【小説】家族の存在証明 -前編-
俺には腹違いの姉がいた。彼女の名前を古くさいと貶していた母が、純子というそれを口にする時、頭の濁音はひどく濁った。憎々しげに、この上なく汚い音だった。
純子と香純。純の読み方は異なり、母の名前に濁音はない。純子は香純さんと呼んでいた。同じ漢字を使うのは運命的な偶然だが、近づけば反発し合う磁石を連想させて、名前すら最悪の相性に思えた。
ねぇ、俺はそう言って純子に話しかけた。決して姉を意味するねぇではなく、どう呼んでいいのか分からなかった。母に睨まれることを恐れ、そもそも呼び名を必要とするような長い会話はなく、世間体だけが姉だった。
父の存在が同じ屋根の下で暮らす理由になっていた。母は白亜の宮殿などと誇らしげに語りながら、父が建てた家であることを俺に教えた。二階の南側は天井が大きく突き上がり、ロフトと呼ばれる吹き抜けの三階を備えていた。そこから外を眺めると、低い瓦屋根の多い住宅街の中で、自分が少しばかり高い場所にいると感じた。・・・そう、ほんの少し。家の大きさも母が言うほど立派ではなく、余所では言っていなかったと思うが、宮殿とはなかなか恥ずかしい表現だった。駅に近くて便利、これも良く言っていた。今思うと、不動産屋のようだ。間違いではなかったが、都心に出るには電車で一時間ほどかかり、父はそうやって通勤していた。専業主婦の母曰く、立派な会社へ。
翻って純子のことになると、母は言葉に毒を盛った。父の前では露骨な表現を避けていたが、知性が低いということを強調した。俺には馬鹿が移るから近づくなと。顔に現れているとのことだったが、そういった要素は逆に、親しみやすさをもたらす長所のように思えた。
事実、純子はもてた。いつも幸せそうににこにこ笑っていた。均整の取れた細身で見目麗しく、肥満体の父に全く似ていなかった。近所の人が純子のことを褒めると、母は気に入らなそうだった。実は、それが狙いだったのかもしれないが、お姉ちゃんは美人さんね、などと良く言われた。腹違いだと知っていてのことならば、底意地が悪い。
俺はいつ腹違いだと知らされたのか。恐らく母によって、記憶に残らないほど幼い頃から、しっかり教育されていたのだろう。我ながら物分かりが良かった。むやみに口にしてはいけないことだと理解していたのだから。
純子ともう少し年が近ければ、家の中でも本当の姉弟として育てざるを得なかっただろう。年の差七つ。加えて、俺を虚弱体質と決めつけたことが、母の偏愛を正当化した。“お姉ちゃん” という言葉を母が不気味に使う時、嫌がらせに近いような我慢を純子に強いた。父は大抵のことを黙認して、家の中はいびつな安定が保たれ、純子は早熟を求められた。
結果、純子の一人部屋が二階の北東側にあった。そこは出入口が階段と隣接していて、ほぼ真下にある玄関からどこの部屋も通過せずに行き来することができた。毎日同じ家で暮らしていながら、父がいなければ食卓を共にせず、純子に一度も会わない日があった。そんな日は一人で何を食べていたのか。母はこう言った。
「獣みたいに生の肉が好きなのよ」
当時六歳の俺は、その話に興味津々だった。そして、純子同席の夕食がしゃぶしゃぶ鍋だった時に観察したが、純子は野菜ばかりを食べていて、肉に一切手をつけなかった。
きっと、お母さんに怒られちゃうからだ。
そんな風に思い、母の目を盗んで生肉を自分の口に運んだ。してやったり。得意げに純子の顔を見ると、まさかの反応が返ってきた。
「駄目!」
驚いてすぐに吐き出した。父に笑われ、母に説教された。なぜそんなことをしたのかと訊かれたが、それには不貞腐れて何も答えなかった。
純子に会わない日、玄関に靴があることで彼女の在宅を知った。姉弟でありながら、使うトイレは二つある中で別々と決められていた。一つしかない風呂もかち合わないように調整されていて、純子は夜遅く決まった時間に入っていた。
いつも物静かに生活していた純子だが、母の機嫌が悪ければ、洗濯機や乾燥機の音でもうるさいなどと言われていたから、風呂上りにドライヤーを使いたくなかったはずだ。その証拠に、髪は中性的な短さを保っていた。それに対しても、母は暴言を吐くことがあった。
「知的に障害があると、短い髪型を好むのよ」
九歳の時にばっさり切ったらしく、母との明確な軋轢はその頃に生じたのだろう。不憫に思う父からの小遣いは困らない程度を超えていたはずで、物質的な不足はなさそうだった。私服は地味なもの、茶色や灰色などを好んで着ていた。笑顔は春のようで、格好は秋のような色合いだったが、純子の誕生日は冬の十二月。毎年クリスマスと一緒にされてのお祝いだった。それも十三歳の誕生日まで。
俺が七歳の時、純子はクリスマスパーティーに同席しなくなった。
それから数日後の年末、俺は東隣の家に遠方から来ていた男の子の遊び相手として呼ばれた。一つ年下の彼にとって、そこはおじいちゃん、おばあちゃんの家だった。真似てそう呼ばせてもらったが、俺は里帰りする経験がなく、祖父母とは何か、いまいち理解できていなかったから、彼には二つ家があると思った。
