俺という存在。
お久しぶりです。このnoteを見てくれてありがとうございます。
ふぃっしゅです。
最近就活が始まり、将来の漠然とした不安と、もうあまり生きなくてもいいかなっていう虚無感、自分って結局なんなんだろうという劣等感、上げ始めたらきりがありませんが、そんな奴らと共存しております。いや、浸食されています。今日もまた、一通のお祈りメールをお迎えしたところで、さすが採用担当といったところでしょうか。エントリーシートを送る身分で本当に申し訳ないのですが、今の精神状態で俺のことを採用する方が狂ってると思います。本当に今はしんどいですね。よくSNSから逃げた方がいいと言われますが、むしろ今までの活動をすべて止めてしまうのは自分の活力を止めてしまうのと等しいので、しばらく執筆活動を再開して今の立ち位置を再度、確認しようと思います。
まず初めに「隠し事」を伝えます。
今まで、おかしいとはわかっていたんですが、人間ってとても弱い生き物で
誰かと依存しあわないと生きていくことすらままならなくなるみたいです。俺だって、本当の気持ちをすべて吐き出せたら、素直な表情でみんなと一緒に過ごせたら、それだけで幸せなんです。生きていて、楽しいな、明日は何が待っているんだろう、もっと生きたいってなるんでしょう。でもね、
今の俺って生きる楽しさを放棄しているんです。生きる喜びを感じえぬまま
何で生きなくてはならないんでろう、なんで明日が来るんだろう、そして、
なぜ、あなたと出会ってしまったんだろう。
中学3年の春、当時卓球部の部長だった私の下に一人の新入生がやってきました。彼の名前は”きちろう”(仮称)といいます。それはシンプルな一目惚れでした。俺は、あいつの端正な顔立ちと誠実な練習態度に惹かれ、恋愛対象として、彼のことを見るようになってました。幸せだったな、あの頃。毎日部活があると必ず俺と練習して一緒に帰る、みたいな感じ。みんなの一度は経験あるんじゃないでしょうか。ただ、性別が一緒であってしまった。それだけの違い。学年が二つも離れているせいで純粋な友人関係になれなかった、けど、一緒にいるだけでこんなにも生きる希望が湧いてくる、思春期に俺を間違いなく支えてくれたきちろうを、俺は心から愛している。だけど、
同時に、出会わなければよかったとも思っています。出会いさえしなければ、俺はきちろうを知らずに平穏な日々を送れただろうに。そんなひどいことさえ思う日もあります。ありますとも。こんなにつらい思いをしながら無情にも何の進展もないまま7年を迎えようとしている。言葉には賞味期限があります。あの時、こう言ってくれた、好きだと言ってくれた、今は、、、そういうことなんです。俺は、過去の気持ちに縛られたまま生きている。
そんな気持ちに決別するため、私はある夢を持ちました。それは、、、
全ての人同士が結婚を選択できる社会にする
これにたどり着きました。あえて、同性婚とは書きませんでした。今までの異性間での結婚、その権利より同性婚が目立ってしまうのがなんか意図にそぐわないような気がしたからです。ただ、漏れてしまっている権利を追加してあらゆる人が結婚を選択できるようにしてほしいです。例え、私のように好きな人と結婚できなくても、その権利そのものが認められていること自体が生きる希望となると思います。
行動を起こしたい
就活してて、あれ、なんでこんな薄っぺらいESを書いているんだろう、
俺の本当に成し遂げたいことってこんな遠回りしてていいんかなと感じ、
一度原点に戻ろうと感じました。この手記はその一部です。
今、テレビで夢に向かってチームで立ち向かう姿に一人で憧れてました。
昔から仲間を作って一つのことをやり遂げることに憧れてたんだよ、俺。
行動を起こしたい、未だ誰一人この国のみんなが見ていない景色を見たい。
これから出会うすべての仲間たちと共に。
就活どうしようね。
いっそのこと、海外で青年海外協力隊でもしようかな。
もっと価値観を広げたい。
こんな扱いづらい俺を雇う自身があるやつ、ゆる募。