【自己紹介】甲府の自宅にて
弟よ、そして読者諸賢よ、私は大海原に憧れを抱く。緩やかな追い風を浴びながら、青白く光る水平線の彼方へ、好奇心の赴く儘に舟を漕ぎ出してみたい。山に囲まれた甲府(山梨県)の、昨日を焼き増したような景色から抜け出して、地図も持たずに旅をしたい。加工された電子的な情報ではなく、そこはかとない音や香も感じ取り、異世界の只中に浸りたい。
時には舟の上に寝そべり、波のまにまに時間が贅沢に流れるだろう。いつしか夕陽が辺りを赤く染め上げ、刻々と濃藍の夜に移り変わると、空には満天の星々が輝くだろう。空と海の間に揺蕩うものは、漠然とした希望か、はたまた絶望か。暗闇とは、恐らくそういうものだ。天地逆さまになり、星空の中へ沈んでゆくかのように。意識は宇宙にまで至るだろう。
かの芥川龍之介は、三十六歳の七月二十四日に旅立った。友人に宛てた手紙で「ぼんやりとした不安」という言葉を残しての、彼が最期に見た暗闇は、絶望でしかなかったのか。死後の希望はあったのか。
私は本日、三十六歳の七月二十四日を迎えた。故人を弔い、粛として“蜘蛛の糸”を再読した。地獄の底に垂れる唯一の希望が、脆弱な細い糸とは、余りにも切ない。読み聞かせてもらった幼い頃は、罰が当たるという教訓でしかなかった。今思えば、この作品は私にとって文学の原点だ。
私は今後も生きて(それを願い)、能う限り美しい文章を書き連ねる。美とは何かを探求する。奥深い世界だ。正しいが美しいとは限らず、破綻が美を醸し出すこともある。
散文に限って言えば、いわゆる世のど素人が、ある日唐突に世界最高峰の文学を紡ぎ出すやもしれない。どこぞの死刑囚が、獄中で世に残る大傑作を生み出すやもしれない。人生の最期に成し得る大事業とは、自分の内側に眠る何かを言葉にすることではないか。
故に、そのすべてを書き切ってしまったら後がないという、絶望を孕んではいないか。自死を選んだ小説家の幾人かに問うてみたい。
去る六月八日、短詩型文学(短歌・俳句)を専攻する弟が、note上に小さな舟を作った。文学の海を旅するものと察した私は、出航目前の数日後、一片の短い小説を携えてそれに飛び乗った。兄弟航路の名乗りで、或る一つの様式に拘らず、新たな可能性を探りながら、各々の作品を共に航海(公開)することにした。諸般の事情から、私たちの自由気儘な旅は、読み書きする卓上に限られる。普段からあまり外出しない弟が、大冒険を夢見て燻る私の為に、幻想の大海原を旅しようと誘い出してくれたのだろう。
改めて弟よ、私たちは実の兄弟にして、共に進む同志だ。君が結婚して変わった苗字は、無論その絆を変えるに至らない。これは前世からの縁だと言い切れる。
改めて読者諸賢よ、自己紹介の最後に、私が座右に置く言葉を記しておきたい。それは芥川晩年の随筆、“侏儒の言葉”の中にある一文だ。
「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ」
そして今、私は大きな誤りに気付いた。芥川の経歴を見返してのことだ。旅立った三十六歳とは、満年齢ではない。昨今は殆ど使われない数え年だ。即ち、うっかり者の私は、すでに彼より凡そ一年長く生きている。
記念すべき日だと思い違えていた間抜けさを、どうぞ一笑に付して頂きたい。
令和二年七月二十四日