誰もが持っている「得意なことリスト」、そしてクリスマス直後の体調急変時によみがえった誕生時にまつわる記憶について
ひとには少なくともひとつやふたつの「得意なこと」があるものだ。
「そんなものひとつもない」と決めつけているひとにも、他者から見れば「得意じゃないか」と言われるようなことはいくつもあるものだ。
わたし自身について言えば、ひとの思考、思念、性癖、劣等感、感情の奥底に仕舞い込まれている言葉にできないほど曖昧かつ圧倒的な情念みたいなものを感じ取って言葉にしてしまうという体質が「得意なこと」のひとつなのかと思う。
他にもそこそこ、文豪にはなれないけれどスラスラと注文通りの文章を書いてしまえたり、、、
40歳前半までは物書きで生活の糧を得ていた、、、
あるいは幼い頃からそこそこ絵が描けてしまったり、やってみたらプロの腕にはまったく届かないものの身近な人たちにはけっこうよろこばれる料理をつくれたり、、、
などといったことが「得意なことリスト」として挙げらけるだろう。
逆に「不得意なこと」もたくさんある。
何より一般社会不適合であり、手先の不器用さは世界選手権があれば日本代表に選ばれる可能性が高い。あとは集団行動が完全にできないこと。
これは不得意を通り越して、まったくできない。なので小学生のときから色々な方面から心配されてきた・・・。
さて話を戻すが、なぜいきなり「得意なこと」リストについて書き始めたのか、というと、そのわたしの得意なことリストの第一位である「ひとの思考、思念、性癖、劣等感、感情の奥底に仕舞い込まれている言葉にできないほど曖昧かつ圧倒的な情念みたいなものを感じ取って言葉にしてしまうという体質」についてあらためて印象的なできごとがあったので忘備録としてこの日記シリーズに書いておこうと思ったしだいである。
しかしながら、いまでこそ「得意なこと」として自分で認定できているがこの体質について、40歳くらいまでこの体質は世間に隠してきた。
明らかになるとろくなことにならない。
しかし隠していてもろくなことにならなかった。
いわゆる「エンパス体質」というのはひとつの見方として「因果律」でもあるのだ。
まあ、それについて話始めると長くなるのでやめておくが、この体質をもつひとなら同意を得られると思うが、とてもやっかいである。
なぜならば相手の想念を無意識に読んでしまう癖なので、相手が何となく思っていて、まだ言葉にしていないことをその人に向かって私が先に言葉にしてしまう。
そうなると、とんでもないことになる、ということは誰でも想像すれば明らかだろう。
なんだコイツ・・・は。
ということになる。
なので、必然的に無口になる。
それでもしゃべるとぶっ飛んだようなことをつい言葉にするので世間的なコミュニケーションは不可能になる。
単純に言われた方は傷つくのだから仕方ない。
ふつうにプロ野球の話やギャンブルの話、あるいは世間的な当たり障りのないよもや話ができればいいのだけれどそれができない。
しかし、そういった社会的ハンディが職業になると「得意なこと」になるわけだ。殺人的な腕力、パンチ力をもつ男がプロポクサーになるか、やくざになるかで「得意なこと」で賞賛させる人生になるか、殺人者として刑務所送りになるかくらいの差とも言えるかもしれない。
前置きが長くなったが、やっと「ひとの思考、思念、性癖、劣等感、感情の奥底に仕舞い込まれている言葉にできないほど曖昧かつ圧倒的な情念みたいなものを感じ取って言葉にしてしまうという体質」についてあらためて印象的なできごとについて書こう。
それはクリスマスの日。25日。
都合でひとりで行くことになった九州交響楽団による第九コンサートが終わった後だった。
体調の急変により、徐々にわたしの心身はとても重苦しい状態になっていった。
原因はその週の出だしからつづいた外出つづきによる疲労の蓄積と私特有の症状である「シェディング」による身体の変調だった。
その夜遅くには発熱しはじめ、インフルエンザに被患したような状態になっていった。
翌日には発熱は38度台後半となり、全身の強い痛みにベッドの中で唸っていた。
鋭い関節痛と腹痛、そして高熱が私の意識と身体のつながりを切断していった。
脳では全身のエマージェンシーコールを受信しているのだが、スピリットではそのコールはかすかにしか聴こえない。大病するとたびたび起きる「幽体離脱」に似た状態である。
そして明け方、私のスピリットは身体の50センチ上あたりまで上昇しているような感覚を感じ始めていた。
