高校野球があったからこそ
こんばんは。今年も高校野球の季節が始まりました。引退して4年が経ちましたが母校の試合は今でも気になるものですね。今年も後輩たちの試合を見させていただき、自分の高校野球を振り返りたいと思います。
1,1年春から1年秋~
私は、1年の夏の大会から背番号をいただいて試合に出場してました。
この時はまだプレッシャーなどはあまりありませんでしたが試合が始まると
先輩たちの夏を終わらせてはいけないと緊張したことを今でも覚えてます。
この夏は1,2回線と勝ちベスト16で敗退してしまいました。
負けた後に3年生の先輩方が泣いてるのを目の当たりにし、その時の主将に
2年の先輩とこれからのチームを頼むといわれ自分に自覚が芽生えました。
秋は地区大会で敗退し来年こそはと意気込みます。
2.2年夏の大会~
2年生になり、私はこの夏から4番バッターとして試合に出場してました。
この夏はベスト16で八戸学院光星高校さんと試合をし0-5で敗退してしま
いました。光星高校さんは甲子園の常連校で試合をしていても隙が無く点差
以上の強さを思い知らされた気になりました。この2年間の先輩たちととも
戦い敗退してしまったこと、自分のふがいなさを大きく思い知らされ最後の
夏こそはと冬の練習を乗り越えることになります。
3の1 冬期間のチーム~
夏に向けて最後の年に冬の練習を乗り越えなくてはなりません。その中でチ
ームはバラバラでチームワークという文字は1つもない状態になっていまし
た。自分は1年から試合に出ていたことによって強い責任感から仲間に強く
言ってしまうこともありました。すべては勝ちたいという気持ちから出てい
たのですが、それを面白く思わない仲間も中にはいました。その他にも周り
に言える人はあまりいなく、俗にいう浮いた存在になってしまいました。
その時の心境は優しさだけの仲間なんていらないや、ちゃんとやらない人は
相手にしなければいいなど、結局は自分も人任せな気持ちになっていたなと
振り返ると思います。そんな感じのチームはいい方向には進まず冬を終えて
しまい春を迎えます。
3の2 チームを変える出来事~
春になり野球部の監督が代わりました。僕たちが入学してきた年から部長と
してチームに携わっていましたが監督になったことでチームが大きく変わり
ました。その言葉とは気が済むまで言いたいことを言ってけんかしろとその
言葉の意味を聞いた時には最初は意味がよくわかりませんでした。その言葉
を受けミーティングをした際に今までお互いが心にためてきたことをおもっ
いきり吐きあい最後には相手の気持ちをお互い理解したうえで夏の大会まで
一直線に向かうことができました。
4.高校野球最後の夏の大会~
そして迎えた最後の夏、初戦を勝ち切り2回戦シード校に逆転負けをくらい
高校野球人生が終わりました。私は最後のバッターになってしまい、チャン
スで仲間が回してくれましたが打つことができず打ち上げたフライを見なが
ら悔しいはずが涙ではなくやり切ったという気持ちがこみあげてきたことを
思い出します。仲間の声が最後に倍になって自分に聞こえてきました。
高校野球を振り返っているうちに私は大事なことに気づきました。それまで
は勝ちたい勝ちたいという気持ちが先走って視野が狭くなっていたというこ
とです。最後の夏を終えたときに出てきたやり切ったという感情は、野球は
勝ち負けだけではなく仲間と過ごした最高の三年間だったということです。
一度バラバラになったチームでもみんなの気持ち一つやきっかけ一つでこ
こまで変わることができるということ、仲間の大切さを覚えさせてくれたの
が僕にとっての高校野球でした。これから先、もっとたくさんの人たちに出
会い新しい仲間ができると思います。その中でこの気持ちを忘れずに生活し
ていい人生にしたいです。
高校野球ありがとう。