
人はそれを運命と呼ぶか
この世に存在する事象は、すべて偶然か?必然か?
ありきたりな問いかけだが、確立というものの前では、その全てが必然だと言い切ることが出来る。確立とは面白いもので、母数が無限に存在すれば、どんな奇跡的なことであれ、いずれ必ず起きるという。
有名な話で、宇宙誕生の確率は、25mプールに腕時計を放り投げ、かき混ぜている間に、一度部品がバラバラになってから、元の腕時計が組みあがる確率と同じ、というのがある。
想像しただけでも、つまり不可能なんじゃないか、と先入観が脳を支配する。しかし、もし仮に、このプールを半永久的に、それこそ、宇宙が誕生してから今までよりもはるかに長い時間かき混ぜ続けた場合、腕時計は必ず組みあがる、というのが確立の考え方だ。理論上はそうかもしれないが、と強情な読者もいるだろうが、実際に宇宙は誕生している。これはどうしようもない事実だ。
何桁でも構わないので、適当に数字を思い浮かべて欲しい。今あなたが思い浮かべた数列は、必ず円周率の中に存在する。それが何桁であれ、だ。その数字が登場するのは、少数第70位かもしれないし、小数第9万6,200位かもしれないし、502兆1800億位かもしれない。しかし、割り切れない無限の数列の前では、必然として登場が確定している。
そして、この世には、これが定理として提唱されている例がある。それは、「無限の猿定理」と呼ばれるものだ。端的に言うと、猿がタイプライターの鍵を無限にたたき続ければ、シェイクスピアの戯曲を再現することも可能である、というものだ。
この理論は、実に古くから様々な見解をなされてきており、当然、不可能であるという意見が大多数を占める。しかし、日本で教育を受けた読者の方は、この理論がどれだけ馬鹿げていて、議論するに値しないということがすぐにわかるだろう。
我々は知っている。タイプライターも普及していない明治初期、飼い主を真似て、指先にインクを付け、気ままに自叙伝を綴った、名もなき一匹の猫がいたことを。