとこう、ベルンハルト作戦(※ナチスドイツの贋札製造計画)とか、そういう系統の作品が来るかと思ってはいた
星:優劣をつけるのが賞レースではあるのだけれど、全作面白く読みました。そして恐ろしくハイレベルな賞だった。今回の評議員できてよかったなと思ってます。
輪:大賞にどれを推すべきか本当に悩まされました。あとからあとからどんどん傑作が放り込まれてくる。初めての評議員でしたがとても実りある経験だったと思います
教:じゃあこんなところかな。おふたりにお願いする作業はこれで全終了となります
輪:はーい、お疲れさまでした
星:ありがとうございました!
教:では!終了といたします!おつかれさまでしたー

最後に

というわけで第五回偽物川小説大賞はこれにて終了となります。花京院!イギー!アヴドゥル!終わったよ…
ちなみに第六回はもう動き始めていますがやるのは2024年です。そんときはまたよろしく。ではでは。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

いいなと思ったら応援しよう!