散らかりやすい私が人生の時間を何に使ってきて、これから何に使うのか(または伏線をいつ回収するのか)
こんにちは。街がなんとなくクリスマスになってきました。毎年のことながら、え?もう1年終わっちゃうの?という気分になりますね。
これまで何に時間をたくさん使ってきたのだろう?もちろん養護教諭という仕事に多くの時間を使ってきた。健康診断、応急処置、保健室登校、教育相談、最近は特別支援、他職種との連携。福祉分野の方や心理士の方とはよく話をしてきたし、スキルとかテクニックばかりじゃなく、対人援助職としてのあり方を学ばせていただいた。心理系の研修は若い頃いろいろ受けに行ったな。子どもができて、研修の開催日が土日が中心になってしまってからは足が遠のいてしまったけど。(昔は長い休みにによくいろな研修会があったのです)20代の頃は演劇部の顧問もした。秋になると土日も部活。脚本の研究会に誘っていただいて中学校演劇界の大御所とご一緒させていただいた。指導に役立てようとパントマイムやダンスを習ったりもしたなあ。今はいろんな文化を扱う部活を持っているので、茶道を習いに行ったりお花を習いに行ったり。仕事周りのことだけでも結構いろんなことをしてきたのだなあ。
外国語にも触れていたくてHIPPOの活動にも参加してる。最近は子ども達が離れてきたのでなんとなくわたしも離れてしまってはいるけれど、ここで学んだこともたくさんあるな。どんな人とも平らな関係でいること、言葉以前に相手と仲良くなることが大切なこと、どんな文化も抵抗なく受け入れること。英語教育が盛んな学校にいたときは本当に役に立ったし。
子どもを持ってからは子どもの遊びのこと知りたくて、プレーパークのことを学びに行ったり、それを仕事にしたくて社会起業を勉強したり。たくさんの人に出会ったし、多くの学びがあった。子どもが育つということを「学校」という枠を外して考えられるようになった。そういえば育休中には何気にリフレクソロジーとか自己尊重トレーニングとかカウンセリングも勉強したな。とにかくそのとき必要に感じたことを勉強したり、養護教諭以外の道はないものかと模索したり、いろいろやってきた。でも、どれひとつとっても「これ!」というものにはならなかった。
いろんな人と出会ってきたけれど、その人が何に時間を使ってきたのか、何を大切にしてきたのかって、仕事にも生き方にも滲み出てくることを実感している。転職とか、起業とかは特にその人がそれまでベースにしてきたことや長く続けてきたこと、好きで好きで仕方なかったことが生きてくるもののなのだろうと思う。では、自分が何に時間を使ってきたかって、なんだかんだ言って養護教諭という仕事であることもわかっている。どんどん空洞化してきて、大切にしたいはずの子どもと対面する時間が取れなくなってきて、それていて外側のことばかりが忙しくて消耗するばかりでも、長くやってきたことには変わりない。ではそれが自分の強みか?と言われるとちょっと違う気がして、なんとスカスカな気持ちになる。人生に残された時間のうち、元気に動けるのはあとどのくらいなんだろう?と考えた時、この先今と同じことをスカスカしながらやり続けるのだろうか?と思うと気持ちはあまり明るくはならない。では、他のことって何だろう?
寺子屋やるのかな?
駄菓子屋やるのかな?
お茶とかお花とか着物とか、子どもたちとやれたら面白いかもな。
演劇をやる人たちを応援したいな。
外国籍の子や親御さんたちの支援もしてみたい。
あー、散らかる。どんどん散らかる。
もうそんな体力も気力もありゃしないのに。もうこの先はできればすり減るような仕事はしたくないな。自分のエネルギーも増やしていけるような仕事がしたい。かつ「生涯現役」みたいのも若い世代に迷惑かけそうなのでキツいなあというのもそこそこ感じているので、いいタイミングで世代に手渡して、自分はお小遣い程度稼いで暮らしていきたい。65歳以上の方と仕事しているけれど、本当に個人差が大きくて、健康でバリバリ働ける方もあればそうでない方もやっぱりいらっしゃるのを目の当りにしているので。今の制度の上で働くとすると、私など若い世代に迷惑かけてしまうかもなあと思うこともある。ほんと、年をとったらとりあえずその場にいて面白いこと言ったりちょっとした知恵と猫の手程度の労働力を貸し出してお小遣いもらうくらいの存在でいたいなあと思ったりもする。いやいや、こんな先々まで考えていてもムリか。また散らかってる?まあ、散らかった伏線は70歳くらいで回収すればいいか?