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文章書くの好き?
文章を書くことについて、私は好きな方だと思う。(上手いヘタは別として😅)
小学生の頃からわりかし国語が好きだった。国語といえば、作文や読書感想文がつきものだが、どちらかと言えば得意な方だった気がする。
その原点は、母親にあったように思う。
私の母親は文房具が好きだった。
よく、かきかた鉛筆や消しゴムが家には沢山あった。子供ながらに「え?また買って来たの?」と密かに思うこともあった。だから鉛筆と消しゴムだけは切らしたことがない家だった。
ま、それは良いとして。
本題に戻るが、さて、宿題に作文が出たとする。すると、本来やってはいけないのだろうけど、なぜかその当時、母がその課題の作文を書き、完成してからそれを私が原稿用紙に清書する、みたいな事をしていたのである。
いや、別に私から頼んだりなんかはしていない。母自ら行うのだ。だから私もそれが当たり前の事と思い、全然悪い事とも思っていなかった。
母も子供の作文だから子供が書いたようには書くのだろうが、やはり大人が書くのだから文章はその辺の小学生の書くものよりはそれなりにちゃんとしている。
それを子供の私が同じようになぞって書くのだから、自然、文章の書き方などを覚えていくのである。
うちはパン屋で日々忙しいにも関わらず、母はよく子供の宿題、それも時間のかかる作文などを書いていたものだ、と今更ながらに思う。
いやもしかしたら、私が自分で書いて母に見せて読んでもらい書き直しをするよりは、もう母自身が書いた方が手っ取り早いと思ってそうしていたのかもしれない。
まあ今となっては鬼籍に入ってしまった母に真相を聞くことはできないが。
作文に関しては、母の独自なやり方のおかげもあってか、私は一度だけクラス内でうまく書けている作文として、先生に褒められた事がある。
言っておくがこれは、私のオリジナルである。母のではない。
初めて自転車を買ってもらった時のことを、ステキな自転車の描写とともに嬉しさを綴った作文だ。今でも覚えている。我ながらあまり迷いもなくスラスラと書けた覚えがある。
今でも、たまに、悩まずに文章を書ける時がある。その時の文章はけっこう良い出来な事が多い気がする。
今思うと、母の作文を書き写して来た事でそれなりの文章力が身に付いたのかもしれない。
果たして、母はそれを見越していたのか、どうなのか?
ともあれ、その作文を褒められた事により、文章を書く事が楽しく、好きになったのも事実である。
母には感謝、学校の先生にはゴメンナサイだったが…。😅