二階の和室で紙コップの糸電話を一緒に作った。短い距離の物ができあがり、部屋の中で通信していたが、それでは面白くない。もっと遠くで、と俺が提案すると、工作を手伝ってくれた家主のおじいちゃんが西側の窓を開けて手を振った。僅か五メートルほど先に純子の部屋があり、にっこりと会釈する彼女の姿がそこにあった。珍しく開いていたカーテンを閉めようとしていたが、俺を見つけて一旦止まり、そして右手でわっかを作り、逆に窓を開けた。糸電話を見ての承諾のサインだ。
しかし、軽い紙コップは投げても届かない。おじいちゃんが純子の部屋に見事投げ入れたのは、緑色の柔らかいゴムボールで、小さな山なりの軌道だったことを無視すれば、文字通り糸を引く投球だった。長い凧糸の先端をテープで貼ってあったのだ。
曇り空の下を綱渡りのように凧糸が渡った。糸電話の片方ずつをそれぞれの部屋で作った。純子の方が時間を要したせいもあり、こちらの遊び相手は次第に興味を失っていった。
無事にできあがる頃、純子と一対一になった。
「ねぇ、聞こえる?」
「聞こえるよ。秘密のお話だね」
秘密がわくわくすることを覚えた。母に見つからないか緊張しながら、母の前では絶対にできない話をした。純子は今すぐに家を出たいと言った。なぜ出ないのか訊くと、急がば回れと答えて、その意味も丁寧に教えてくれた。
「いつか私のことを迎えに来てくれる人がいるの」
「本当のお母さん?」
「いえ、王子様」
冠を被った上品な王子様とは違う気がした。海賊の映画を観たばかりだったせいか、本当の正義は荒くれ者のように思っていた。いつか純子を奪いに来れば、母は殺されるかもしれないと・・・そんな未来を想像して、男の子らしく興奮した。
秘密の話は三十分ほど続き、その時初めて純子のことを名前で呼んだ。呼び捨てにせず、純子ちゃんと。誰もそう呼んでいないせいか、少し違和感があったが、訂正を求められなかった。
「またお話しましょう」
おじいちゃんが様子を見に来ると、純子はそう言って小さく手を振った。そして、どちらからともなく互いに人差し指を口の前に立てて、秘密であることを最後に確認し合った。
翌日から、家の中でもその確認を行うようになり、母が見ていなければ、純子と黙礼のような合図を交わした。できるかぎり目を合わせず、互いに澄ました顔で人差し指を立てるのだ。俺は吹き出しそうになることがあったが、母が後ろを向いた隙に行っても、純子は平然としていた。
すれ違う時、鼻が海賊の気配を感じ取ることがあった。そういう男っぽい匂いに感じただけで、匂いの原因は分からなかったが、家の外で純子を偶然見かけると、海賊のような髭面の男をきょろきょろと探した。その度に男の影はなく、純子は女ばかりと一緒にいて、こちらに気づいている様子はなかった。
しかし、あの夕刻は違った。
糸電話で話してから一ヵ月半ほど経ったある日、友達の家を後にして、日脚が伸びてまだ明るい道を歩いていると、クレープ屋の前に集う紺色のセーラー服を着た数人の中に純子がいて・・・あ、と互いに声を上げた。視線が俺に集まり、誰誰?と好奇な声で誰かが言った。恥ずかしくなり、人差し指を使った秘密の合図で通りすぎようとすると、それを見てふふっと笑った純子に呼び止められた。
「私の弟なの」
可愛いと口々に褒められたが、似ているとは誰にも言われなかった。即ち、純子のように美しくないわけで、可愛いは小さいという意味だと思った。ひねくれた子供だったのかもしれないが、訊かれた年齢は「七つです」と、名前は「小林です」と、正直に答えた。苗字を予期していなかったのか、皆一様に笑った。「私もコバヤシ」と、純子ではない手が上がった。学校にも何人かいて、同姓でも家族ではないこともあると知っていたが、いつか家族になる可能性がある人のように思っていた。家に帰るのか純子に訊かれ、これも正直に答えた。
「じゃあ、一緒に帰ろう」
嬉しく思ったが、どう言葉にしていいのか分からなかった。ほとんど手をつけていないクレープを純子にもらい、初めて二人で外を歩きながら、手元のそれをただ眺めていると、嫌いなの?と訊かれ、首を横に振った。俺からは同じことを訊かず、嫌いだからくれたわけではないと分かっていた。純子は何が好きなのか気になり、母の言葉を思い出した。
「生の肉が好きなんて、嘘だよね?」
純子はくすりと笑い、誰から聞いたことか分かったようで、「獣みたいって言ってたでしょう?」と、お見通しだった。そして、馬刺しについて教えてくれた。子供は食べない方がいいと忠告しながら。
「私は、半分大人かな」
「半分って、いつからなの?」
「そうねぇ・・・」
純子は少し考えてから、なぜか答えを言わず、保育園に夜遅くまで預けられていた頃の話を始めた。大人しくするように強要され、父が迎えに来ると、決まって同じことを言われたそうだ。
「一緒に帰ろうって。保育園にいる時ね、ずっとその言葉を待ってたの」
俺にも、純子と一緒に帰る家があった。
家の前に着くと、門口の短い階段の前で行ったのは、人差し指を使っての確認だ。そこは毎日のように母が掃き掃除していた場所。白い門柱には、小林と刻まれた表札があった。
純子は高校生になると、化粧を始めた。
父が早めに帰宅した晩、母は食卓にやって来た純子の顔を見るなり、「何それ、気持ち悪い」と、珍しく父がいる前で扱き下ろして、交際中の男のことまで悪く言った。トリ、そう聞こえた。トリの男だと。
父は部屋の外に俺を連れ出して、「ごめんな」と謝り一人で戻った。
