演劇そのアナログなるもの~「ぼくらが非情の大河をくだる時~新宿薔薇戦争~」
久々にシアタートップスに行ってきました。
50年前の作品だそうです。渡辺えりさんがずっと上演してみたいと思っていたとのこと。薔薇というからは薔薇族的な要素もあるんだろうなあ、何せアフタートークが上野千鶴子だ!これは観ないと。
少し早めに席に着くとチラシの山。
この感じも懐かしい、、、。
20代の頃は手にしたチラシの中からあれこれ足を運んだものです。今はwebやSNSでの情報が一般的になっているけど、このアナログさがなんとも味わいがあります。
そして冒頭、えりさん自ら前説およびパンフレットを手売り。
おお、そうでした!小劇場ってこんな感じなのでした。
Theアナログ。もちろん買いましたよ。パンフ。えりさんから!
そしてそして、幕が上がると、これがもう!
TheアングラにしてThe渡辺えり!
しっかりと作られた装置のあちこちから人・人・人。
バラバラなようで美しい群舞。
その中でも目を引くタンゴのペア。
美しいバンドネオンの響き。
詩的な台詞と群読。
正直、この要素だけを観ても満足できるくらいでした。
えりさんが若いころバイトしていたおでん屋さんのご主人(のちの東銀之助さん)が初めて舞台を観た後に「あの子の頭の中はどうなってるんだ!」って3〇〇に入団してしまったというエピソードが私は大好きなのですが、
どうやったらこんな構成ができるのだろう?っていう情報量の多さ。
暑苦しく、美しい。
革命を夢見て挫折した兄と
その兄の背中を追いかけながら心を蝕まれていった(ことにされている?)弟と息子たちに普通の生活をしてほしいと願う父。
かつてゲイのハッテン場だったという公衆便所を舞台に繰り広げられる、
3人の思いの交錯と、革命とは?幸せとは?
ということを問いかけているストーリーです。
決してするすると飲み込みやすいお話ではなく、
アフタートークを聞きながら、帰りにパンフレットを読みながら
少しずつ答え合わせする感じ。
「わかりやすさ」に慣れてしまった私にとっては
少し骨が折れましたが、作家や演出家のむき出しの思いを役者が生身の体で表現する、いわゆるアングラ演劇はそれだけにわかりづらさがつきものなのですが、その熱量が自分のなかでふつふつとする感じが懐かしかったです。
アフタートークの上野先生は
思っていたよりもずっと柔らかくて、でも鋭くて
1972年当時の学生運動の空気感や時代背景、
そしてその中で女たちがどんな風に扱われていたかを端的に語ってくれました。興奮して喋るえりさんとの対比も面白くて、ずっと聞いていたかったです。
次は二兎社の「歌わせたい男たち」を観に行く予定です。楽しみ。
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