社会の方に障害があるとするならば
こんにちは。
少し前の記事になりますが、通常学級に在籍する小中学生のうち、8.8%に発達障害の可能性があるという文科省の調査について書きます。
確かに感覚的にいうと各クラスに数人落ち着きのない子やコミュニケーションの難しい子、学習が極端に苦手な子が1割弱はいるような気がします。そして通級できるのはそのうちほんの数名です。発達障害という診断がないと利用できないですし(自治体によるかも?)なにより中学になる本人が「みんなと違う」を嫌がることが多いです。教室に入って支援してくれる「支援員」という制度にも時間数に制限がありますし、なによりできることに限りがあります。(個別に指導するわけでもないので)
話は変わるのですが、最近放課後のひょんなことから放課後の補習教室に顔を出すようになりました。そこでは主に授業で出された課題に取り組んでいます。ある生徒は総合的な学習うで使うパワーポイントでプレゼン用のスライドを作っていました。なんとなく脇で眺めていたところ、
スライドは形だけ作れていても内容を理解できていないことに驚きました。探究型・調べ学習・ICT活用って新しい学習法のように言われていますが、
インターネットのコピペで体裁はよく作れてしまうう。(どうかすると自分がコピペしている文章の漢字すら読めない)そもそもテーマに深い関心が持てているわけでもない。いろいろなことに関心を持てるような経験もなく、本を読んだり大人と話したりする余裕もなく育っている子供たちに、私たちは何をそんなに背負わせているのだろう?
もっとゆっくりベースとなる知識や経験を積めるようにすることの方が大事なのではないだろうか?そんな風に感じる一コマでした。
補習を担当してくれている先生と話したときに、総合的な学習もそうなのですが、英語の教科書が難しくなっていることも話題になりました。
単語の意味を調べたりする時間は特になく、どちらかいうとペアワークやスピーチに重点が置かれて進んて行く授業。感覚として古いのかもしれないのですが、どれだけの子がついていけているのでしょうか。教室内の生活でも空気を読むことや急な予定変更に対応することなど、とにかく雑多な情報を子どもたちは処理しているように感じます。あれもこれもとどんどんつめこまれて「こなせ」と言われるけど、子どもの1日だって24時間しかありません。学校、塾、部活、友だち関係、すべてをうまくハンドリングできるのは超人なのではないかとすら思います。今、子どもを取り前いているこの環境こそが「発達障害」を作っていないだろうか?と私は思います。