俺は扉を挟み、聞き耳を立てた。ついに本当の正義が純子を奪いに来ると思った。父もその男のことを良く思っていないようで、海賊のイメージにぴったりだった。純子の声は全く聞こえず、平然とにこにこしている姿を想像した。
翌日も父は早めに帰宅した。四人分の食事が用意されていたが、純子は時間になっても現れず、自室にいる様子もなかった。もう純子の分は作らないと怒る母に、父は静かにこう言った。
「俺の分を二人前作ってくれ」
元々父の分は二人前以上あった。見た目通りの大食漢ぶりを発揮するせいで、俺が少食であるかのように母は言った。比べる対象がおかしいだけだ。いつものことで、食べるほど健康になるという信仰のようだった。
食後、父と二人で風呂に入った。先に湯船に浸かるのは俺と決まっていて、風呂一番の楽しみは、父が湯に浸かる時だった。満杯の湯が豪快に気持ち良く溢れ出る。浮かべていたおもちゃの船は、洗い場に座礁した。
トリについて訊くと、飛ぶ鳥か?と逆に訊かれ、純子が好きな人と返した。父に笑いながら訂正され、“鳶職” という仕事があることを知った。どのような仕事か色々と聞いているうちに、実際に見てみたいと思うのは当然だ。父はそれを分かっていた。今度見に行こうと。
「お母さんに怒られるよ」
「言っちゃだめだぞ。男同士の約束だ」
その時に限ったことではなく、俺が抱いた疑問や興味について、父は良く実際に見せてくれようとした。
それは日曜が多かったが、母にトリを見に行くと言って出かけたのは、土曜の昼前だった。
子供用の双眼鏡を持って車に乗り、父が事前に調べていた情報に基づいて、建築中の高層マンションの様子を二ヵ所見に行った。どちらも聳え立つほど高く骨組みができあがっていて、立ち入りを禁じる白いフェンスに近づくことさえ怖かったが、目立つ黄色いヘルメットが幾つも高所で動き回っていた。何かが落ちて来そうだと思った。人が落ちたら死ぬと思った。
「彼らは命をかけて働いてるんだ。かっこいいよな」
言われて気づいた。命をかけて働く人がいることを知った。双眼鏡で見た鳶の雄姿は、その男くさい顔つきと、その日の青空とともに、しっかり脳裏に刻まれた。
海賊ではない。空から純子を奪いに来ると思った。父はどうやら反対していなかった。しかし、まだ早すぎると。なにせ純子は十六歳。相手のことを悪く思っているわけではなかった。鳶は立派な仕事だと言った。見ているうちに、俺が住んでいる家も、こういう人たちが建てたのだろうと思った。父が建てたという母の教えには語弊があると・・・そんな言葉をまだ知らないまま、俺は少し大人に近づいた。
季節が夏に近づいてくると、九歳の俺はもうじき始まる水泳の授業を恐れた。泳げない上に、ぶくぶくと太った体を笑われるからだ。悪ガキたちは、半裸になるという非日常的行為に浮かれ騒ぐ。デブと言われること以上に、先生に優しく庇ってもらわなければならない弱さが恥ずかしかった。言い返して、喧嘩できたらかっこいいと思った。
真面目という先生の評価は少しも嬉しくなかったから、その年最初の水泳は仮病を使って見学した。すると、見学者が女の子ばかりで、これもまた恥ずかしかった。次から真面目に出席して、結局からかわれても言い返せず、水泳の授業そのものを恨んだ。
今でも深い謎だ。なぜ泳ぐことを習わなければならないのか。先生は溺れそうになった時に困るなどと言っていたから、俺はこう言い返すべきだった。将来、海賊になるわけではないと。
水泳の授業は夏休みにまで組み込まれていて、わざわざその為だけに午後から学校へ行く日は、貴重な休みの数時間を潰された。帰り道はたびたび遠回りをして、嫌なことがあったと母に悟られないようにした。どうしたのかと騒ぎ立てられたくなかったからだ。
ある日の遠回りは、めったに通らない道で夕立に見舞われた。水が悪いと思うに至り、子供の発想でたまたま水曜日だったことを原因に定めた。
床屋の軒下で雨宿りをしていると、陽気な店主の招きがあり、ふわふわのタオルを借りた。出入り口付近の椅子に座った。本来は散髪を待つ人が座る場所。店主もそこに座り、俺を暇潰しの相手にして客を待っていた。
雨上がりは客が来るよりも早く、また来いよと言われて店を出た。土の匂いがして、赤い西日が眩しかった。空を見上げると、大きな虹がかかっていた。虹色はぼんやりとしていて、すぐに消えてしまったが、天国の空を覗き見たような気がして胸が高鳴った。
その時だ。ジュンコ!という若い男の呼び声を聞いたのは。声がした方の道は大きく左へ折れていて、誰が呼ばれているのか分からなかったが、なぜか別人の純子とは思えず、駆け寄る最中にもう一度聞いた。力強く、重厚感をもって、濁音が情熱的に響いた。
純子、素晴らしい名前だ。そう思わせる声に嫉妬した。
左へ折れた先に、髪の短い女の後ろ姿があった。やはり純子だった。前から走り来る男を受け入れ、二人は抱きしめ合った。燃えるような西日が情熱の色として俺の瞼に焼き付いた。
しかし、純子はそのまま連れ去られることはなく・・・
なんと二年の月日が流れた。なかなか連れ去られないことに落胆する思いがありながら、純子の靴を玄関で見つけると、安心するようになっていた。二度と会えなくなったら辛いという思いは、死について初めて考えるきっかけになった。
故に、あの男は死んだのではないかと思うことになる。ある日、純子が家に連れてきた五つ年上の男は、明らかな別人だったからだ。