そして目を閉じたまま見えるビジョンの中に生まれたばかりのわたしが現れた。
そうその日はわたしの誕生日12月28日だったのだ。
しかも私が生まれた時間と推定される明け方4時近辺・・・。
「ああ、、、あのとき、わたしはそんなことを思っていたのか・・・」
わたしはいままで消し去られていた母親の胎内から外界へ脱出した直後の記憶を取り戻していた。
高熱と極度の身体の痛みの効果によって・・・。
そして顕在意識で言葉に変換した消し去られていた母親の胎内から外界へ脱出した直後の記憶は
とても理性的であり、戦略的ですらあった。
つまり、まだ視覚も聴覚も起動していない、せいぜい呼吸機能と排泄機能の起動がスタートしたばかりの時間帯に、私は、これからはじまる人生のほぼ大雑把な計画を意識の中でビジュアライゼーションしていたのだ。
そして、もうひとりの私である「内なる自己」「インナーセルフ」は、その生まれたばかりの意識で潜在意識上にアップロードされた「スピリットにより書かれ計画されたライフパーパス」計画書を、再読するような視点で顕在意識の私である「コンシャスセルフ」に言語化、視覚化して伝えてきた。
顕在意識の私である「コンシャスセルフ」のわたしはしばらくベッドの上でその一連の流れを受け取っていた。
その不思議な時間、あるいは体験はわかりやすくいうと61年間生きてきた私の顕在意識上の記憶と、生まれたばかりの意識で潜在意識上にアップロードされた「スピリットにより書かれ計画されたライフパーパス」計画書の中身を重ね合わせていく時間、体験であった。
そして最終的にインナーセルフは、「まあまあ計画通りだったじゃないか」とコンシャスセルフのわたしに伝えてきた。
「そう言われればそうだね」とコンシャスセルフのわたしはこたえた。
正直、もっとエキサイティングでファビュラスな人生ドラマを思春期には望んでいたので、この人生のプログラムが元々の青写真だったのか・・・という残念な気持ちもあったのは認めねばなるまい。
しかし、細部を点検していくと、全ての出会いとつながりが整合性を持ってつながりあっていることに気づく。
とくに父親と母親があの二人であった、ということはとても大きな基盤になっていることに気づく。
つまり、「スピリットにより書かれ計画されたライフパーパス」計画書にとって、あの父親と母親を選んだことが全ての起点になっているのだ。
そして、何よりあの二人を選んだのがわたしのスピリッとなのだから、全てのプログラムはほぼ計画通りに具体化されたわけなのだ。
もっといろいろ書きたい気がするが、このあたりで終わりにしておこう。
やっと体調ももどってきたが、二日遅れで妻も40度近い高熱に倒れ、二日間ほぼ仮死状態かという状態で寝込んでいて、この原稿を書いていいる途中、やっと熱が下がったといって、リビングにやってきたところだ。
結局ことしの店の忘年会を兼ねたわたしのバースデイパーティーは中止となり、スタッフが昨日買ってきてくれた大濠 jacquesのチョコレートケーキを先ほどひとりで切り分けて食べたばかりだ。
世の中、案外「「得意なことリスト」に気づいていないひとが多いが、もし、気づいていなければ来年はぜひ、見つけてほしい。
「得意なことリスト」の上位リストに気づくと、劣等感や怒り、憎しみに振り回されることが多分少なくなるはずなのだ。
多くの人たちが権力や過剰な富のために人生の限られた時間を費やしてしまうのは「得意なことリスト」に気づいていない場合が多々あるからだ。
わたしにとってエンパス体質はネガティブな体質でしかなかったが、その体質を生かした仕事をすることで少しは世の中に貢献できたと思っている。
また霊的な感受性が鋭いことが「特別」であるという世間的な評価など当てにはならないのもいつも感じている。
霊的な感受性が高いことは、料理が上手だったり、野球がうまかったり、数学が得意だったりする能力と同じ、単なるひとつの「得意技」なのだ。
だからそのような体質を絶対視したり神聖視することは絶対にしない方がいいし、してもらいたくもない。
それはいつも私が言いたいことの一つでもある。
では皆さん、素敵な新年を。
☆、。・★ ☆、。・★
写真はミナスジェライス産ジャカレー水晶。
ジャカレー水晶は、ワニ水晶とも呼ばれます。
エレスチャルもジャカレーも骸骨水晶(skeleton quartz)の仲間ですが、ジャカレーの場合は骸晶がいくつも重なったものです。