画像1

第50回_大学再訪記録_後編 鶴巻温泉初訪問、大学周辺の文化度_2025.1.29

片倉洸一の耽楽的音声記録
00:00 | 00:00
前編https://note.com/tanraku_record/n/n0ce9deb72984

かつて住んでいたアパートの閑散とした姿を見て年月の経過を感じつつ今度は出身学部に到着した片倉。しかし足は止まり、マーチング部の練習音が響くのを背景にレコーダーに話し始める。

学部を前に
・教授らは皆来てる模様(実際は清掃中なだけで一部の教授しか来てなかった)
・嫌な選択肢―今残ってるのは全く接点のない新任教授と、確かに接点はあったが…な連中だけ。その中からどれを選べという。
・学科のある階へ上り、廊下までは行こうと決意

学部を後に
・学科の廊下に新設された自販機に気を取られてる後ろから―接点のあった人物、A准教授が登場。自分でも驚くくらい動揺しなかった片倉
・一旦トイレに行って学科の教授室を覗く―Aの部屋に本人はおらず。在室中だった2教授(一方は鈴木先生の話で批判したS教授)のどちらかの部屋に入っていたと思われるが、そこに踏み込む気は到底起きず立ち去る。
・A准教授と大学のポストについて―万年非常勤が50前にしてようやく常勤に。その時に起こったのは退職、転職、急死などの人事の大変動。
・A准教授との関わり―謙虚すぎる態度がどこか気にくわない感じで大学院も終わりが近づくにつれて遠ざかっていた。
・片倉の疑問―Aは俺に気づいていながら無視したのではないか…
※後ろでは学生が1号館の屋上でゆずの古い曲を熱唱。

東岩槻帰還後
・大学を後にしてツタヤ跡地がはま寿司、ローソンになってるのを見届ける。文化度が一切ない大学近辺
・近道商店街を上から眺める―通称「留年坂」の頂上にエスカレーターあり。
・坂道の下には新しいコンビニがあり、隣では大規模なマンションが完成寸前。
・鶴巻温泉は軽く徒歩で行ける距離だった事が10数年越しに判明―橋を越えて延命坂を下った先はもう鶴巻温泉駅。
・予定外―宿泊予定宿は既に満室。温泉だけ入って帰る事に。
・弘法の湯―ド平日の昼間に大勢いるハイキング帰りの爺さん婆さんからアクティブシニアを実感。しかし春日部湯元温泉と比較すると色々微妙。

改めて、東海大学についての私見
文化度ひっっっっっく!
・周辺に学生の文化を醸成するような書店はゼロ。
・書店はおろかブックオフ、何らかの中古屋すらゼロ。ただ飲食店だけが並ぶ。
・図書館の蔵書は膨大だが…学生、教員が活用できてるとも思えない。
・車両通勤の学生が多い+家が太い学生も多い―以前小田原の帰りに電車で出くわした東海大生の話から―「実家が銀座に会社がある設備屋で別荘が各地にあり、本人も既に実家で働いて高収入、大学に言った理由「親が大学は出ろと言ったから」」
・周辺在住の学生―生活するだけで手一杯。大学が周囲に何ら文化的影響を及ぼしていない地域。
・大学と学外の文化施設の交流(都内の大学を例に)→「文化」を醸成するのでは。それが75年以上経過する東海大学湘南キャンパスにそれは一切なし。
・平塚と秦野の境界線―どちらの市にとっても僻地。ベッドタウンのさらに外れで「文化」など生じない。
・そもそも教員もほとんど遠方、他大学出身者から。

あんな場所に10年も住んだ恐ろしさ
・結局転機は最終年に学外に飛び出してのかぜ、古情らと関わった事。
・10年住んだアパートの恐怖―埼玉転入してしばらく、未だにあの部屋に住んでる悪夢を見た。
・前職の会社への就職という脱出―文句も多いが結局6年間の経歴に助けられもした。
・施設だけはご立派―東海大学はトイレだけは充実!

終わりにグダグダ
・森永卓郎の急死と生島ヒロシの全降板の奇妙な重なり
・癌は優しく殺してくれる?
・権力のある者の凋落に伴う快感―追撃または擁護の快感につながるのでは。処刑を眺める群衆の心理は現代にも引き継がれる
・ドラマの無い再訪

いいなと思ったら応援しよう!