同席するように父に言われ、色白の優男が発した、純子さんをください、の一言を俺も聞いた。母一人が拍手をして、気まずい雰囲気だった。男は緊張している様子ではあったが、身振りを交えて良く喋り、純子のことをジュンジュンと呼んでいた。甘ったるい響きに吐き気がして、俺は喉の奥にあった違和感を純子に投げかけた。
「ねぇ、どこが好きなの?」
なぜこの男なの?と訊かなかったのは、大人びた配慮だ。答えたのは、何も知らないはずの “香純さん” だった。優しいところ、背の高いところ、目の綺麗なところ、肌も綺麗ね・・・などと。男は怪訝な顔をしたが、純子は否定も肯定もせず、ただにこにこ笑っていた。
父は終始無言だった。純子が高校を卒業したら結婚すると、すると言い切った時だけ、幸せになれよと言った。その目は少し涙ぐみ、純子の顔をじっと見つめていた。
男の滞在は三十分ほどだった。去り行く後ろ姿はいかにも頼りなく、見送りに出た純子とさほど変わらない背丈だった。
それっきり二度と会うことはなかった。王子様が迎えに来ると、かつて純子は言ったはずだが、実際に家を出る日も男は現れず、彼女はトランク一つだけを携えて、地味な色合いながら海外旅行に行くような出で立ちだった。本当に結婚するのか疑わしく思い、本当に行っちゃうの?と訊いた俺は、情熱的に響くあの声を待っていた。純子と叫んで、連れ去りに来てほしいと思った。
「本当だよ。もうここには、戻ってこないよ」
純子を呼ぶ声は、どこからも聞こえてこなかった。
遠い空から見ていたのだろうか。その日降っていた春雨は、涙のように少し温かかった。
父の計らいにより、純子の部屋はそのまま残された。
母が危惧していたのは、子供を連れて帰ってこられたら困るということ。それを口にした時、めったに怒らない父が激怒して、俺はそういう可能性があると知った。
こっそり入った純子の部屋は、匂いだけ片付いていなかった。汚いから入るなと母に言われていたが、純子とすれ違う時に幾度か感じた匂いの原因がなんとなく分かった。煙草だろうと。両親が吸わない環境で育った為、それまで気づくことはなかったが、部屋に染み付いた匂いを嗅ぎ分けられるほどに成長していた。純子はこの部屋で煙草以上の何か、もっといけないことをやっていたような気がした。
本棚を見るかぎり、とても馬鹿とは思えず、どうやら熱心に英語の勉強をしていた。当時の俺にはさっぱりの、別の言語の本もあり、海外への憧れが強いと分かった。もう日本にはいないのかもしれないと思った。
「純子」
声に出してみたが、変声期前の幼さだ。あの情熱的な響きには程遠く、大きな鏡に映る姿にいたっては、あの逞しさへの成長を想像しがたく、格好悪い父に良く似ていた。
母を鏡に例えるならば、虚弱体質とはその鏡に映った虚像だ。心配する母を見て、俺も自分が弱いと信じ込み、ふんだんに食物を与えられることに疑いはなかったが、実体は異なる。幼児期はたしかに弱かったとしても、その後は与えられるだけ、褒められるほど食べられたのだから、強靭にして無邪気な胃袋を備えていた。肥満という以外は、いたって健康だった。
当時の俺は、栄養が縦に反映されないこと、即ち背丈が伸びないことを気にしていた。良く寝ることが大事と、母がどこからか聞いてきて、早寝を習慣化させようとしたが、父はそれを笑い飛ばした。必ず伸びると。近所の大人たちもそう言って、両親が高いからと捕捉説明した。
きっと、純子のお母さんも背が高い人。
そんな風に思った。幸せそうに笑う、実は不幸な人を想像した。
一年後の、中学一年の夏、純子が親になると知った。父から妊娠と聞いて熱くなる頬は、思春期の只中にあることを象徴していた。
背丈は言われていた通りに伸び始め、ある意味虐待に等しい食事量を拒否するようになった。平日の晩飯は、大抵母と二人で先に食べた。毎晩のように心配されることを次第に鬱陶しく思い、食べたいのに我慢している苛立ちもあった。
ある晩、母に声を荒げた。生意気にもこれからは外で食べると言った俺に、それは不良がすることと母は諭して、純子のようになってしまうと続けた。中学生で煙草を覚えた純子がいかに不良か、いかなる躾も無意味だったかを語り、あの子には腐った血が入っているとまで言い放った。
母によれば、純子の母親は男を作って逃げた。父は騙され、純子は捨てられた。きっと純子も同じことをする・・・。聞き流すことはできなかった。耳の中にどろっと流れ込んできて、ひどく濁った言葉が胸の奥で沈澱した。
純子はどのように生まれてきたのだろう。歓迎されたのか、疎まれたのか、一度も聞いたことがない。幼い頃の姿は家の中に存在しなかった。純子が写っている最も古い写真は、七歳の時の七五三。まだ長い髪を一つに纏めた着物姿で、表情はなにやら暗かった。
一方で、俺の写真や映像は親馬鹿と言えるほど残されていて、さすがに生まれた瞬間の記録はなかったが、それについては父がたびたび得意気に語った。出産に立ち会い、生まれ落ちてくる俺を受け止めたのだと。まるで父がいなければ、床に落ちて死んだかのような口振りで、真偽のほどは分からないが、医者よりも先に俺を抱いたそうだ。初めて口にした言葉はパパ、という逸話とともに、誕生日には毎度聞かされた。
九月十日。父は毎年忘れることなく、誕生日プレゼントを持って例日より早めに帰宅した。早めといっても夜七時か八時くらいの日没後だったが、十三歳になった日は驚くほど早く、学校から帰ると父がいて、ご飯を食べたら二人で出かけようと言われた。
食卓からは母の祝意が伝わってきた。瑞々しい生花の周りに並ぶ手料理は、客人用のロイヤルコペンハーゲンの洋食器が使われていた。俺の好物は父のそれと同じ物が多く、綺麗に盛り付けられた品々に父も喜んだ。中でも、グラタンは親子二人の大好物だった。
母の作るグラタンは、季節によって、或いは気分によって、ごろっと大きめに入る具材がころころ変わった。秋冬はかぼちゃ、きのこ、牡蠣など。春はキャベツや菜の花になり、夏はトマトや茄子だった。
「海老がいくつ入っているか分かった?」
十三という母の拘りを素直に嬉しく思った。その日ばかりは腹いっぱい、別腹でケーキも食べた。食べすぎて動けなくなった俺を父は強引に連れ出そうとして、母が止めに入ると、歌舞伎役者のような節回しで、女は黙っとれいと言った。声だけはかっこいい父。目をつぶるべき場面だった。母は呆れながらも嬉しそうに見送り、俺に大きなビニール袋を持たせた。
父の車は銀色で、ボルボという外車だった。
乗ってしばらくして、ビニール袋の意味を理解した。父はあと五分、五分経ってもあと五分、などと言って、右側の助手席でぐったりする俺の頭を荒っぽく撫でた。
長すぎる五分を乗り越えて、繁華街の駐車場で下車すると、五分くらい歩くと言われ、我慢が限界に達した。ビニール袋を握りしめながら、食べた物を道端にぶちまけた。父は大笑いしたが、すぐに困惑して、通行人に謝りながら目の前のコンビニに入っていった。
そこの店員はとても親切なおじさんで、俺にトイレを貸してくれた。手や顔を洗って出てくると、道端は水を流して綺麗になっていた。父が店員の胸ポケットに何か入れるのを見た。店員は首を横に振り、笑顔でそれを返したようだった。帰ろうかと訊かれたが、大丈夫と答えた。嘔吐して気分が良くなったのだ。
本当に徒歩五分ほどで辿り着いたのは、父の友人が営む酒場だった。狭い軒先の階段前、邪魔するように手書きの立て看板があった。
「今夜は貸し切ったぞ」
父はしたり顔で暗い階段を上がっていった。続いて上がり中に入ると、渋い照明や日本酒の匂い、木製のバーカウンターなどが、大人の雰囲気をこぢんまりと演出していた。貸し切りの言葉通り、客は誰もいなかった。
「子供はお断りだよ」
カウンターの向こう側でいたずらっぽく笑う口元には、清潔に整えられた髭があった。髪は短く、七分袖の黒シャツを若々しく着こなして、父と同い年にはとても見えなかったが、高校時代の同級生だと紹介された。少し高い癖のある声が欠点だと思った。
一方で豚は、いや父は、黒真珠のように渋い声で、俺のことを自分の分身だと紹介した。次第に似てきたことを嬉しそうに語った。
「さぁ、飲もう。今夜だけの一夜酒だ」
店主の背後の棚には、酒瓶がずらりと並んでいた。日本酒を専門に扱うバーだと父は説明したが、店主に出されたロックグラスの中には、白濁した液体と大きな丸氷が一つ。父にも同じものが用意された。
大人の乾杯だ。口を付ける前に、甘酒だと匂いで分かった。それは温かいものという思い込みから、恐々と、ちびちびと飲む俺を見て、店主は笑った。
特別な一夜に飲む酒は、一夜のうちに醸造できる酒だった。後者の真意によって、甘酒は一夜酒という異称を持つ。
そんなことを店主が教えてくれたが、父はあくまでも誕生日の特別な一夜に飲む酒として、一夜酒という言葉を使っていた。
この店には純子と来たこともあると話した後、父が取り出した一枚の写真には、赤ん坊を抱いた純子がすっぴんで写っていた。髪が長くなっていた。幸せそうに、笑顔は変わらなかった。赤ん坊はなぜか女の子のような気がした。
「会いたいか?」
一瞬躊躇したが、俺は首を横に振った。父は悲しそうに笑い、俺の肩を抱いた。
「ごめんなぁ。二人のお母さんが違って」
そのことを謝ったのは初めてだった。母と純子の不仲も自分のせい、家族になれなかったと父は嘆き、こう続けた。だから純子には素敵な家族を築いてほしいと。
ずっと黙って聞いていたが、その願いには深く頷き、父と思いを共有した。
「俺のたった一人の娘、俺のたった一人の息子、二人とも愛してる。そのことだけは分かってくれ」
小さく頷き、意外に分かってると答えた。生意気だと小突かれ、父と笑い合った。家族ではないかもしれないが、たしかに親子だと実感した。
店主は聞いていない振りをして、綺麗なグラスを磨いていた。
それ以来、父と二人で良く出かけるようになった。
プロ野球の観戦に行った時、どのビールの売り子が可愛いかが一番の話題になり、売り子ばかり見ているせいで、試合の大事な場面を見逃すことがあった。近づいてきても話しかけられないくせに、あの子からビールを買ってと父にせがんだ。
そして、翌週も観戦に出かけて、親子で好みのタイプは面白いほど異なることが分かり、互いの好みをちゃかし合って楽しかった。父の好みの顔立ちは、動物に例えると狸だった。
幼い頃から、母は狸に似ていると思っていた。肌色が少し茶色いせいで、パンダのイメージはない。決して太っているわけではないのだが、全体的に丸っこく、絵本の中に出てくるそういう狸を「お母さん」と指差して、泣かれたことがある。
母は喜怒哀楽と好き嫌いが激しく、表情や振る舞いなどにも顕著に現れた。隠さないということが、長所でもあり短所でもあったが、これだけは外で隠してほしいと思うところがあった。冬は厚着で気にならない豊満な胸の膨らみだ。小学四年の時の、悪ガキのからかいをきっかけに、夏は授業参観などで恥ずかしく思った。目立つお洒落も好きではなかった。母は母らしく、狸のおばさんで良かった。
裏表のない狸は、接客業に不向きだと思うが、父が可愛いと言ったのは、そういう売り子だった。丸っこい外見で、露骨に嫌そうな顔もする。不器用な笑顔は本物に見えた。
いかにもプロという笑顔の人に俺が惹かれると、「騙されてるなぁ」と父は笑った。騙された経験から言っているのかもしれないと思ったが、純子の母親のことは何も訊けなかった。
純子の母親は、どこで何をしているのだろう。なんとなく思っていたのは、不幸に違いないということ。そして実は、純子の幸福も想像できないでいた。幸福な家庭を築いてほしいとの願いは、本心でありながら、まるで世界平和を願うような遠い幻想に感じられた。
幸福とは何か。物質的に何不自由なく育つと、金ではないと考えがちだが、母に貧乏の怖さを教え込まれていた為、綺麗事を思い描く子供らしさはなかった。
母は貧しい家庭に生まれ育った。母には、もともと父親がいない。女手一つで無理を続けた母親、即ち俺の祖母は、母が十七の時に早世した。
「金がなければ、病院にも学校にも行けない」
そのように語る時、母の目には涙があった。そして必ず、続けて父の偉大さを語った。十分な金と立派な家を母にもたらした父。家を建てたのは母と再婚して間もない頃で、それまで二人がどこで暮らしていたのか俺は知らない。転居を繰り返してきた母にとって、持ち家は憧れだったようだ。それに加えて、子宝に恵まれること、外車を所有すること、高級な猫を飼うこと、ダンス教室に通うこと・・・などを思い描いていたようだが、飼うことと通うことは、父の反対で実現していなかった。子育て中という理由での反対だった。
故に、俺が中学一年の冬、母は子育てが一区切りついたと強調し始める。二年近く帰ってこない純子の部屋を俺に使わせようとして、ついに父が了承した。
そして、クリスマスイブにペルシャ猫がやって来た。
年明けから週一回、母がダンス教室に通い始めた。
父は俺に言った。ダンスはすぐに飽きるだろうと。
その予想は外れ、困ったことに、すぐに飽きてしまったのは猫の方だった。溺愛していたのは最初のふた月ほどで、暖かくなる頃には明らかに冷めていた。
ブラン。母が付けた猫の名前だ。フランス語で白という意味の、見た目通りの名前を母が呼ぶ時、その濁音は次第に嫌な濁りになってきた。
純子のことも、最初のふた月ほどは可愛がっていたのだろうか。
最低限の世話しかしなくなった母に代わり、俺がブランを可愛がった。美しい毛並みを維持するには、無論金と手間がかかる。父が嫌々ながらもそれに協力してくれたことで、毛並みは真珠のような輝きを放った。飼い主としては、その眩しさを誇示したくなるものだ。
好意を寄せていた同級生の女の子が猫好きだと知り、俺は母がダンス教室でいない日を狙い、大胆にも家に誘った。誤算だったのは、引き立て役のような友達まで付いて来たことだったが、後は筋書き通りに、家とブランを褒めてくれた。こんな家に住みたいと言われた後、ひしひしと感じたのは父の偉大さだ。この子と一緒に暮らせたら、幸福に違いないと思った。
「また来るね」
近いうちに来てくれる。女が憧れる物事は皆ほぼ同じ。そう信じて疑わなかったが・・・
誘っても二度と来てくれなかった。なぜか分からない。ただ、母のせいだと強く思った。
皮肉なことに、女の子を家に誘える機会は増えていった。母のダンス教室が週一回から二回、二回から三回になったあたりで、父と母が良く言い争いをするようになった。
俺はブランとそれを避けるように過ごした。純子の部屋に籠ることもあったが、自室として使うつもりはなかった。あった物は何一つ捨てず、大きく動かさず、たまに掃除をしたが、机の引き出しは開けなかった。
家にいながら、母と初めて会わずに一日を終えた時、純子になったような気がして、煙草を吹かしてみたいと思った。
翌日、母の財布から金を抜き取り、悪い同級生から通常の三倍の価格で一箱買った。純子の部屋で火を点けた煙草の味は、ひどく濁っていると感じて、ただただ不快だった。
しばらくして梅雨時になると、ダンス教室通いは週一回に戻り、必然的に母と顔を合わせる機会が増えた。ただでさえ薄着になった胸元に苛立ちを覚え、その上化粧が濃くなっていることに気づいた時、俺は純子の代わりに言ってやった。何それ、気持ち悪いと。激怒されると思いきや、いよいよ反抗期が来たと俺の成長を喜ばれ、尚更気持ち悪かった。
父に媚びるような態度に軟化した母が、ある日突然、家族旅行を提案した。母が言う家族とは、無論もともと三人だ。年に一二回の旅行先は国内ばかりだったが、夏休みという言葉を繰り返し使い、海外に行きたがる母に、父は取り出した手帳を捲りながら、海外は無理だと呟いた。
「大阪に行きたい」
俺はそう言った。大阪にできた新しいテーマパークが面白いと、友達に聞いていたからだ。二人とも賛同してくれた。約二ヶ月後の八月の終わりに三人で行く約束をして、ブランも一緒に連れて行こうと思った。
しかし、その約束は果たされないことになる・・・
母の不倫疑惑。父は証拠を掴んだと言ったが、怒り狂って否定する母を俺は信じた。理由はまず、疑うことに吐き気がしたからだ。不倫とは何か理解していた。当時、母は四十代半ば。冷静に、客観的に考えてもあり得ないと思ったが、なぜあり得ないのかを突き詰めると、この家から追い出されるようなことを母はしない、という冷たい結論になり、考えるのを止めた。母の味方にもなれなかった。父が言う証拠と相手については知らされず、知りたくもなかったが、探偵を雇ったとだけ聞き、漫画に出てくる少年探偵を想像して、現実味が薄れた。
何も考えたくない時は、煙草がいいことを覚えた。ぼんやりしていて純子の部屋の床を焦がした夜、窓の外が白く見えるほどの雨だった。火の不始末を放置したとしても、この雨によって鎮火して、母の大事な家は燃えずに残ると思った。
二日後、学校で国語の授業を受けていると、学年主任の先生に呼び出された。どんな悪いことをしたのかと、クラスメイトがざわついたが、連れて行かれた先は警察署ではなく、母が運び込まれた病院だった。
知らされたのは、母が近所を巻き込んで大騒ぎを起こしたこと。二階の吹き抜け天井のロフトにある窓、即ち周囲の家よりも少しばかり高い場所から、隣家の庭に飛び降りた。その瞬間を偶然見た人がいて、飛び降りた先の住民は留守だったが、すぐに救急車が来たようだ。
自殺未遂か。狂言自殺か。父は後者だと断言して、両足骨折で入院する母に会おうとしなかった。たしかに死ねるような高さではないと思った。
俺は会って訊いた。死のうと思ったのか?と。母は俺の顔をじっと見て、その目から次第に涙が溢れ出て、むせび泣き、「怖かった、痛かった」と声を震わせた。
その手を握った。張りを失い、年相応の老いを示す母の手には、妙な安心感があった。しばらくして母が眠りに落ちるまで、俺はその手を握り続けていた。
母の入院中、俺は不眠症に陥り、悪夢で目を覚ますことがたびたびあった。いたずらに寝る場所を毎晩のように変えてみたが、純子の部屋は使わなかった。母が留守になったことで、帰って来るような気がしたからだ。
一階の和室に布団を敷いた夜、午前二時すぎに部屋をふらっと出ると、暗いリビングからテレビショッピングの陽気な音がした。蒸し暑い淀んだ空気の中、父はテレビだけがチカチカと光る前に座り、酒を飲んでいた。電灯を点けると目が合ったが、何も言われず、俺も黙って横に座り、父が何か言うのを待った。
「飲むか?」
酒瓶を差し出されて首を横に振ると、酒は飲まんのかと言われた。煙草のことは分かっていると、言外に示されたような気がした。
父はテレビを消すと、昨日純子に会ったと切り出した。
「久しぶりに会って、ショックだった。俺が離婚を言う前に、あっちから離婚したいって言われてなあ。まだ子供が小さいのに」
父に見せてもらったあの写真、赤ん坊を抱いている純子の姿が胸に浮かんだ。やはり幸福な家庭を築けなかった。・・・それみたことか、そう思う自分が嫌だった。なぜか安心している自分が理解できなかった。心配しなければならないのに、嬉しいとは違うが、会いに行ってもいいという思いが生じた。
「純子に会わせてほしい」
父は意外そうに、しかし嬉しそうに小さく笑い、そうかと言って頷いた。
純子との再会はその週末、目眩がするほど暑い日だった。
父が運転する車で三十分ほど走り、ファミレスの駐車場に止まると、車内から見える五階建てのアパート群に視線を向けた。純子はあそこに住んでいると言って、父が指を差したからだ。くすんだ外観から金持ちの気配は感じられず、かつて母もこういう場所に住んでいたのだろうと思った。純子は遠く離れた町で暮らしていると思い込んでいたが、通って来た道筋と街並みは見覚えがあった。
父の携帯電話が鳴り、かけてきたのは純子だった。父は電話口で駐車場にいることを伝えた。
車内で五分ほど待つと、日盛りの中、乳母車を押しながら歩いて来る細身の若い女が見えた。大きな黒い帽子に隠れて顔が良く見えない遠くからでも、それは純子だと分かった。
鎖骨にかかる長さの髪。純子は車から降りた俺を眩しそうな顔で見た。
「ビックリした。ずいぶん背が伸びたのね」
純子が出て行った頃から十五センチほど伸びていて、横に立つ父の背丈を僅かながら超えているように感じた。「久しぶり」と変声期の声を発すると、大人っぽくなったと驚かれ、嬉しく思った。
乳母車の中で赤ん坊はじたばたと動いていたが、ファミレスに入って純子が抱き上げると大人しくなった。目元が純子に似ていると思った。着せられている服のデザインなどから、やはり女の子だと分かった。名前を訊くと、純子はジュリと答えて、テーブルの脇にあったアンケート用紙の裏面に “樹里” と書いた。綺麗な名前だと思い、そう伝えた。
「お兄ちゃんに褒められたよ」
純子は俺のことをお兄ちゃんと言った。戸惑いというより気恥ずかしい思いになり、俺は樹里に話しかけなかった。純子は俺に、私はまだおばさんじゃないよと言って、笑いを誘った。
禁煙席ということもあり、周りも子連れの客が多かった。私たちも家族みたいね、と純子が呟いた時、まるで四人家族のような姿は、これから先も続いていくのかもしれないと思った。それは父と母が離婚して、純子も離婚して帰って来るという予感だったが、その未来もたしかな家族とは言えない気がした。
母のことは一切話題にならなかった。純子が何か訊くはずもなく、せっかくの水入らずという状況に、父も水を差すようなことを言わなかった。純子は相変わらず終始にこにこして、子育てを楽しそうに語っていたが、旦那さんは?と訊きたくなるほど、夫婦二人で協力している姿は全く伝わってこなかった。
和やかな雰囲気は、俺がトイレに駆け込むまで続いた。食事中、急に吐き気を催して、トイレから戻っても胸のあたりに気持ち悪さが残った。純子は笑っていなかった。二人に真剣な顔で心配され、病院に行った方がいいと言われた。「大丈夫だよ」と強がったが、寝不足のせいか体調が悪いのは事実だった。「ちゃんと検査しよう」という父の言葉は、少し大袈裟に感じられた。
別れ際、純子が「お兄ちゃんバイバイ」と手を振り、樹里に真似させようとした。俺も手を振ったが、小さな手は人見知りして応えてくれなかった。苦笑いを浮かべて、お姉ちゃんまたねと言うと、純子に笑顔が戻った。
おばさんではないという意味だったが、お姉ちゃんと呼んだのは、それが恐らく最初で、間違いなく最後だった。
翌日、母の見舞いに行くと、小さな籠に盛られた暖色系の花々が見舞客の訪れを告げていた。男の気配などではなく、それは女の感性だと感じた。
もうじき退院できる状態だと知り、良かったねと声をかけても返事はなく、まさか家に戻らないの?と訊いた。母は窓の外を見て呟いた。戻る場所なんてないじゃないと。
そして、諸々父のせいにしていたが、その気になれば強引にでも戻るのだから、戻る気がないだけだと思った。
母は飛び降りるという行為をもって、家を飛び出したのだ。死のうとしたかどうかは分からないが、あの瞬間、最も大事な家を捨て、恐らく俺のことも捨てようとしたのだ。
「純子の母親と同じじゃないか」
そう吐き捨てて病室を出たが、否定を求めて涙が滲んだ。室外で待っていた父に肩を抱かれ、大丈夫か?の問いに頷き、そのまま俺の体を診てもらいに向かった。
特に異常は見つからず、ストレスですねと、医者は無愛想に言った。
父は納得できない様子で別の病院に俺を連れて行き、再検査をさせた後、自分の体も診てもらい、すっかり暗くなった帰りの車中で、二週間後に結果が出るんだと、具合が悪そうな顔で言った。
助手席の俺は饒舌になった。きっと病気ではない、という話を。漠然とした不安があり、自分に言い聞かせる意味もあったような気がする。父は時折頷き、俺の話を黙って聞いていた。怒り出しそうな気配もあった。暗くて良く分からない父の顔色を窺いながら、母にはずっと入院していてほしいと思った。
帰宅すると、手入れを怠り小汚い姿になったブランが、腹をすかせて待っていた。しぶしぶ対応する俺を見て、父は切り捨てるように言った。世話ができないのなら里親に出すと。
「そうだね。もう無理だよ」
いとも簡単に決断した。やはり俺は母の子供。腐った血が入っていると自分を貶めて、純子の部屋で煙を立ち上がらせた。先日聞いた言葉のいくつかを思い出しながら。
「煙草は、樹里を授かった時に止めたの」
俺が禁煙する日は、遠い先のことになると思った。
検査結果は、たしかに二週間後だった。
ひどく蒸し暑い夕刻、学校から帰ると父がいた。嫌な予感を振り払うように、「間違えちゃった?」と父をからかった。俺の十四歳の誕生日は三日後だった。良く見ると、父の頬は濡れていた。汗ではないと気づいて俺は黙った。座るように促され、逃げ出したい気持ちを抑えながら、父の涙と向かい合った。
「聞いてくれ」
手も、声も、父のすべてが震えていた。目を見開いたまま、涙がこぼれ落ちていた。
「お前は、俺の子供ではない」
返す言葉が出てこなかった。頭の底が抜け落ちるような感覚になり、嘘だと思う力すらなく、遺伝子の話をただ聞いていた。小難しいことも言っていたが、とどのつまり、母とは親子であり、父とは親子ではない、ということだった。
母への疑いは遠い過去にまで及び、父は最悪の結論を導き出した。話の最後に父はこう言った。お前に罪はないが、もう愛することはできないと。
俺に涙はなかった。もはや屍のように何も感じないまま、ふらりと立ち去ろうとしたが、後ろから強く抱きしめられ、号泣する父を背中で感じた時、俺はまだ生きていると思った。
人生は、ここで終わらない。それを示す為か、別の意味かは分からないが、父が最後にくれた物はロレックスの腕時計だった。止まることなく正確に時を刻む針が、現実逃避する俺の心をちくちくと突き刺した。
母のように飛び降りる勇気はなく、中途半端な家出によって警察に補導された。迎えに来た学校の男の先生に悪態をついた。里親にもらわれるような気分になり、唐突にブランの話を始めて、犬は好きかと先生に訊き、曖昧な返事だったが、もらってやってくれよと懇願して、情けなく泣いた。
母は恐ろしく強かった。ぐったり入院していたのが嘘のように、遺伝子鑑定の結果に猛然と反論した。でっち上げ、許せない、こっちから離婚などと、不倫を否定し続けながら結果的に離婚を受け入れ、俺にこう言った。「これは何かの間違い。あなたは間違いなくお父さんの子」
その言葉をどうしても信じたい気持ちがあった。母は俺を捨てなかった。
ブランを残して家を出る時、宛先の異なる三通の手紙をそれぞれに見つけてもらえそうな場所に隠した。父へ、純子へ、そして未来の俺へ。
~後編につづく~